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36.2度 中編 (1)

 職員寮に引き上げた。敷地の端にある寮は三階建で、わたしはポプラの並木沿いの通路からいちばん手前一階の扉を開錠する。

 玄関を開けるとすぐキッチンがあり、仕切りなしの一間きりの部屋。窓にはブルーのカーテンが引かれ、ふわりと薄い羽毛布団がかけられたベッドがある。

 キッチンの流しにはコップ、作り付けの棚に置かれた必要最小限の食器も電源を入れずにある冷蔵庫も、かりそめの生活用品。

 わたしはトートバッグをキッチンカウンターのうえに置き、身につけていたすべてのものを脱ぎキッチン反対側のバスルームの全自動洗濯機に入れる。

 裸のまま、両開きのクローゼットの取っ手を引く。薄暗い中には充電器とデータを直接モニターするためのコードの束がある。

 最上位機種は、ヒトと同じように食物……おもに蛋白質(プロテイン)からエネルギーへの変換も可能だが、半量産型のわたしは外部からの補充が必要だ。

 腹部の皮膚、肋骨下のくぼみに指をかけて剥ぐと差し込み口が現れる。成人男性の手首ほどもあるプラグを接続し、太陽光自家発電での不足分を補う。

 こめかみから首、鎖骨まで同じように皮膚を外して対応するジャックにコードを差していく。

 疑似呼吸と鼓動をオフにすると体温も下降する。

 すべての用意が完了すると、クローゼットの扉を閉め、壁につけられたホルダーにボディを直立のまま固定させる。

 緊急用のチャンネルだけを残し、病院と施設で入力されたデータを集積解析、監視。昨夜のような緊急事態に備えるのだ。

 同胞からの情報が途絶えるとわたしの中には静寂が訪れる。

 ただ、文字と数値のデータばかり。

 寮の中の他の居室は夜勤の職員が三人、就寝中だ。

 緊急車両の出入りは無し。受け入れの要請も今現在発生していない。このまま深夜勤出勤時間、十二時までモニターを続ける。

 状態が思わしくない患者・利用者を重篤順に並べてモニターする。上位五十名の連絡先をリストアップ。連絡先が空欄の方が八名。うち一名は山口さまだ。今日明日ということはないだろうけれど。山口さまは雪が降る季節まで生きながらえるだろうか。

 わたしは中枢を通り抜けていく情報と青い部屋とを見ている。

 クローゼットの鎧戸ごしに見る部屋は、まるで深いプールのようだ。入院患者、施設の入居者、日帰りの利用者……。すべの命がまるでわたしの体の中にあるように感知される。

 作り物ではない、鼓動パルス呼吸ブレス

 静かだ。

 どん!

 静寂は不意に破られた。それは物理的にもだ。左足が不随の動きをしクローゼットの鎧戸を蹴り破っていた。

 何が起こった……!

 強烈な緊急信号に通常業務が百分の一秒かき乱される。コードを確認する。

『飛天、始動』

 信号の軌跡を追う。一面の朱色に染まる空が見えた。

 わたしの体が前のめりに倒れ始め、その重みがクローゼットの扉を押し開いていく。鈍い音がして膝があたった床がへこんだ。

 手をつくタイミングがずれた。突っ伏すようにして体が止まる。長さが足りぬアタッチメントが、ブチブチと外れ、強制的に動作が遮断された。エラーからの自己復帰するあいだ、わたしは赤い夕陽が射し込む部屋を斜めに見あげていた。

 辛うじて外れなかった腹部の電源がわたしに「熱」を送る。カーテンのすきまから差す茜色の光のなかに細かなきらめきを感知する。

 ただの埃……だ。けれど、なぜ羽のように見えるのだろうか。

 再起動にはいるまえの微小なバグか。

 飛天はもう手が届かないとろこに去っていった。



 緊急信号は、飛天が不用意に発信したものだと、後日オガワ博士じきじきに通達がきた。

 わたしはあの日から、ボディの変調を感知している。

 まるで、たたらを踏むように何もないところでよろめくようなった。左足が不意にストライキを起こすのだ。人間の筋にあたるワイヤーが何かに引かれたように収縮するのだ。むろん、転倒するようなことはないが。

