7 記憶-目撃者たち-
この話と次の話で、最後の過去編終了です
今日も、3人は隣の特進高校の校門で、直文を待っていた。
しかし、いくら待っても直文が校門に現れることはなく、やがて放課時間は過ぎていき、現在時刻は午後4時38分を差している。
学校生活で一番に好きなのは放課時間だ、と事あるごとに口にする直文。
いつもなら、一番に校門から出てくるのだが・・・
堪り兼ねた智が、校門から出て来た女子高校生の胸元に光る、直文と同じ3-2のバッヂを確認し声をかける。
「あの・・・すみません。直文・・・あ、いや榊君、今日は欠席なんですか?」
「榊?ああ、今日来てたよ。でも朝から様子がおかしかったなー。ずっと青い顔してて。それで、2限終わった途端、鞄引っつかんで教室出てったよ。早退でもしたんじゃない?」
彼女は目立つ茶髪を弄りながら、教室での直文の様子を軽薄な口調でぶっきらぼうに話す。
3人は彼女に礼を言うと、水溜まりを避けながら、直文の住むマンションへ向かった。
直文の住むマンションの敷地に入ると、3人は裏へ廻り、薄暗い1階駐車場の奥にある非常階段の重い扉を押して中へ入る。
305を目指し、階段を駆け上がった。
部屋の前まで来た時、室内から言い争う声がする。
何か尋常でない様子。
『親父!いい加減にしろ!!』
直文の声だ。
彼のあんな怒鳴り声など聞いた事がない。
何事だろうと、3人は顔を見合わせた。
『そんな事絶対許さねぇぞ!目を覚ましてくれ・・・!どうしても行くっつーならな、警察呼ぶからな!?』
「け・・・警察・・・!?」
3人の表情が凍り付く。
直文を安じてここまで来たのだが、予想外の事態に、秀助はチャイムに触れるのを躊躇っていたその時、別の怒鳴り声とともに、扉が開いた。
「親に口答えするんじゃない!!誰のお陰で食えてると思ってる?お前は黙って家にいろ!これは重要な取引なんだ!」
見覚えのある中年男性、直文の父親が乱暴に扉を押し出て来て、3人には見向きもせずに足速にエレベーターへと向かって行った。
「おい!!待てよ親父・・・あ!?」
父を追って部屋から出て来た直文は、3人に気付く。
戸惑う友人3人以上に、直文は動揺を隠せない様子である。
「何・・・やってんだお前ら・・・」
「何じゃねーよ!何だよ今の!警察ってどういう・・・」
「うるせぇ。」
直文は、秀助の問い掛けを遮った。
それも、恐ろしく冷たい一言で。
「お前らには関係ねぇよ。」
「関係なくないよ!!」
一希が叫んだ。
3人を突き放すような直文の言葉は、彼らに火を付ける。
「直文くん、何で俺らがここに来たかわかってる!?君のいつもの顔、見るためだ。でも・・・」
一希の張り裂けそうな胸が、彼の言葉を詰まらせた。
バトンを受け取ったのは智だ。
「学校を飛び出したり、怒鳴ったり・・・その上、今・・・。僕らが心配するのは当たり前だろう?」
「関係なくなんかねぇよ。」
必死な3人に、ようやく直文の表情が少しばかり和らぎ、彼は目を泳がせる。
「・・・・う・・・。で・・・でも・・・」
「でも、何だよ!?さっきの言い争いはいったい何なんだ!?」
「・・・お前らには・・・関係ない・・・」
「関係あるって!!!」
ついに秀助は怒鳴り声を上げ、直文の胸倉を掴み乱暴に引き下ろす。
彼は、黙って俯いていた。
ここまで弱々しい彼を、3人は初めて見た。
少し黙った後、ついに折れた直文は、ぽつりぽつりと事態を話し始めた。
「・・・俺の親父が・・・俺の親父、大企業に勤めてるって言ったよな?・・・貿易会社なんだけどよ、親父、そこで幹部やってんだ。・・・そんで・・・。おい、先に言っとくがお前ら、これは榊家の問題だから、絶っ対に首突っ込むなよ?」
「わかってる。」
「それならいい・・・。で、次の貿易の取引なんだけど・・・裏の密輸業者と・・・大麻の取引を行う・・・らしいんだ。」
「た・・・大麻・・・?」
声を震わせる秀助を前にして、無関係の彼らにこのような事情を話していることに対する罪悪の念を浮かべつつ、直文は唇を噛む。
それでも、言葉を絞り出すように話を続けた。
「昨日、ウチに来た会社員と親父が話しているところを、偶然聞いてしまったんだ・・・。親父、俺が家にいる事気付かなかったみたいだな・・・。昨日、結構な土砂降りだっただろう?靴濡れちまったからさ、ベランダで乾かしてたんだよ・・・。」
"大麻"という単語は、授業で何度も耳にした。
しかし、それらの恐ろしさをを嫌と言うほど聞かされていたため、こんな平和な日常からは、遠い世界の存在で、自分達には一生縁のないものだと、まだ若い彼らは認識してしまっていた。
今それがこんなにも近くにあることを知り、3人は怖くなった。
智は、直文への問いかけとともに、眼鏡の奥から憂心の視線を投げる。
「直文、どうするんだ・・・?」
「止める…。親父を止める!いくらなんでも、親父にそんな事させるわけにはいかない!」
そんな直文の言葉には、犯罪者になろうとする自分の父親を案じる心が、強く秘められているのは明らかだった。
