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棄耀(11)

 「私は大丈夫だけど……」

 鼻先まで降りてきた宝珠にそのまま額をぶつけかねない程に自ら顔を寄せ、ファーラも同じくひそひそ声で応えた。手慣れたその応酬の様を見ても、彼女達にとってはこの人目を憚った会話を行うのが恒常的であることが知れる。

 「ねぇ、ルフェリオン。本当にガルがここまで来てたの?」

 “あの御方の残滓は違えようがありませんから”

 ファーラにルフェリオンと呼ばれた宝珠が、思慮深げな青年男性の声色で彼女に答える。言葉の節に合わせて明滅こそしていないが、その真球は澄んだ蒼い輝きを全体にほのかに浮かべていた。

 “宝珠”(ルフェリオン)が意志を持ち尚且つ会話することが可能であることを知る者は、この世界においてファーラを除くとコルテラーナと所長、そしてコルテラーナに影の様に付き従う老先生のみである。その事実は他の誰にも――ファーラの“お目付け役”であるナナムゥやコルテラーナの“秘蔵っ子”と呼んでいいバロウルにすら伏せられていた。

 この世界に引き摺り込まれた哀れな犠牲者は、まず墜ちてくる途上でこの世界の環境に適応すべく体細胞を変換される――それがこの閉じた世界(ガザル=イギス)における“彼等”の定めた絶対とも言える仕様(ルール)であった。その忌まわしき所業からファーラの肉体を“守護”したものこそ額の宝冠に煌めくルフェリオンであった。

 しかしそれはルフェリオンの本体に蓄積された“力”の殆ど全てを維持の為に振り分けなければならぬ程に強固な“結界”の効果である。更にファーラの肉体の変容を阻止したことで逆に彼女がこの密閉世界の中で摂取するもの――すなわち空気や飲食物やその他諸々――を彼女の肉体を害しない物体に変換する為に、ルフェリオンは常に“結界”を保持し続けねばならないということでもあった。

 それに加えて不意を突かれたと云え遺児達(ラファン)よりファーラの全身を拘束された上での精神浸食である。ルフェリオンはそれを阻止するにおいて、遺児達(ラファン)による縛めが解除されるまでファーラを休眠状態に保つ事に主眼を置いた。ファーラが『ガル』と愛称で呼ぶ、彼の本来の主が救援に現れるその時まで。

 全ては暫定の、そしてやむを得ぬ処置である。六旗手ティティルゥの遺児達(ティティルラファン)として襲撃した所長の館で期せずしてようやく寄生から解放されはした。それ自体は僥倖であるも、休眠状態から目覚めたファーラを護る“結界”の維持に専念することには変わりなく、その傍ら同じくこの世界に墜ちて来ている筈の主に近距離ではあるが何とか念波を飛ばしてみたものの一切の返答が無いという異常事態であることが新たに判明する次第ですらあった。

 事ここに至り、ルフェリオンは自我を持つ“宝珠”としての自らの正体をコルテラーナと所長に明かしファーラの庇護を持ち掛けたのである。人型機械に関する技術提供を引き換えとして。

 ルフェリオン自らが人型の体を持つが故に、“ネタ”には事欠かなかった。

 正体を明かすのをその二名に留めた――コルテラーナに請われてそこに老先生が加わりはしたが――のは自我を持つ宝珠として第三者に不必要な興味を抱かせない為ではあった。それでなくともティティルゥの遺児達(ティティルラファン)の中から出てきたという剣呑な立場である。それを隠蔽してもらう必要もあった。

 実際、単なる“新参者”としての浮遊城塞の生活は、他所から独立した集団であるが故にファーラの身を潜ませ護るという点では望ましい環境であった。ナナムゥという“お目付け役”の存在も、ルフェリオンにとっては決して煩わしいものではなかった。彼女がファーラの相手をしてくれたおかげで、『姫君』が突飛な行動をとらなかったとまでルフェリオンは評していた。

 だが、それも先日までの話である。


 “ファーラ様、やはりガル様と合流するまで私の中で休眠していただく訳には参りませんか?”


 『やはり』という表現から分かるように、ルフェリオンの提案自体は何も今日が初めてという訳ではない。

 “宝珠”という形態自体はあくまでルフェリオンの端末の一端でしかない。その本体は普段は異相空間に鎮座している、魔導によって造られた白銀の巨大な構造物であった。その“力”のかなりの部分をファーラの“結界”を保持する為に振り分けた事は先に述べた通りであるが、この閉じた世界に突入した際にその異相空間そのものが“揺らいだ”という事情もあった。異相空間を維持する――噛み砕いて言えば、“彼等”によって造られたこの歪な世界の構造を解析し、そこに『異なる空間』として不干渉を堅持することができる“隙間”を改めて確保する必要が生じたのである。