 それに……わたしはシーツ交換の手を止め窓の外をみやる。

 枯れ葉が風に舞っている。赤や黄色の桜や楓、緑を残す焦げ茶色も遠くに見えるススキの穂も、むやみに光って見える。いやそればかりではない。周囲の何もかもがきらめいて……虹彩の調節が利かなくなったのか。同胞(ナカマ)が拾い集める音楽の再生が絶えず『聞こえる』。小さなバグが何個も発生し互いに作用しあっているのだろうか。

 次の「休暇」にはオガワ博士に入念にメンテナンスしてシステムのクリーンナップをしてもらわねば。

「何か、いいことがあったの?」

 山口さまが刺繍しながらわたしを見た。

 体重の減少マイナス二キロ。頬の肉が落ち、針を持つ指の関節が骨ばっているのを確認する。

「いえ。これといって何もありませんが」

「そう? ふだんより、にこやかだわ」

 口角が通常より一度上がっている。数値を補正し、口元をひきしめた。

「そんな、無理に戻さなくても」

 山口さまは、小さく笑った。愛らしい少女のようだ。

「若さっていいわね。たしかに自分にもあったはずなのにお婆さんになってから実感してもねえ」

 再び手を動かす。ゆっくりと針を刺し糸を引く。布のうえに赤い花弁が現れる。

「なんだって失ってからじゃないと気づけない。……悔いの多い生き方をしてしまった」

 苦笑いというより、困り顔と分類されるか。ため息をつき針をおいた。

「うまく縫えないわ……」

 ふう、と大きく息を吐くと山口さまは刺繍枠をサイドテーブルにのせ、シーツ交換が終わったベッドに腰掛けた。

 今日はクリーム色の毛糸の帽子をかぶっている。小さな花を散らした柄のパジャマは山口さまのお気に入りのものだ。

「疲れましたか?」

「少しね」

 背中にクッションをいれ、楽な姿勢で座れるように調整を手伝う。

「今日は休日だから、みなさんのところへはお見舞いの方がいらしているんでしょうね」

 共有スペースには、三組が利用中だ。ほかに個室への来客が五組。わたしは数は伝えず、たたうなずく。

「若いころは何とも思っていなかった。伴侶を持たないこと、子どもを持たないことに。一人で居るのが好きだったから」

 それが、山口さまの後悔だろうか。窓の外へ視線を投げたままの山口さまの隣から、去るタイミングが見つけられず、ただ耳を傾けデータを集める。

「桂さんは? 恋人はいないの?」

 ……コイビト……まばたきをせずに首を横に振るわたしを、いつのまにか山口さまが見ている。ああ、これでは不自然だ。

「終わるときには、桂さんはいくつになるの。八十まではいかないでしょうけど」

 わたしは歳をとらない。終りの日まで人々に尽くす。

「ああ、ごめんなさい。意地悪な質問ばかりして。もしもパートナーを得る機会があるなら、それを選んだほうがいいと思うの。……ごめんなさい。やっぱりこんなのは勝手な押し付けだわ、忘れて」

 忘れない、わたしはアンドロイド。忘れません。また首を横に振り、山口さま肩にショールをかける。

「あたたかいわね」

 山口さまの過ごしてきた年月には、どんなことがあったのかわたしが知ることはない。細かく散らばったデータを拾い集めることはわたしの能力(スペック)ではおいつかない。

「桂さんは優しいわね。できるなら、わたしの最期を見送ってほしいわ」

 わたしには誰もいないから、という言葉は飲みこまれたようだ。

「もし、山口さまがご希望されるのなら、わたしのほかにもう一名を呼んでもよろしいでしょうか」

「ほかに?」

「ええ、政府の新しいサービスです。まだ始まったばかりなのですが」

 どこまで飛天のことを明かせばよいか。その境界をさぐりながら慎重に言葉を選ぶ。

「天からの使いが参ります」

「ま、桂さん……真顔でそんな冗談をいうのね。いいわ。その時にはお願いします。一人きりで向こうへ渡るのは、淋しいもの」

 飛天利用の了解を承認。わたしはデータを理事長とオガワ博士へと送った。

「最期のときのことを決めるには、こんな明るい秋の日がふさわしいわね」

 山口さまは愁眉をといて、笑った。頬に赤く血の気が戻ってきていた。






書きたいシーンまで行きつかず。中編は2まで……にしたい。

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