第四話
防御に秀でたリノンが前、索敵と火力に秀でたキセアが後ろ。それが、二人が相談の結果採用した陣形だった。
実際はパーティでの戦闘経験のなく人数も少ない二人に陣形を取る利点などほとんどないのだが、まあそこは気分である。ずっとぼっちだった二人は、一人ではないという時点で心浮き立つものがあるのだ。
キセアは周囲に気を配りながら森の中を進む。旅の生活で研ぎ澄まされた五感は、高位の斥候と比べても遜色ない。僅かな葉擦れの音から周囲の状況を把握していく。
「近くにはいないわね」
「同意」
探査魔術は魔力の波動を周囲に放ち、その反射によって対象を補足するという性質上、至近距離で使うと相手に気付かれる可能性が高くなる。囲まれる危険があるため、生息域に入ってからの索敵は基本的には自力で行う必要がある。
リノンはキセアの言葉を聞いて僅かに表情を緩めた。とは言え、当然警戒まで緩めることはない。
今のリノンは、体内の魔力を練り上げ、魔術式として組み上げた状態だ。あとは起動するだけで、本人の言葉によればドラゴンのブレスすら防ぐ魔術防壁が発生するだろう。
ちなみにこれは魔術の遅延発動と呼ばれ、キセアも習得していない高等技術である。
相手の内在魔力マナを目視できるキセアは当然、リノンが逸脱した実力の持ち主であることに気付いている。そして、遅延発動ができるほどの魔術師でありながらソロだったことを不思議に思った。
(この辺りではハーフエルフだからといって差別されるようなことはなかったはずだけれど)
人間至上主義を掲げる北の帝国、そして西の法国であれば、人族以外の亜人種は人権の剥奪された奴隷としてしか存在できない。しかし、ここ、オルベール王国はそうではなかった。むしろ、長命種の持つ膨大な知識と高度な技術の恩恵を受けようと、亜人、いや、他種族との融和を進めている。亜人という言葉も蔑称であるという理由で使用を禁じられているほどだ。
つまりキセアには、リノンが孤立する理由が思い付かない。
(それに)
キセアは警戒しながら先に進むリノンへと鋭い視線を向ける。
(こんなに可愛いのに……!)
もうこれは病気ではなかろうか。
そんなこんなで内心では身悶えているキセアだが、周囲に向けられた意識は僅かたりとも緩むことはない。
「キセア?」
「敵ね」
立ち止まったキセアが腕を上げ、左前方へと向ける。
「オークではないけれど……素材も欲しいし、火力は抑えめでいこうかしら」
開かれた右の手のひらに魔力が渦巻き、そして、
「ニードルファイア」
圧縮された超高温の炎が棒状になり、放たれる。マグマのような紅蓮の光線が、背の高い草の生えた地面を貫くと、ジュウッという音とともに肉の焼けるような匂い周囲に立ち込めた。
「……全然分からなかった」
唖然とするリノンの隣でキセアは、
「蛇かしら。あれ美味しいのよね」
などとのたまいながら鼻歌を歌っている。
キセアが持ち上げたその蛇は、太さが人の腕ほどもあり、長さは一メートルを超えていた。黒く濡れたように光る鱗に覆われており、喉元に大きな穴が空いている。
「素材も無駄になってないし、まあまあかしらね」
「…………」
事も無げにいうキセアにリノンは言葉が出ない。
キセアがいとも簡単に仕留めたその蛇をリノンは知っていた。名を黒大蛇と言い、高い隠密性で獲物に近付き、熊ですら一撃で仕留める殺傷力を持つ危険な魔物である。冒険者ギルドにおける討伐ランクはCであり、これは目標としていたオークが二十頭の群れで襲いかかってきた場合よりも高い。
リノンが単独で戦ったとしても、結界を張ってしまえば負けることはないだろう。だが、黒大蛇の真骨頂は隠密性にある。不意を突かれれば確実に命を落とすことになるし、完全に身を隠した黒大蛇を見つけるのは高位の斥候であっても難しいのだ。
しかし当のキセアは、そんなことは知らないため、
「売れるのかしらねコレ。まあ肉は美味しかったはずだし、持っていって売れなかったらわたしたちで食べちゃいましょう」
などと言いながら魔術で黒大蛇の死体を凍結させて防腐処理をしていた。
小柄な二人の身長と同じくらいの大きさの死体を麻袋に入れ、キセアはリノンに顔を向けた。
「この蛇ってたしかオークより強かったわよね」
「え、あ、うん」
「……じゃあ、この辺りにはオークはいないかもしれないわね」
事前に調べたときも、オークの反応は随分と広範囲に散っていた。不思議に思っていたのだが、二十頭以上のオークを単独で相手取ることができる黒大蛇がいたのであれば納得である。しかも、相手は臭いの強い蛇種。この周辺に弱い魔物が住み着くことはしばらくないだろう。
「とりあえず一度帰りましょうか」
「ん」
無駄だと分かっているのに時間を使う意味はない。狩場を変えるか、もっと奥地に行くのか。どちらにしても準備を整え直す必要があった。
◇◆◇
