狂気
アンリの問題を解決した明人だったが、ここで大きな問題が一つ。
いや、二つできていた。
放課後の教室で向かい合って座っているのは友人の陸だ。
陸は入口付近を見ている。
そこに人の姿はない。なのに、誰が隠れているのかを陸は分かっていた。
それは明人も同様だ。
陸が溜息を吐く。
「委員長と何があった?」
委員長ではなくなった摩耶だが、二人の間では今も委員長呼びである。
「い、色々と……」
陸は最近染めていないのか、根元が黒くなっている金髪をかく。
明人にとって頼れる友人がアドバイスをくれた。
「もう面倒だから話をしろよ。アルバイトまで時間があるだろ」
アルバイトと聞いて明人は頭を抱える。
「……お前、まだ何かあるのか?」
摩耶だけではなく、八雲とも顔を合わせ難いのだ。
ゲーム内で少々強引に別れてから、連絡を取り合っていなかった。
運悪く、他のメンバーに誘われて数日――ゲーム内では一月近くも会話をしていない。
アルバイト先でも八雲とは仕事関係の会話しかしていなかった。
(嫌われてはいないと思うけど――)
「人間関係って難しいよね」
陸は女性と付き合いだしているせいか、この手の話には余裕を持って答えてくれる。これが他の男子なら、少し問題になっただろう。
明人のアルバイト先には、綺麗なお姉さんがいるとクラスの男子には有名な話だった。
何度かクラスメイトたちが確認のためにアルバイト先に来ては、八雲を見て明人を羨ましがるのだ。
「なんだ、二股でもしたのか?」
「そもそも付き合ってもいないよ」
ゲームでもリアルでも付き合いがあるというのは、どちらかで問題が起きるともう片方も問題が起きる。
リアルもヴァーチャルも問題ばかりである。
(委員長と先輩……それ以外の知り合いはナナコちゃん――七海ちゃんくらいだよな)
リアルを知っている友人など数えるほどしかいないが、その数少ない友人たちと問題を起こしてしまった。
明人は気が重かった。
友人が立ち上がるとバッグを手に持った。
「あれ? まだアルバイトまで時間があるよね?」
陸は笑っている。
「向こうは話をしたいみたいだし、邪魔者は先に出ていくよ。何があったか知らないけど、話し合った方がいいと思うぜ」
陸が出て行くと、慌てて摩耶が隣の教室に隠れた気配がした。陸は気付いていない風を装って廊下を歩いて離れて行く。
しばらくすると、摩耶が教室の入口に来た。
その様子を見て明人は驚く。
少し髪が乱れ、思い詰めた様子だった。
(いつもの委員長じゃないみたいだ)
悲しそうな表情をしており、声を出そうとして上手くいっていない。
明人が椅子から立ち上がると、摩耶はその場で泣き始める。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
床に涙がこぼれる程に泣き出してしまい、明人は慌てて摩耶に駆け寄るのだった。
「ちょ、ちょっと、委員長!」
教室から移動をした。
人が少ない校舎裏のベンチに、売店にある自動販売機からジュースを買って二人で飲んでいる。
泣きじゃくった摩耶がようやく落ち着き、明人に謝罪をしてきた。
「こ、この前はごめんなさい。“一ヶ月”近くもなんだか声をかけにくくて」
明人は苦笑いをしていた。
「いいよ。僕も悪かったし」
(まぁ、現実世界では“三日”程度だし、微妙な空気だったからそれくらい距離を取ってもおかしくないよね)
摩耶がポツポツと話をする。
「わ、私……学校で友達がいなかったの。付き合いのある家とか、習い事で一緒の子とか話をするけど、学校だと駄目で」
学園ではエリートと思われ距離を置かれている。
最近は縮まっているが、問題はそこではない。
(委員長、学園で友達が出来て嬉しかったのかな)
摩耶が理想とするアルフィーは、友人たちと馬鹿騒ぎをするテンションだ。きっと、求めていたのはそういう事なのだろう。
家柄や習い事先の友人たちは、もっと品のある付き合いをしているに違いないと明人は勝手に想像していた。
