エピローグ
現実世界。
欠伸をしながら学園の廊下を歩く明人は、妙に学園が騒がしい気がした。
いつもより騒がしい。どうにも生徒たちの雰囲気が明るかった。
(なんだろう? 何かあったのかな?)
教室へと入ると、そこでは陸を中心に男子生徒が三人集まっている。教室内で騒いでいる三人が話している内容は、パンドラの箱庭についてだった。
「ついにやったな!」
「怠惰の次は傲慢だって噂だけど、どんな風になっているのか気になるよな」
「というか、勤勉の都ってなんか堅苦しそうだよな」
三人がそれぞれ、パンドラの箱庭について語っていた。
陸の方は周囲を落ち着かせながら、知っている情報を話すのだった。
「俺のところはVR喫茶だからさ。情報は早めに回ってくるんだよ。どうやら、七月に大型アップデートを行うらしいから、本格的にスタートするのは七月下旬か八月だってよ」
三人の男子が興奮気味に話をしていると、その話を聞いていた女子の集団もパンドラの箱庭について話をしていた。
「八月だって」
「え~、一ヶ月もプレイ出来ないの?」
「いいじゃない。どうせ予定があるんだし」
教室内を見渡してみれば、パンドラの箱庭をプレイしている生徒がほとんどだった。
(それで……でも、プレイヤーって結構いるんだな)
入口で立っていた明人に、後ろから声がかかった。
「退いてくれない」
「え? あ、はい!」
振り返った先には、摩耶が立っていた。
「ありがと」
明人が道を開けると、摩耶が教室内へと入っていく。すると、教室内の騒がしさが少しだけ下がった。
席につく摩耶を見ながら、明人は思う。
(委員長には関係ない話だろうな)
そう思いながら自分の席に向かうと、男子たちと話をしていた陸が小さく手を振ってきた。
笑いながら手を振り返すと、教室内に教師が入ってくる。
「静かにしろ。それにしても、今日はなんだか騒がしいな」
そんな教師の言葉に、女子が返事をした。
「知らないんですか、先生? パンドラで攻略組が世界を解放したんですよ」
改めて聞いてみれば、学校内で話す内容ではなかった。
だが、教師は笑っていた。
「そうなのか?」
男子が教師をからかう。
「先生、もしかしてパンドラのプレイヤーですか? 今度、一緒に遊んでみません?」
教師は笑いつつ受け流す。
「なんでゲームまでお前たちと一緒なんだよ。気持ちは分るが、あまり騒がないように。ほら、日直」
明人は笑い声の響く教室内で、静かに思うのだった。
(周りでもこんなにプレイヤーがいるのか)
パンドラを始めたばかりのような明人は、周囲にプレイヤーが多いことが分って少し嬉しくなった。
だが、同時に……。
(……誰も動画を見ていませんように)
……自分の動画を知らないで欲しいとも思うのだった。
アルバイト先。
店内は忙しい時間帯から解放され、少し落ち着き始めていた。
明人は子供たちが散らかしたお菓子が並ぶ棚を整理しており、八雲はレジで片付けやレジ袋の補充を行っていた。
仕事をしながら会話をする二人。
「おかげでずっとパンドラの話でしたよ」
今日一日を振り返り、パンドラで攻略が進んだことで学園中が騒がしかったと明人は八雲に説明する。
(もしかしたら、先輩もやっているのかな?)