 多元世界を流浪している“箱舟”でもあるルフェリオンにとって、後を追って来ている筈のもう一人の従者との接続を保持する為にも、それは必須かつ早急に解決せねばならぬ懸案であった。

 端末である宝珠としてのルフェリオンがファーラの“結界”を維持する一方、異相空間内の本体側のルフェリオンはこの閉じた世界(ガザル=イギス)の解析に専念した。そして遂に核となる“特異点”――すなわちコルテラーナの呼ぶところの“黒き棺の丘”(クラムギル=ソイユ)――を除き、ようやくこの蟻地獄めいた密封世界の解析を終え、ルフェリオンは異相世界を安定して構築することが可能となったのである。

 何者にも干渉されない異相空間内の己が本体に再びファーラを休眠状態にして退避させるという処遇は、彼女を主より託されたルフェリオンにとっては当然の提案であった。

 しかし――


 「それは嫌」


 ファーラの返事はこれまでと同様に至って簡潔なものであった。ルフェリオンがその一言の前にそれ以上の説得を試みようとしなかったのも、問答自体が初めてではないことに加え、『姫』が一度言い出したらテコでも動かない性分である事を解析し終えている為でもあった。

 「ごめんね」

 決してファーラがルフェリオンを無碍にしている訳ではないことは、そのハの字になった黒い眉毛を見ても明らかである。

 「でもね、赤い何かが何か何とかしてくれるって予言があったじゃない?」

 “――『真紅の流星が夜の帳を翔る時、この閉じた世界の殻は砕け、再びあるべき大地へ還るであろう』の預言でしょうか?”

 「それよ、それ」

 ファーラは大きな黒い瞳を目まぐるしくもキラキラと輝かせると、ニッと満面の笑みを浮かべた。

 「私、それってやっぱりガルのことだと思うのよ。赤いし」

 “……”

 肯定も否定もしないルフェリオンに対し、ファーラは尚も熱っぽく続けた。その言葉の端々に懇願めいた口調が混じるのは否めない。

 「城塞(ここ)のみんなもとても良くしてくれるし、この世界をガルが救うのを私も一緒に見届けたいの」

 もしも人間であったなら、ルフェリオンは額に手を当てハァと盛大に溜息をついていたことだろう。しかし宝珠はそうはせずに唐突に発光を収めると、その球体ごとファーラの額の宝冠目掛けて直進した。短い距離であったこともあり、再び宝珠がカチリとその中央に填る。まるで今しがたまで言葉を話していたのが夢幻であったかのように。


 「――やはりここにおったか」


 ファーラの頭上から彼女にとっても既に馴染みとなった少女の声が聴こえた。そしてファーラが声に釣られて頭上を見上げる前に、一つの小柄な人影がシュタッと彼女の目の前に着地した。

 長い指と白目の少ない碧色の大きな瞳。言うまでも無く彼女の“お目付け役”であるナナムゥである。

 かつてはファーラに対し目に見えぬ“糸”を結わえていると豪語していたナナムゥではあったが、流石に浮遊城塞内ではその限りではなかった。屋内だと両者を結ぶ糸の“操糸”が非常に面倒だというのがその理由ではあるが、それだけファーラに心許しているという証でもあった。

 甘い……などとはファーラは思わない。思うような性分でもない。その生い立ち故か、彼女は人を疑うことを知らなかった。ファーラを狙う悪しき目論見を嗅ぎ分け処断するのは幼馴染でもある彼女の騎士の役割であったのだが、その銀騎士も彼女が流浪の旅に巻き込まれる前に別れて久しい。

 「一緒に朝食をとる約束じゃったじゃろう」

 ナナムゥはいまだ地面に座り込んだままであったファーラの手首を掴むと、そのまま彼女の身を優しく引き起こした。

 ファーラ自身も小柄であったが、それでもまだナナムゥの方が頭一つ低い。とは云え、元は幼女の身から一晩でここまで急成長を遂げた事も事実である。ナナムゥ自身が己の視線の高さや四肢の長さの違和感をようやく克服できたといったところである。ファーラの手を掴む距離感に迷いがなかったことがそれを示していた。

 「しっかり掴まっておれよ!」

 その自分より背の高いファーラの腰を抱き寄せると、ナナムゥは勇ましい言葉と共にその身を宙に踊らせた。ワイヤーフックのように投じられた彼女の“糸”による挙動であるのは言うまでもない。

 ファーラもまたナナムゥの細い体をしっかと抱き締めると、歓声と共に空中遊泳にその身を任せた。

 塔の外壁に反響して、ファーラの笑い声がアチコチにこだまする。中庭でそれを耳にした城塞の者達が平然としている事からも、そのような戯れめいた騒動が既に日常の一風景として定着していることが窺い知れた。