摩耶は明人を前に震えている。
「ご、ごめんね。出来れば……前みたいに戻りたいけど、どうすればいいのか分からなくて」
明人は微笑ましく思った。
(委員長もこういうところがあるんだ。まぁ、アルフィーを見ていれば驚かないけど)
友人として明人は摩耶の手に自分の手を置いた。
摩耶がビクリと反応をするが、振り払わない。
「なら、仲直りの握手でいいんじゃない? 喧嘩はしない方がいいし、仲良くした方がいいけど……本音を口に出来るって大事だと思うし」
明人にも本音がある。
それは男子高校生らしい気持ちやら、自分の将来についての不安に不満だ。
ほとんど生まれた段階で人生が決まっているような世界だ。
言いたい事もある。
明人は摩耶と握手をする。
摩耶は嬉しそうだった。
夕焼けとあって、摩耶の表情は幻想的にすら見える。
(委員長……こうしていると綺麗なのに。そう言えば、アバターからほとんど変更がないからよく見るとソックリだよな)
摩耶が開いている手の指で涙を拭っていた。
「よ、良かった。本当に良かった」
「大げさだよ」
「本当に心配だったのよ。嫌われたらどうしよう、って。私……明人に嫌われたら生きていけない」
明人は笑っている。
(少し大げさだけど、気を許せる友人になれたって事かな)
生きてはいけないの部分を、軽く考えて聞き流していた。
摩耶が少し頬を膨らます。
「ご飯も喉を通らなかったのよ」
「そ、それはごめん」
そこまで思い詰めていたのかと、明人も悪い気がしてきた。
摩耶が微笑む。
「いいの。なんかスッキリしたわ」
そして、摩耶が少し言い出しにくそうにしていた。だが、深呼吸をした後に明人に話をする。
「ね、ねぇ、明人……夏休みの予定は全部決まった?」
アルバイト先。
交代する大学生たちが時間通りに来たために、明人も摩耶も時間通りに外に出る事が出来た。
店を出たところで明人は八雲に声をかける。
「先輩、少し良いですか?」
八雲は振り返ると少し目の下に隈ができていた。
(なんだろう、先輩も思い詰めていたのかな?)
明人は照れ隠しで髪をかく。
「あ、えっと……映画! そう、映画を見に行きませんか! 明日は休みですし、今日は先輩が見たかった奴を上映しますよ」
八雲はそのまま返事をしようとするが、口をつぐんで頷くだけだった。
「良かった。この前の事も謝りたかったんです。ほら、チケットはもう手に入れたんですよ」
八雲が見たがっていたのを覚えており、距離を置く前にチケットを手に入れていたのだ。
俯いた八雲は両手で顔を覆う。
「ご、ごめんね。本当にごめん。私……あの時、本当に止まらなくて」
帰宅途中のサラリーマン。
足りない物を買いに来た主婦。
店先で八雲を泣かせている明人に、何とも言えない視線が注がれる。
「せ、先輩! 行きましょう。とにかく行きましょう! ほら、良い席がなくなっちゃいますし!」
「う、うん」
泣き止んだ八雲の手を引いて映画館へと向かう明人は、悪い噂がパンドラだけではなくリアルでも流れるのを恐れていた。
映画は随分と古い物だった。
昭和――何千年という昔の映画をリメイクしたものだ。
当時の有名な監督が撮影した物を、随分とこだわってリメイクしたらしい。
コロニーからシリーズが丸ごと出て来て、一時はマニアの間でお祭り騒ぎになっていた。
「刀って恰好いいですよね」
暗い映画館は人が少ない。
八雲は呟く。
「……そ、そのままでも恰好いいと思うけど」
明人は首を傾げた。
(映画の音声で聞き間違えたのかな? でも、オークに刀は細いし、太くすると別物だし……刀は駄目かな)
やはり人に近いアバターに似合うと思って見ていると、八雲が手を伸ばそうとして引いていた。
摩耶の時と同じように手を握る。
高校生男子らしく興奮するというよりも、明人は逆に安心して落ち着いた。
(やっぱり、友達みたいな関係なのかな)
同性の友達は手を繋がないよな?
