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詭謀(20)

        *


 カカトの電楽器(エレキ)が“迷宮”の陰鬱な空気を切り裂き音高らかに鳴り響く。それはかつてコバル公国で宰相デイガンに待ち伏せされた時に放った音響攻撃であった。

 この場所が屋内であれば、幾重にも反響した“音”が聴き手の脳を揺さぶり直ちに無力化していたことだろう。デイガン率いる一隊が泡を吹いて倒れたように。

 だが至近距離とまではいかずとも、対面から音撃を叩きつけられた筈のザーザートは依然として涼しい顔のままであった。能面にも等しい無表情のままといった方が正確かもしれない。兎も角、まったく効いた様子は無かった。

 「無駄な事を」

 トンとザーザートが地面を長杖の先端で突く度に、杭のような突刺武器が三本一組となってカカトの躰を狙って飛来する。

 それは時として周囲のまばらな木々の中から射出される木製の杭であり、また或いは影となった地面から撃ち出される石礫の類であった。

 「確かに無駄のようだな!」

 半分は挑発目的で、カカトが己が言われたことをそっくりそのままザーザートに返す。相手を指差しながらおどけ混じりに宣う様は、彼が所長の元で観たバンドのボーカルの姿そのままであった。

 暗器にも等しいザーザートの攻撃をカカトが的確に次々と躱せていたことには理由がある。彼が事前に周囲に張り巡らせていた“糸”、それは屋外かつ“支柱”に使える木々にも恵まれてはいない為に、密度としては甚だ薄いものではあった。それでもザーザートとの、一見無駄とも思える対話による前哨戦で張り巡らせた“蜘蛛の巣”であり、言うまでもなくカカトはその中心であった。彼に飛来する暗器のセンサーとしては充分に機能しており、“糸”の切断に合わせカカトは身を捻るだけで済んだ。

 「ヨイヤサっと!」

 珍妙な掛け声と共に上半身を半回転させて次なる空中からの攻撃を避けたカカトが、そのまま転がるようにザーザートの死角ともなる一本の木の影に身を躍らせる。

 「……ム?」

 視界から失せたことで、流石にザーザートも暗器を盲撃ちするような事はせずに一旦は攻撃の手を緩める。僅かに様子を窺った後、“旗”であるザーザートの長杖の先端がその身を隠した大樹を指し示すよりも早く、カカト自身がツイとザーザートの前に再び姿を現した。

 カカトの首からたなびいていた青いマフラー。それが今や彼の首筋を離れ、碧い両の瞳を覆い隠す様に幾重にも固く巻かれていた。

 その奇妙な出で立ちに、ザーザートの瞳が何故か不満気にスッと細まる。

 「お前は……!」

 半歩――それでも僅かに半歩とは云えザーザートが退いたのは、怖れというよりも本能的に危険を察知したからであろう。両目を塞いだカカトは電楽器のネックの部分をまるで鈍器のように握ったまま、疾風のように一足飛びにザーザートの元へと迫った。

 その様をアルスの手による隔離空間から見守っていたオズナが、アッと間の抜けた驚きの声を上げる。

 オズナから見てもカカトとザーザートの間の距離は大股で10歩も跳べば接触できる、たかがその程度の近距離の筈であった。それが、カカトが殆ど前のめりの体勢で駆け続けているにも関わらず、まるで二人の六旗手の間に視えない断線でも刻まれているかの如く両者を隔てる距離が縮むことは無かった。縮むようにも思えなかった。

 ほぅとその横で真紅の少年アルスが、感嘆とも呆れ声ともつかない声を放つ。

 「また随分と雑なやり方で目晦ましを破ったものだな」

 「どういうことなんです?」

 「『どういうこと』だ?」

 自分の斜め後ろから訝し気に尋ねるオズナに対し、アルスは視線をそちらに向けることこそしなかったものの――珍しく素直に――その疑問に答えた。

 「――こういうことだ」

 アルスが指の鳴らすパチンという音を合図に、オズナが見ていた映像の縮尺そのものが変わる。対面で言葉を交わしすらしていた二人の間が、100m程離れた引きの映像へと変わる。

 「音声(こえ)の方もザーザート(ヤツ)の方術を介して“会話”に見せかけていたという訳だ。ここまで小細工を弄して距離感を惑わせのだ、あの“糸使い”の音撃など始めから届く距離ではなかったということだ」

