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詭謀(19)

 それでも尖塔に向かうに連れ、木々の数が目に見えて増えているという実感はあった。それは浮遊城塞の停泊している湖畔に近付いてはいるという証だと考えていたのだが、それもまた“目眩まし”の一環であると気付いた時には既に手遅れでもあった。

 移動しながらも、木の幹や地面に拳で跡を刻み簡易な目印とする方法は既に試した。だが、『ここは前にも……!』などと云う都合の良い展開など簡単に引き起こされる訳も無く、私もバロウルも途方に暮れるだけの状況であった。

 “黒い棺の丘”(クラムギル=ソイユ)の“闇”の中で用いた直進経路を造り出す“筒”(ロールロード)さえあれば事態の打破も可能な筈であったが、この場に無い物をねだってもしょうがない。

 (――考えろ!)

 疎らな木々によって彩られた“迷宮”の囚われ人。浪漫だけが無駄に溢れる形容は兎も角として、迷路攻略のセオリーとしては上空から見下ろすのが最も効果的であることは今更言うまでもない。

 問題は飛行どころか浮遊すら望むべくもない石の巨体であるという一点だが、代案が思い付かない訳でもない。何か長い棒の類を調達し、“紐”を接続したまま頭部を分離させてその先端に括り付け、ちょうど潜水艦の潜望鏡のように頭上に掲げて周囲を見渡す方法である。このやり方ならば追加効果として、近場にいるカカト達に対しても旗印と同じように良い目印としての役目も果たしてくれるだろう。

 「ヴ!」

 些か都合の良い想定だけを並べているのは自分でも薄々分かって入るが、これ以上ここでウダウダと考え込んでいても仕方ない。私は腕の中のバロウルを一旦地面に降ろし、何か手頃な樹の幹でも叩き折るつもりであった。どちらかと云えば不器用な私にそこから上手く棒状に加工出来るかは我ながら疑問ではあったが、兎に角何か作業にでも移らないと焦燥に押し潰されかねない危惧だけはあった。

 正直な話、手詰まり気味ではある。だがこの状況に変化が訪れたのは、正にこの直後の事であった。

 「――ヴ!?」

 前方より響く、わざとらしいまでに断続的な獣の唸り声。疎らな木々の間からヌッと姿を現した獣の群れを、初見の私は単なる黒毛の野犬の類だと思った。「遺児達(ラファン)…!」という、バロウルが慄き苦し気に呟く声を聴くまでは。

 (まさか!)

 不覚にも祈るような気持ちで私は単眼(モノアイ)の視界を拡大し獣達の体表を覗く。確かにバロウルの言う通り、剛毛の上からまるで悪戯でビニールテープを巻いたかのように、忘れもしないあの黒い布状の群体が幾重にも巻き付いているのが視えた。

 (待ち伏せ!?)

 この石の躰に狗獣(モガーナ)――脳内の声なき声の注釈によるとそうである――の牙が突き立つとも思えない。まして奥の手でもある粒体装甲を展開するまでもないだろう。

 この場にいるのが私独りであったならば。或いは獣が群れてさえいなければ。

 この腕に抱き抱えたバロウルの貌を見る。本来なら2mはあるそれだけで圧のある褐色の巨女でありながら、今のその体はひどく小さく頼りなげに見えた。それが単にしおらしいだけならばまだ良いが、増々体調を崩しているからだということは、その弱々しい眼差しを直視せずとも知れた。

 (――護ら()ば……!)

 バロウルには義理がある。借りもある。何よりも生真面目な彼女には一目置いている。下手をすれば幼主であるナナムゥに対するそれよりも。

 だが、バロウルを抱えて逃げようにもこの“迷宮”を打破できない今、それは無益な行為でしかない。四つ足の、しかも遺児達(ラファン)に寄生されている狗獣の追跡を逃れる術は、恐らくは無い。

 (――考えろ!)

