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詭謀(21)

 モゾリと、ザーザートの外套(ローブ)の下の脇腹から背後に向けて何かが大きく動く。おそらくそれこそが“鎧”として利用すべく仕込んでいた遺児達(ラファン)達であろうとカカトは看破していた。

 (どちらにせよ――!)

 カカトの眼前で、ザーザートの首元から這い上がってきた黒い布の群れがその耳を当て布と化して塞ぐ。その蟻の絨毯のような光景を目視したカカトの唇が一瞬綻んだのは、ザーザートとの読み合いで優位に立てた事を汲んでのことであった。

 そして今、カカトが高らかに電楽器(エレキ)を掻き鳴らし放った音撃は、音色そのものではなく衝撃波としての“力”が込められたものであった。


 『頭の中を掴んで揺らしていると言えば分かり易いか?』


 師の一人であるモガミの言を借りるならそうである。尤もその格闘技に関する教えはカカトが旗手となる前の話であり、電楽器を用いた衝撃波に活かしたのは彼自身の修練の賜物である。

 「かはっ!!」

 ザーザートの全身が、まるで感電でもしたかのようにブルリと震えたのも道理、頭部目掛けて放たれたとは云えそこはやはり音波である。そこまで一箇所に狙いを収束できる訳も無くザーザートの前身を一通り薙いだという証でもあった。

 踵を地面に突き立てる勢いで跳躍の反動を打ち消すカカト。一旦腰を落とし姿勢を整える彼とは対照的に、ザーザートは後方にフラフラと糸の切れた操り人形のようにたたらを踏んで下がった。

 「ザーザート!」

 それまで固唾を呑んで見守っていたオズナが、甲高い悲鳴と共にアルスに縋るような視線を向ける。少年(アルス)は舌打ちこそしないものの、突き放すかのような冷たい眼差しと共にオズナに告げた。

 「黙って見ていろ」

 アルスが機嫌を損ねた理由、それこそがザーザートに対しアルスが解せぬとして唯一首を捻った事柄に起因する。

 ザーザートが狡猾な男であることはアルスも承知していた。その小賢しさを悪しきものだとはアルスは思わない。この世界に墜ちた際の細胞変化を阻止――何よりもファーラの為に――する為に“力”を使い果たし僅かとは云え一時的に“休眠”状態に陥ったアルスに対し、ザーザートは迷うことなく“不可視の枷”を施した。忌々しくも煩わしいその“枷”は、ザーザートがアルスの危険性を見誤らなかったということでもある。

 それ故にアルスには解せない。普段なら全てを雑事と切り捨てる彼が珍しく興味を惹かれること、それはそこまで慎重なザーザートが、何故こうしてカカトと直接対峙する道を選んだのかということである。

 現に今こうしてカカトの音撃を食らい失神に追いやられる程度で済んだのは、カカトが相手を殺すまいと加減したからに過ぎない。

 何がしかの奥の手をザーザートがその外套の下に秘めていることはアルスも始めから気付いている。その“切り札”の存在を加味したとしても、闘い慣れしているのが一目で見て取れるカカト相手に敗れて死ぬ可能性も決して低くは無い。

 既にオズナに対して豪語したように、アルスはザーザートが敗れる要因は無いと見切っていた。ザーザートも勝算があるからこそ、他を分断した後に自ら姿を現したのだろう。だが例えそうだとしても、絶対ということは有り得ない。慎重な者なら我が身を晒す事は避けるだろうに、ザーザートはそうはしなかった。

 (まだだ、まだ早い……!)

 倒れはしないまでも、力無く頭と両腕をダラリと垂らしたザーザートの醜態を前にしても、カカトは迂闊にそれに近付きはしなかった。代わりに側方に“糸”を射出し、地に転がり放置されたままのザーザートの長杖(はた)を回収することを優先した。

 その動作に油断は無く、その判断も理に適ったものであった。それ故に――それ故に不意に耳元に聴こえた絶叫はカカトにとっては想定外の、そして彼の虚を突くには充分なものであった。


 “――アアアアアアアッ!”


