プロローグ
一月。
受験生たちにとっては大変な時期。
バスの中は外とは違い暖かい。足下はヒーターの熱で熱いくらいだ。
外を見れば暗く、雪景色は観光客には良いのだろうが少女にとっては日常だった。
バスが動く中、慣れない勉強をしていると隣に座った友人が声をかけてくる。
隣で友人も参考書を持っていた。
「ねぇ、特待生の希望は出したのよね? 別に勉強しないでも大丈夫じゃない?」
スポーツでの特待生として、受け入れてくれる高校を探す制度。
少し特殊な制度だった。
「僕のレベルだと厳しいからね。もう少し成績が良かったら、すぐに決まったかも知れないけど」
才能が数値として明確に表示される世界。
彼女――【伊刈 奏帆】は、スポーツで優秀な成績を収めていた。
だが、それは将来を約束してくれるだけの才能ではなかった。
一人称に僕を使う、活発な印象を与える奏帆は背中に届く程度の髪を短いポニーテールにしている。
癖のある赤茶の髪に、黄色い瞳。
部活動で体を鍛えているためにスレンダーで、胸は小さくもなければ大きくもなかった。
ただ、持っている雰囲気は明るく友人は多い。
友人が参考書から視線を奏帆に向けた。
「あんたのところは……そっか。出来れば学校に拾われる方が良いのか」
家庭の事情がある。
奏帆の家は母子家庭。
出来れば、地元でスポーツが盛んな高校に進学して学費などを免除にしたかった。しかし、地元の枠は埋まっている様子だ。
残念だが、公立の高校に入学するしかない。
入学すれば、部活も終わり。アルバイト生活が待っているだろう。
「別に極端に貧乏でもないけど、私立の高校に通う余裕はないからね。まぁ、アルバイトをしつつ一人暮らしでもするよ」
部活動やらスポーツを楽しむには、才能とお金が足りなかった。
「私も一人暮らしがしたいけど、うちの親がお前は駄目だ、だって。信用ないよね」
友人が羨ましいと思いつつも、奏帆は単語帳に視線を戻してめくる。
別に全国大会に出て優勝を競っているレベルではないが、それでも頑張りたかった。ただ、そんな軽い気持ちで部活をさせないのが今の学校だ。
部活動には入れるのは、一部の才能ある学生たち。
才能がない場合はクラブチームに入るなどするしかない。
奏帆は部活動の先生の言葉を思い出す。
『例年なら特待生だったのにね。今年は優秀な子が多かったから。奏帆がもう少しだけ大会で成績が良ければね。まぁ、でも……ここで区切りを付けて良かったかもしれないよ。だって、ここから先は本当に厳しいし、努力するなら他の事をした方がいいよ』
才能が数値化されるということは、無駄な時間を使わなくて良いという事。
才能がないのに固執する必要もなく、出来る事をやれば良いのだ。
幸い、奏帆は特に苦手という分野がない。
全般的に優秀だった。
そして、飛び抜けて優秀である何かを持っていなかっただけだ。
友人が声をかけてくる。
「そうだ、奏帆。あんた、パンドラはやらないの?」
「パンドラ? VRゲームだよね? うちは無理だって」
月額料金に加え、装置の購入が出来る程に余裕がないのを知っていた。
無理をすれば購入出来るだろうが、親に負担をかけたくなかった。
「高校に入ってからでもいいからやりなよ。良い気分転換にもなるし、クラスで遊んでいないのはあんただけだよ」
今では脅威のプレイヤー数を獲得することになったパンドラは、VRゲームの代名詞になっている。
他のゲームでは味わえない全てが、パンドラにはあると言われている。
「ゲーム機器を買って、更に毎月一万円くらい払うよね? 流石にきついって」
「大丈夫だよ。色々とプランもあるから安く遊べるから。出来たらプレイしたいでしょ?」
「やりたいけどさ」
話をしていると友人が降車ボタンを押した。
次のバス停で友人が降りると、奏帆は黙々と勉強を行う。
(……やっぱり、忘れているところが多いな。今まで勉強は二の次だったし)