 時間的猶予が無限にある訳ではない。逃げるだけの策であればよいのだと懸命に己を鼓舞する私であったが、まったくの想定外の事が起こった。それも珍しく私にとって利を成す形で。

 背後――既にどこが“背後”であるのかすらも怪しい状態ではあるが――より急接近する、何かの大群が羽ばたく音。それだけならば厄災の前触れであっただろうが、更にその後方より騒々しいその羽ばたきを消し去る雷鳴が響いた。

 振り返る私の眼前に――そこまで高度からという訳でもないが――ボトボトと天から力無く降り注ぐ黒い翼の雨。覆い被さるようにしてその災禍からバロウルを庇った私は、何とか単眼の視界を確保して落下するその黒い物体の正体を探った。

 遠巻きにこちらをいまだに監視している狗獣と同じように、胴体に黒い布状の“遺児達”(ラファン)が巻きついた鳥とも蝙蝠とかつかない珍妙な生き物。脳裏の声なき声の解説によると無毛鳥(シャンク)という名であることは知れた。その無毛鳥本体と“遺児達”とが共に黒煙を上げつつ、弱々しく落ちた地の上でのたうち回っていた。

 私に嗅覚が残っていたならば、さぞや周囲には肉の焦げ付く異臭が漂っていたことだろう。地を埋め尽くす勢いの無毛鳥の落下もやがて止まり、恐る恐る顔を上げる私達の耳に頭上から聞き憶えのある声が響いた。


 “――何故まだここにいる?”


 私達の正に見上げたその目線の先に、光の翼を広げた妖精機士(スプリガン)が空中で静止(ホバリング)していた。平時ならば桃色に近い光の翼には今は表層に金色の電光が弾け煌めき、あたかも降臨した鋼の天使めいた威容を誇っていた。

 ナイトゥナイが、オーファスへと襲来しようとした無毛鳥の群れを追い落としたのであろうことは、私でも瞬時に推察できた。それが結果的に私にとって頼もしい援軍となって、こうして運良く合流出来たのだと。

 しかしと、すぐに私の頭に新たに疑問符が浮かぶ。

 “迷宮”に囚われオーファスに向かって進んでいるのかさえも覚束ない私達が、こうまで都合良くナイトゥナイと邂逅出来るものなのかと。自分で付けた目印の位置すら定かではないこの状況下で。そう考えると、無毛鳥を駆逐する為に長くも無い稼働時間を消費したであろう妖精機士の雄姿は、私にとっては途端に危惧すべき象徴へと変わった。

 (誘い込まれた……)

 実際にそうであるのかは分からない。だが私には悪い意味で確信があった。私のような小物だけなら兎も角、二人の六旗手を分断する為にこの“迷宮”を設え待ち伏せされていたとしか思えない、何者かの意思を確かに感じた。

 嫌な予感ほど当たるものである。そしてその予感が的中したからといって、それへの備えが出来ていた試しも無い。少なくとも私の人生においては常にそうであった。そして誰かしらが助けてくれた。

 依然として狗獣による監視の輪は健在であり、それが私の疑念を後押しする。そして私達が声を掛けるよりも早く、上空の妖精機士は光の翼を一度大きく広げそのまま消散させると、私達の目の前にゆっくり垂直に降り立った。

 四脚の機体が地面に着陸するその様は、私に遥か昔の月面着陸を連想させた。

 “やられたな、現在位置が不明だ……”

 外部スピーカー――『スピーカー』という表現も我ながら物知らずだと思うが――を通して聞こえるナイトゥナイの呟きは、簡素であるが故にその苛立ちの色が直に滲んでいた。

 「空を飛んでも駄目か?」

 私の腕の中でバロウルが尋ねる。わたしには何のことか直ぐには分からなかったけど、両者の会話は共通の認識を元にした淀みのないものであった。そしてそれは同時にナイトゥナイもまたこの“迷宮”の虜であることを意味していた。

 “駄目だ、ここまで飛んで来ただけでも既に飛行経路が不明になっている”

 そこで少し口籠った後、ナイトゥナイは渋々といった感じで先を続けた。

 “後はひたすら天頂目指して上昇してみる手はあるけれど――”