「でも!危ないよ!!」
父親を追ってエレベーターへ向かおうとする直文の服を、一希が掴むも、その手はピシャリと払われた。
「首突っ込むなって言っただろ!?」
直文は、とてつもなく辛い表情を彼らに向ける。
「ついて来んなよ・・・。そう、危ないんだ。お前らまで、危ない目に合わせるわけにはいかない。これは最年長の責任だ。」
その一言が、彼を引き止めようとする3人の脚に釘を打っ。
「こんな時だけ・・・狡いよ・・・。」
いつも対等であるはずだった直文。
今さら年上面する彼に、秀助は絶望するかのように俯いた。
そんな秀助に反し、彼は先程の緊迫した表情とは打って変わった、無邪気な笑顔で笑うのだ。
「ははは。狡くて結構!また明日な!寄り道すんなよ!帰るまでが学校だからな!」
「小学生じゃねーよ!」
遠ざかる直文の背中へ、秀助は叫んだ。
しかし、それで納得する3人ではない。
直文の存在は、親友としてとても大切なものだった。
誰が止めようと、聞入れる事はない。
3人はこっそりと彼の後を追い、赤い夕日の下、街道を走り抜けた。
辿り着いたのは、桜田市の東側にある埠頭。
海は数百メートル先であるにも関わらず、潮の香りとさざ波の音がコンテナ群の間を縫って届いてくる。
直文を見失った3人は途方に暮れていたが、ふと、智が上空を見上げた。
「ねぇ、あれ・・・」
彼らの真上に首を伸ばすようにそびえ建っているのは、コンテナ運搬用の巨大なクレーンだ。
褐色の鉄骨は夕日を逆光に、不気味なシルエットを演出し埠頭に立ちつくしていた。
3人は、立ち入り禁止のプレートを打ち付けられた真新しい塗装の柵を乗り越え、クレーンの上部に見える足場へと急いだ。
若い身体能力に身を任せ、急な階段や梯子をすいすいと駆け上る。
そして足場へと到達できた時、コンテナ群、レンタル倉庫、船着き場など、広大な埠頭の土地が一望できた。
しかし、錆び付いた鈍色のコンテナが並ぶばかりで、彼らのお目当てのものは見受けられない。
いくらこの高所であっても、人間一人見つけるのは苦難であるだろう。
・・・人間一人ならば。
現在の場所からそう遠くない、距離にして200メートルほどだろうか、ざぶざぶと波が打ち付ける埠頭の端、コンクリ上に等間隔で並ぶ係船柱の一つに、ぽつりと繋がれる白いボートを見て3人はぎょっとした。
停船したボートから、作業服を着た2人の男が、両手に抱えるほどのダンボールを運び出している。
その船着き場にはその男らの他に、7人の人物が集っているのが確認できた。
白いカッターシャツや、カジュアルな洋装など、纏う衣服は様々だ。
「あ、直文の親父・・・!ほら、一番端の・・・。」
3人の中でも抜群に視力がいい一希が声を上げる。
秀助と智も、一希の言説が指す先に直文の父親を見つけた。
「ちょっと待て、あれ・・・もしかして・・・?」
直文を見つけたのか?そう思った智と一希は、神妙な声を発した秀助を横目に見るが、どうやらそうではないらしい。
たった今ボートから下船した、作業服を着た二人の人物が抱えるダンボール。
居合わせる直文の父親、殺風景な海上に目立つボート、そして、取引の現場だと容易に見て取れるその状況は、あのダンボール中身が、直文の言っていた大麻だという結論に辿り着くには、時間を要さなかった。
「作業服の奴ら、書類みたいな物をスーツの人達に渡してる・・・。」
と、一希が、彼らの内の一人、明らかに他の人物とは別の立場の人間であることがわかる、カッターシャツを纏った緑かかった茶金の短髪の男が、A4のサイズと見える紙を取り出し、隣の小太りの男に渡している。
「書類?もしかして、取引の契約書じゃないか?」
「書類を回してハンコ押してるみたい。次・・・直文の親父の番だよ。」
眉をひそめる智の見解を聞いた一希は、手摺りを掴んで身を乗り出だした。
一希の言う通り、先ほどマンションの廊下で見た直文の父親が、今まさに契約書を手に取る。
彼がペンを紙面に下ろす動作をしたその時。
埠頭に、聞き慣れた声が響いた。
「親父!!やめてくれ!!こんなこと・・・」
コンテナの陰から走り出たのは、直文だった。
直文の悲痛な叫びと、その場にいる人間達の微かなざわめきは、秀助達の耳にも届いてくる。
しかし、居合わせた人物達の中で最も動揺しているのは直文の父親であるだろう。
後ずさりつつ、彼も息子に向かって叫ぶ。
「直文!!何故来た・・・」
その瞬間、先程書類を取り出した男の腕が動き、直文の父親の声と、銃声が重なった。
世界から、音が消えたように思えた。
自分達の鼓動の音すら聞こえない秀助、智、一希の目に、よろめきつつ膝を付き崩れ落ちる直文の姿が、遠く、はっきりと映し出される。
地に横たわる彼の胸から、綺麗な赤が広がった。
「直文!!!」
直文の父親は、彼に駆け寄った。
「直文・・・直文・・・!きゅ・・・救急車・・・」
そして、二度目の銃声。
直文の父親が、PHSを取り出そうと懐に手を入れたその瞬間だった。
この日、この埠頭で、二つの命が消えた。