術者、猫又に取り憑かれる。の巻
この長い歴史を持つ日ノ本の国の中で、化生につかれる術師など、かつていただろうか。
「ねーねー、ともなりぃ!」
久しぶりのまとまった金を抱いて、俺は小屋の中で眠っていた。退魔をした村の有志が貸してくれた粗末ながらも雨風しのげる小屋で、俺は蓆をかぶって寝ている。
「お魚食べたいー!」
正直、今日の疲れは今日のうちに癒したい。だのに、この化け猫は俺をひっぱりまわそうと小突いてくる。
「自分で獲ってくりゃあいいだろ。川は目の前だ」
「お水入りたくない」
そうだろう。化生とはいえ、冷たさや暑さを感じるらしい。今は、初夏。雪解けの水が溶けこんだ川の水は凍えるように冷たい。
「じゃあ朝まで我慢しろ。なべの中身全部食っていいから」
「いーの!」
おつむが残念というか。俺に憑いた化け猫は人の形を持ってはいるが、頭の中身は子供と大差ない。やかましい。
ようやくおとなしくなったと、眠りに入る。だが、不意にヒヤッと背筋が寒くなり、飛び起きると彼女が俺の腕の中に入ろうとしていた。
「てめえ……」
「あ、ごめん。起こすつもりなかった」
「……」
安眠を妨害された俺は半眼になって思わず調伏用の懐剣に手を伸ばしていた。
「お化けも寒いんだよう」
猫耳をプルプルさせていっても何も動じない。俺の頭は、こいつを今ここで調伏して自由になるか否かを考えていた。
「それ、なに?」
「お前を地獄の底に叩き落とせるいい道具だ」
「それやだ」
「だったら宿主の気分害するマネするんじゃねえよ!」
「はーい」
おとなしく火鉢のそばで獣の形になって体を丸めた化け猫に俺は深くため息をついた。
声にこたえたのが間違いだった。
ため息をついて、蓆をかぶって、俺は三日前のことを思い出していた。
雪がちらつくのではないかというぐらい冷え込んだ日だった。
和尚に言われて強い霊力を持った化け猫の調伏を手伝いに行って、うっかりその封印を解いてしまったのだった。うっかりじゃないが、和尚にはそういって、それをどうにかするまで戻ってくるんじゃねえと叩き出されたのだった。
「海を見たいの」
岩に封印されていた化け猫は、仮の姿を霊力でかたどって黒猫の形で俺に語り掛けてきた。
「海?」
「そう。大きいお水場があるって姉様が言ってたの。もう、私も封印されすぎて、あとは枯れるのを待つばかり。だから、最期のお願い。海が見たいの」
そういって、そうしたらとっととあの世に逝ってくれるんだなと念を押しながら彼女の封印を解いて、そして、悪さができないように俺の霊力で縛り上げたらこのざまだ。
海が見たいという言葉にひかれてしまったのが間違いだった。
とっとと海に行って彼女をあの世の、輪廻転生の輪に加えないといけないと俺は深くため息をついて目をつぶった。
いつの間にか仰向いて眠っていたようで、朝日に起こされる。猫は火鉢の隣でまるくなっている。尻尾がパタパタと動いていることから、起きているらしい。それを見て、俺は、浄衣に着替えて外に出ると、日課の水垢離を始める。
朝特有の湿っぽい、霧交じりのひんやりとした空気が小屋の立てつけの悪い引き戸を開けると入り込む。
「ともなりー?」
猫がしゃべりながら出てくる。水しぶきがかかるだろうが知らねえ。
井戸から汲んだ水を頭からかぶって、祝詞を口ずさむ。
和尚といったが、流れは修験者の流れをくんでいる。要は何でもありなごっちゃ煮宗教。
「ひゃっ」
案の定水しぶきがかかったらしい。飛び退ったらしい猫の悲鳴。
俺も本当はこんな寒いことは避けたいんだが、しなければ日常に支障が出てくる。
「ともなり寒いー」
「俺も寒いわっ」
すべての工程を終わらせて、がくがくと震える体を抱きながら小屋の中に入って急いで着替える。そして、沸かしておいた白湯を口に含んで飲み干すとようやく生きた心地がしてきた。
「ともなり、ごはん」
「自分で獲って来い、化け猫」
三日間続けているやり取りに、さすがにあきれる。二人してため息をついて、猫は後ろ足で耳の裏をかき、俺は濡れた頭を手拭いでガシガシと拭く。武士が台頭してきたこの時代には珍しいだろう大童の髪だが、まげを結うために伸ばすのも、また、そこらへんの坊主と同じようにハゲにするのも面倒だ。適当に伸びたときを見計らって懐剣で切っている。
「化け猫」
「にゃに」
尻尾が三又になった化け猫は伸びをしながら俺を見上げる。
「お前、市場の品物かっぱらえるか?」
俺の言葉を聞いた化け猫は面白そうに口元をにやっと笑わせてひげをピンと立てる。
「俺を宿主にしてるんだったらそれぐらい仕事しろ。飯をかっぱらって来い。決してばれないようにな」
「りょーかい。川でお魚と戯れるぐらいならそっちのほうがお安いお御用よ」
そういって、出ていって半刻。彼女は食べきれないほどの魚の干物と姫飯を背中にしょって戻ってきたのだった。
「どうやったんだ?」
「小娘の恰好していちころ」
一応手を合わせていただきますというと、彼女は得意げにうなずいた。むかつくな。
腹は背に変えられない。久しぶりのまともな飯に俺はがっついていた。
「そんなにご飯食べないの?」
「三日間一緒にいりゃわかるだろう」
「そうだけど……」
そのがっつき方に幾分引いた顔をしている彼女は、干物を小さな牙で突きながら聞いた。
「こんなことでいいならあたし毎日盗ってくるよ?」
「毎日はいい。……だが、姫飯食べたの久しぶりだ」
「おいしいよねー」
「食ったことあるのか?」
「前の飼い主がたぶん貴族様で……」
「くそ……俺以上か」
「たぶんいい生活してた。あったかい寝床とあったかいごはん。時たま外に出さしてもらって遊んで。いつの間にか死んじゃって、いつの間にか尻尾が分かれてた」
いい生活してやがるな。畜生以下の生活をしている俺は何なんだよ。
「ともなりはどんなかんじだったのー?」
「親に捨てられた」
「え?」
「霊力が強すぎて、親に捨てられた。それで、退魔師になったクチだ」
「……ごめん」
「きにするな」
のんきに聞いてくるくせにこの反応は何だ。怒る気にもならない。
少し柔らかい姫飯を口に頬張って白湯で流し込んで、小屋の片づけを始める。
「ともなり」
「なんだよ」
「やさしいんだね。あんた」
何もかも察したようなその言葉に俺は眉を寄せて少女の形をして片づけを手伝う化け猫を見ていた。
「何が言いたい?」
「……べつに。ほら、早く片付けて、海見に行こう!」
いつも通りなノー天気な声に俺はどこか引っかかりながらも、小屋を片付けて、徒人には見えない霊の形をとった化け猫を肩に憑かせて小屋を出たのだった。