近いけど遠い
「ありがとうございました~」
自動ドアが開いて客が白いビニール袋を二つ持ち、店から出て行く。
小さいながらもスーパーである【マイルド】は、客層としては主婦が多かった。
明人がアルバイトに入るのは大体十七時である。
パートや仕事帰りの主婦、時に男性たちが立ち寄って日々の足りない物を購入していくという感じだった。
近くには一軒家にアパート、そしてマンションが建ち並んでいる。
少し歩けば大型スーパーなどもあるのだが、やはり便利なのかマイルドを利用している客も多かった。
明人はお客が店内にいなくなったのを確認して、肩を回した。
最近、特に優しくなった八雲が声をかけてくる。
バックヤードから段ボール箱を一箱持ち込んできていた。
「おつかれ。随分慣れたんじゃない?」
仕事ぶりを褒められ悪い気はしない明人は、段ボールを持とうと八雲に近付いた。
「あ、先輩。僕が持ちますよ」
「これくらい良いわよ。それより棚の整理を進めてくれる? 私たちが来る前に小学生たちが結構来たみたいなのよね」
お菓子の棚やアイスの並びがグチャグチャになっている場所があった。
(パートの人たち、最後に並べていかなかったな)
明人たちが仕事に入る前には、主婦二人がパートとして店に入っていた。だが、引き継ぎの時はかなりノンビリしていたように見えたのを覚えていた。
「時間があるなら直して欲しいですよね、本当に」
明人の言いたい事を察したのか、八雲は小さく笑うのだった。
「そうよね。あの人たちの後は片付けが大変――」
そこまで言ったところで、八雲が口を閉じた。
バックヤードから正社員の男が店内に入ってくる。
正社員の【栗田 風斗】は、三十歳の男性社員だ。
髪を茶髪にして少し伸ばしており、小太りで垂れ目が特徴的だった。背丈は普通であり、明人と同じくらいだ。
そんな栗田は明人を睨み付ける。
「バイト! 喋ってないで手を動かせ!」
「は、はい!」
明人が栗田の顔を見て嫌な顔をする。理由は栗田が人として嫌な部類の人間だからだ。
仕事に対して厳しい訳でもなく、時より本店から支店であるマイルドに来て社員の仕事をしているだけだった。
栗田がイライラしながら呟く。
「これだからなんの才能もない奴は駄目なんだ。それに引き替え、八雲ちゃんは今日も仕事を頑張ってくれているね。俺、君のことはしっかり報告しておくね」
明人と明らかに違う声色で、八雲に対して下手に出ていた。
そんな栗田の態度に下心があるのを分かっているのか、八雲も呆れた顔をしている。
「別に普通に報告して貰って構いませんけど? それより、なんで表に出て来たんですか」
社員は裏で色々とチェックをするのが仕事である。
接客や品物の補充などはアルバイトに任せるのが、マイルドでは普通だった。
たまに新人がいれば教育係として仕事を教える事もある。
「いや、今はお客さんもいないからさ。それに、八雲ちゃんすぐに表に戻っちゃうから……そうだ! 八雲ちゃん、これに興味ない?」
レジ近くに置いてある棚には、カードが沢山かけられている。
カードゲームのカードもあれば、電子マネー……栗田が手に取ったのは、パンドラの箱庭の電子マネーカードだった。
ポイントは一万と書かれている。
八雲が眉間に皺を寄せる。
美人が怒った顔というのは、迫力があるとおもいながら明人は棚の整理を行っていた。
「それがなにか?」
「実は俺も始めたんだけど、これが本当に面白いんだ。興味があるならやってみない? 俺は普段十一時くらいから――」
八雲は溜息を吐く。
「結構です」
明人はその様子を見ながら、八雲がお嬢様の通うような女子校に在籍しているのを思い出した。
(そう言えば、志方先輩は有名な私立の女子校に通っていたな。やっぱりゲームとか興味ないんだろうな)
そんな感想を抱きつつ、明人は会話に耳を傾けていた。
「そう言わないでさ。やってみれば絶対に楽しいから。ね?」
八雲が嫌そうにしているのを見て、明人は不意に人が近付く気配を感じた。視線をそこへ向ければ、自動ドアの向こうからお客が入ってこようとしている。
「いらっしゃいませ!」
大声を上げると、しつこく八雲に迫っていた栗田が慌ててドアの方を見た。
入ってくる客に挨拶をしつつ、自分の方はバックヤードへと下がっていく。
客が買い物をするために店内を歩くと、八雲が近づいて来た。
「ありがと。それにしても、入ってくる前によく気が付いたわね」
明人は髪をかきながら、照れ隠しで嘘を言う。
「いや~、見えていましたから。というか、先輩も大変ですね」
支店に来る正社員の中でも、栗田は特に嫌われていた。
八雲も頷く。
「本当に勘弁して欲しいわ。ほら、手伝うからすぐに終わらせましょ」
二人で棚の整理を始める。
明人は先程の事を考えるのだった。
(おかしいな。なんで僕は人が来るのを感じ取ったんだ? ただの勘なのかな?)
