棄耀(3)
命令としては些か長過ぎるとは云え、その言葉の効果は覿面であった。突如として”妖精機士“の両腕が糸の切れた操り人形のように力を無くしてダラリと垂れ下がり、背に細く長く伸びていた光の翼もガラス製か何かの様にヒビ割れ四散して消滅する。
「控えなさい、ナイ=トゥ=ナイ!」
声の主である所長が、普段の穏やかな様子からは信じられぬ程に息急き切って霊安室に駆け込んで来る。私は彼女が発した先程の口上が機兵の緊急停止用の指令であることに思い至った。
かつて私の右腕がティティルゥの遺児達に乗っ取られた際、バロウルが私に対して用いたものと同じものであろう。流石に声紋認証か何かで指令さえ発すれば誰でも機兵を停止できるという訳ではあるまいが、少なくとも“妖精皇”として妖精機士を統べる立場にある所長がその権限を持つのはむしろ必然だと云えた。
もう三十路半ばだと笑っていた所長がハァハァと肩で荒い息を吐きしばし呼吸を整えているところを見るに、よほど慌ててここに駆け付けたのだろう。護衛として本来は所長に先駆けて現れる筈のクロが、彼女に一足遅れて霊安室に入って来たというのはよっぽどのことである。
そして、私の背後にある巨大な“繭”を所長が一瞥しただけでそれほど驚愕してはいない様子から、私は三型の中継映像を所長がこれまで観察していたのだと確信した。
「聴こえていますね、ナイ=トゥ=ナイ」
前に出て自分を庇うクロを一旦は背後に下がらせ、所長が動きを止めたままの妖精機士へと語り掛ける。
流石に私も所長に遠慮し、彼女とナイトゥナイの間を遮らないように数歩引いた。
「貴女のやっている事は只の八つ当たりです。いくら悲しみに任せ荒れ狂ったところで、死んだ者は二度とは帰ってきません」
所長の声がそこで詰まる。その黒いタレ目気味の瞳に涙が潤む様に、私はかつて所長の“館”の裏で見せられた数多の墓石の並ぶ光景を思い出した。
十数年前に所長と共にこの閉じた世界に墜ち、護衛機であるシロとクロ、そして護衛忍者であるモガミだけを遺して散っていった者達の墓標を。
「私達残った者は死んだ者の想いを受け継いで、彼らの思い出と共に前に進むしかないのですよ?」
“……”
果たして完全に機能停止されたように見える妖精機士内部のナイトゥナイに所長の声が届いているのかは分からない。沈黙を保ったままに見えるナイトゥナイも、彼女が本当に操縦席で黙したままだったのか、或いは口にした想いを機能停止によって外部に伝達する手段が無いだけだったのかも分からない。
ただ一つだけ明確な事は、それまで項垂れていた妖精機士の顔が再びガバリと跳ね上がったということであった。
「――ヴ!?」
クロが所長を、私が“繭”をそれぞれの背に庇う中で、妖精機士の関節という関節、そして装甲の継ぎ目という継ぎ目から黒い煙が立ち昇る。
否、それは“煙”などと云う稀薄な存在ではなかった。もっと粘着性を持った何か、云うなれば――と云うか、私好みの持って回った言い方をすれば――“闇”そのものが漏れ出して来ているような嫌な感じであった。
所長が妖精機士に対し再び停止命令を口にしなかったのは、四脚の機兵の挙動が明らかに異様であった為だろう。抑え込もうとクロが一歩踏み込む前に、背面スラスターからも“闇”が蒸気の様に噴出する。本来なら虹色の光の翼が広がる代わりに“闇”と異音を撒き散らしつつ、妖精機士はしかし所長ではなく私の方へと突進して来た。
「ヴ!」
咄嗟に身構える私であったが、そもそも先程のぶつかり合いで両腕が粉砕されている事すら失念していた程である。怨念で動いているに等しい相手に始めから抗しうる筈も無かった。
だが私の間抜けさ加減を差し引いたとしても、妖精機士の突進は苛烈を極めた。“槍”を使った訳でもないたった一発の叩き込みが、ただそれだけで私の巨体を床に這わせた。
供物が崩れる程の轟音。その代償として妖精機士の右腕の関節が有り得ない角度に――機兵である以上、それが元々の可動域の範囲なのか私には判然としないのだが――折れ曲がる。
(ままよっ!)
