起動(1)
まぶしい光があった
世界に広がる真っ白な光
わたしの世界を塗り潰す光
そしてそれが終わりの始まりだった
わたしの耳に飛び込んでくる、大きなクラクションと
そして切り裂くような急ブレーキの音
何かが衝突する音がして
何かが爆発する音もして
悲鳴を上げることさえできず、わたしは思った
この世の終わりが来たんだと
父と母の所に行くんだと
「――!」
隣で声がした
きっと、名前を呼ばれたんだと思う
音と光で目茶目茶で何も分からないけれど、わたしには確信があった
そしてわたしは抱きしめられた
震えるか細い腕の中に
強く強く
それが、わたしが縋れる最後の世界
昔から――子供の頃からそうだった気がする
けど、わたし達はあまりにも小さくて
空が大きく大きく揺れて
世界が真っ赤な炎に包まれた
痛み――痛みがあったのかさえも、もうわたしには分からない
炎に焼かれるわたしが最期に見たものは、最後までわたしを――わたしを……
*
――守らねば!
唐突に、まるで何かのスイッチが入ったかのように私は目覚めた。
これが漫画だったなら、絶叫と共にベッドから飛び起きて「……夢か」と愕然と呟く、そんな感じであったに違いない。
そんな実体験はないけれど。
――守らねば
どれだけ意識を失っていたのだろうか、いまだ覚束ない私の脳裏を占める強い思いがまずそれだった。
混濁する意識の中の、たった一つの確かな想い。私が私である理由。
“警告! 右脚部損壊! 警告! 左脚部喪失! 要換装!”
誰のものとも知れぬ無機質な警告が、私の脳内に無遠慮に鳴り響く。
それは声であって声でない、私の脳内に直接語りかけてくる類いのものであった。
“警告! 右脚部損壊! 警告! 左脚部喪失! 要換装!”
何度も繰り返される、煩わしい警告の声。今の私にとってそれは理解し難い、耳障りな目覚ましのベルの音と変わりなかった。
(ふた……)
不意に私の脳裏に言葉が浮かぶ。私を私たらしめる言葉。その意味することは分からねど、決して忘れはしない言葉。
(私は……?)
もどかしさに私は重い頭を振った……振ったつもりだった。
(……?)
まったく手応えのない奇妙な感触。まるで自分が自分でないかのような覚束ない感覚。
とりとめのない話をしていることは自分でも分かる。だがようやく意識が定かとしてきた私の眼前に広がっているのは、淀み一つない漆黒の空間であった。
明かりも無く風も無く音も無く、周囲に顔を巡らすことも腕を伸ばすことも叶わない空間。
できないのではない。身体が麻痺している訳でも、まして四肢を拘束されている訳でもない。そもそもが、自分の肉体の存在を私は感じ取ることができなかった。
肉体を失くした中に、ただ自我だけが闇の海にポツンと浮かび漂うに任せている、そんな儚さ、心細さだけがあった。
幽霊ってこんな感じなんだろうか?
わたしは――
“――霊気増大”
声ではない声が、再び私の脳裏に響いた。先程とはうって変わった明瞭な短い声が。
その声に応えて、周囲を取り巻く闇に幾つかの細波が走る。それは私を中心にリズミカルな波紋となって闇の奥底へと次々と広がっていった。
“基準値突破!”
声に招かれるかのように、闇の中に初めて異音が響いた。それは足下の深淵からか、それともわたしの背中の方か。
獣の唸り声のような低い低い駆動音。
予感があった。
その途切れることのない律動は私の魂を雁字搦めに縛り付ける、呪詛の類いであるのだろうか。このまま闇に包まれ眠っていたままの方がまだマシなのではないのだろうか、と。
(ふた……)
確信があった。
それでも私は目覚めねばならないことを。
守らねばならぬものを、守るために。
“試製六型――稼働開始!”