◇
次の日。
学園の教室で明人は困惑していた。
「え? 僕が残って手伝いを?」
放課後、呼び止められた明人は意外な人物に声をかけられた事もあり、少し狼狽していた。
「そう。今日はアルバイトじゃないわよね? お友達の青葉君はアルバイトだから声をかけられなかったのだけど」
同級生である市瀬摩耶に声をかけられ、作業を手伝って欲しいと言われたのだ。
持っていた荷物を明人は机の上に置く。
「まぁ、帰ってもやることはないからいいですけど」
摩耶が少し目を細めた。
「なんで敬語?」
「いや、なんとなく?」
エリートである摩耶との間に確かな壁があるのを感じつつ、明人は作業を手伝うことにした。
頼まれたのは学園全体のアンケートである。
わざわざ紙を使ってアンケートをしたのは、書くという作業を忘れないようにするためという理由だ。
だが、そのためにわざわざそれらアンケートの集計を行う必要があった。
クラス単位でまとめるのだが、その手伝いをするように摩耶に言われた明人だった。
(別に委員長だけでも良い気がするけどな)
クラスの人数は男女合わせて二十名。
別に手伝う必要があるように感じられなかったのだ。
実際、すぐに作業は終わってしまう。
集計を終えた摩耶は、溜息を吐いてすぐに明人にお礼を言うのだった。
「ありがとう。……随分早く終わったわ」
「う、うん。えっと、それじゃあ先生にメールで集計のデータを送れば終わりだね。僕はこれで――」
立ち上がる明人に、摩耶は待ったをかける。
「ちょっと待って」
「はい?」
明人が立ったまま待っていると、摩耶が何やら言いにくそうにしていた。
「あ、あのね……」
「う、うん」
明人は内心で、
(も、もしかして告白か! そ、そうだよね。こんな作業、別に手伝う必要もなかったし、わざわざ呼び止めてこんな顔を赤くして困っているのは――)
一人興奮する明人に、摩耶は言うのだ。
「あのね……男の人、ってなんて言えば喜ぶのかな?」
「……は?」
固まった明人が、摩耶に事情を聞けばなんと気になる男性がいるらしい。その人物とは友人のような関係で、もっと仲良くなりたいのだがきっかけがないというのだ。
「最近少し仲良くなったんだけど、なんというかそこで止まっているような気がして」
「ふ~ん」
話を聞きながら、明人は思った。
(あは、あははは……いいんだ。少しの時間だけでも良い夢が見られたし。うん、そうだよね……僕にそんな美味しい話がやってくるわけがないよね。……ちくしょうぉぉぉ!!)
内心で泣き叫びながら話を聞いていた明人は、摩耶の話を聞きながら相槌を打って聞き流していた。
大体、内容が――。
「仲良くと言っても男女の関係とかそういうのじゃないの!」
「でも、なんとなくそのままも嫌で……凄い良い人で、頼りになるから友達も放っておかないって言うか……」
「もう一人、知り合いと一緒なんだけどやっぱり気になっていると思うの。だから、なんとかしたいな、って」
――これである。
男女の関係に進みたいのが明白だった。
(きっとアレだね。上流階級の人間関係、って奴? 僕にはどうすることも出来ないと思うな)
上流階級の話をされても、明人には的確なアドバイスなど出来ない。
このまま冗談を言ってしまえば本気で実行しそうな摩耶を前に、明人はどう言えば良いのかと思案する。
(下手なことを言って失敗したとか言われて恨まれたくないな。なんて言えば良いのかな? というか、僕にだって恋愛経験はないのに)
明人はそこまで考え、摩耶に言う。
「えっと、もっと言葉で伝えるとか? 何かして貰ったらありがとう、とか。間違っていたらごめんなさい、っていうのは必要だと思うよ」
互いに恋愛経験のない明人と摩耶。
結果的に出たのは、もっと言葉で伝えていこうという当然の事だった。
◇
「はぁ、最悪だよ」
「何が最悪なのですか?」
ゲーム内。
宿屋の一階にある食堂でテーブルを囲むのは、ポン助とアルフィー……そしてマリエラだった。
マリエラの方はカウンターへと新たな注文をしに行っている。
巨体であるオークが肩を落とし、そして話をするのだ。
「実はリアルで恋愛相談を持ちかけられたんだ」