などと考え、陸と手を繋いでいるところを想像してゲンナリする。
しばらく映画を観ていると、小さな寝息が聞こえてきた。
八雲の頭が明人の肩に乗る。
(先輩、眠たかったのかな)
無理に誘って失敗したかと思っていたが、眠っても離さない手を見た。
(まぁ、仲直りのきっかけになったからいいか)
少し残念にも思う。
もっと親しくなって恋人と映画を観に来て――という妄想だってする。
だが、明人の中で八雲は先輩でゲーム内の友人だ。
それ以上の関係になる事が想像出来ない。
そのまま映画が終わるまで明人は八雲を寝かせていた。
「起こしてよ! わ、私、何か変な寝言とかいわなかった!?」
映画が終わり、帰り道で八雲は凄く恥ずかしそうにしていた。
明人はからかう。
「可愛らしい寝顔でしたよ。スマホで撮影しておきました」
「消してよ!」
恥ずかしそうにしている八雲は、いつもの仕事が出来て頼りになる感じではない。
それが楽しかった。
まるで、ゲーム内のマリエラと会話をしているようだ。
(先輩もマリエラみたいに誰かに頼ったりしたかったのかな?)
マリエラは基本、中遠距離タイプだった。
誰かに守って欲しかったのか? などと勝手に考える。
(まぁ、違うか)
「ふふふ、消して欲しかったら分かっていますよね?」
ニヤニヤしながら冗談で脅すと、八雲が頬を染めた。
「……え?」
冗談が通じていないと悟った明人は、八雲に本当の事を言うのだ。
「いや、映画館で寝顔なんか撮影しませんよ。他の人の迷惑になりますし、先輩は寝言もいっていませんでしたよ」
八雲は安堵していたが、少し残念そうにもしていた。
「そ、そうなんだ。良かった」
明人も困ってしまう。
「冗談ですよ。本気にされても困ります」
すると、今度は八雲がからかってくる。
「なに? それじゃあ、本当に撮影していたら何をお願いするつもりだったの? 冗談なんだからそこまで考えていたのよね? 教えなさいよ」
精々、お茶に誘うとかその程度だ。
明人にそれ以上先に進む度胸などない。
画像をネタに脅して――などという展開は、流石に良心が咎める。
「お茶をするとかその程度ですよ」
「何よ。度胸がないわね。もっと過激かと思ったじゃない」
普段の八雲に戻ってきた。
明人は話を切り出す。
「その、すみませんでした。あの後、謝ろうと思ったんですけどタイミングが合わなくて」
首を横に振る八雲は、目の下の熊も消えて表情も明るかった。
「いいわよ。私が悪かったんだし。代わりに今度お茶でもする? 私が奢るわよ」
そこで明人は摩耶の話を思い出す。
「あ、それなら今度の夏休み、海に行きませんか?」
八雲の顔が赤くなっていた。
「う、海? う、うん。大丈夫。絶対大丈夫にするから」
明人が苦笑いをする。
「いや、流石にそこまでして貰うわけにも――」
◇
次の日。
久しぶりに三人でクエストを受けたポン助一行は、NPCの傭兵を連れていた。
クエストは多少モンスターを指定された数だけ倒すというものだ。
攻撃力重視のパーティーなので、神官の姿をしている青年アバターを連れて回復を担当して貰っている。
眼鏡をかけた好青年は、オークにも割と優しい設定だった。
マリエラとアルフィーが、そんなNPCを見る。
「この先、NPCも使って攻略するのは分かるけど、やっぱり慣れないわね」
マリエラの言葉にアルフィーも同意だった。
「パーティーのリーダーは設定やら命令で大変ですからね。規模が大きくなると扱うのも一種の才能ですよ」
ただNPCに突撃をさせればいいというものでもなく、攻略組――最前線では有効活用が求められる。
その時のために練習も兼ねていた。
ポン助はNPCと話をする。
