棄耀(6)
名代の見解ということは、すなわち大公の見解に等しい。無論あくまで建前としてではあるが、それでもその意味するところは大きい。
普段のザーザートがそのような権限をひけらかすことは――貴族からの無用な反感を招かぬ為にも――皆無であったが、この密談において始めてそれが成されたのである。自分の言葉は大公の御言葉に等しいという強弁を。
すなわち“旗”の行方は公国としては一切与り知らぬことだと明言されたということである。その言葉の意味するところは明らかであった。
とは云え――
「どう言い繕おうと、結局は意味無いことではないか! 浮遊城塞に“旗”が回収されたのならば、そこの誰がしかが新たに“旗手”を名乗るだけのことよ!」
「誰がしか、とは?」
いきり立つハンガンをザーザートが淡々といなす。全ての言葉の応酬が自分の想定の範囲内で進んでいることに心中で秘かにほくそ笑みつつも、依然としてザーザートの口調そのものはへりくだったものであった。
「公国にまでその勇名を知られた“青の”カカトならば兎も角、空をコソコソ逃げ回ることしか出来ない浮遊城塞に、他に如何な手練れの者がいるとおっしゃるか?」
むぅと言葉に詰まるハンガン達三人に対し、尚も畳み掛けるようにザーザートは言葉を続けた。
「そして何よりもその“青の”カカトを屠った客将が、我らの側として健在なのですから」
「――!?」
いつからそこに居たのだろうか、まるで地の底から湧き出たかの如く不意にザーザートの背後に出現した人影に、三人の貴族は思わず驚愕の声を上げた。それに被せるようにザーザートの宣言が幕内に響く。
「例え新たに“旗手”を襲名した者がいたとしても、再びこの“客将”メブカが討ち果たすだけの事です!」
あくまで慇懃無礼な態度を終始崩さないザーザートとは対照的に、紹介された当のメブカはその端正な貌に一切の表情を浮かべぬままにただ直立不動のままであった。貴族である三者に頭を下げる事も自ら名乗ることすらもせず、まるでどこか幕の向こうの虚空の彼方を眺めているような、そんな茫洋とした佇まいであった。
三人の貴族が口々にその無礼を咎めぬ内に、ザーザートは先んじて甘言を囁いた。
「もっとも、新たな旗手を討ち果たしたその時は、その旗は再び不運にもメブカの前から失われる事となりますが」
「――!!」
再び繰り返される、“旗”は好きにしてよいというわざとらしいまでのアピール。三人の貴族は誰とはなしに互いに顔を見合わせた。
「んんっ!」
これまた誰のものとも知れぬわざとらしい咳払いの後、猫目のタウルが己がやましさを誤魔化すように居住まいを正してまず口を開いた。
「まぁ、このような辺鄙な場所で先陣を競っても仕方がないでしょ。その誉れはザーザート殿と“客将”に譲りましょう」
独特の妙に砕けた口調でそこまで話が分かる体で続けた後、タウルは一呼吸置いた後に核心に踏み込んだ。
「けれどもそもそも宙に浮いている城塞相手に、どうやって乗り込むおつもりか?」
浮遊城塞オーファスがその名の通り常に――噂を重ねる内の誇張もあるとは云え――大地から浮上しているというのは、城塞自体の航行先に含まれていないコバル公国でも良く知られた話ではあった。
ただ城塞に取り付くだけならば熱気球などの手段も用意できないではないが、それでは単に散発的に数人程度を送り込めるというだけである。それすらもあくまで『できる』というだけであって、実際は容易に迎撃されるであろうことは想像に難くない。
そういう状況であるからこそ、単身で浮遊城塞を制圧できると豪語していた“客将”アルスに攻略が一任されたという経緯もあった。
要は通常の手段では成し得ないという難事である。だが――
「無論、その点も抜かりはありまんのでご安心を」
「ほぅ、ぜひ聞きたか」
イッシュガッドが身を乗り出して訛り丸出しのままに尋ねる。あたかもこの密談そのものを値踏みするかのように。
「既に手の者を浮遊城塞の操舵手として潜り込ませてあります。後は皆様方の手勢が到着次第、その者に命じていつでも城塞を降下させることが可能です」
それまで一切の感情の浮かんでいない仮面のようなザーザートの口元に、始めてニィという笑みが浮かんだように三人の貴族は錯覚した。ケラケラという、まるで女のような甲高い笑い声が聴こえたような気すらした。
その背後に控える“客将”メブカは、遂に最後まで一言も発することはなかった。
「それでは、皆々様の手勢の到着予定――すなわち城塞攻略の日程を詰めて参りましょうか」
*