少し気になり、話題を振ってみたのだが……。
「うちも騒がしかったわね。意外とお嬢様も多いのに、パンドラがどうとか……後輩も五月蝿くてね。それで、七月に予定を詰め込むとか騒いでいたわ」
自分もパンドラのプレイヤーである、とは答えない八雲に明人も「そうですか」と答えた。
(やっぱり、先輩はしてないかも)
そんな風に思っていると、八雲が明人に話題を振った。
「ねぇ、夏休みの予定とかどうなっているの?」
「え? な、夏休みですか!」
「そう。夏休みの予定」
八雲が笑顔で聞いてくるので、明人は興奮してしまう。
(もしかしてこれはアレかな! ついに本格的に遊びに行こうとか、そういう――)
「と、取りあえず車の免許を取ろうかと……」
八雲はそれを聞いて、日付を確認するのだった。
壁に備えられたモニターを操作し、シフト表を確認すると小さく何度も頷く。
「あ~、一年だもんね。そんな時期か……そうなると、ここがこうなって……やっぱり、二日は他の人と仕事になるか」
明人は先程まで照れていたが、顔色がすぐに元通りになる。
「え? あの……僕の予定を確認したの、って」
「いや、私とあんたはセット扱いだからね。その辺は気になるわよ。はぁ、誰と組むことになるのかな? それに夏休み中はバイト時間も増えるのよね」
まぁ、稼げるから良いけど、などと言う八雲を見ながら、明人は肩を落とすのだった。
「……ですよね~」
夜。
摩耶は色々と忙しい直人の家に来ていた。
慌ただしさは落ち着いたように見えるが、それでも家族の方は未だに悲しんでいるように見えた。
直人と二人で話をする摩耶は、やつれた直人の顔が少しだけ明るくなったのを見て安心するのだった。
「この前はありがとう。おかげで助かったよ」
「いえ、でもあの……」
摩耶が困ったようにしていると、直人も苦笑いをしていた。
「あいつには告げ口しないよ。ただし、あまり羽目を外しすぎるのもどうかと思うけどね」
摩耶が安堵してホッとするのを見て、直人は何とも複雑そうな顔をしていた。
「まぁ、人には見せられない顔というものがあるからね。しかし、摩耶ちゃんが女王様か……なんか複雑な気分だよ」
「あ、アレは違います! あのオークたちが勝手に!」
直人は「そう? 随分楽しそうに見えたんだが……まぁ、それはいいか」と言って本題を述べるのだった。
「本当にありがとう。聞きたいことばかりではなかったが、息子はあの世界で自由に駆け回り、遊んでいたと分った。まさか、俺に似せたアバターを使っているとは思わなかったけどね」
摩耶は落ち着きを取り戻すと、話を続ける。
「きっと尊敬していたのだと思います」
口では言わなかったが、アバターを父親に似せるくらいだ。きっとそういった想いはあったのだろう。
摩耶がそう言うと、直人は小さく頷いた。
「だといいんだけどね。……それと、俺もしばらく続ける事にしたよ。あそこで息子が何を見てきたのか気になるからね」
摩耶が微笑む。
「なら、案内しましょうか?」
直人が首を横に振った。
「流石にそこまでは頼めないよ。聞いたら、次の世界? そこに行くには俺では駄目らしいからね。邪魔にはなりたくない。それに、少しゆっくりしたい」
息子が死んでも忙しい直人は、そう言うと遠い目をするのだった。
「……今でも思うよ。一緒に遊んでやれれば良かった。きっと、楽しかったんだろうね」
直人が死んだ息子の写真と、その隣にゲーム内での写真を見ていた。
◇
「せ~の!」
希望の都に設置されたポータル。
そこに乗ったポン助たち三人は、節制の都を選択して世界の移動を体験すると三人同時に飛び降りた。
踏みしめた大地は短いが草が生い茂っていた。
周囲を見ると、建物に植物が絡みついている。中には、木が覆い被さったような建物も見られた。
マリエラが周囲を見ると、何やら興奮していた。
「なんだか目に優しそうな都ね。それに、NPCもエルフが多いわ」
対してアルフィーの感想は、
「植物に支配された都、って感じですかね。中央には……あの木、でかすぎません?」
中央には、まるで都全体の屋根であるかのような大きな木が存在していた。
太陽を遮っているはずなのに、節制の都はとても暖かな光に包まれている。
空を見上げれば、巨大な木の枝や葉が空を覆い隠していた。
すると、三人の目の前に突然画面が浮かび上がった。
「うわっ! ……レベルの上限を解放?」
そこには、節制の都へようこそ――歓迎の文字が書かれていた。
同じようにレベルの制限の一部解除。そして、友好度の上限解放。