事ここに至っては迷っている暇など無い。這い蹲った私はせめて妖精機士の脚だけでも止める為、隠し腕ともいうべき“紐”を奔らせようと懸命に身を起こす。確実に妖精機士の四脚を絡め取る為にも、私は視界の中の速度を落とし狙いを定めようと試みた。
私がもがいていることにも気付かずに、妖精機士が折れた右腕ごと“繭”を抱き抱えるように両腕を伸ばす。腰に据えられていた槍の柄――すなわちナイトゥナイの“旗”が眩く光を放つ。それは紛れも無く、彼女が“旗手”として“旗”より与えられた“力”を発動させたことを意味していた。
“カカト! 私のカカト!!”
(南無三!)
“紐”を奔らせようとした私であったが、既のところで思い留まった。ナイトゥナイの旗に負けず劣らずの輝きが、今初めて“繭”の内側に瞬き灯った様を認めたからである。
まるで“旗”同士が――否、相対した“旗手”同士が呼応するかのように。
“――何故っ!?”
ナイトゥナイの悲鳴にも似た狼狽の声が響く。私は最初それが“繭”の中の輝きに対してのものだと判断したが、それがまったくの誤りであることはすぐに知れた。
「っ!?」
所長が息を呑む声が聴こえた。
私の正面で、突如として楕円形の“繭”が頭頂から裂ける。まるでブドウの皮を剥くように、ベロンと四つに割れて。
「――血迷うて忘れたか、ぬしが小さくできるのはぬしの所有物だけだということを」
完全に割れた“繭”の中から光の奔流が――僅かの間だけとは云え――霊安室に迸る。その光の中心から、私にとって聴き覚えのある少女の声が、おもむろにナイトゥナイに告げた。
六旗手ナイ=トゥ=ナイの持つ“力”――それが己の所有物を縮小する能力だという事は私も聞いていた。その“力”でナイトゥナイが本来は人の太腿くらいの背丈である妖精族たる己自身の身体を縮小し、常にカカトの胸元に潜り込んでいたのだと云うことも。
その“力”で“繭”を縮小して持ち去ろうとしていたのだと私が理解した時には、少女が手にした珠が発する光の乱舞は既に収まりつつあった。薄れゆく光の中心に、最後に元のわたしの体と同じくらいの小柄で細身の少女の体が浮かび上がる。
「わしのこの躰、ぬしの物ではない」
“お前はっ!?”
たじろぐナイトゥナイ――困惑しているのは私も所長も同じであったが――の前で、光の最後の数条が少女の掌中の珠に急速に収束する。
そして霊安室の夜気の中、完全にその姿を露わとする一人の少女。磁器の様に白い肌が一糸纏わぬ全裸に映え、全体的にほっそりとした身体は膨らみかけの胸によって少女のそれであると知れた。
細く長い指。肩まで伸びた緩やかなウェーブを帯びた淡い髪。
そして白目の少ない両の瞳の中で、碧色の瞳孔が宝石めいて煌めいていた。
「……ナナムゥ?」
まるで言葉を発することの出来ない私を代弁するかの様に、所長が発した問い掛け。かつての幼稚園児並の幼女の身体から十代前半に相当する肢体へと変じた少女は、かつての私も良く知るニィという屈託の無い笑みを浮かべ応じた。
そこそこの距離を隔ててはいたが、それでも思わず顔を見合わせると私と所長。しかし所長が更なる言葉を紡ぐ前に、ナイトゥナイの叫びがそれを遮った。
“カカトをどこにやった!?”
それは既に怒号であった。或いは号泣であったのかもしれない。
ナイトゥナイの言葉の通りに、“繭”の中から出現したのは夥しい急成長を遂げたナナムゥ独りだけであり、カカトの遺体どころかその“幽霊”すらも“繭”の中から消失を遂げていた。
ただ少女の足元には何か粘着質の塊が堆積しており、ナナムゥとカカトの服の切れ端と思しき物がそれに入り混じった形で垣間見えるのみであった。
「そうじゃな、カカトは――」
ナナムゥが妖精機士に対して真っ直ぐにスッと伸ばした腕の中で、“旗”である珠が再び光に包まれる。そしてそれは私達にとっても馴染みの、そして忘れ形見でもある形状へと変じた。
すなわち、蒼く煌めく電楽器へと。そこにナナムゥの声が重なる。
「カカトの想いは全てわしの内にある」
“馬鹿にしてっ!!”
