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36.2度 前編

タイトル変えるかも知れません

 乾燥した白つめ草に埋もれて、彼女は目を閉ざしていた。

「美しいだろう?」

 小川博士はそういうと、長身の体を二つ折りにするようにかがめ、彼女の顔に散った細かな花びらを丁寧に布ではらった。

 さながら銀の棺に眠る美女……両腕をささやかな胸の前で交差させ、閉じた瞼のまつ毛は長く、胸までとどく髪の黒さに比べてわずかに茶色だった。

「これから本格的な出番が待っている、看取り専用のアンドロイドだ」

 わたしは一分間彼女を見つめた。桜貝のような爪、白磁と見まごうなめらかな肌には、何もまとってはいない。

 誰? 何? Who?

 私からの映像を受信した地上に散らばる同胞ナカマから詳細を求めるメッセージが間断なく届く。

「博士、詳しいデータを。この方の」

 博士はわたしを振り返って相好を崩す。

「いいね、『この方』って表現。ケイはほかのアンドロイドより言葉の選び方がていねいだ」

 そう言うとわたしの両手をとった。そしてわたしが老人たちを介護するときのようなゆるやかな動作で、ラボの丸椅子に座らせた。

「脚部の連携にロスはないみたいだね」

「ええ。路線バスに潰された左脚部の修理は完璧です。正常に戻りました。それよりも……」

「ああ、わかっているよ」

 オガワ博士は自身のスチール机の浅い引き出しから小さな透明のケースを取りだし、それをわたしの手に乗せた。

「政府に渡したデータだから」

 ケース内のチップにアクセスしデータを同期させ、通信網ネットワークに放つ。

 看取り専用機、HM‐FM1『飛天ひてん』シリーズ。

 体長百六十三、重量六十キロ、アジア地区向け主要八カ国語インストール済。対象者の希望にあわせて、讃美歌や各宗派の経を唱えることが可能。

 美しい顔立ちは、永久とわの旅路へ導くのにふさわしい神聖さを感じられるようなデザイン。

 わたし自身のデータと比べる。身長百七十五センチ、体重七十二キロ、最大出力非常時に限り五人力。あまりに平凡、あまりに凡庸。鏡に写して確認するまでもない。わたしは特徴のない姿に作られている。

「ケイ、次の赴任先は五区だよ。事故にあった二区では君のことが少なからず知られてしまったから」

 はい、とうなずく。

 わたしが目立たない姿に作られた理由、それは人に混じり手助けをするため。

 終わる世界で生きる人々を。

「目立つ場所にアンドロイドが配置されているのは公にされているけど、生活圏に深く浸透している君たちを公表するには、まだ数年早いんだ」

 そのため、十年未満で異動を繰り返す必要がある。わたしは稼働開始から五年が経過している。今回のことがなくても、いずれはよそへ移るはずだった。それが少しばかり早まった。それだけのことだ。

「はい。承知しております。次の施設でも業務を滞りなく遂行します」

「……いい子だ」

 博士がわたしたちアンドロイドに向けるまなざしは、いつも慈愛に満ちている……と表現していいのだろう。ただ、時おり悲し気と感知されるのはなぜだろうか。眉や口角の度合いによって。

「あの方の稼働はいつからなのでしょうか」

「飛天? そうだな、近いうちに要請があれば。ここのラボからケイの施設にも行くかもしれない」

 スリープモードですらない、彼女。彼女からのデータはまだ何一つわたしたちの『世界(ネットワーク)』に入ってきてはいない。

 電源が入れられたなら、どんなふうに話すのだろうか。どんな立ち居振る舞いをするのだろうか。

 絶え間なく押し寄せる同胞からのデータは体の中を通りすぎ、メインコンピューターに蓄積されて行く。

 データを共有することで、わたしたちは「ヒト」に近づいていく。

「さあ、行こうか」

 博士が棺に固定されたわたしの視界に入ってきた。立ち上がり、踏み出す。ごく小さなバグでも発生したのか。右足一歩目が揺らいだ。



 歌が届く。海の向こうから。仲間が拾い集めるデータは会話を始め、歌だったり映像だったり。すべてを精査していては処理が追いつかなくなる。

 眼前の利用者から目を離してはいない。車椅子を押しながら、強い日差しを避けて木陰を選ぶ。

「だいぶ涼しくなりましたね」

 わたしは送られてくるデータを電算脳の一部を使って処理し、残りはわたし自身のデータ収集に振り向ける。

 今日の介護担当、山口さま。七十九歳。婚姻歴なし、出産経験なし。転倒して腰椎を骨折。以来施設に入居。血圧脈拍ともに正常値。

 車椅子で施設の隣にある、公園の遊歩道をふたりで行く。

「そうねえ、じき冷えた麦茶より温かなほうじ茶が恋しくなるんでしょうね」

 そういって、帽子のつばをほんの少しあげて九月の空を見上げた。ほとんど抜けてしまった髪を隠すために、山口さまは帽子をかぶっている。入居している施設の健康診断で乳ガンが見つかったがすでに、ステージ四。