更には希望の都から変更点も多いので、ギルドや神殿に向かうように書かれていた。
マリエラが周囲を見る。
「ギルドと神殿には行くとして、やっぱりここは節制の都を見て回らない?」
アルフィーは少しやる気が感じられない。
「そうは言っても、遊ぶところは少なそうですけどね。というか、なんか寂れているような雰囲気もありますよ」
破壊された建物――内部から木が成長して天井を突き破っていた。
そんな建物を使用して、NPCのエルフが商売を行っている。
「まぁ、その辺も用事を済ませてからって事で。……おっと、すいま――」
歩き始めたポン助は、急に飛び出してきた通行人とぶつかりそうになった。
立ち止まって謝罪をすると、相手はエルフのNPCである。
向こうも謝罪をしようとしたのだが、ポン助がオークだと分ると眉間に皺を寄せて急に態度が悪くなった。
ポン助に向かって「ペッ!」と唾を吐いてくる。
「なっ! ちょっと!」
マリエラが文句を言おうとすると、相手には態度を急変させ小さな胸の前で手を組んだ。
「まぁ、同胞の方ですね。ようこそ、節制の都へ。我々は貴方を歓迎しますよ」
「え、あ、はい。って、違う! あんた、ポン助に唾を吐いたでしょ!」
エルフのNPCは、とても穏やかな笑みで何のことでしょう? みたいな態度を取っていた。
アルフィーが思い出したように言う。
「あ~、ポン助はオーク種ですから、このような態度を取られるんでしたね。というか、ここはエルフが多そうなので、ポン助にとっては敵地のような――」
すると、NPCが明らかに呆れたような顔をして溜息を吐いていた。
「ヒューマンですか。はぁ、本当に下等生物は五月蝿いですね」
その言葉を聞いて、アルフィーが真顔になる。
「は?」
「あら、聞こえなかったのですか? これだから下等生物は嫌になりますね」
ポン助が額に青筋を浮かべたアルフィーを肩を掴んで止めると、マリエラが前に出て――。
「ほら、さっさと行くわよ」
すると、NPCは小さく手を振るのだった。マリエラだけには微笑んでいる。
「頑張ってくださいね」
アルフィーが叫ぶ。
「なんですか、今の態度は!」
憤慨するアルフィーを見た周りのプレイヤーが、笑いながら説明してきた。
「あ~、そいつはNPCの【クララ・ノイ・アグイ】だ。多種族に厳しい態度を取るNPCで有名だよ。他のNPCもそういう傾向が少なからずあるから、あんまり腹を立てない方がいいね」
どうやら、エルフは基本的に多種族に厳しいらしい。
だが、アルフィーは我慢ならないらしい。
「せっかく節制の都に来て、最初の思い出がこれとか!」
わざわざ説明してくれたプレイヤーは、笑いながら話すのだった。
「結構人気なんだよ。NPCにも友好度設定があって、友好度を上げると良い感じにツンデレらしいから、一部のプレイヤーは毎日のように貢ぎに来るくらいだ」
確かに、金髪碧眼で耳が長くエルフらしいエルフ――多くの人が想像するエルフだった。
アルフィーが何やら考え込むが、ポン助はそんなアルフィーを引っ張り移動を開始する。
「どうもありがとうございました。ほら、行くぞ」
教えてくれたプレイヤーにお礼を言って、ポン助たちはギルドを目指した。
ギルドの受付嬢もまた、エルフだった。
「ようこそ、ポン助様。運営より特別報酬が用意されています」
顔を出した冒険者ギルド。
そこは建物内部にも植物が生い茂り、なんとも不思議な場所だった。柔らかい芝生の絨毯に、壊れた柱に植物や苔が生えて椅子になっている。
そんな場所に顔を出し、受付に向かうと運営からの特別報酬を受け取った。
それは小さな笛である。
「こちら、移動に便利な馬を呼び出せる笛になっております。使用に際し、一度きりではなく何度も使用できます。ただし、ログイン一回に限り使用は一度まで。使う際はご注意ください」
笛を受け取ったポン助たちは、こんなものを貰って良いのかと思った。
「凄く便利ですね」
アルフィーも同じように思ったらしいが、マリエラは違う。
「貰えるなら貰っておきましょうよ。それに、くれるって事はこの程度は貰ってもたいして大きな違いは出ないって事でしょ」
確かにそうだ。ポン助はそう思うとギルドで簡単な説明を受ける。
「節制の都では依頼などの受け方も希望の都と変更はありません。ただし、多くがエルフによる依頼です。種族によって反応が違うので、注意してくださいね」
エルフが多い都である。
ポン助にとってはとても大変な場所だろう。
(う~ん、これから大丈夫かな?)
