朝倉日向(2)
繁華街を抜けると徐々に人影もまばらになってくる。月明かりと一定の間隔で立っている街灯が道を照らしていた。家は繁華街から外れて十五分程歩いたところにある。普段は自転車で通学しているのだが、今日は木下詩織の買い物に付き合ったために徒歩で帰っている。
部活の備品が入った買い物袋が右手の指に食い込んでくる。痛みが酷くなってきたため、左手に持ち替える。重さの原因はダンベルである。別の日に自転車で買いに行けば良かったと後悔の念が浮かんできた。荷物を押し付けて帰った詩織を恨めしく思う。
用事があると言って急いでいたが、一体何の用事だったのだろうかと考える。まさか彼氏でもできたのだろうかと一瞬不安になったが、すぐに有り得ないと思い直した。思わず「ないない」と独り言まで漏れてしまった。彼氏ができたとしたら詩織はきっと俺に報告してくるだろう。
では、何の用事だったのだろうか。友達とでも会うのか、他に買いたい物があるのか、何処か行きたい場所があるのか、色々と想像してみたが答えは思い当たらなかった。詩織の性格から考えるに、些細な用事なら内容まで伝えてくるはずである。何も言わなかったということは、きっと人には言い難い用事なのだろう。
最近何かあっただろうか。思えば、ここ数週間詩織の雰囲気がおかしかったような気もする。表面上は特に変化はないのだが、ふとした瞬間に何とも言い表せない違和感があったりする。
小学生の頃から何年も一緒にいるのだ。その小さな違和感は何らかのサインである自信があった。昔似たようなことを感じたことがあったのを思い出す。中学生二年生の頃、詩織の両親が離婚したときである。
詩織の両親の離婚に関しては自分も詳しくは聞いていない。本人に色々と詮索するのはデリカシーに欠けているし、詳細を知ったところで何かができる訳でもない。
離婚のことを知ったのは、離婚から二ヶ月程経ったときである。ある日、偶然詩織と帰りが一緒になることがあった。そのときも詩織の様子に違和感があったため、何か聞こうと思っていた。職場体験の準備をしている頃で、流れで親の仕事についての話になった。
何も知らない自分は、「お父さん何してるんだっけ?」と尋ねてしまった。そのとき詩織は一瞬だけ表情をこわばらせた。すぐに元の表情に戻ったかと思うと、「うちの親、離婚しちゃったんだ」と、何でもないことのように言った。
すぐには言葉が出てこなかった。数秒置いて、「何かあったの?」という言葉が口から出た。「お父さんの仕事が忙しくてね。すれ違いって言うのかな? 今はお母さんと一緒に暮らしてるんだ」と詩織は答えた。「そうか」と言うと、「そうなんだよ」という返事が返ってきた。
それ以来離婚について詩織と話したことはない。ただ、たまに「お父さんがね……」という話をすることがあるため、不定期ではあるが父親と会ってはいるようだった。
中学二年生の頃は両親の離婚が原因だった。では、今回の違和感の原因は何なのだろうか。考えてみても答えは見つかりそうになかった。本人に聞いたら、教えてくれるだろうか。詩織は自分の悩みを人に話さない。大事なことは自分の中に抱え込んで、他人には明かしてくれない。
悶々としながら歩いていると、急に鞄に入れている携帯電話が鳴り出した。地面に買い物袋を下ろして携帯電話を取り出す。画面を開くと母からの電話だった。
「もしもし。どうしたの?」
「あんた今日は早く帰ってくるんじゃなかったの? せっかく早めに夕飯作ったのに」遅くなると連絡するのを忘れていた。
「ああ、ごめん。ちょっと用事ができたんだ。あと五分くらいで着くよ」
「詩織ちゃんに扱き使われてたの?」笑いながら尋ねてきた。電話越しであるのに、母のにやにやした表情が伝わってきた。
自分が詩織に想いを寄せていることは母にはお見通しのようだった。以前、「あんた好きな人とかいないの?」と尋ねてきた。面倒臭いなと思いながら、「いないよ」と答えると、「え、詩織ちゃんが好きなんじゃないの? あの子良い子よね」と言った。最初こそ否定していたが、しつこく「詩織ちゃんでしょ?」と聞いてくるものだから、最近はもう誤魔化すのを諦めている。
今日の件も何故かばれている。母親の勘というものはなかなか鋭いらしい。「そうだよ」とぶっきらぼうに答える。
「あら、青春ね」母は電話の向こうで、ふふと声を漏らして笑った。「じゃあ、気を付けて帰ってきなさいね」と言って電話は切れた。
呑気な母の声を聞いて、さっきまでの悶々とした気持ちが少し軽くなった。気にし過ぎるのも良くない。生きていれば悩むこともある。きっと詩織も進路か何かで悩んでいるのだろう。詩織が相談してきたときに、しっかり話を聞いてあげようと決めた。
地面に置いた買い物袋を持ち上げる。先程よりも少し軽く感じられる。あと五分も歩けば家に着く。街灯の下をゆっくりと歩き始めた。