第一話
オルベール王国の辺境の街、リセリア。そこに、一人の少女が訪れた。
小柄だが、身に簡単な外套を纏いフードで顔を隠しているため外見はよく分からない。ただ、衣服の隙間から覗く肌は助けるように白く、滑らかだ。これほど美しい肌を持っているのは、労働を知らない深窓の令嬢くらいだと思われる。少なくとも、この辺境まで一人で来られるような実力者の肌ではなかった。
少女は旅人用の小さな扉の前まで来ると、そこにいた衛兵に話しかける。
「街に入りたいのだけど、ここでいいかしら?」
「……あ、ああ」
鈴のように美しい声色に衛兵は聞き惚れ、一瞬の間を空けて返事をした。
「身分証を見せてもらえるか」
「ごめんなさい。来る途中で魔物に襲われて失くしてしまったわ。マジックポーチだったからお金も全部……散々よ。なんとかならないかしら?」
「それは……災難だったな」
そうは言うものの、衛兵の視線は懐疑的だ。理由は、ここが辺境だからである。
都より遠いからこそ、現れる魔物は総じて強い。一般に強いと言われる程度では軽く食いちぎられてしまう、そんな場所なのだ。
そこに、少女は魔物に襲われてなお一人で辿り着いたと言う。
疑わない方がどうかしている。
それを察した少女が苦笑いを浮かべた。
「わたしは魔術師よ」
「ああ……なるほど」
その一言で衛兵は納得する。
魔術師の強さは見た目では分からない。衛兵は、少女が見た目通りのか弱い存在ではないことを理解した。
「……一応聞くが、犯罪歴はないよな?」
「当然ないけれど……犯罪者が素直にはいというのかしら」
衛兵は少女の言葉に苦笑いを浮かべる。
「それもそうだが、規則なんでな。それに、大抵は見れば分かる。……名前は?」
「キセアよ」
衛兵は腰のポーチから小さなカードを取り出すとキセアに手渡した。
「仮身分証だ。有効期限は十日間。その間に役所か組合で正式な身分証を発行して返しに来てくれ。役所ならその場で受け取ってくれるがな」
「分かったわ」
衛兵は門を開けると、笑顔を浮かべてこう告げた。
「ようこそ、リセリアの街へ。歓迎するよ、キセア」
キセアも同じように笑顔で返し、門を潜った。
「ありがとう」
◇◆◇
リセリアの街は活気で満ちていた。
人々が街道を歩き回り、露天の主人たちは声を張り上げて客を呼ぶ。綺麗ではない、だが人々の顔は活力に溢れている。
街に入ったキセアはその足で冒険者組合へと向かった。今のキセアは一文無しなのだ。このままでは宿にも泊まれないので早急に金を稼ぐ必要がある。
というか、露天から立ち上るなんとも言えない香りがキセアの嗅覚を存分に刺激し、食欲を駆り立てているのだ。端的に言えば腹が減っていた。
キセアは足早に組合へと向かう。中央の広場に面した、木造の三階建ての建物がそうだ。大きく、剣と盾の紋章が目立っているのですぐに見つかった。
組合の扉を開くと、ギィイ……と古めかしい音が響く。悠然と歩みを進めるキセアに、中にいた冒険者たちの視線が集まった。
「……冒険者登録をしたいのだけど」
「はい、こちらで承ります」
取り敢えずそう声をかけると、空いていた受付のお姉さんがニコリと笑って答えた。
冒険者たちの視線を受けながら、キセアは渡された紙に目を落した。
「……これだけでいいの?」
紙に書かれているのは四つの項目と空欄だ。それは、名前、年齢、性別、クラス。あまりの情報の少なさに唖然とする。
「はい。冒険者は危険な職業ですから、組合が手の内を晒させることはしません。パーティメンバーを探す際に申告していただくこともありますが、ご自分の技能の申告は自己責任でお願いしています」
「なるほどね。納得したわ」
キセアは軽く頷くと、ペンを走らせた。
髪を受け取った受付嬢は視線を走らせ、笑顔で頷いた。
「キセア様、17歳、女性。クラスは魔術師ですね。承りました」
その言葉に、聞き耳を立てていた冒険者たちの体がピクリと揺れた。
魔術師とはすなわち攻撃役。前衛が稼いだ時間を使って詠唱し、戦士には為し得ない圧倒的な火力でもって敵を殲滅する。
だが当然、詠唱という制約があるため、単独戦闘には向かない。パーティにいると有利だが一人では戦えない、それが一般的な魔術師の評価だった。
そんな魔術師でありながら、キセアはここまで単独で辿り着いたのだ。その実力は、意味が理解できるものならば容易に想像できる。
その彼女が一人で、それもこれから登録するという。不可解さは勿論だが、何よりも確保したいという気持ちになるのは当然だろう。
「この辺境までたどり着ける実力がある方には、特例でランクDまでの認定試験を受けることができることになっております。いかがなさいますか?」
ランクD。その言葉にキセアの瞳が揺れる。
「……その試験は、少し時間をおいてという形でも可能かしら?」
「次の試験は5日後になりますね」
「その間に依頼を受けることはできる? 正直に言うと一文無しなのよ」