キセアとリノンが冒険者ギルドに戻ってきたのは、太陽が中天を過ぎて少し経った頃だった。
ちょうど虫が主張を始めたお腹を押さえながら木製の扉をくぐり、カウンターに行く。
「素材の買取りをお願いしたいのだけれど」
「こちらで承りますね」
ヒポネ草の買取りを行った部屋に入り、麻袋から黒大蛇の死体を取り出す。
その瞬間、受付嬢の顔がはっきりと分かるほど強張った。
「え? これ……」
「売れるのかしら、コレ」
固まった受付嬢、のほほんと笑うキセア、何かを諦めた表情のリノン。カオスである。
受付嬢の驚きの理由が分からないキセアがリノンを見ると、彼女は小さく溜息を吐いて口を開いた。
「……黒大蛇は討伐ランクCの魔物。わたしたちに倒せる相手じゃない……はず」
「コレに似た蛇なら今までも何回か倒してるわよ? 美味しいから、気付いたら積極的に狙っていたし」
「そもそも普通は気付けない」
リノンの説明を聞いても未だ納得のいかない様子のキセア。そこに、ようやく我に返った受付嬢が慌てた様子で割って入った。
「いやいやいや! そういう問題じゃなくてですね、いえそっちもそうなんですが……黒大蛇ってことは、大森林に入りましたよね?」
「森には行ったわね」
「あそこランク制限あるんですけど」
「「…………」」
ジト目で見つめる受付嬢の視線を受け、キセアとリノンが明後日の方向を向いた。
「ランクC以上でないと侵入禁止なんですけど」
「…………聞いてないわよ、リノン」
「何故にわたし」
「先輩だから」
「規約書なんて読んでないし」
「読みなさいよ」
「キセアも読んでない」
「お金にならないじゃない」
醜い言い争いを披露する二人に受付嬢が溜息を吐き、手早く素材の状態を確認すると口を開いた。
「とりあえず、素材の買取だけしちゃいますね。それに大森林のことは、奥地はともかく浅い領域については規約書にも書いてないので……この辺りは規則の方の不備というか、まあいろんな事情があるのですけど。ですが、暗黙の了解というか、あの場所に行く依頼がないことで察して欲しいというか。それ以前に狩場の情報くらいは集めてください。冒険者でしょう」
「「ごめんなさい」」
正論である。
情報収集もせずに突っ走ったのは二人の落ち度なので、キセアもリノンも言い争いを中断して素直に頭を下げた。
「まあいいです」
キセアとリノンは頭を上げた。
「浅い領域のランク制限は明文化されたものではないですし……まあ、この街の冒険者で事前に調査をしない人なんていないという思い込みの所為もあるのですが」
さらりと毒舌を吐くあたり、この受付嬢さん中々強かである。
「何にせよ冒険者の命は自己責任ですので、ギルドが口を出すことは出来ませんし……待っている身としては堪ったものではありませんのですけどね」
その言葉に申し訳なさそうな顔をする二人。受付嬢はコホンと咳払いをし、硬貨の入った袋を取り出した。
「すみません、愚痴でした。これ、素材の代金です」
「ありがとう」
キセアの手に渡った袋はずしりと重い。不思議に思い中身を覗いてみると、目に入ったのは銀色の輝きだった。
「銀貨?」
「黒大蛇の死体丸ごと、それもかなり状態が良くて損傷もなければそのくらいになりますよ。解体の手間賃は引かれていますが」
「金欠脱却……!」
普段は感情表現の薄いリノンがガッツポーズをしていた。
「どのくらいなのかよく分からないのだけど……」
「え」
旅の生活で貨幣をあまり使わないキセアは、その価値を正しく理解できていなかった。銀貨二十枚近くという金額がどの程度なのか分からない。昨日もらった報酬は銅貨六枚で、安宿とはいえ二食付きで一泊できるのだ。旅の間に請け負うような日雇いの仕事の報酬は銅貨数枚というのが普通だし、大抵のことは自給自足でどうにかなるキセアに大金を扱う機会は今までなかった。作成した魔術具も売り払うことはなかったのだ。
目を見張っていたリノンが慌てて説明する。それによると、銀貨一枚は銅貨百枚に相当する。銀貨二十枚とはつまり銅貨二千枚である。大した戦闘もなかったため武器のメンテナンスも必要ないため、そのすべてが一日の儲けとなる。恐るべき利益だ。
その価値を知ったキセアの表情と言えば、ストンと感情が抜け落ちた無表情だった。頭の処理能力を超えたようである。
そして、数秒して復帰してからの第一声がこれである。
「……生産道具買っていいかしら。すぐに取り戻すから」
「構わない」
キセアの生産能力を知っているリノンは考えるまでもなく許可を出した。
そもそもが、黒大蛇を仕留めることができたのはキセアの手柄である。リノンに報酬の使い道に口を出すつもりは一切なかった。
苦笑している受付嬢に見送られギルドを出た二人は、嬉しい重さの報酬を手に次なる目的地へと向かう。
錬金術師御用達、魔術具店オリビア。
中央広場の西側に位置する大店である。