 「でも……」

 アルスの解説の半分も理解できたのかどうか、依然としてオズナは目を白黒させたままである。だがその声はいまだザーザートを案ずる真摯なものであったのは事実である。

 「その作戦も見破られたんでしょう?」

 フンとアルスが鼻だけ鳴らしたのは、カカトが彼の予想を上回る奮闘を見せたからではない。まして彼がカカトの繰り出す“技”を見抜けていない訳もない。カカトが全方位に目視すら難しい極細の“糸”を張り巡らせた事にはアルスも初手から見抜いていたし、悪ふざけの様にカカトが無闇矢鱈に楽器を掻き鳴らしていたのも“糸”を伝う音の反響でザーザートの位置を探る為であったことも知っている。

 そして何よりも、それらを事細かにオズナに解説したところでまったくの徒労であることも知っている。故にそれらしく鼻を鳴らし誤魔かすに留めたのである。

 話としては簡単な事であった。ザーザートの方術は視界を歪め方角と距離感を惑わす。まるで山の奥深く霧立ち込める宵闇の中に迷い込んだ遭難者であるかのように。

 だが所詮は即席の――加えてアルス自身が欠損させた――方術陣である。己の視覚を封じれば容易に対処できる誑かしではあった。

 カカトは己の“糸”を、そしてこの時点でアルスは注視していないとは云えこちらに向かいつつある六型機兵(キャリバー)は外部からの“導線”を、共に移動する為の手段をそれぞれ別に用意する必要はあったとは云え。

 (それよりも、だ……)

 アルスの紅い三白眼が再び正面の中継映像へと向く。オズナの手前ということもあり表情には出さないものの、遂に本当にザーザートの眼前にまで迫ったカカトの姿を見やりながらも、アルスは胸中で不審の念を抱く。

 『同朋』と、ザーザートはカカトにそう告げていた。アルスが事前に聞き及んでいた範囲では接点の無い両者において、それは同種族である事を指していると考えるのが妥当である。ザーザートがカカトの生命を奪うことに異様に固執している理由も或いはそこにあるのではないのかと、アルスもおおよその見当は付けていた。だがそれが何故であるのかという秘められた目的ともなると、流石のアルスをもってしても皆目見当もつかないという状況であった。これまで“些事”の担当として丸投げしてきたルフェリオンが今はいないという理由も有りはするが。

 それでも推測するならば、何らかの“種族”特性が絡んでいるのではないのかとアルスは思う。大体の事において傍観を貫く彼が、今は静観を決め込み過度に首を突っ込みはしないものの、ここまで興味を惹かれているのは珍しい話ではあった。

 (解せんな……)

 そして更にもう一つ、アルスがザーザートの取った行動に対し強く疑念を抱いている点がある。それ故にこの閉鎖空間に身を隠し、事の成り行きを見守っているというのもある。

 斯くしてアルスとオズナの二人が密かに見守る中、ザーザートの頭上を取るべくカカトは初手から高々と跳ねた。彼の目を覆っていたマフラーは、その目隠しとしての役目を終え既に元通りに宙に長く伸びていた。何を発動しようとしたのか反射的にカカトに向けて掲げられたザーザートの長杖が、その右腕ごとまるで目に見えない何かに掴み取られたかのように中途でその動きを止める。

 「――“糸”かっ!」

 目に見えぬとは云え、ザーザートは己が杖の動きを止めた原因をたちまちの内に喝破してみせた。

 「――ちぃっ!」

 僅かにカカトが眉を顰めたのは、手の内を見破られたと云うよりはザーザートが“糸”の存在を知っていたことに対してであった。六旗手として授かった“力”とはまったく無縁の“力”として、カカトは“糸”を精製し繰り出すことが出来た。誰に教わった訳でもなく、誰に授かった訳でもない、それこそ生まれついての能力として。それは“兄妹”であるナナムゥにしても同様であった。

 同朋――ザーザートもまた同じ種族であるというのならば、“糸”を知っている事に納得はいく。だがそれは同時に――コルテラーナの言を借りれば――彼もまた『生体兵器』であるということでもあった。その闘う為に産み落とされた同等の存在が、怪しげな術を携え自分を殺すと宣言している。

 「なにっ!?」

 カカトの僅かな戸惑いと、何よりもザーザートが己の六旗手としての“旗”である長杖を潔く手放したことで、カカトの注意は一瞬逸れた。『迷った』と言うべきでもあるが、それを迂闊と責めるにはあまりに酷であろうか。

 ザーザートの袖口から黒い奔流が走ったと見えた時には既に手遅れであった。手早く“糸”を手繰り寄せ旗を奪おうとしたカカトの動きを制し、ティティルゥの遺児達(ティティルラファン)の絡み合った群体が鞭のようにカカトと長杖の間の空間を薙ぎ払った。

