結婚システム
喫茶店で待ち合わせをしていた明人と陸の二人は、夏休みを少し残しており互いに近況を報告していた。
アルバイトで大変とか、大騒ぎの後に何かあったか? などとたわいない男子学生の会話が続く。
多少エッチな会話も男子学生らしいが、互いにある一線は越えなかった。
陸が恋人である大人の女性――鏡とどこまで進んでいるのか、や。
明人があの騒動以降に八雲や摩耶とどんな付き合いになったか、などだ。
聞いて欲しくない。聞かれても答えを濁すしかない。
互いにソレを理解しており、大事な部分には触れなかった。
さて、夏休みに話がしたいと言っていた陸は、学生が目立つ喫茶店でパンドラの話題を振るのだった。
「ところで明人君」
「急に何?」
君付けされた事で怪しむ明人を前にして、陸はスマホを取り出すのだった。
「実は合コンの話が来ている」
「詳しく聞こうじゃないか、陸君――いや、陸さん!」
合コンと聞いて目を輝かせる明人を前に、陸は何度か頷くと画像を幾つか見せた。
「……おい、ちょっと待てよ。これ、パンドラのアバターじゃないか」
明人は急に態度を急変させる。
理由は、画像に出てくる女性たちが、全員アバターだったためだ。
これでは中身が分からない。
アバターは絶世の美女でも、中身は中年のおっさんというのが珍しくない世界だ。アバターの外見など信用できない。
「怒るなよ。パンドラ内の合コンの話だから仕方がないだろ。お前、そう言えばゲーム内で結婚してないだろ」
パンドラはオンラインゲームであり、プレイヤー同士の繋がりを形にするのは珍しくなかった。
事実、結婚も存在しており、互いの種族や職業が相手に良い影響を――ステータスのプラスになる。
ただ、攻略組になると攻略に合わせて結婚相手を選ぶ。
普通のプレイヤーもステータス的に得になる相手を探す。
アバターであるから外見は生理的に無理なレベルでなければ受け入れられるし、結婚と言うよりも一種の軽い契約に近かった。
「……今更言われても困るかな」
明人にしてみれば、結婚の話は振れない方が良い話題の一つである。
誰と結婚するのかで揉めるからだ。
最近、リアルでギルドメンバーと出会って揉めたばかりである明人には、これ以上の揉め事は勘弁して欲しいのだ。
「それだよ。お前はギルドメンバーの誰かと結婚すると困る訳だ」
「分かっているならその話はしないでよ。というか、オークって種族的に冷遇されているから、結婚のメリットが少ないんだよね。おかげで相手にされないし」
オークはゲーム内で冷遇されている。
そこに喜びを求めプレイする連中もいるが、その冷遇は結婚というシステムでも発揮されていた。
オークと結婚しても、相手にはたいしたメリットがない。
なくはないが、それなら他の種族と結婚した方が大きなメリットが得られる。
種族、職業によってほぼ相手が決まっているような現状の結婚システムは、明人にとって――いや、オークにとって優しくないのだ。
陸はニヤニヤしていた。
「それがさ……そうでもないんだ。結婚システムは、純潔の世界を解放したことで大幅な変更が入る予定らしいぞ」
色欲の世界を解放したことで、出現する新たなる世界は【純潔の世界】。
なんとも結婚に縁のありそうな世界だ。
「予定? 確定じゃなくて?」
明人も陸も、運営で社長をしている情報屋と親しい関係だ。
陸がそういった情報を持っていてもおかしくはなかった。
「そこまで詳しい話を聞けるかよ。俺だって楽しみにしているから、サービス再開まで情報は待つさ。でも、変更が入るのは事実らしい」
詳しい内容までは分かっていないが、現状の種族によるメリットは見直されるという事を陸は明人に語る。
「それでゲーム内で合コン?」
「互いの相性チェックとか大事だろ。いや、ステータスチェックかな? とにかく、良い相手を見つけたいのさ」
結婚によるメリットは大きい。
ステータスの向上から、スキル強化。
または、レアドロップ率が僅かに向上する、など様々だ。
オークの人気がないのは、それらのメリットを相手に与えないためだ。