「回復ありがとう」
「どういたしまして。まぁ、仕事でなければオークなんて燃やしていますけどね」
笑顔の好青年が怖いことを口にしているが、最初よりもマシになっていた。
彼らにも友好度設定があるのだ。
ポン助は考え込む。
「……やっぱり、オークには友好度設定が問題になるね。NPCの操作は他の人に任せた方がいいかも」
マリエラが反対する。
「ポン助のギルドなんだから誰も文句は言わないわよ」
アルフィーも同じ意見だ。
「文句を言う奴は鞭で躾ければ良いんですよ」
そんなアルフィーをポン助は笑う。
「冗談だと思うけど止めてね。というか、やってないよね? 本当に止めてね」
最後の方、真剣に疑ってくるポン助にアルフィーがショックを受けていた。
「やりませんよ! 私をなんだと思っているんですか!」
ポン助は内心で即答する。
(普段の行いって大事だよね。毎日、鞭を振り回している女王様にしか見えないよ)
レベルも上がり、勤勉の都で必要なクエストはほとんど受けていた。
マリエラがポン助を見る。
「そう言えば、“優しき心”だっけ? それ、もう五つ目よね?」
討伐モンスターが攻撃していた討伐対象ではないモンスター。
そいつを助けると貰えたのだ。
ポン助はこの石について色々と調べている。
「攻略情報には載っていないから、隠しイベントとかそんな感じかな? 何か意味があると思うけど、よく分かってないんだよね」
何度か石には助けられている。
そのため、それらしいクエストが出ると引き受けていた。
アルフィーがアゴに手を当てる。
「パンドラは意味不明なイベントが多いですからね。発見されていないイベントも多い上に、オンライン向きではないイベントもあるとか……これも開発者の趣味じゃないですか?」
趣味であれば問題ない。
誰も知らない一度きりのイベントを見られたと喜べば良い。
ポン助はNPCに自分たちについてくるように設定し、アイテムボックスから笛を取り出すとロバや馬を召喚した。
勤勉の都に戻るためだ。
マリエラもアルフィーも馬に跨がると絵になる。
「……僕はロバなんだよな」
巨漢のオークが馬より小さいロバに乗る。
「まだ牛なら良かったのに」
そんなポン助の言葉に反応したのか、ロバがポン助に唾を飛ばしてくる。そのまま走り出してしまった。
「待てこの野郎ぉぉぉ!」
ロバを追いかけるポン助。そして、笑っているマリエラやアルフィー。
神官も馬を呼び出しポン助たちに続く。
ただ――口を開く。
「………………真なるオークの戦士がもうじき目覚める。全ての戦士たちが揃う時まで残り僅か。裁定の時は近い」
観光エリア。
イナホはアイスを手に持ちながら空を見上げていた。
今日はゲーム内の休日だ。
リリィとアンリのメンバーで観光エリアを楽しんでいる。
アンリはクレープを食べていた。
「イナホ、あんたどうしたのよ?」
口は悪いが、正確までも悪くなくサバサバしているアンリとは、イナホもリリィもよく遊ぶようになった。
リリィはイナホが見ている空を見上げる。
今日も青空に白い雲――リアルが夏であるために、空も青々としていた。
「何かあるの?」
イナホはゆっくりと顔を下げ、そして首を横に振るのだった。
「いえ、なんだか呼ばれたような気がして」
アンリがステータス画面をチェックする。
「連絡? 誰からも来てないわね。知り合いから?」
リリィがアンリを見て感心している。
「あなた、前からすると随分と使いこなしているわね。前が酷すぎただけかしら?」
アンリが反論する。
「あたしだってやれば出来るし!」
言い合いをするリリィとアンリを見ながら、イナホは首を傾げるのだった。
(なんだろう……変な感じがする)