 今日は容態が安定していたので、外出がかなった。山口さまはもう治療を望まれていない。緩和ケアへ切り替えたのだ。

「雪が降るまでいられるかしら」

 けして未練がましくは聞こえない。通常と同じトーンでの発声だ。

「雪だるまを作ってさしあげましょう」

 わたしが答えると、小さく咳をするように笑った。

「そう? なら特大をお願いしようかしら。子どもの時に兄が作ってくれたのよ、大きな雪だるま」

 これくらいの、と山口さまはご自分のまえで手をゆっくりと動かし、かつての大きさをなぞる。

「おかしなものね。寒いのがいやで移り住んだはずなのに。今ごろになって懐かしいなんて」

 北の大陸にいるセミョンからは雪が見えている。直接に見せることはできない。せめて歌でも歌ってさしあげたなら、山口さまの心は安らぐだろうか。わたしは手近な仲間が口ずさむ歌を流用しようとデータを探った。

 と、ぱちんと何かがはじけて、わたしの左足がよろめいた。

「あら、どうしたの?」

 急に停止した車椅子に驚いたのか、山口さまがわたしを振り返る。

「だいじょうぶです、つまずいただけで」

「そう? 狐につままれたような顔をしているわよ」

 このような時には、どんな表情をすればよいのか。最適のパターンは見つからず、わたしはだまって車椅子のハンドグリップを握り直した。

 さざ波のように伝わる、これは誰の「感覚」だろうか。大河のような情報の中に、わき起こった小さな渦。目の前がキラキラと光る。粒子? これは何の?

 カメラアイではとらえられない微量な何かがわたしを取りまく。

 わたしはデータの中から自動的に歌を選び口ずさんでいた。音程が半音ずれている。

 山口さまが小さく噴き出した。

(けい)さんは手先が器用だし、なんでもお上手かと思っていたけど……なつかしい歌ね」

 正しい音程で山口さまが小さく歌う。

 ノスタルジック、なつかしいメロディ、甘い、せつない……見なれないタグがついている。

 キミ ハ ダレ? 

 はじけた「感覚」へリプライを送る。応答はない。

「発表があったのも、こんな夏の日だったわね」

 何かを思い起こすように、山口さまはご自身のてのひらを見つめた。

「先にいってしまうのが申し訳ないなんて、妙な言いぐさね」

 公園を行き来する、小さな子を連れた親子に目を向けて山口さまはほほえんだ。

 幼い子が天寿を全うする確率は低い。

 地球は滅ぶ。五十三年後に。


 十月十五日、快晴。湿度四十五パーセント、気温二十度、微風。

 屋上の物干し竿にシーツを広げる。

 さざ波……特定の周波数をソートする。流れてくる大量のデータの中に、まるで弾むような信号を見つける。

 キミ ハ ダレ?

 初めての感知から一月。発信し続けているけれど、いまだ応答はない。見慣れぬ新しい信号だから、ほかの仲間が探索してもおかしくないはずなのに、問いかけをするのはわたしだけだ。

 秋風に白いシーツがゆれる。夕方までには乾くだろう。空になった洗濯かごを重ねて階段をおりた先で、隙なくスーツを着た理事長と付き従う看護師長に出会った。

 わたしの姿を認めた理事長の丸い体はこわばったように止まった。突然止まったものだから、後ろを歩いていた師長が理事長の背中にぶつかりそうになった。

「こんにちは」

 わたしが頭を下げると、理事長は油の切れた作業機械のようにぎくしゃくと顎を引き挨拶を返した。顔は動かしても視線はわたしから外さない。まだアンドロイドになれていないようだ。心拍数が不自然に上昇している。

「あら、桂さん。昨夜は救急措置をありがとう。おかげでご家族の方も最期に立ち会えてよかったってお礼を言われたわ。まだ働いていたの? もう休んで」

 昨日の夜勤からの勤務シフトで、すでに日が高く昇っている時刻だ。

「あんまりお天気がいいので、外に洗濯物を干していただけですから。カゴを返したら休みます」

 そう答えると師長は安堵するようにほほ笑んだ。

「仕事には、慣れたかな」

 最初の発語が口にこもっていた。会話に参加しなければ気まずいと思ったのかもしれない。

「はい、おかげさまで。みなさんに良くしていだいています」

 わずかに口角をあげて答えると、理事長は瞬間ぽかんと口をあけた。人と遜色のない表情に見えたか。

「桂さんは、ベテランの域ですよ。キャリアはまだ五年ほどですけど、どんな仕事も安心して任せられます。ほんと、来てくれて助かっていますよ」

 そんなことありません、と謙遜の行動。わずかにうつむき、首を左右に小さくふる。

「ああ……その……もし何かあったら」

 と、いいかけて理事長は口をつぐんだ。分からないことがあったなら、膨大なマニュアルや蓄積されたデータから最良のものを選択して実行すればよい。

 施設内でわたしの事を知っているのは理事長だけだ。政府から直々に委託されて、わたしを「管理」している。五十代後半の理事長は病院と介護施設を三兄弟で運営している。次代から徐々に解体されて公営に移されるだろう。

「よろしく頼む」

「はい」

 一言いい添えた理事長へ、わたしは深々と頭を下げた。ふたりはその前を足早に去っていく。

 何も知らなければ、わたしは「人」として認識される確率が高い。師長のように疑いもしない。けれど、真実を知る者からすれば、わたしは異質な「ヒトガタ」なのだろう。

 記憶する、情報を取捨選択する、決定し自立行動をする。

 彗星破壊のためのロケット開発の副産物技術。

 これから先細りする人口を補うために、わたしたちは存在する。平常の心拍数・血圧に戻る理事長のデータを採集しながら、わたしはリネン室へ戻った。




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