 「ここが“結界”と化している場合、脱出出来たとしても再びこの空間に戻って来れなくなる可能性もある」

 眉間に皺を寄せつつ、バロウルもまた苦し気に頷いた。その額にいつの間にか刺青めいた紋様がほのかに浮かび上がっていることに、私はこの時ようやく気付いた。

 「このままではオーファスに戻って助けを呼びに行くどころの話ではなくなる」

 独り言めいて呟いたバロウルが、不意に私の腕の中で身動ぎした。彼女は急に唇を結び瞳を閉じると、やがて何に思い至ったのかハッという表情と共に瞳を大きく見開いて私の顔を見上げた。

 私の単眼と目が合った瞬間、バロウルの瞳があからさまに憂いを帯びた色へと変わる。その陰りのある表情に、私は一瞬彼女の体調が誤魔化しきれないまでに悪化したのかと危惧した程であった。

 “何か思い付いたのか、バロウル”

 ナイトゥナイが急かす様にバロウルに詰め寄る。それがカカトと分断されたが故の焦りであることは分かる。そしてもう一つ明らかな事、それはバロウルが見るからに何かを言い淀んでいるその原因が、無力な私に対する躊躇いと不信であろうことも。

 故に私もまた、単眼に青い光を灯してみせた。“肯定”の意を示す青い光を。決意と共に。

 自分がバロウルの望む役割を果たせるかというと自信は無い。だが、それでも果たさねばならないであろうことは、言われる前から分かっていることであった。


 「――測量用の機能がキャリバーには備わっている」


 それが、どこか歯切れの悪いままにバロウルが私とナイトゥナイに示した答えであった。

 “それに何の意味が――”

 「オーファスから哨戒用として放たれた三型機兵(ゴレム)が、この近辺に散開している。結界外の三型達の位置情報を受信すれば、少なくとも最初に着地した場所までの経路は算出できる筈だ」

 「ヴ……」

 この“結界”の中、通信自体が可能なのかという私の疑問を見透かしたかのように、最後にバロウルは何か根拠があるかの迷うことなくこう付け足した。

 「結界内にも通信は可能だ」

 ナイトゥナイにこれ以上催促されるまでもなく、状況として切羽詰まっていることに変わりは無い。こちらを監視している狗獣の群れは新たな行動こそ起こさないものの健在であり、我々は依然として敵の策略の只中にあった。故にそこからのバロウルの我々への説明は極めて簡素――もとより専門的な話をされても私には理解できない訳だが――なものであった。

 本命である“闇のカーテン”内部での通信は電波障害が発生した為に断念こそしたものの、六型(わたし)機体(ほんたい)には元より三型の位置情報をリンクする機能が備わっているのだという。“筒”を用いた手作業での直線経路の杭打ちの時点で非効率だと思ってはいたが、初めから苦肉の策だったと云う訳である。

 まるでバロウルの説明そのものが合図であったかのように、私の視界に誘導線とでもいうべき赤い直線が幾つか表示される。バロウルの説明を聞いた限りでは何か地図の様に俯瞰図上に三型の位置がピン止めされているようなイメージではあったが、そういう二次元的なものではないらしい。

 「キャリバー、導線が視えるか?」

 バロウルの確認の問い掛けに単眼の“肯定”の光で応える私の横で、ナイトゥナイが何故かそれまでとは違い慎重にバロウルに問うた。

 “ならば私は、キャリバーの後を付いて行けばいいのか?”

 妖精(フェアリー)の問いに、しかしバロウルは私の腕の中で頭を振って否定してみせた。

 「キャリバーに運ばれていた私も、進路がずれていることに気付けなかった。おそらく私達の視覚そのものが狂わされているのだと思う。だから妖精機士が目視に頼っている以上、どこかではぐれると思った方がいい」

 「ヴ?」

 ならば幾ら導線が視えているとは云え、六型(わたし)も目視で移動する以上惑わされる危険があるのではないのか。私は自らが言葉を発せないことも忘れて、バロウルにその疑問を問わねばと思った。しかしその瞬間、私の視界の一切が不意に消え失せた。

 「――ヴ!?」

 起動直前の漆黒の世界に魂魄だけが彷徨っている、あの覚束ない感覚とはまた違う、もっと単純に瞼を閉じただけといった“暗さ”であった。寝る前に部屋の電気を消した状態だと形容するのは、あまりに俗過ぎるだろうか。兎も角、その暗闇の中に導線だけが空中に浮かび、赤く彼方まで伸びていた。