「それは……ええ、可能ですよ」
「なら、それでお願い」
受付嬢は「承りました」と返事をすると手元の書類にペンを走らせ、手のひら大のカードを手に取った。
「組合証です。これに一滴、血を垂らしていただけますか?」
キセアはその言葉に、一瞬————ほんの一瞬だけ動揺を見せた。が、次の瞬間には何事もなかったかのように手渡された針を手に取り、細くしなやかな指の先端を突き刺した。ぷくり、と鮮やかな赤が浮き出ると、それを組合証に擦り付ける。組合証は一瞬だけ輝き、光が収まるとそこには剣と盾の紋章、つまり冒険者組合の紋章が描かれていた。
「これで登録は完了です。キセア様のこれからの活躍に期待しております」
「ええ、任せておいて。ありがとう」
キセアは受付嬢に礼を言って背を向けると、依頼を探そうと依頼板を探した。
そんなキセアに、
「キセアさん、うちのパーティにこないか!? 歓迎するよ!」
「何言ってんだ、お前んとこは既に後衛いるだろ! ウチに来なよ、これでもランクDパーティなんだぜ?」
「はっ、お前如きがランクDを名乗るとはおこがましい、こんなのより俺たちの方が--」
「んだとオラァッ!」
「邪魔よ、退きなさい! こんな野郎どもよりも私たちのところに来ない?」
「いやいやいやいや、ちょっと待て」
「是非ウチに!」
エトセトラエトセトラ。
もはや誰が何を言っているのか分からない。これは言っても聞こえないな……そう思ったキセアは、軽く咳払いをすると魔術師独特の発声方法で声を出した。
「申し訳ないのだけど」
不思議と響くその声に、騒いでいた冒険者たちが一瞬で静まる。
「取り敢えず、早急に今晩の宿代を稼がなくてはならないから、通してもらえるかしら? パーティの件は、ランク認定試験が終わってから考えさせてもらうわ」
パーティを組むとなると、その日は打ち合わせや戦術の確認などに時間を取られてしまい、依頼を受けることはできなくなる。また、しばらくは慣らしとして簡単なものになってしまい、必然的に実入りは減ることになる。
低ランクの金欠の辛さを知っている彼らはその言葉に納得と同情の眼差しを向けると、素直にその場を離れていった。
キセアはフードの奥に苦笑いを隠しながら依頼板に向かい、夜までに終わりそうでかつ宿代と食事代を稼げそうなものを探した。
条件に合致するのはなるべく近場の採取依頼だ。討伐依頼は論外。短時間で簡単に確保できて、量によって追加報酬が出るものが望ましい。
「……やっぱりヒポネ草かな」
無色の魔力を内包するヒポネ草の煮汁はほぼ全ての魔法薬に対する溶媒となる。需要は大きいしどこにでも生えているが、とにかく良し悪しの判別が難しいのだ。この質が悪いと魔法薬生成は成功しないため、依頼を出す際には大量に買い取って後から専門の職員が鑑定することになっている。
しかし、魔術師であり、また錬金術や魔法薬生成も一定のレベルで修めているキセアならばヒポネ草を見分けることなど児戯に等しい。あくまで一般人には難しいというだけであり、ある程度心得のあるものならば誰でも出来ることなのだ。やりたがらないだけで。
ヒポネ草の採取は常時依頼……つまり、依頼を受けていなくとも持ち込めば買い取る、というものなので、特に依頼を受けることなくギルドを出る。それだけで冒険者たちはキセアがヒポネ草の採取を選んだことを知り、自らの過去を思い返して笑い合った。
キセアはというと、再び晒された屋台の匂い攻撃に空きっ腹を抱えながら足早に門へと向かっていた。
「おや、さっきの……」
「こんにちは、衛兵さん」
組合証を見せながら仮身分証を返すと、衛兵は「確かに」と言って受け取った。
「冒険者になったのか」
「ええ。宿代を稼がないと……」
フードの奥から苦笑の気配が漏れる。衛兵はクックッと喉の奥で笑うと、
「討伐か?」
「いえ、ヒポネ草の採取よ」
「……どうやって持ち帰るつもりだ」
「どうやってって、アイテムポーチが……あ」
軽く腰を叩き、あるはずの感触がないことに愕然とする。完全に失念していたようだ。
「ちょっと待ってろ」
衛兵はそう言って奥に引っ込むと、手に大きな麻袋を持って出てきた。
「これを使え。ただの麻袋だがないよりマシだろう」
「ありがとう、助かるわ。……アイテムポーチか、素材があれば作れるかしら……いえ、道具もないし……うぅ……」
持ち物を根こそぎ失くした代償は大きかったようだ。生産系技能など道具がなければ無用の長物である。
衛兵は軽く肩をすくめると、同情するように言った。
「まあ、なんだ。金を貯めてまた買うんだな」
「……えぇ、そうするわ」
生産のための魔術具は高い。キセアが失くしたのと同じ最高級のものであれば、その中の道具どれか一つだけでも王都の一等地に屋敷が建ち、加えて数年は遊んで暮らせるほどに高価である。すべてそろえようと思うと途方もない。
必要金額を頭に思い浮かべ、キセアはがっくりと肩を落とすのだった。