「……いや、言われても困るよ。結婚したら揉めるし」
何より、明人としても好意を抱いてくれている八雲や摩耶を裏切る気がした。それは明人にとって望むところではない。
リゾート地での一件も、二人が暴走したと言うより勘違いが起きたと明人は思っている。
睡眠薬も、興奮して眠れないかも知れないから持ってきた、という二人の言い訳を全面的に信用していた。
自分に盛るわけがない。
誰だってそう思う。
「馬鹿だな。ギルド内で揉めるから外で見つけるんだろうが。それこそ、本当に結婚システムを利用した関係だよ。お前はギルマスとして、今後はそういったステータス的な強さも必要になってくるんだぞ」
ギルマス――ギルドマスターには何種類かのプレイヤーがいる。
極端に言うのなら、組織運営に向いた強くないプレイヤー。
とにかくゲーム内で強いプレイヤーの二種類だ。
主に前者が大きなギルドを持つのだが、揉め事が起きた際や絡まれる際に多少の実力も必要だった。
パンドラの世界で、弱いというのは単純に努力不足。
一部の廃人とは違い、レベル差でどうにでもなる。
プレイヤースキルも磨けば誰もが一定まで到達できるのだ。
一部の。本当に一部の壊れた人たち以外は、誰もが平等と言える。
「お前ら目立つだろ? それを面白く思わない連中もいるし、そういった強化方法は積極的に取り込んでいけよ」
明人は悩む。
「それならギルド内で――」
「止めておけ。俺は前の事件で確信した。ギルド内だけは止めておけ。というか、なんで揃いも揃って酷い奴らばかり集まったんだろうな」
心外である。
明人は陸に抗議した。
「酷いって……確かにみんな頭のネジが一本か二本はズレているけど、結構いい人たちだよ」
内心で「でもライターは反省した方が良いかな」とか思っている明人だったが、本当にギルドメンバーを良い人だと思っていた。
その判断は間違ってはいないだろう。
陸は少し悲しそうな目を明人に向けていた。
「……お前がそう思うならそうなんだろうな。だけど、俺は……お前を見捨てられないから……だから、合コンをしよう。な?」
明人は思った。
(なんで僕はこんなに心配されているのかな?)
あまりにも陸が真剣に説得を試みてくるので、それなら一度だけならと了承する明人だった。
アルバイト先。
明人は段ボールを倉庫で片付けていた。
中に入った商品ごとに分けており、夏の暑さもあって汗が出てくる。
倉庫内も一定の温度に保たれてはいるが、必要最低限だ。
「はぁ……疲れた」
そんな明人の近くで作業をせずスマホを持っているのは、中学生の期間限定アルバイトで来ている男子中学生だった。
「……あのさ、仕事中だからスマホは駄目だよ」
注意する明人に、男子中学生はスマホを持ったまま答える。
「え、それって新人いじめですか? 別に客がいる前で触っていませんし、余裕があるときにスマホを触るのも駄目とかブラック過ぎません? それって店の方針ですか? 先輩が勝手に駄目って思っているだけじゃないですか?」
まるでネットで覚えてきた言葉を並べている男子中学生を前に、明人は辟易するのだった。
去年は雪音が来てくれていたので助かったが、今年はどうにも外れを引いたらしい。
「片付けたのは僕だよね? 君、一つも片付けていないんだけど?」
男子中学生はニヤニヤ笑っている。
「いや~、きついっす。俺って重い物持てないんで」
スマホの画面がチラリと見えた。
普通なら見逃すような一瞬だったが、明人には見えている。
ソーシャルネットワークサービスの画面。
『今、アルバイト先で先輩にいじめを受けていますwww 対策募集中www』
その書き込みに対して。
『高圧的な使えない奴ってどこにでもいるよね』
『高校とかランクは? どうせ大したことない先輩だろ』
『この時期にアルバイトをしているお前も負け組』
そんな書き込みが次々に表示されていた。
明人は本当に嫌になる。
「規則だから。というか、説明は受けたよね? アルバイト中に緊急じゃない連絡のやり取りとか、SNSはしない、って教わったよね?」
正論を言うのだが、相手は笑っていた。