軍議と云う名の密談を終えた後、ザーザートに招かれた三人の貴族は揃って陣を後にした。天幕を背に並んで歩み去りながらも、誰一人言葉を発することはない。
三つの“洞”が動員した軍勢は総数150名。それも本日中には全て到着するので、兵を休ませた上で浮遊城塞オーファス攻略は明日に決まった。
「――どう見る?」
天幕が見えなくなってようやく最初に口を開いたのは、ザーザートと相対した時と同じくハンガン・ホゥであった。
「話がうま過ぎるわ」
待ってましたとばかりに、イッシュガッドが半ば吐き捨てるようにそれに応える。
「“旗”を好きして良いなど、そんな都合の良い話があるわけ無か」
自分達三人を揃ってザーザートが招いたのは、互いに牽制させる目的である事は今更言うまでもなく全員が理解していた。“旗”を好きにして良いという甘言も、要は自分達を手駒として体よく使う為のその餌であろうことも心得ていた。
いくらクォーバル大公の名代の言葉と云えども、証文の一つすら無い口約束など後々どう転ぶか知れたものではない。
「かといって、今更雁首揃えてノコノコ商都に戻る訳にもいかないでしょうが」
茶化すように声を上げた猫目のタウルが残る二人にジロリと睨まれ、肩をすくめ思案しつつ先を続ける。
「まあ、いいでしょうよ、しばらく名代に騙されたふりをしておくのも」
そこまで言ってからフッとタウルは口をつぐむと、キョロキョロと周囲に不審な影が無いかを――今更であるが――見回した。そしてより一層声を潜めて続ける。
「いざとなれば先に妖精皇国の貯蔵所の一つでも接収すれば駄賃としては充分でしょ」
「妖精機士団はどがんする?」
瘤の盛り上がった額を無遠慮に付きだしてくるイッシュガッドを少々辟易した目で見つめながらも、猫目のタウルは自信たっぷりにこう告げた。
「商都が攻められたとなると、妖精皇国も援軍を出さない訳にはいかないでしょ。抜け駆けして街道を妖精皇国に向かう“洞”もいるでしょうね。手薄になるのは間違いないから、早々に裏道から懐に潜り込んでおこうという訳よ」
*
「――良いのか?」
人払いをした陣の天幕の内で、“亡者”メブカは椅子に身を沈めたまま身動ぎ一つしないザーザートに対し、その背中越しに静かに問うた。
「何のことだ?」
少し苛立たし気にメブカに問い返すその時ですら、ザーザートは身を起こすことなくその言葉にも力は籠っていなかった。
「……」
嘆息をするでもなく、肩をすくめるでもなく、メブカは不機嫌さを隠そうともしないザーザートの後姿を揺らぎもせずにただ見つめていた。まるで死者に寄り添う“幽霊”であるかのように。
だが、その奇妙な静寂もいつまでも続くものではない。やがて不意にメブカの躰が無言のままにズブズブと、そのまま足元から沈み始めた。地面に接する躰の部位が黒い陽炎のように朧気に揺らぎ、そのまま地に染み込む様に消失していく。
「……」
その気配に気付きはしたものの、別段ザーザートが首を巡らすこともない。
元より己の背後に位置していた為、メブカが気分を害したか否かはザーザートには定かではない。だが“遺児達”による“仮面”を付けたザーザートと同じく、メブカもまた常に無表情であった。それ故に例え面と向かい合っていたとしてもその貌から自分に対する如何なる感情も読み取ることが出来ないであろうことも、ザーザートは既に心得ていた。
無言のままに現れ無言のままに去るメブカを、ザーザートもまた無言のままに見送る。それはむしろ両者にとって常のやり取りであったと言っても過言ではない。
しかしこの刻、最後まで残った頭部が地の底に呑まれて消え失せる間際、メブカは珍しく念を押す言葉を残した。
「この“密閉世界”最後の生者として我が安寧の葬列に加わるという約定、決して忘れることなかれ」
「最後の生者か…」
メブカの気配が失せ完全に無人となった幕内で、ザーザートはメブカのいう『約定』の一節をおうむ返しに呟いた。
「……ふふ」
椅子に身を沈めたまま、不意にザーザートが高笑いを上げた。その脇腹が吐血する。
「ふははははははっ!」
何がそこまで己の内の琴線に触れたのか、ザーザートは自分でも定かではない。或いは利害が一致しただけの単なる協力者に過ぎないメブカの去り際の言葉に、有り得る筈の無い労りの響きを聞き取ったように錯覚してしまった己の滑稽さを嗤ったのかもしれない。
「お前に言われるまでもない。まだ死ねるものか……!」