いくら入学前に知識を叩き込んでいても、それを活用しなければ忘れていく。学校で復習をするのは、実際に叩き込んだだけでは駄目だからだ。
二つ先のバス停で降りた奏帆は、寒さに少し震えた。
バスの中の温度差と大きな開きがある。
「はぁ……戻ったら今日も勉強か」
部活が終わって、家に帰れば食事をして勉強もそこそこに眠っていた生活を奏帆は懐かしんでいた。
自宅。
アパートの玄関に入るといつもと違う雰囲気だった。
「あれ、母さん、この段ボールは何?」
玄関においてある段ボールを手に持つと、それなりの重さだった。
差出人の欄には企業名やら住所がスタンプで押してあった。
しかも自分宛だった。
「あんたが応募したんじゃないの?」
部屋の奥から奏帆に似た母親が出てくる。
玄関の温度に身震いしていた。
「早く上がりなさい。お風呂の暖房も入れているから、もう少しで入れるようになるわよ」
奏帆は返事をしつつ段ボールを見ていた。
「うん、分かった。今日の夕飯は?」
「シチューよ」
母親のシチューを想像しながら自室へと入り、段ボール箱を床に置くと着替えを始めた。
気を利かせてくれたのか、母親が部屋の暖房を付けていてくれた。
下着姿になるとその上にジャージを着る。
カッターを取りだして段ボールを開けると、そこに入っていたのは――。
「……嘘」
最新型のVRマシンだった。
そして、箱の中には書類が入っている。
「最新型VRマシンのテスターに選ばれました? 私、別に何かに応募したわけじゃないのに」
入っていたのはパンドラのソフトに無料で半年プレイ出来るポイントカード。
しかも、宛名は自分の名前になっている。
「ほ、欲しいけど……駄目だよね」
この機会に手に入れておきたい。
何しろ、クラスでは自分だけパンドラをプレイしていない。
VR喫茶で一度くらい体験しておこうか悩んでいたが、出来ればマシンを手に入れたかった。
ただ、奏帆は真面目だった。
書類にあったサポートセンターに電話をすると、事情を説明する。
「あの、それで箱を開けてしまったんですけど」
流石に怒られはしないと思っていたが、相手の反応が少しおかしかった。サポートは少し態度が横柄だ。
『そういうのは開ける前に確認して貰わないと困りますね。なら、郵送で今から言う住所に送ってください』
「えっと、着払いですよね?」
『は? 違いますよ。当然そちらの負担で――え? あ、あの……ちょ、ちょっと待っていてください』
いきなり音楽が流れ、奏帆はオペレーターの対応に少し腹を立てつつもベッドの上にある枕を手にとって抱きしめて待つ。
しばらくすると、違うオペレーターの声がした。
『先程は大変失礼をいたしました。深くお詫び申し上げます』
次は先程の若い男よりも年上の男性が丁寧な口調で謝罪をしてくる。
「い、いえ」
男性は丁寧に説明してくる。
『先程、郵送して貰うというお話でしたが、こちらの手違いでしたのでゲーム機はそのままお手元に置いて貰って構いません』
「……え? で、でも、これ一つで十万以上はしますよね?」
入っているセットは最新式だ。
ゲーム機とヘッドセットに専用枕にマット……色々と入っている。
『お詫びと思っていただければ。ただ、一つだけお願いしたいことがあります』
「は、はい!」
まさかゲーム機を貰えると思っていなかった奏帆は、ベッドの上で正座をする。
いったい何を言われるのかと思っていると……。
『実は弊社のゲームソフトが一緒に入っていたと思いますが、そちらをプレイして貰えないでしょうか。特に何をしろ、という事は言いません。少し変更があるゲーム機でして、プレイヤー側ではなく、起動時にこちらに負担がないかをチェックする意味合いがありまして』
話の内容を奏帆はあまり理解していなかった。
つまり、最新式でも少し今までと違うタイプらしい。
そのテストは企業側でもしているが、一般家庭でテストをして何か問題が出ないか確認するという。
(それって必要なのかな?)