 カカトにとっては聴き慣れた声。肉声ではなく機体越しに聞こえる、独特の反響音を含んだ妖精機士の悲鳴。

 ナイトゥナイの苦悶の叫びに反射的にその声の方に――方術によって中継されただけの誰もいない明後日の方角に――カカトは反射的に視線を向けてしまった。それは致命的な隙であった。

 (――しまった!)

 意識を失っていた筈のザーザートの外套の袖口から、胸元から、裾口から、ありとあらゆる継ぎ目から、遺児達(ラファン)が洪水のようにカカトに襲い掛かった。

 最後の護り――カカトを中心に青いマフラーがクルクルと渦を巻く。しかしその虚しい抵抗も儚く、忽ちの内にカカトの躰は遺児達(ラファン)の黒い群れの中に、断末魔すら残すこと無く塗り潰されて消えた。


        *


 時は少し遡る――


 バロウルと試製六型機兵(キャリバー)をカカトの救援に送り出した後、まず最初にナイトゥナイが取った行動は、依然として遠巻きにこちらを監視している狗獣への突撃だった。

 “救援”がカカトの許に辿り着くまでの殿を務めることがナイトゥナイの役目であるのなら、この場にデンと構え何人たりともその追撃を阻むことが正解であったのかもしれない。それでもナイトゥナイが直ちに突撃を敢行したのは、彼女自身がカカトを助けに向かいたいと云う未練を断ち切れていない為でもあった。

 だが、それまで一定の距離を保っていた狗獣の群れはこの時になってようやく妖精機士の攻撃が届く範囲から離散した。それもこれまで唸り声一つあげない不気味な様子であったのが嘘のように、知性を持たぬ獣であることを隠そうともしない威嚇の声を置き土産に一斉に離散する始末であった。文字通り一目散に。

 “待てっ!?”

 ホバリングによって地を滑るように突撃の体勢に入っていた妖精機士の機体が、その光景を前に一旦は自分もその場で静止する。

 妖精族(フェアリー)の常として、己の執着するカカトの事以外は目に入らなくなる――周囲にそう強く印象付けて久しいナイトゥナイではあったが、それでも所長より直々に“旗”を託された妖精機士団長である。狗獣の躰に巻き付いていた遺児達(ラファン)が、とぐろを巻くことを止めた蛇のように一斉に拘束を解いて地に滑り落ちる一連の動きを見過ごす筈も無かった。

 “本命”は別に居る――手前の地面が影のように黒く染まり、その中心から突如として人の頭部が出現した時にも、ナイトゥナイは特に驚愕の声は上げなかった。予期していたというのも無論ある。何よりも、何か強大な“力”を持ったモノが近辺に潜みこちらを窺っているということを、これまでに感じたことの無いまでの旗の振動が伝えていた。

 難敵の存在に対し、既に彼女は覚悟を決めていた。バロウル達を先に行かせたのも、足を引っ張られることを懸念したという理由もある。

 いまや完全にナイトゥナイの眼前に姿を現した謎の人影の貌は、頭部全体がフードに覆われていることもあって露わとなってはいなかった。僅かに垣間見える口元に一瞬の既視感がナイトゥナイの記憶を掠めるが、それよりも体の線すら定かではないゆったりとしたローブを全身に纏っているその姿は、コルテラーナと共にいる老先生を連想し彼女の気を惹いた。

 それもあくまで印象だけの話であろう。目の前の謎の人影は直立した長身であり、小柄で猫背としか思えない老先生とは外見自体は比較にもならなかった。ただその頭の先から爪先まで全身をくまなく包んだローブが何の飾り気も無い簡素な、しかし歳月だけは感じさせる色調だという共通点があるに過ぎない。服飾に興味の薄いナイトゥナイをして、それこそ悠久を感じさせるまでの深い色合いの。

 (――何者!?)

