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棄耀(10)


        *


 早朝――


 一羽の鷹がピユイと一声高く啼くと、天空で一度大きく輪を描いた。そして目標を見定めたのか、頭部を地上に向けてグンと弾丸のように一直線に降下する。

 鷹の見定めた降下地点には二人の男の姿があった。細部の意匠はまるで異なるとは云え二人は共に黒い外套(ローブ)をその身に纏っており、さしずめ一対の幽鬼か何かの様に見えた。既に朝陽が昇っていることに目を瞑ればではあるが。

 その二人の眼前の巨木の枝にバサリと鷹は舞い降りると、その翼を畳み僅かに頭を垂れてその動きを止めた。

 「我が闇の仔を用いずとも良いのか?」

 二人の黒衣の内の一人である“亡者”メブカが、もう一人の方術士ザーザートにボソボソと声を掛ける。その胸の前まで掲げられたメブカの右の袖口から、漆黒の“鳥”がヌイとその上半身を覗かせる。

 “鳥”というのはあくまで外見から連想される便宜上の呼称に過ぎない。黒いツルリとしたその表面には羽毛どころか獣毛も鱗甲も何も無く、鳥とは一対の翼と流線形の体躯で空を縦横に飛ぶというただそれだけの共通点しかない。

 かつて妖精皇国の妖精皇の強襲に失敗した“客将”ことティティルゥの遺児達(ティティルラファン)――その正体はファーラ・ファタ・シルヴェストルに遺児達(ラファン)を寄生させた即席の旗手であったが――の手から離れた“旗”を回収したのも、メブカの分身とでも言うべきその“鳥”であった。

 「その異様な外見は悪目立ちし過ぎる」

 鷹を凝視したままメブカの方を振り向くこともなく、ザーザートは抑揚に欠けた声でそう応じた。目の前の枝に止まり同じ様にこちら側をじっと凝視したままの鷹は、しかしこちらも決して普通の鳥の見た目ではなかった。

 本来は羽毛に包まれたその胴体はまるで黒い上着でも羽織っているかのように、布状の遺児達(ラファン)がミッチリと巻き付いていた。それはすなわちこの鷹が、ザーザートの命ずるがままに動く空飛ぶ傀儡と化していることを意味していた。

 外見の異様さのみで比べるならば流石にメブカの“鳥”に軍配が上がるが、正直今のように間近で見比べない限りはそう大差があるとも思えぬ様相であった。砕いて言えば要はどっちもどっちという事である。

 とは云え、ザーザートの決定に一々異を唱えるようなメブカでもない。

 「……刻が来たら呼ぶがいい」

 その一言だけを残し、またもやメブカの躰がズブズブと地に呑まれて消えていく。

 「……」

 端正な青年の貌を持ちながら“物の怪”としか形容しようのないそのザーザートの退場の様を、“仮面”の下の素顔を僅かにしかめながらもザーザートは黙って見送った。

 この世界の住人に死をもたらすという共通の目的の為に、かつて大公暗殺未遂の刑として落された地の底の奈落で“盟約”を交わした間柄である。ザーザートにとって必要最低限の対話で済むメブカとの関係はむしろ望むところであった。

 地の底より泥水の様に湧き出る、メブカ率いる“亡者”達。その真の恐ろしさは死者の成れの果ての身でありながら、陽光に活動を阻害されることのないという点にある。直射日光を嫌う――本能的にとでも言うべきか避けようとはする――ことは事実だが、陽の光に当たったところで僅かに竦み揺れるという程度でしかない。絵物語の怪物の様に陽の光で灰となって苦悶の内に崩れ落ちるなどということはない。

 そもそもが大元である、この世界の住人が無念の死を遂げるとその傍らに出現する白き“幽霊”自体が、日光の下にユラユラ身体を揺らしている光景も珍しいものではない。その同類である“亡者”もまた、日光への耐性を有していても不思議でも何でもない。

 そしてそれはすなわち地に接している場所にいる限り、何者であろうと神出鬼没の“亡者”の手から逃れることは適わないということを意味していた。

 だからこそのザーザートの余裕であり、それ故にその数少ない例外となる要所こそが、その名の通り常に天を航行している浮遊城塞オーファスであった。

 しかしその浮遊城塞すらも湖面上に浮かび停泊している今の状態から、ザーザートが既に潜り込ませている“間者”によってその外縁の一端を地面に接触させるだけで終焉を迎えるだろう。その手筈も既に終えている。

