表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プリーズ・キッドナップ・ミー  作者: 狗尾草
第1章 彼女は依頼する
4/7

高橋薫(2)

 窓の外は既に真っ暗になっていた。街の明かりがぼうっと宙に浮かんで見える。大きなマンションの明かりが規則的に並んでいた。そこで送られる生活は十人十色で、喜怒哀楽が溢れている。もしかしたらあの明かりのどこかで事件が起こっているかもしれない。


「薫、夕飯どうする? どこか食べに行く?」櫻子が尋ねてくる。

「いや、まだ冷蔵庫に色々残ってた気がする。飯も余ってるし。何か作ればいいだろ」冷蔵庫の中身を思い出しながら答える。


 今いる部屋が事務所兼自宅である。いちいち離れた家まで帰宅するのも面倒臭いと思っていたし、何より事務所と別に賃貸を借りるような余裕もなかった。幸いまともなバス・トイレがあり、キッチンもそれなりに充実している。ソファさえあれば睡眠にも事欠かない。そんな生活が探偵っぽいとも思っていた。

 櫻子は他にアパートを借りているが、そこに帰宅したり、事務所に泊まったり、気分によって寝床を変える生活をしていた。食事は二人分作る方が得だったため、事務所でまとめて作り、その食費を折半している。


「キャベツ、トマト、レタス、人参、玉葱、卵、鶏肉、あとウインナーと沢庵」櫻子が冷蔵庫を開けて、中身を列挙していく。「ご飯もあるなら親子丼とか?」

「良いよ。よろしく」料理の話で空腹感が増した気がした。

 食事は最初の方は交代で作っていたのだが、最近は専ら櫻子の役割になっている。料理は櫻子の方が上手だった。誰でも美味しい料理が食べたいのは当然である。その代わりに掃除や洗い物は自分が進んでやるようにしている。

 包丁が整ったリズムで音を立てる。櫻子がキッチンに立っている間、机の上のルービックキューブを弄んでいた。配置には規則性があるらしいが、いくら眺めても何も発見できなかった。十数秒で全面揃える人は何を考えながら動かしているのだろうか。


 親子丼の美味しそうな香りが鼻孔をくすぐる。キッチンを見ると櫻子が食器を取り出していた。時計を見ると間もなく午後六時になるところだった。玄関の掛看板を〝CLOSED″にしようと席を立った。


 ドアノブに手を伸ばした瞬間、インターホンの音が響いた。予期せぬ出来事に体がびくりと反応する。こんな時間に来客とは、一体どちら様だろうか。やや遅れて「どうぞ」と口にした。


 扉が控えめに開けられたかと思うと、その陰から女の子が顔を覗かせた。「すみません。今お時間大丈夫ですか?」

「依頼ですか?」

「あ、はい。六時だしもう駄目ですかね?」彼女は頬を上気させ、息も少し上がっている。どうやら走ってきたらしい。

「いや、大丈夫ですよ。どうぞお入りください」滅多に来ない客を拒む理由はない。夕飯は後でも食べられる。


 彼女をソファまで案内する。制服を見るに高校生のようだ。彼女は席に着くと、物珍しそうに部屋の中に目を巡らせていた。

「あら、可愛いお客さん」櫻子がタオルで手を拭きながら近づいて来た。彼女はその言葉に恥ずかしそうに身を捩った。櫻子はキッチンに行ったかと思うと、お盆に茶碗を三つ載せて戻ってきた。

「飯は後でいいだろ?」

「折角だから出来立ての内に食べようよ」机の上にお盆を置きながら櫻子は答えた。「えっと、お名前は?」

「あ、詩織です。木下詩織です」彼女は突然の質問に一瞬驚いた表情を見せると、おずおずと名前を言った。

「詩織ちゃんね、オーケー。私は高橋櫻子。こっちは薫。よろしく」櫻子が自己紹介をする。「お腹空いてる? 親子丼食べる?」既に茶碗が三つあるじゃないかという突っ込みを飲み込む。

「美味しそう。いいんですか?」木下詩織は瞳を輝かせた。櫻子が頷くと、「まだ夕飯食べてなくて」と照れ臭そうに言った。


 何故か初対面の女子高生と机を囲んで、親子丼を食べることになってしまった。彼女は幸せそうに親子丼を口に運んでいた。その姿は栗鼠のような小動物を連想させる。入ってきたときの緊張は何処かへ消えてしまったようだった。

「今日はどうしてここに?」箸を動かしながら櫻子が尋ねた。

「友達に教えてもらったんです。麻里ちゃんって言うんですけど」

「麻里ちゃん……」櫻子は名前の人物を思い出そうとしているようだ。「あ、あの子か。半年くらい前の、公園で猫探したときの子」


 その言葉で思い出した。思わず「ああ」と声が漏れる。櫻子は記憶力が非常に優れている。特に人のことを覚えるのに関しては、長年一緒に暮らしていても未だに舌を巻くのだった。


 半年程前、制服を着た女の子が事務所を訪ねてきた。「うちのチョコが、あ、猫なんですけど、いなくなっちゃったんです。もう一週間も帰ってこなくて。一緒に探してもらえませんか」と訴えてきた。「帰ってこなかったらどうしよう」と泣き出したものだから、まず彼女を宥めるのが大変だったことを覚えている。

 櫻子が「女の子の涙を放っておくなんて人でなしのすることだ」と声高に主張するものだから、事務所を閉めて捜索に乗り出した。目撃情報を集めたり、迷い猫のポスターを張ったり、街中を駆け回ったりして、四日かけてやっとのことで見つけ出したのである。最後は近所の自然公園で盛大な追いかけっこを繰り広げた。

 もちろん女子高生に大きな額を請求することはできない。気持ちだけの謝金と、「知り合いに宣伝しておきます」という約束と、猫を見つけたぐらいで大袈裟だと思えるほどの感謝の言葉を貰った。どうやら宣伝の約束を果たしてくれたようだ。


「チョコは元気かな」櫻子が独り言のように口にした。

「元気ですよ。こないだ麻里ちゃんの家に行って一緒に遊んできました。今は首輪にGPSが付いているんですよ」木下詩織は嬉しそうに答えた。


 その後暫くの間、学校生活の話に花を咲かせていた。自分が高校を卒業してから十年近くが経っていたが、高校生の生態に大した変化はないようだった。

 三人とも親子丼を食べ終わり、櫻子が空になった食器をキッチンへと運んで行った。壁に掛かっている時計に目をやると、既に午後六時半を回っていた。思いの外長話をしてしまったようだ。


 食器を軽く流した櫻子がソファに戻ってきた。「今日はどうしたの?」

 木下詩織は指を弄りながら下を向いてしまった。言い出しにくそうに口をもごもごさせている。櫻子と二人で彼女の言葉をじっと待つ。一分程経っただろうか、彼女は決心したのか、顔を上げて目を見つめてきた。

「あの……」彼女は言い淀んで再び顔を下げそうになるが、なんとか持ち直した。大きく一回深呼吸をすると、はっきりとした口調で言った。


「私を誘拐してもらえませんか?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