全身に――身体など無いが――激しい衝撃が走った。
自分の中で欠けていた何かがカチリとはまった、そんな奇妙な感覚があった。
低く燻っているだけの駆動音が力強い雄叫びへと変わる。
まるでこの漆黒の世界から私という存在を追い立てるかのように。
人が夢から醒める瞬間というのはこんな感じなのだろうか、自分の躰が急激に引っ張り上げられる感覚が私を襲った。
――ヴ
魂魄と躯とが一つに蕩ける感覚。身も蓋もない言い方をすれば、なにかに頭から丸呑みにされたかのような感覚。不快ではなかった。
そして、不意に視界が開けた。
どことも知れぬ薄暗い室の内部。それまで何一つ見通せなかった漆黒の闇の世界と比べても、さして代わり映えのしない寒々とした空間は玄室のようでもあった。
だがそれよりも、自分の身体の手応えのあることに、私はまず感謝した。そして――床なのか或いは剥き出しの大地かは定かでは無いが――確かな地面の上に自分が座していることを私は知った。
遠くに、オレンジ色のぼんやりとした灯りが等間隔に並んでいるのが見えた。
そこが壁面なのだろうか。まずは高速道路のトンネル内部を連想し、見知った光景につい安堵してしまった自分が我ながら滑稽だった。
先程まで私の脳裏に響いていた声なき声はもう聞こえない。薄暗がりの中、私は恐る恐る自分の体の端々へと神経を這わせていった。
座していると思った自分が正確には尻餅をついた体勢であること、そして自分の頭がそっぽを向く形であらぬ方向に曲がっていること、徐々にでは今の自分の置かれている状況が分かってくる。
首の筋を痛める事のないよう、私はゆっくりゆっくりと顔を真正面へと巡らせた。薄暗がりの中、雑多な何かの塊が積み上がり幾つもの塚を造っている様が見えた。
結局のところ、私は依然として呆けていたのだろう。まるでスクラップ置き場の只中に居るようだという漫然とした感想を得るだけで、私は周囲にそれ以上の注意を払わなかった。それよりも、この身を支える両腕の確かな堅固さと床を掻く十指の反応のありがたみを噛み締めることに夢中だった。
今の不確かな私が縋るべきものは他にないのだから。
だから、ヴヴとぎこちなく正面を向いた己が視界に映る巨大な影を、私は周囲に林立するガラクタの山の一つだと思った。
その上方に不意に赤い光が灯るまでは。
良い兆候の筈もなかった。
警戒し注視する私の視界が、ギュイと緑味がかった鮮明なものへと切り変わる。
洞内が明るくなったのではない。俗にいう暗視モードに切り替わったのだと教えられたのは、もっと後のことになる。
「――ヴ?」
目の前に露わとなったものの姿に、私は言葉を失った。
巨人が――赤い単眼を光らせた鋼の巨人が、私の眼前に仁王立ちしていた。
“試製六型”
竦む私の脳裏に情報が開示される。先程まで私を困惑させていた声なき声とはまた違う、無理矢理に例えるならば、吹き替えの洋画を見ている最中に英字の看板に日本語の見出しが表示される、そんな感覚だった。
実際に自分の視界に直接日本語が表示されている訳ではなく、あくまでも感覚的なものでしかないけれども。
『試製六型』なる見慣れぬ見出しに困惑する私の脳裏に、すぐに更なる情報が追加される。
“味方機”
(「味方」って……)
高々と私に向かって振り上げられた鉄の拳を見上げながら、私は胸中でツッコミを入れるだけで精一杯だった。
刹那、拳が振り下ろされる。ハンマーのような弧を描いて。
咄嗟に、本当に咄嗟に身をよじっていなければ、その一撃は私の頭部に直撃していただろう。
逸れた拳が私の右肩を撃った轟音と衝撃とが、私の心を眩ませる。
痛み――痛みがあったのかさえも、もう私には分からない。
次いで一撃。更にもう一撃。
巨人が壊れた玩具のように私への殴打を繰り返す。ひたすら、ただひたすらに。
一方の私はと云えば、尻餅をついた体勢のまま両の腕で頭部を庇うだけで精一杯だった。
産まれ付き小柄で華奢だった私は喧嘩などしたことがない。非力な息子を心配した母親が空手道場に通わせてくれたが、それも貧血を起こして2年で辞めた程である。
そんな私が暴力の嵐の前に亀のように身をすくめる以外に何ができるというのだろう。
依然として、殴られる痛みは定かではない。否、皆無と言い切ってもいいことに流石の私も気付いていた。だから、その事実を感謝しつつ私は殴打の嵐が収まるのをひたすらに待った。自分の体が衝撃でビリビリと震えるままに任せながら。
――“ビリビリ”?
唐突な違和感に、私は初めて自分の躰へと目をやった。依然として緑がかった視界が、可能な範囲で己が肉体を眺め回す。
自分でも驚く程に私は冷静だった。予測の範疇だったというのも無論ある。
御影石のような独特の光沢を放つ黒味がかった灰色の躰。今まさに自分を殴り続けている眼前の巨人と同じ躰。昔のアニメのロボットのような、丸みがかかった簡素な躰。
私は小柄で本を読む以外の趣味を持たない非力な男の筈だった。
なのに私は…今の私は……。
私の躰に対する見出しが――“応え”とでも言うべきものが、私の中で無慈悲に開示される。
“試製六型”
巨人と同じだった。