 目に見えぬとは云え、“糸”にも実体があることに変わりはない。柔糸であるが故にブチブチと切断されるようなことはなかったとは云え、別方向からの負荷がかかったことにより“糸”から脱し行き場を失くした長杖が、両者の脇に当たる彼方へクルクルと飛んでいく。

 カカトの判断もまた迅速であった。軽業師のように空中で身を捻り、電楽器を構えたままにやや後方に着地する。今度こそ本当に、カカトとザーザートの両者は対峙したこととなる。

 だが少なくともカカトにとって、それは闘いの小休止とは成り得なかった。“糸”を横殴りにした遺児達(ラファン)の鞭が彼の頭上で散開し、あたかも大振りの霙のようにそのままボトボトと降り注ぐ。それは遺児達(ラファン)がかつてファーラをそうしたように、そしてバロウルをそうしようとしたように、“獲物”の躰を覆い尽くしその操り人形と化す事を目論んでのことであった。

 全ては計算された流れ。だが今度は能面じみたザーザートの片眉が、僅かに吊り上がる番であった。

 カカトの頭上にちょうどビニール傘でも差したかのような伏せた半円の空間が形成される。その弧に沿って遺児達(ラファン)の群れが空中で落下を停止する。それはカカトが咄嗟に“糸”で作った防護用の籠であった。

 とは云え所詮は柔糸である。そのまま遺児達(ラファン)の布の躰を切断できるという訳でもなく、あくまで降り注ぐ群れを頭上で押し留めたに過ぎない。今のままでは。

 「イヤッハッ!!」

 化鳥じみた雄叫び(シャウト)と共にカカトが電楽器を一節高らかに掻き鳴らす。それは文字通り音波と化して、頭上を覆っていた彼を護る“傘”の表面を激しく波打たせた。“傘”が“糸”によって構成されている以上、それは電楽器の弦の延長線上にあるようなものである。触れていた遺児達(ラファン)が奇怪な短い悲鳴と共に、競うように“傘”の上から転がり落ちた。

 ダンとカカトが地面を蹴る音は、その遺児達(ラファン)の悲鳴に紛れて消えた。“糸”そのものを己が掌より切り離し、支えがなくなり直に己に降り注ぐ黒い“布”と接触するのも構わずに――音撃を受けた以上、既に自分の躰を乗っ取るまでの力が無いことは計算済みであった――ザーザートに組み付かんと迫る。

 動作自体に躊躇は無かった。しかしカカトの胸中に依然として釈然としない要素は残ったままであった。

 “旗”を持つ六旗手は、ソレと意識しなくとも互いが互いを認識できる。せいぜいが目の届く距離である為、対六旗手用のレーダーとして利用することは適わぬとは云え。長杖を跳ね飛ばされその手に“旗”が無い状態にも関わらず、カカトの認識するザーザートは依然として“旗手”のままであった。

 もう少し色々試しておけば良かったと、今更ながらにカカトは己の迂闊さを責める。せっかく自分とナイとで二人、珍しくも六旗手同士で親しく組む機会があったのだから、色々と確認しておくべきではあった。

 旗を失ったザーザートをいまだに六旗手と認識してしまっているのは、単にザーザートと旗との距離が近い為なのか、或いは新たな六旗手がその旗を掲げ旗手であると宣言しない限りその資格が維持される“仕様”であるのか。

 何よりも六旗手のままであるとして、旗を握っていないこの状況でザーザートが旗手としての“力”を行使できるのか否か。

 ここまではカカトの脳裏で僅か一瞬。逡巡している暇は無かった。だからと云って、安直に電楽器でザーザートを殴打するのも心許ない。袖口から大量の遺児達(ラファン)が溢れ出てきた先程の前例がある以上、今度はそれが“鞭”ではなく“鎧”と化してザーザートの肉体を物理的に守護する可能性は捨てきれない。

 ここまでの思考は更なる刹那。モガミに叩き込まれたシノバイドとしての体幹の活かし方と、ガッハシュートによって教授された先読みの思考が相乗効果となってカカトの全てを裏打ちする。

 (ならば――!)

 彼こそは六旗手が一人にして、この閉じた世界(ガザル=イギス)を開放する為に戦う事を誓った“青の”カカト。数多の師の想いを背負った彼の手が電楽器を握り直し、これまでで最大の音撃が奔る。

 既に公国の公都を脱出する際に見せた手の内ではある。必殺には成り得ない。だがそれでもいい。旗は奪うが命までは奪わない――それがカカトの矜持でもあった。

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