「あ~、やる気なくしますわ。せっかくやる気だったのに、先輩のせいでやる気なくしますわ」
アルバイトをして少し背伸びをした感じの男子中学生だった。
嫌になったのと、片付けも終わったので倉庫を出る明人。
「あれ、逃げるんですか? 何か言い返してくださいよ」
チラチラスマホの画面を見ながら煽ってくる男子中学生を無視していると、バックヤードには八雲の姿があった。
時計を見れば、もうアルバイトの時間が終わろうとしている。
店のエプロンを外した八雲を見て、男子中学生が姿勢を改めた。
「先輩、もう終わりですか? すみません、手伝いたかったんですけど、ちょっと手間取っちゃって」
明人をチラチラ見て、まるで責任を押しつけているようだった。
女子高校生。
しかもスタイルが良く美女となれば、男子中学生も固くなる。ただ、明人からすればここまで態度を変えられる目の前の男子中学生が逆に凄く思えた。
(僕なら喋れないや)
事実、八雲と仕事をするようになって、まともに喋れるようになるまで時間がかかった。
彼のこういうところは見習うべきかも知れないと思っていると。
「……そう。なら、次からは頑張ってね。シフトは違うからもう会わないと思うけど」
それを聞いて男子中学生が慌ててシフト表を見た。
「へ? あ、あれ?」
明人は背伸びをする。
(今日は休日出勤で、昨日はシフト変更だったからな。勘違いしちゃったのかな?)
男子中学生が、もうシフトが重ならないと分かって肩を落としているのを後ろから見ていると八雲が視線で合図を送ってきた。
帰り道。
明人と八雲は並んで歩く。
「夏祭りですか?」
「そう、夏祭り。夏休みの最終日が日曜日でしょ? それで、小さなお祭りをするんだって」
地元のお祭りがあるので、良かったら参加して欲しいと社員のおばちゃんに言われた八雲は明人を誘っていた。
「夏祭りか……」
八雲の期待した目に、明人は頷く。
「いいですね!」
「でしょう! ほら、少し夏休み気分を味わって終わりたいじゃない。……色々とあったし」
「……ですね」
リゾート地での二日目は、警察に取り調べを受けるという最悪の思い出になってしまったのだ。
最後くらい、夏休みらしく終わりたい。
そう思った八雲の気持ちを明人も分かった。
だが、ここで忘れていることがある。
その原因を作った一人が、八雲本人という事実だ。
「パンドラもサービスを再開するし、またギルドで集まって大騒ぎよね。そう言えば、ゲーム内でもお祭りがあるのよね?」
夏休みにサービス再開をするので、各世界でお祭りをする事になっていた。
課金も夏休みの特別価格になっており、明人も少しばかり多めに課金するつもりだった。
何気に家族への意趣返し的な気持ちがあったのは秘密だ。
「どんなお祭りですかね?」
「久しぶりにログイン出来るから楽しみで仕方がないわ」
そうやって話をしている明人たち。
そんな明人たちの近くを大学生のカップルが歩いていた。
「ねぇ、誕生日のプレゼントはプリペイドカードが良いな。ほら、夏休み期間中で課金アイテムが安いの。どうしても欲しい素材があるんだ」
甘えてくる女子大生に、男性の方は困った顔をしていた。
「また? いや、別に良いけどさ。もっとバッグとか服とかあるんじゃないの?」
「高いじゃん。それなら課金して二人で素材集めの方が良いわよ」
男子大学生がその言葉に少し嬉しそうにしている。
「そ、そっか。なら、奮発しようかな」
「取りあえず、一回ログインするごとに一万円として……三日で欲しい素材が集まると良いんだけど」
「何が欲しいの?」
「デザイナーさんが生産職をやっているんだけど、作る装備がとにかく可愛いの! 必要素材とは別にレアアイテムもいるんだけど、その人の装備をしていると目立つから絶対に欲しいんだ!」
男子大学生は一言。
「……なんだ、ゲーム内で着飾るのか」
ポツリとこぼすも、現実でバッグを購入されるよりも安いので文句を言わなかった。
仲の良さそうなカップルは、夏の暑い夜も腕を組んでいた。
楽しそうに会話をしているが、その話の内容のほとんどはパンドラに関する事だったのだ。