 静謐と共に有りながら溢れ出る威圧感にナイトゥナイがたじろぎはしなかったのは、偏にカカトを護るという強固な意志の賜物であった。

 困惑はあった。

 目の前の相手が旗を持っていないことは旗手としての感覚で分かる。だがしかし、そこに僅かに漂う残滓とでも言うべき得体の知れない感覚は何であるのか。かつては旗手であったとでも云うのか、助言をくれるカカトも所長もこの場には居ない。

 殺すべし――ナイトゥナイは考えることを止めた。カカトの敵であるならば殺すべし。

 妖精機士(スプリガン)の推力によって一気に討ち掛かろうとしたナイトゥナイを前にして、棒立ちであった人影が一度大きくユラリと揺れ、始めてその口を開いた。


 「――投降せよ。お前にはまだ使い道がある」


 名を名乗る訳でもない。淡々とした、そして不遜な物言い。ナイトゥナイが必要以上にその言葉に反応したのは、目の前の敵を速攻で片付けてカカトの許に戻らねばならぬという焦りもあったのだろう。

 “六旗手である私が、そう安々と屈すると思ったか!”

 「旗手……?」

 謎の人影がユラユラと体を揺らす態度が冷笑であるとナイトゥナイが気付いたかどうか。目深に被ったフードのせいで垣間見えるのはせいぜい口元のみだが、死人のように血の気の薄いその唇から洩れ出た言葉はナイトゥナイを激しく激昂させた。

 「紛いもの(・・・・)が」

 愛玩人形(フェアリー)――人によって造られた、人の心を持たされぬ代替品。己の出自を嘲られたとナイトゥナイが捉えてしまったのは、彼女達“妖精族(フェアリー)”が所長の庇護下にあるとは云え、陰で如何に悪し様に囁かれているかの裏返しでもあった。

 妖精機士(スプリガン)と云えども五型機兵(ゴレム)であることに変わりなく、稼働時間にも限界がある。加えてこの後にカカトの救援に回ることも併せ見れば、ナイトゥナイの選択した戦法は一撃必殺であった。

 光の槍――カカトが持つ電楽器(エレキ)と同じように“旗”がその姿を変じたナイトゥナイ固有の兵装である。かつて所長が何か彼女が元居た世界の伝承由来の名前を付けてくれた憶えもあるが、それは既にナイトゥナイの脳裏から零れ落ちて久しい。

 それは兎も角、必殺――『一撃必殺』である。妖精機士の背中に広がった光の翼が“翼”という形状を捨て単に激しく噴出する焔の形を取ったのも、それに伴い派手な爆音が周囲に響き渡ったのも、全ては必殺の為の目眩ましであった。

 音も無く光の槍の穂先が伸びたのは、それこそ瞬きする間もない刹那の出来事であった。実体があれば反動もあろうが、あくまで“光”の集積体である。静かに、そして予備動作も無しに撃ち出されたソレは、もはや槍というよりは射出された長い杭のような代物であった。槍は黒いローブの人影の土手っ腹を貫通すると、尚もそのまま更に2m程伸びた。

 細長い円錐――もっと砕いて言えば折りたたんだ傘――の形状を保っているとは云え、それでも穂先を除いた太さは人の胴体程である。逆に言えば貫通された側の上下半身がそのまま千切れ飛んでもおかしくない一撃であった。

 文字通りの必殺の一撃。だが、そうはならなかった。

 即死している筈の人影が右腕を伸ばし、己を貫いたままの光の槍の表面を興味深げに撫でる。“光”といってもその表面は別段高温と云う訳でも無いので、その手が焼け焦げるような事もない。

 ハラリと人影の頭部を覆っていたフードがズリ落ち、始めて秘められたその素顔が明らかとなる。


 “――まさかっ!?”


 露わとなった“青年の顔”を前に、ナイトゥナイが驚愕の声を上げる。それはカカト以外には感情を見せない彼女にしては珍しく、悲鳴にも似たものであった。

 その端正な貌を、ナイトゥナイが見紛う筈はなかった。カカトと共に幾度も遭遇した顔である。それ故に、カカトと縁深きであるが故に、ナイトゥナイがその醸し出す違和感に気付くのも早かった。

 “その顔…何者だ!?”