『まぁ、テストを理由にしたプレイヤー獲得だと思っていただければ。ほら、スマホなどを無料で手に入れるキャンペーンがありますよね?』
その説明を聞いて奏帆は納得する。
「ありますね。加入すればスマホが無料になるっていう」
『こちらのミスですし、それに間違いで処理をするというのも大変でして。巻き込んでしまって申し訳ありませんが、そういう事でお願い出来ないでしょうか?』
大人の事情があるのだろうと、奏帆は受け入れる。
ただ、内心では小躍りしたい気分だった。
「え、えっと、常にチェックされているとか、そういう事は――」
『そういうテストではありませんし、流石にそこまですると犯罪ですからね。何の問題もありませんよ』
丁寧な説明に安心する奏帆は、男性にお礼を言って電話を切る。
そのままガッツポーズをすると自室を飛び出して母親に報告した。
「母さん! あれ、間違いで送ってきたって! でも、返さなくて良いんだって!」
「え!? あんた、それって本当に良いの?」
台所で先程の事情を話す奏帆は、母親にスマホが無料で手に入る男性の例え話をして納得して貰う。
母親も、その話を聞いて理解した。
「月額料金目当てね。なる程ね。でも、うちに余裕は少ないから、アルバイトをするならそこから払うのよ」
「大丈夫。ちゃんと稼ぐから」
喜ぶ奏帆を見て、母親は少し悲しそうに笑っていた。
「……ごめんね。部活、続けたかっただろうに」
奏帆は髪をかく。
母親の前で悲しい顔をしてはいけないと思った。
「べ、別にいいよ。いつかは辞めるときが来たし、それに高校生活は楽しまないと。汗まみれはもうおしまい。青春を謳歌するよ」
母親が笑っていた。
「変な男に騙されないようにね」
「騙されないって」
冗談を言ってその場の空気を流してしまう二人は、そのまま台所で料理を行う。
◇
希望の都。
奏帆――【イナホ】は、長い兎耳をピコピコさせて周囲を見渡していた。腰の下には丸くフワフワした尻尾がついている。
平均以上の高い性能を持つが、際立った性能を持たない【ラビットガール】と言われる種族だ。
際立ったものを持たない代わりに、初心者がゲームを楽しむならこのアバターがお勧めだと公式が公言していた。
ただし、使用しているプレイヤーは少ない。
全体的に性能は高いが、そういったアバターは抜きんでた性能を持っていない。初心者向きと言うことは、逆を言うなら慣れて来たプレイヤーには向かないという意味もあった。
実際、見向きもされていないアバターだ。
オークとは違った意味で不遇だろう。
「なんで五時なのに人がこんなにいるの? え、だって少ない時間帯だ、って」
イナホはVRゲームに慣れておらず、公式のお勧めとそのパラメーターのバランスが自分に似ていると思ってラビットガールを選んだ。
ただ、髪色やら身体データのほとんどはそのまま。つまり、ゲーム内で素顔を晒している。
周囲ではプレイヤーたちが移動を始め、中には集まって楽しそうに喋っていた。
歩いてどこかに行くエルフもいれば、フードをかぶった集団が言葉も交さずに駆けていく姿も見える。
「……友達に電話をしておけば良かった」
慣れるために一人でログインしてみたが、心細くなってくる。
そのまま歩き出した奏帆は、希望の都を興味津々に見ながら歩いていた。
都市部中央の冒険者ギルドに進まず、気が付けば人通りの少ない観光エリアに来てしまう。
希望の都の広場と違い、そこは独特の雰囲気があった。
「あの人、ドラマで見たことが……って、あっちにもいる!」
ゲームでそういう事があるとは理解していても、実際に見ると驚いてしまう
画面越しではなく、体感型だからこそ驚く。
「でも、よく見るとバランスがおかしいような」
周囲を見ていると、そこに数人の男女が歩いてきた。
声をかけようとするが、明らかに相手の雰囲気がおかしい。
「君、もしかして初心者?」
奏帆は笑顔で対応する。
「はい。今日ログインしたばかりで――」
ただ、相手のプレイヤーたちは不満そうな顔を崩さない。
全員、俳優やアイドルの姿を模していた。
「そういう挨拶はいいから。ここ、君たちみたいにゲームをする人が来る場所じゃないの。ここはバカンスを楽しむ人たちの場所だから」
作り込んで似せただろうアイドルの顔だが、体のバランスがおかしい。体が少し小さく顔が大きく見えていた。
(……ドラマとかライブの映像を見ると思い出しそう。顔が思っていたより大きい)
本人であるアイドルには迷惑な話だろう。
だが、作り込んでいるだけに本物に見えてしまう。
「な、なら、すぐに出て行きますね。えっと……どこを進めば良いですかね?」
操作に慣れていないイナホが困っていると、集団のプレイヤーがイナホを突き飛ばす。
尻餅をつくと、それらしい痛みを感じる。
石畳の質感や、受ける衝撃は転んだときのそれと同じだった。
「目障りだからもうログアウトしてくれる。君たちみたいなの、見ていてイライラするんだよね」
集団が去って行くと、周囲のプレイヤーたちもイナホに関わらないようにしていた。
イナホは立ち上がって体を叩いて砂を落とす。
「あはは……な、なんか想像していたより酷いかも」
いきなり心が折れそうになるイナホだった。