 「問題無いか?」

 バロウルの問い掛けに合わせ、黒く塗られていた私の視界に立て続けに二度程青い閃光が射す。それがわたしの目が光ったからだと分かりはしたけど、意に反する発光を訝しむ私に対しバロウルは続けざまに畳み込むように先を続けた。

 「キャリバー、今お前の視覚を機械的に遮断した。今は導線だけが表示されている筈だ。それに沿って進めば、少なくとも“早馬”で最初に降りた位置までは辿り着ける」

 そこで一旦苦し気に咳き込んだ後、額に汗で張り付く乱れ髪そのままにバロウルは続けた。

 「その手前に、カカトもいる筈だ……」

 「ヴ……!」

 結局のところ、相応の決意で先行した筈が元来た道を間抜けにも引き返すということでもある。まったくの無駄どころか時間を無駄にした訳だが、それを不満に思う程私も未熟ではないつもりだった。

 それよりも畏怖すべきは、こうして私達を右往左往させるまでに完全に掌握している、いまだ姿を見せぬ“迷宮”の主が存在しているという事実である。

 だが恐れるあまりここで手をこまねいている訳にもいかない。何よりもナイトゥナイから発せられる予想だにしなかった懇願が私の胸を何よりも打った。


 “――カカトの事は頼む。バロウル、そしてキャリバー”


 視界は既に失せ音声だけしか聴こえはしない状況である。触覚に乏しい石の躰であるが故に、腕の中でバロウルが身動ぎしたことすら衣擦れの音による推測でしかない。しかしバロウルが慄いたであろうと同じように、私もまたナイトゥナイが私達にカカトを託したことに対する疑念を振り払うことが出来なかった。

 まだ短い付き合いしかないとは云え、ナイトゥナイがカカトに――カカトだけに――強い執着を持っているのは誰に言われるまでもなく私でも分かった。

 私が妹の事となると形振り構わぬのと同じように。

 だからこそだと、遅まきながら私は悟った。ナイトゥナイがカカトの為を想い、敢えて苦渋の選択をしたのだと。

 「ナイ、これ以上我々がバラバラになるのは敵の思う壺だ」

 懸命の説得も無駄であろうことは、おそらくはバロウル本人も分薄々分かっていたのだと思う。

 「どうにかして機体同士を牽引すれば、たぶん大丈夫の筈だ」

 “いや、私はここに残って敵を食い止める”

 バロウルの息を呑む声が聴こえた。

 「敵!? 狗獣なんてどうとでも――」

 大気を震わす仰々しい音。視界の失せた私でも、それが妖精機士が光の翼を再び広げた音であろうことは察しがついた。


 “先程から私の旗が震えている。こんなことは初めてだ”


 それが凶兆の類であることは、ナイトゥナイの慄く声を聴かずとも分かる。腕の中のバロウルも同じ思いであるのだろう、身を乗り出そうとする気配を感じ、私は彼女を取り落とさぬよう身構えた程であった。


 “何者かは知らないが、カカトの所に行かせはしない! だから行け、カカトの許に! 私の代わりに!”


 「キャリバー!」

 ナイトゥナイの離別の言葉に気圧され、バロウルが悲鳴にも似た声で私を促す。彼女をこの場に置いて行くことなど脳裏を過りもせずに、私はバロウルを両腕に抱き抱えたまま導線を頼りに踵を返した。

 背後から妖精の最後の嘆願が響いた。


 “カカトを頼む! 約束だ!!”


 それが私にとって辛い決別の先駆けであることを、心の奥底で或いは私は予期していたのかもしれない……。


今のご時世病院での入院患者との面会は不可ですが、ソーシャルワーカーの方との相談の際にようやく老父と僅かの時間ですが再会できました。

すっかり老耄した姿を直視に絶えず、生と死について色々思うところはあります。色々と。


それは兎も角、次回よりようやく戦闘開始です。男塾みたいな前フリに時間ばかり掛けてしまいましたが。

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