 ザーザート自らが呼び寄せた三人の貴族――すなわちハンガン、イッシュ=ガッド、そして猫目のタウルの手勢もまた、各々適度に散開しつつ湖に向かって進軍を始めていた。身も蓋も無い言い方をすれば、綿密な連携もせずに各自の勝手な判断で動いているという事である。

 出立からして、激励の演説や鬨の声など皆無の静かな進軍であった。奇襲であるというのがその最大の理由ではあるが、それだけ指揮する貴族を筆頭に兵達が浮遊城塞をたかが職人の集団だと侮っているというのが根底にある事は明らかであった。

 馬鹿どもめがと、ザーザートは既に嘲笑する事すら無く冷めた瞳で軍勢が展開を始めた朝霧の漂う林の方を見やった。

 同士討ちの可能性を避ける為などと云う尤もらしい理由付けで早朝の襲撃を納得させたのはそもそもザーザート自身である。彼にとっての本命は“亡者”の群れにあるのだが、単純に浮遊城塞を攻め落とすだけであれば、“亡者”の外観が闇に紛れる漆黒であることを考慮して夜の襲撃の方が都合が良いというのは言うまでもない。

 しかしそれでもザーザートが陽の射す時間での襲撃を選択したのは、自らの“再構成”の糧とすべきナナムゥを夜の闇に紛れて捕り逃すことのないよう念を入れた結果であった。

 まずナナムゥがカカトの屍を“再構成”によって取り込んだのかを確認してからで良いのではないか――珍しくもメブカはそうザーザートに意見を表したが、そのことについてザーザートは微塵も疑いを抱いてはいなかった。事前に情報として得た訳でもなく、ザーザートにとってそれは確信であった。こればかりは同じ世界で生み落とされた“生体兵器”同士でしか分からぬ本能(さだめ)だと、ザーザートは特に説明せぬままに己の手で策を押し進めた。

 無論、それに異を唱えるメブカでもない。“亡者”にとって過程は重要事ではないのだろうとザーザートは解していた。

 そしてザーザートにとって残る懸念はと言えば、後はせいぜい一方的な制圧戦ではなく、拮抗した総力戦に雪崩れ込んだ方が望ましいという一点のみである。彼が敢えてザイフ村という商都ナーガスに属する“第三者”の間近で陣幕を張ったのもそこに理由がある。

 妖精皇国との関わりが深い浮遊城塞オーファスとコバル公国の手勢とで戦端が開いたともなると、ザイフ村から商都へと直ちに早馬が発つだろう。その前触れとする為にも、三貴族達の兵が村を冷やかしに赴くのを禁じなかったのである。その一報がいまだ遠巻きにではあるが公国の軍勢に囲まれつつある商都にどのような影響をもたらすのかまでは、流石のザーザートにも現時点では(よう)として知れぬ。けれどもこれから世界中を席捲する事になる戦禍の種火としては充分であることをザーザートは見越していた。

 加えて何よりもザーザートは、奇襲を旨としたこの戦いが決して奇襲とならないであろうことを知っていた。

 浮遊城塞の周辺を円盤型の“監視者”――その正式名称が『汎用三型機兵(ゴレム)』であることまではザーザートは知らぬ――が常時哨戒していることを彼は承知していた。三貴族の手勢がその哨戒網を気付かれずに通り抜けることなど不可能であることも始めから考慮の内である。後は浮遊城塞側が待ち構えていることを知った三貴族達が話が違うと土壇場で尻込みしないよう、頃合いを見て“間者”に浮遊城塞を落下せしめるだけである。それにより迎撃する浮遊城塞側も程良く浮足立つだろう。後は特にザーザート自身が手を下す必要もないだろう。

 「楽な計略だ……」

 ザーザートのその呟きは、果たして誰に向けられたものであったのか。それは定かではないにしても、誰かに聞かせる為の物であった事だけは確かである。

 “亡者”によるナナムゥの捕縛にしても、“再構成”に“使う”にはその生死は不問である為、これまた楽な標的ではあった。実を言えば最大の脅威となり得た“客将”アルスを討ち果たした今、早急に“再構成”を試みる必要すらない。