アルフィーが飲んでいたジュースを噴き出しそうになり、咳き込んでいた。
「……ポン助が恋愛相談を受けたんですか? 意外ですね。まさか経験から色々と相手に教えたとか?」
探るようなアルフィーの言葉に、ポン助は手を振る。
「ないない。恋愛経験とかないんだよ。呼び止められて何かと思えば恋愛相談だよ。はぁ、勘弁してよ」
アルフィーは少し嬉しそうにしている。
「そうですか。経験がないんですね」
経験がないと言われ、卑猥なことを考えたポン助は頭を横に振った。中身は健全な男子高校生だ。
思考がすぐにそちらに行ってしまう。
すると、マリエラが帰って来た。
「なんの話をしているのよ? 私も混ぜなさいよね」
ポン助の背中に飛びついたマリエラを見て、アルフィーが少しムスッとしていた。
「実は恋愛相談をリアルで持ち込まれたんだよね。けどさ、そういう経験がないからアレで良かったのかな、って後悔しているところ」
マリエラが椅子に座ってテーブルに並んでいる料理に手を伸ばす。
ほとんど残っていないのだが、空になった皿の数は十を超えていた。
「別に気にしなくていいのに。なに? もしかしてその子に気があったの?」
ポン助が肩を落とす。
「なんていうか、クラス内というか学年でも一番なんだよね。高嶺の花って言うか」
アルフィーが腕を組んだ。
「高嶺の花ですか。いいですね。私もそんな感じならもっと……」
マリエラがポン助の肩に手を乗せる。
「あ~、それはきついわね。好きだったというか、憧れている人から持ちかけられる恋愛相談とか……でも、相手は少なくともあんたを嫌ってはいないんだしいいじゃない」
ポン助がチビチビとジュースを飲む。
「まぁ、そうなんだけどね。でもなぁ……なんかモヤモヤするなぁ!」
アルフィーがマリエラを見る。
「マリエラはそういう話はないんですか?」
マリエラが天井を見上げ、少し考えてからキッパリと――。
「ないわね。最近は充実しているし。あ、でも職場の社員がなんか嫌。毎回、寄ってきて一緒にゲームをしようって言ってくるのよ。もう私、ゲームしてます! って言ったら時間帯合わせてきそうだし」
ポン助が頷く。
「あぁ、そう言えば僕のところでもそんな人がいましたね。誘われた人は興味がないのか断っていましたけど」
マリエラがポン助の話を聞いて肩をすくめた。
「どこにでもいるのね」
「いますよね~」
どうにも仕事関係の話では割り込んでこないアルフィーが、店員が近づいて来たのを感じたのかそちらを見た。
ポン助は店員が来ていると、スキルのおかげで分かっていたので振り向かない。
だが、テーブルの上に並んだ料理には驚いた。
「マリエラ、また随分と頼みましたね」
持ってきた皿には真っ赤なロブスターが三匹。
大きな肉の塊。
パエリア風の食べ物とその他にも色々とあった。
「いいじゃん。沢山食べても太らないんだし」
アルフィーも「それもそうですね!」などと言ってロブスターに手を伸ばし、そのまま手掴みで食べ始めた。
二人とも随分とゲームの世界に馴染んできている。
対してポン助はナイフとフォークで大きな肉を切り分け、二人の皿に取り分けていた。アルフィーが照れたように「ありがとうございます」と言ってくる。
「二人とも、ワイルド過ぎない? もうちょっとお淑やかに食べなよ」
周りがそんなポン助パーティーを見て笑っていた。
「なんだ、オークの方がしっかりしているじゃないか」
「女の子二人がみっともないぞ」
「普通逆だろ」
からかうような、そして分かっていて楽しんでいるような声にアルフィーもマリエラも適当に返事をするのだった。
アルフィーは普段からこの食堂で顔を合わせるプレイヤーに、
「お淑やかにだって出来ますよ。でも、こういうのはかぶりつくべきと教えてくださったのは貴方たちでは?」
「違いない!」
マリエラもワイルドにロブスターを食べ終わると、ポン助に絡む。
「ねぇ、ポン助ももっとワイルドに食べようよ。絶対に似合っているからさ」
ポン助は首を横に振った。
「似合いすぎて怖い、って言ったの二人じゃん!」
ポン助のそんな叫びに、周りのプレイヤーたちは大笑いをするのだった。