 「――メブカ」

 戸惑う妖精機士に対し、地の底のように昏い瞳の青年が始めてその名を名乗る。

 「“亡者”と呼ぶ者もいる」

 華やかな貌には似つかわしくない青白い肌の色と、地の底から湧き出るような昏い声。それだけで、ナイトゥナイは本能的に恐怖を覚えた。目の前のメブカが見知った顔を持つことが急激に意識の外に追いやられるまでに。

 故に、次の瞬間ナイトゥナイは“禁じ手”を放った。主君である妖精皇があまりの殺傷力に使用を禁じた技を躊躇いもせず。本当の意味での“必殺”――掠るだけで四肢をもぎ取る、光の槍を高速回転させる技を。

 要は振り回せる超高速ドリルである。その回転力を前に、刺し貫かれたままだったメブカの上半身があっけなく千切れ飛ぶ。それでも尚ナイトゥナイが槍の回転を止めなかったのは、両断されたメブカの身体が血飛沫も臓物も肉片も、何一つ撒き散らすようなことが無かったからである。

 否、皆無であった訳ではない。破片と化した“影”が黒い紙吹雪のように、妖精機士の周辺を舞っていた。

 “化け物めっ!!”

 ナイトゥナイが絶叫し、伸び切った槍の穂先を元の長さまで戻し構える。光の槍の回転音が響く中、メブカの千切れた上半身は全てが黒い粒子となって四散し、残された下半身の断面から黒い塊がヘドロのようにボコボコと噴出した。それはあっという間に積み上がり、失われた筈のメブカの上半身を再び形成する。

 五体揃って完全に再生したメブカの顔は、しかし嗤ってはいない。ナイトゥナイに向ける眼差しは、只々空虚なものであった。

 そして、メブカと妖精機士の周囲を取り囲むように、地面から新たな影が次々と這いずり出る。思い思いに揺らめきながらズルリと全身を地表に晒すそれら奇怪な人影もまた、ナイトゥナイにとっては見覚えのある存在であった。

 無貌の人型である“幽霊”――無念を遺して死んだ者の横に現れる、既に意思亡き魂魄である。ただ周囲に蠢く新たな幽霊の一団は、ナイトゥナイの知る既知の幽霊とは明らかな差異があった。

 この閉じた世界(ガザル=イギス)を彷徨う“幽霊”は総じて白い霊体である。だが今この場に新たに現れた幽霊の中で、その純白を保っているモノは一人としてなかった。殆どのモノが艶の無い黒色であり、辛うじて灰色のモノがその中に点在する程度であった。

 それらが全てメブカの使いであることは、改めて宣告されずとも分かった。恐ろしいと思う。得体の知れないと思う。未練こそあったが自分がこの場に残ったことでこの化け物(メブカ)をカカトの許に行かせず済んだという安堵がナイトゥナイの心を掠めたのは、悲しい慰めでもあったのだろうか。

 (カカト……!)

 脳裏に煌めく、カカトの屈託の無い微笑み。それを自分一人だけのものにしたかったという想いは、我が儘な望みだったのだろうか。

 暴れた。

 妖精機士(ナイトゥナイ)は暴れた。一陣の突風のように。

 回転を保ったままの光の槍を振り回し、触れるがままに幾度もメブカの体を破壊し、周囲の黒い“幽霊”をも砕いた。その度にメブカの五体は再生し、次々に地面から新たに黒い“幽霊”が沸いた。それでも妖精機士は止まらなかった。

 カカトの許に行かせてはならない、それは確かに判断として正しいことだったのだろう。メブカをこの場に打ち捨て逃げ切れるかというと、それもまた非常に困難であったことも間違いではないのだろう。

 しかし、気負いのあまり不退転の決意で奮戦したのは愚策であった。普段ならば指示を出すなり諫めるなりをしてくれたカカトも所長もこの場には居ない。妖精機士の稼働時間の限界が訪れたのは、それからすぐのことであった。

 流石にいきなり機能を停止するような無茶な造りではない。稼働限界が迫っていることを告げる警告がコクピットで鳴り響いてはいるが、それでも戦線を離脱するだけの余力を残した状態ではあることをナイトゥナイも予めバロウルから教えられてはいた。

 しかし――

 (カカトの許に、戻れなくなる!?)