 しかし、ナナムゥは知らない。

 天に舞い上がる直前に、ファーラの黒い大きな瞳が無人の空へと憂いの視線を一瞬投げ掛けた事を。

 迎えの者の到来を待ち受けていたのであろう、その寂しき眼差しを。


        *


 バロウルの容態は、まったく医学の心得の無い私が見てもいまだ芳しいものではなかった。

 流石に再び寝込むところまではいってはいないものの、コルテラーナや所長に付き添われ歩くのが手一杯と云った様子であった。

 わたしもまだまだ勉強中だったので正しい事を言っている自信は無いけれど、バロウルの体調を崩している原因は精神的なものも影響しているのではないのかとも思う。『病は気から』という格言は伊達ではあるまい。

 ブラック企業ではあるまいし何もそこまでバロウルを酷使せずともと私も思わぬでもない。だがこの浮遊城塞の“炉心”とでもいうべき航行機関に天空へと浮上するだけの“火をくべる”ことは、この城塞の“制御端末”であるバロウルにしか出来ないということである。昨日の彼女の告白めいた昔語りを思い起こしてみると、『彼女しかいない』というよりは『彼女しか残っていない』という方が正確なのかもしれないが。

 何れにせよ周囲を哨戒している三型機兵の報告により、昨日から湖の周囲を探っている一団がいることが判明しており、これ以上出立を先延ばしできないというのは事実であった。まさかナナムゥの主張するようにこちらから出向いて一蹴するという訳にもいかない。

 今、私達が集っている場所はドーム状の屋根を持つ円形の建物の前であった。壁面を備えた構造物であるにも関わらず私がお寺の鐘突き堂やプラネタリウムを連想してしまったのは、その建造物のこじんまりとした大きさからであろうか。

 浮遊城塞全体における位置としては中央の塔の正面、すなわち城塞の中庭の更に中央ということになるが、無論もとよりこの場所にあった建物という訳ではない。今回の“出航”にあたり、地面――正確には浮遊城塞の“甲板”である訳だが――を割って新たに出現した施設であった。

 中庭であるからには老若男女問わず普段は人の往来が目まぐるしい要所であるが、今は私達以外の人影を周囲に見かけることはない。“出航”に際し、それぞれ屋内の指定の場所に待機する事が義務付けられていると考えるのが普通であろう。

 私がこうして憶測交じりに語っているのには理由がある。私自身はと言うと、これまで幾度かあった浮遊城塞浮上時は工廠で整備がてら“眠り”に付いているのが常であった為、実のところ今回が始めて浮上の瞬間に立ち会うことになる。そもそも今の錚々たる面子に私が混じっていて良いのかすらも実のところ自信がない。

 実際、浮遊城塞の制御室か或いはもっと単純に操縦席にあたるのかでさえ私には分からないが、少なくとも今ここでバロウルを見守っている面々は紛れもなく浮遊城塞の重鎮達のみであった。

 コルテラーナを筆頭に、いつの間に城塞に帰還していたのか老先生がその脇に付き従う。それに並び立つのが所長とその護衛のクロである。更には珍しいことに、工廠の副長である厳ついポルタ兄弟の姿もあった。

 そして――

 「すまんすまん!」

 私が一同の中に欠けたカカトの幻影を偲ぶより早く、少女の大きな声がそれを遮った。

 改めて声の主を確かめるまでもなく我が幼主――もとい我が主であるナナムゥが中央の塔から飛び出す様に駆け込んでくる。彼女が手を引いているファーラに至っては、モゴモゴと何かを口に含んだまま目を白黒とさせている始末であった。

 「うっかりダオン達に捕まってしもうての――」

 子供達の名前を出して弁明を始めるナナムゥに対し、コルテラーナが唇の前で人差し指を立てそれを制した。私の元いた世界とこの閉じた世界とでは無論ジェスチャーも異なるものが多いが、俗に言うこの『静かに(シッ)』というジェスチャーは共通であった。


 「バロウルちゃん」


 揃って罰の悪そうな顔を見合わせたナナムゥとファーラがそそくさと一同に加わるのを見届けた後、コルテラーナはバロウルに改めて優しく呼びかけた。

 「今日は城塞を浮上させるところだけ担当してくれればいいわ」

 そして、その為に読んだのであろう後方のポルタ兄弟に流し目を送って先を続ける。

 「後は既定の航路を飛ぶだけだし、今日のような不調の時に備えて、彼等に手動操作も教えてきたのでしょう?」

 「はい……」

 ほぼ項垂れ気味に弱々しく頷くバロウルの姿は、昨日コルテラーナに諭されて一人自室に帰った時と何ら変わらぬ塞ぎ込みようであった。或いは私の“中身”が私ではなく例えばもっと気の利いた男であったならば、彼女の側に駆け寄りその身を支え元気付けたりもしたのだろうか。私には分からない。

 「大丈夫か?」

 その代わりという訳でもあるまいが、バロウルの“妹”でもあるナナムゥが流石にその様子を見かねたのか心配気に声を掛ける。

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