 「残るは……」

 周囲を警戒している“監視者”の存在の他にもう一つ、戦禍を広げる目的でザーザートが敢えて三貴族に伏せた重大な懸案があった。

 妖精皇国の妖精皇の存在である。

 事実上の隠遁生活の為に治世者として表舞台に出てくることは既に無いが、それでも彼女が妖精皇国の“顔”であることに変わりはない。その妖精皇が今は浮遊城塞に滞在している情報を、ザーザートは“下僕”として傘下に置いた旗手ナイ=トゥ=ナイから既に得ていた。

 浮遊城塞を巡る混戦の中、流石に妖精皇も立場上、万が一に備え城塞に踏み止まる事はせずに一足先に外部に逃れ出ることだろう。

 だがよもや妖精皇国の元首ともあろう貴人が浮遊城塞などに滞在しているなど知る由もない(・・・・・・)以上、ザーザートとしては逃れ出た一団への追討の命を三貴族より請われた(・・・・)ならば出さざるを得ない。

 空でも飛んで逃げぬ以上、“亡者”の追撃の手を逃れる事はできない。妖精皇の最期は無残なものとなるだろう。それが“亡者”であれ三貴族の手勢であれ。

 或いは妖精皇が万が一逃亡せずに浮遊城塞に籠ることを選んだとしても、その“死”の運命が変わることもない。

 妖精皇の去就が何れにせよ、ザーザートの望む通り彼女を巻き込み否が応でも戦禍の火種は広がっていくことになる。


 「――行け、我らの仔(ラファン)よ」


 依然として目の前の大樹の枝に止まり、翼を畳んだまま微動だにしない鷹に対し、ザーザートが袖口から光の珠を放る。嘴でもなくましてや足爪でもなく、鷹の躰に巻き付いていた黒い布があたかもカメレオンの舌のようにシュッと伸びてそれを掴み取った。

 そしてその布の“副腕”が再び胴体部に引っ込むと同時に、鷹がその翼を大きく広げバサリと空へ飛び発った。

 長く鋭い鳴き声と共に鷹は――“寄生”されている以上、事実上の遺児達(ラファン)であるのだが――“両親”とも言えるザーザート達の頭上で一度大きく輪を描くと、目的地目掛けて一直線に飛び去った。

 浮遊城塞オーファス、そしてそこにザーザートが以前より潜めておいた“間者”の許を目指して。


        *


 浮遊城塞オーファス――


 ファーラ・ファタ・シルヴェストルは厨房の朝食の仕込みの手伝いを終えると、その食堂や居住区のある右の塔から一人、人目を憚るように裏口から外に出た。

 嘘か誠か『王女』を自称する彼女が何故厨房での下働きに勤しんでいるのかと言うと、彼女自身が自分も何か手伝いたいとナナムゥに申し出たからに他ならない。

 “寄生”による本人の意思の与り知らぬ行為であったとは云え、遺児達(ラファン)の芯として所長の館を襲った『前科』持ちである。その彼女が食事の手伝いなどと云う、それでなくとも部外者の関与を避ける要所に携わる事を許されたのは、王女として育てられた彼女の物腰の良さか、或いは彼女自身の生来持つ愛嬌故であったのか。

 少なくとも表立ってファーラを悪く言う者は皆無であるくらいには、彼女も浮遊城塞の一員として迎え入れられていたことになる。

 「……」

 そのファーラが今、塔の裏庭で周囲を不自然にキョロキョロと見回していた。早朝のしかも裏庭とは言え、製紙業や機兵工廠を始めとする職人達とその家族が詰める浮遊城塞である。決して無人などということはない。

 今また通りすがりの住人達に適度な挨拶を返しつつも、ファーラは人通りの絶えた僅かな隙を見計らうと、路地裏とでも云うべき塔の狭い暗がりにサッとばかりに身を滑り込ませた。

 性格的には快活ではあるが肉体的にはむしろ鈍いと言い切れるファーラであったが、身を隠す際には意外に機敏に体が動いた。そこは少女という若さの勢いが故であっただろうか。その証拠に彼女は潜り込んだ路地裏に人気が無いことを確認し終えると、更にその辺りの遮蔽物に身を寄せたままペタリと地面に座り込み大きく安堵の息を吐いた。


 “――大丈夫ですか? ファーラ様”


 不意に、その彼女の頭上から密やかな声が掛けられる。ファーラが肌身離さず身に着けている――沐浴の時ですら――宝冠の中央に輝いている筈の蒼い宝珠が、今はその台座を離れ彼女の目の前に浮遊していた。

設定の御蔵出しは前回までと言ったな

アレは嘘だ

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