ギルドから出たポン助は、マリエラたちと一緒に早速笛を吹いてみた。
どんな馬が出てくるのか気になったのだが、マリエラの呼び出しに応えたのはまだら模様の馬――ナナコと旅をしたときに使用した馬だった。
「お前だったの? こら、舐めないでよ」
嬉しそうにしているマリエラと、馬。
アルフィーが呼び出したのは、気高そうな黒い馬だった。
「運営、実は面倒だからあの時の馬を用意しただけなんじゃ――って、痛い! 噛まないでください! この馬鹿馬!」
黒い馬に頭部を噛まれるアルフィーは、乱れた金髪を整えていた。
そして、ポン助の目の前には――。
「……やっぱりお前か。ちょっと期待していたんだけどな」
――馬と聞いて、ポン助は自分もサラブレッドのような馬に乗れるのではないか? そう思っていたが、希望は見事に打ち砕かれる。
「ぺっ!」
不満そうにしているのは相手も同じで有り、ポン助に唾を吐いてきた。
目の前にいるのはやはりロバである。しかも、あの時に一緒に旅をしたロバだった。
「……このロバがぁ! どっちが上か教えてやるよ!」
太々しい態度のロバに対して、ポン助は怒り狂い襲いかかる。
だが、ロバは振り返ると背中を向けて来た。
(こ、こいつ!)
馬鹿にされていると思い、そのまま掴もうとするとポン助はいつの間にか視界が空を見上げていた。
立派な太い枝と大きな葉が見えており、どうして自分が倒れているのか分らなかった。
マリエラとアルフィーが、そんなポン助の顔を覗き込む。
「ちょっと、大丈夫?」
「ポン助、少し落ち着きましょうよ」
ポン助は大の字に横たわりながら、ロバに負けたのかと落ち込むのだった。
近くでは、ポン助に勝ったロバが笑ったような鳴き声を出している。
「……いつか見返してやるからな」
ライバルがロバ、というポン助。
二人に大事そうに起こされ、そのまま馬たちを消すと神殿へと向かうのだった。その支えられて歩く背中は、なんとも煤けていたという。
◇
後日。
「見ろよ、明人! このスレを!」
笑いながらタブレット端末を明人に見せつけてくるのは、陸だった。
明人はジュースを飲みながらそのスレを見て驚く。
「【悲報】エクササイズマスターポン助、ロバに敗北【爆笑】!? ちょ、これって!」
どうやらロバに負けたところを見ていたプレイヤーがおり、それを掲示板に書き込んだらしい。
映像がないために、その時の状況が面白おかしく盛られて書き込まれていた。
「いや~、目立つ奴は違うな。しかし、ロバに負けるってなんだよ。普通にプレイをしていたら、ロバと戦う状況なんて有り得ないぞ」
嬉しそうな陸は、いくつかの書き込みを読み上げる。
「エクササイズマスターの癖にロバに負けたのか」
「エクササイズと戦いは関係ないだろ。というか、節制の都に入ったのか……レベル五十だろ? ロバに負けるって」
「ボブが聞いたら泣くな」
「え? トムだろ?」
「というか、どうやってロバに負けたの? 普通にやっていたら、ロバが出て来る事自体がないよね?」
「ロバに負けたのも凄いけど、ロバと戦えた次点で凄ぇよ。やっぱりポン助は凄いな。別に強くはないけど」
「あれか? つまり、ロバはチート野郎たちより強かった、って事か?」
「なんでチート野郎が出てくるの? ポン助はダンスマスターだろ?」
「エクササイズマスターであって、ダンスマスターじゃないよ。エクササイズで有名になる前に、希望の都でチート野郎を倒したの。結構盛り上がったのに、なんでダンスの方が有名になったんだ?」
「真面目に考えると凄いよな。ロバを相手に後ろ蹴り一発でKOされたんだぞ。俺なら恥ずかしくてログインできないよ」
「……そんなのはどうでもいい。美女二人に支えられて起き上がり、そのまま神殿に向かったのが問題だ」
「女王様とオッパイさんか。でも、中身はおっさ――すまない、誰か来たみたいだ」
「誰か動画とか映像持ってない?」
笑いながら読み上げる陸に対して、ポン助はわなわなと震えるのだった。
「待って。ちょっと待ってよ。なんで噂になっているのさ!」
「お前、目立つことに関しては本当に凄いよな。俺ならこんな目立ち方はお断りだけどさ」
明人は陸に対して、どうにかならないか相談するが、陸は笑って首を横に振るだけだった。
七月を目前に控え、季節は夏になろうとしている時期の話だった――。