それは耳を塞がんばかりに苛烈な、そして哀しき咆哮であった。掴み掛からんばかりに伸ばされた妖精機士の指先が求めた物は、形見としての電楽器であったのか、或いはカカトの成れの果てとでも言うべきナナムゥの肉体その物であったのか。
だが、どちらにせよナイトゥナイの望みが果たされることはなかった。その腕が、胴体が、四脚の全てが、ギチギチという軋みを上げながら停止する。
「一つのことにしか目がいかなくなるのは妖精の悪いところじゃな……」
短い吐息を漏らすナナムゥ。呆れた声であるものの、そこに嘲りの色は微塵も無い。
一体どのタイミングでその準備をしていたのか、透明の“糸”が寄り集まった紐となって妖精機士の機体の節々を拘束していた。それが私達にも目視できたのは皮肉にも、月光の照り返しによる“糸”の煌めきに対し妖精機士自身の関節から発する“闇”が漆黒の背景と化し、その中に“糸”を浮かび上がらせた為であった。
「同じ六旗手として頼む」
電楽器を抜き身の剣のように地面に突き立て、そのヘッドに両手を添えてナナムゥが改まった声を掛ける。
「今一度わしと共に護ってはくれぬか? カカトの愛したこの世界を」
“カカトが……”
それまでギチギチともがいていた妖精機士が、その名を前に始めて抵抗を止める。ようやく訪れた静謐の中で、ナナムゥだけでなく私も所長も固唾を呑んでナイトゥナイの返答を見守った。
それはカカトという快男児を亡くした我々の、祈りに等しい未来への願いだったのかもしれない。
だが――
“お前達のせいでカカトは死んだ! その恨みを忘れない!”
ナイトゥナイの憎悪に塗れた絶叫と、それに重なるガインという激しい打撃音。
妖精機士の胸部の装甲板がナナムゥに対して――おそらくは苦し紛れに――射出され、そしてそれをナナムゥが電楽器でゴルフスイングめいて脇へ打ち流した音であった。
器用に打ち返された胸部装甲板が霊安室の壁に当たって鈍い耳障りな音を立てる。元々がコバル公国への潜入調査に際し妖精皇国の紋章を隠す為の間に合わせの後付けカバーでしかない為、それ程堅固なパーツという訳ではなかったのだろう。壁が損壊するようなことはなかった。
「そこを、曲げて頼む」
全裸で電楽器をフルスイングした両腕を伸ばしたままの体勢で妖精機士を見つめるナナムゥ。見た目だけを描写すると滑稽なものではあるが、そこに紛れも無い気高さを私は感じた。
“うるさい!!”
間髪入れずに怒鳴り返すナイトゥナイが、既に聞く耳を持っていないことは明らかであった。関節から蒸気のように噴き出す“闇”の如何なる効力か、妖精機士を拘束していたナナムゥの“糸”が溶解を始めており、この時点で妖精機士がブチブチと力任せに引き千切るには充分な損傷であった。
「ナイ=トゥ=ナイ!」
所長が鋭く彼女の名を呼んだ時には、既に妖精機士の機体は天井の吹き抜けまで垂直に飛び上がり浮上していた。斜め後ろから射す半月の光と“闇”の蒸気が混じり、どこか妖怪めいた雰囲気を醸し出す。
月光の影となった胸部にわずかに煌めく金色の光は――私にとって未だ細部こそ不明のままであるが――露わとなった『黄金の太陽花』の紋章の照り返しに違いあるまい。
「ナイ=トゥ=ナイ!!」
制止するクロの腕から半ば身を乗り出すように、所長がもう一度彼女の名を呼んだ。今度は尚鋭く、あたかも咎めるが如く。
“――”
妖精機士は所長の方を見もしなかった。或いは主従として視線を合わせる事を恐れたのかもしれない。
その証左として妖精機士はそれ以上一言も発することなく、背のスラスターから発する“闇”の蒸気が推力であるかのようにそのまま浮遊城塞を飛び去った。
先程までの激昂から一転して、まるで恥とやましさから逃げるように。
光の翼が尾を曳かない以上、彼女がどこへ向かったのかは分からない。この世界に六本しかない“旗”の一つを所持したまま。
「目覚めて早々なんじゃ、もう……」
気の抜けたように、ナナムゥがヘタリと床に――流石に足元の“老廃物”は避けて――座り込む。蛹から脱皮した甲虫が外殻の固まるのをしばし待つように、『再構成』を終えたばかりのナナムゥも決して本調子ではないのだろう。
「まったく、はしたない」
カカトへの供物の中にあったのであろう元は敷物と思しき布を、所長は全裸のままのナナムゥに渡した。そして少女が裸身にその布をバスタオルのように巻くのを手伝いながら、所長は私も疑問に思っていることを率直に訊いてくれた。
「――ナナムゥ、貴女の中にカカトは居るのですか?」
何時まで保つか分かりませんが何とか週一更新続けていきたいと思います
止まっていた筆がようやく滑りが良くなったと云いますか、我ながらどれだけカカト殺すのを躊躇っていたのかと