先日のカカトを屠った後のバロウルの不意打ちによって、ザーザートはほぼ致命傷と言える傷を負った。その傷を癒す為に、ザーザートは久方ぶりに“繭”を張りその中で一昼夜を掛けて肉体の『再構成』を終えたばかりである。浮遊城塞を前に幕内に籠りきりであったのも、ハンガン達貴族の手勢が揃うまでと云うよりはそれに起因する。
ザーザートにとって肉体の『再構成』が初めてと云う訳では決してない。今回の様に致命傷を癒す場合は無論の事として、これまでも不安定の極みである己が肉体を正常に一体化し直すべく“繭”を張ったことも一度や二度ではない。
しかし幾度『再構成』を繰り返したところで、ザーザートにとっては不完全を不完全で上書きしただけに過ぎないものであった。肉体に負った傷こそ塞がりはするものの、その根本的な『不具合』が改善されることはなかった。
先日、例え首尾良くカカトの屍体を回収しその知識と知恵を吸収する為の『再構成』を成し得ていたとしても、依然として己が肉体そのものは『不完全』のままに留まるであろうことも薄々ザーザートは気付いていた。
浮遊城塞攻略の際に、もう一人いる“同族”のナナムゥも『再構成』の糧とする計画に変わりは無いが、それもあくまでザーザートの『生体兵器』としての“力”を裏打ちするだけの結果となるであろうことも、今の時点で覚悟はしていた。
例え肉体の『再構成』が不首尾のまま終わろうとも“同族”を取り込み続ける――それは最終的に相対することになる神出鬼没の移動図書館との決戦に備え“力”を増す為のことである。最終的に最後の生者――すなわち最後の死者となってこの閉じた世界を無人の野とする幕引きに変わりはない。
それこそが“亡者”の王であるメブカの言うところの『永遠の安寧』でもあった。
この忌まわしき世界において楽になりたい、楽にしてやりたいと願う気持ちはザーザートとて変わりは無い。だがそれも全て、この世界の住人達にティティルゥの受けたものと同じ苦しみと絶望を味わわせて後のことであった。
それは、あの愚鈍なオズナとて例外ではない。一旦は家族の許に追い払ったのも、単に浮遊城塞攻略において足手まといでしかない為である。最終的に祖父諸共に死者の群れに加えると云う計画に例外は無い。
(……オズナの事などどうでもいい)
己に僅かに残っていた甘さを脇に押しやり、ザーザートはこれからの事に思案を巡らせる。
本来であれば、“亡者”メブカと地の底でもがきのたうっていた黒き悪霊の群れの前に、この世界の住人が抗する術は無い。それはこの閉じた世界で最大の“力”を持つ六旗手のクォーバル大公とナイ=トゥ=ナイが揃ってメブカの前に膝を屈した事からも明らかである。
地より染み出す“亡者”の前には如何に高く分厚い防壁に護られた商都ナーガスとて完全に無力であり、その防壁が皮肉にも退路を断つ檻へと変じて住人が死者の群れに蹂躙される地獄へと変じることであろう。
いとも容易く。
ザーザートが命じれば今すぐにでも。
手の届く者を“亡者”の群れに引き込む以外の大局に欠けるメブカに対しザーザートがその指示を与えないのは、あくまで愚かなこの世界の住人同士が相争うよう――それこそ骨肉相食む勢いで――仕向けるという、ザーザート達の果てしない昏い復讐心によるものでしかない。
だがその切り札である“亡者”の行軍ではあるが、空を飛ぶ浮遊城塞だけはそうはいかない。地の底から湧き出でるということは、裏を返せば地続きでない場所には出現できないということでもある。
この狭い世界の全ての住人を屠ったとしても、浮遊城塞が天空に逃れ安穏としている――例え最終的に物資が尽きて破滅を免れないとしても――ことを許したとすれば、それはザーザート達の復讐の完遂を意味していない。
加えて、意思無き地表の白き“幽霊”を動力素なる結晶に変化させ――機兵のエネルギーとして――消滅させる技術を浮遊城塞が有していることは、ザーザートの耳にまで届く程の公然の秘密であった。それはザーザートのまだ知らぬ異界の技術によるものなのであろうが、その出処には大した意味はない。
対峙した“亡者”を直ちに結晶に変えるまでの即効性はさすがに有していない筈ではあるが、放置しておけば“亡者”メブカの行軍を阻む恐れは十二分にあった。
ザーザートが――本来の計画ならば“客将”アルスを使い捨てるつもりであったのだが――自ら浮遊城塞の制圧に赴いたのはそこに理由がある。カカト達との連戦の際に激情から“裁きの一撃”による破壊を試みてしまったが、本来なら拿捕してそのまま商都なり妖精皇国なりに落下させる腹積もりではあった。
この世界に終末をもたらす、如何なる場所からでも観測できる大掛かりな狼煙として。