 ナイトゥナイの怖れ、焦り。それに無限に続くとしか思えない闘いの疲弊が重なる。妖精機士が光の槍の回転を止め、飛び立つ為に光の翼の展開を試みる。

 この“迷宮”において何らかの導線の無い限り、彷徨うばかりでカカトの許に辿り着けないことすらもナイトゥナイは忘却した。

 「雑な動きを……」

 淡々と呟きながら、“亡者”メブカが妖精機士の真正面に回り込みその胸板に――妖精皇国の出自を示す“黄金の太陽花”の紋章を隠す為に偽装した胸部装甲に触れた。

 その指がドロリと崩れ、滴る黒い“影”と化す。

 そのまま瞬く間に手首まで溶けたメブカによる厚みの無い正真正銘の“影”が、妖精機士の僅かな装甲の隙間からその内部へと侵入する。それは意志あるモノとして、黒い水のようにナイトゥナイのいる操縦席に滴った。

 既にナイトゥナイに目視する余裕などないが、それまで地の底から続々と湧いて出ていた黒い“幽霊”達も、メブカに従って妖精機士の機体に掴み掛りその動きを封じ、そしてまたメブカと同じように黒い影としてその身の尽くを溶かした。

 関節があり、推進器(スラスター)があり、何よりも外部に繋がるカメラもマイクもある妖精機士の機体は、完全な密閉には程遠いものであった。加えて“旗”の力で小型化した操縦者(ナイトゥナイ)による余剰空間を前提に改修した特別な機体である。元より内部が歪な構造であったことはナイトゥナイにとって不運であった。

 大破した潜水艇か何かのように、黒い影が汚水の如くナイトゥナイの座する操縦席に流れ込み充満する。


 「――アアアアアアアッ!」


 絶望の叫びと共に切れ長の瞳に浮かんだ無念の涙。だがその清い雫もすぐに“影”に呑まれて消える。その叫びがザーザートによってカカトの耳元に転送されたことなど彼女が知る由も無い。

 操縦席の中で逃れる術の無いナイトゥナイの鼻先までもが“影”に満たされ、たちまちの内に彼女は汚水に溺れた。


 (……夜……?)


 意識を喪失する直前のナイトゥナイは、眼前を覆う黒い“影”の向こうに夜を視た。

 彼女の脳裏を占める強い想いが、その“夜”をキャンバスとして蛍のような街の灯りと、姿は見えども行き交う人々の喧騒を描き出す。


 (そうか…私は…商都にいるのだったか……)


 隣でカカトが笑っている。自分より頭一つだけ高いカカト。人間の太腿くらいの背丈でしかない妖精族(フェアリー)ならば、傍から見て珍妙な組み合わせなのだろうが今は違う。今の身長差ならば――夢に見た人間と同じ背丈ならば何もおかしくはない。誰が見ても似合いの二人だ。


 ――どこに行きたい?


 カカトの優しい声に、ナイトゥナイは満面の笑みを浮かべる。所長が良く『笑顔が大事』だと自分に苦言を呈したものだが、失礼な話だと思う。自分の笑い顔を見ていいのはカカトだけだ。もしかしたら自分が独り身だから、所長は私とカカトの仲が羨ましかったのかもしれない。ならば許そう。


 (行って決めよう!)


 夜の喧騒の中、ナイトゥナイはカカトの手を握って走り出す。そういえばと不意に彼女は思い出す。お勧めの店に連れて行ってもらう約束を交わしていたのだったと。

 夢のような光景。幾度も夢にまでにみた光景。だから私は泣いているのかと、ナイトゥナイは眩暈を起こしそうなフワフワとした覚束ない足取りの中で想う。


 「……約束……」


 黒い“影”の中、気泡と共に吐かれた呟き。

 その夢見るような願いを最後に、ナイトゥナイの全身は黒い“影”の中に完全に沈んだ。

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