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04.秘密

「じゃ、昇降口でな!」

 掃除のために机を後ろに下げた後、黒岩双葉は何がそんなに楽しいのか満面の笑みを浮かべて言った。

 掃除もないし日直でもないから本当ならすぐに帰れるのに、音楽室の掃除当番らしい黒岩双葉を待たないといけない私は黒岩双葉とは正反対の顔をしているはずだ。

 隠せない不機嫌オーラに気づくことなく黒岩双葉は私に手を振って音楽室に向かった。

 何か言いたげなくせに直接は何も言ってこないクラスメートの視線がうっとうしい。

「カーオルン、バイバーイっ」

 教室を出ていくキャサリンに手を振り返して鞄を肩にかけた。

 キャサリンと一緒にいるようになって私の周りは一気に騒がしくなった。意外と不快ではなくて結構楽しかったりもするけどやっぱり一人になるとどこかほっとする。

 何となく天井を見上げて、息を一つ吐いて現実から逃避した。

 教室の掃除を始めたクラスメートが遠くなる。天井も床も、目の前の机も遠くに感じる。うっとうしかった視線も私をすり抜けていった。

 足を一歩踏み出した。

 違う世界を歩いている。そう思うだけで楽しくて体が軽くなっていく気がした。

 教室を出て廊下へ。放課後になったばかりの騒がしい廊下も愉快で笑いたくなる。私にとっては違う世界でも他の人たちにとっては私はすぐそこを歩いている同級生に変わりないのはわかっているから、笑いたいのも歌いたいのも我慢する。目立つことをしなければ何でもない学校の風景の一部でいられる。

 今日は人間界にやってきた天使、いや、悪魔見習いという設定でいこう。

 くだらないいたずらを考えて、それを実行するところを想像する。前を歩いている子の靴下をずり下げたりとか、やたらと気合いを入れてセットされているあそこの男子の髪をぐちゃぐちゃにするとか。

 五つ目のいたずらを終えたところで下駄箱に到着。靴に履き替えて外に出た。

 今日もギラギラ晴れた空を見上げた。そろそろ雨が恋しくなってくる。でも、絵を描くのにはちょうどいい。

 誰かの邪魔にならないように端のほうに移動して、壁に寄りかかってまた空を見上げた。肩から鞄を下ろして両手で持ったまま右手の人差し指だけ空に向けた。指先に雲が集まって指の動きの通りに空に雲が広がるところを思い浮かべる。くるりと円を二重に描いて、これでドーナツ。少し寂しいから色々デコレーションしてみる。難しいけどキャサリンのクマ子も描いてみよう。キャサリンの手作りのクマ子はちょっと不細工で、そんなところもかわいいけどあのかわいさはうまく再現できなかった。

「やっぱり楽しそう」

 次は色付きの雲を使おうと思ったら、聞きたくない声が突然割り込んできてドーナツもクマ子も散ってしまった。

「お待たせ」

 何度か瞬きをして横を見たら黒岩双葉がいた。

「何してたの?」

「掃除終わるの待ってたんだけど」

 そんなの見ればわかるじゃないか。待ってろと言ったのは黒岩双葉本人なのだし。

「そうじゃなくて。空見て、何かしてたふうに見えた」

 黒岩双葉は、いつからそこに立っていたんだろう。

「雲で」

「うん」

「絵を描いてた」

 何故か正直に答えてしまった。私がふる前に黒岩双葉にふられるかもしれないと思った。そうなったら昨日からのあれやこれが全て無駄に。

「何描いてた?」

 私の不安をよそに黒岩双葉は見ているとイライラする笑顔で言った。そうだった。黒岩双葉はどんな相手でも普通に接しようとする偽善者だった。ちょっとやそっとのことでは、私をふることはできないのだろう。

「ドーナツとキャサリンのクマ子」

「あのクマ、クマ子って言うんだ。まんまだ」

 ぶほっとふき出して黒岩双葉は笑った。

「あ、そうだ、あれ」

 あれって何だ。

「この間、消しゴムを机に何個も並べてたの、あれは?」

「……消しゴム戦争」

「何それ面白そう! じゃあ、黒板の隅にあった汚れを見つめてたのは?」

 そんなところも見られていたのか。

「……顔に見えたから、黒板にうっかり閉じ込められた幽霊という設定でお喋りを」

「もしかしていつもそういう遊びしてんの?」

「別に、いつもってわけじゃないけど」

「だから、一人でいるときもあんなに楽しそうなんだ」

 私の痛い話をバカにするでもなく黒岩双葉は納得したように頷いた。

「薫子の謎、一つ解明できた」

 やっぱり、黒岩双葉に名前を呼ばれるのは落ち着かない。鳥肌の立った腕を、制服の上からもう片方の手でさすった。

「一人っ子で、ずっと一人で遊んでたからその癖が抜けなくて」

 黒岩双葉に言い訳する必要なんて何もないのにもごもご言い訳しようとしている自分がわからない。

 全部小さい頃一人でやっていたごっこ遊びの延長。

 一人遊びの魅力にとりつかれてしまっていた私は、小学生になっても友達と遊ぶよりも一人で遊ぶほうが楽しくて、中学生になった今もひそかに脳内ごっこ遊びが習慣となっていた。

 この年になってもそんな遊びをやめられないのはまずいと思わないこともないけど、誰かに迷惑をかけているわけでもないからといまだに続けている。

「俺も、兄ちゃんと年が十五も離れててさ。俺が小さいときに家出ちゃって一人っ子みたいなもんで」

 だからなんだ。いらない黒岩双葉情報が増えてしまった。

「友達と遊べないときはつまんなくて大変だったけど、薫子みたいに遊べばよかったんだな」

「でも、それぞれ向き不向きがあるし」

 現にわたしには黒岩双葉のようなみんなでわいわいという遊び方は合わなかった。

「今日暇?」

 唐突に訊かれて反射的に頷いてしまってからうそでも忙しいと言えばよかったと後悔した。

「じゃあうち来いよ」

「……なんで?」

「薫子と遊びたい。あ、いや、勉強でもいいけど」

 暇と言ってしまった手前断りにくい。

「あんまり遅くまでは、無理だけど」

「やった! じゃ行こ行こ!」

 小さな思い出をいくつも作っておいたほうが、後でくるダメージも大きくなるはず。そう自分に言い聞かせて私は今すぐ黒岩双葉の傍から逃げ出したがっている足を動かした。


 いつもは真っ直ぐ進む道を右に曲がる。

 黒岩双葉はさっきから給食について熱く語っている。とりあえずボルシチとシナモントーストの組み合わせは最高だということについては同意しておいた。

「あーホント幸せ」

 噛み締めるようなつぶやきは聞こえなかったことにした。

 黒岩双葉の家は、うちのおんぼろマンションとは明らかに格が違うと認めざるを得ないような立派なマンションだった。

「俺んちは八階」

 敗北感に打ちひしがれながら乗ったエレベーターも何だか明るかった。うちは一階だから滅多に使うことはないけど、うちのマンションのエレベーターはエレベーターだけで七不思議ができそうなくらいどんよりとした雰囲気だから少しうらやましい。

 エレベーターが八階に着いた。通路を歩いてつきあたりが黒岩双葉のうちだった。黒岩双葉は鞄から鍵を取り出した。親は仕事で、夜まで誰もいないらしい。いたら誘いを断る口実になったのに。

「ただいまー」

 黒岩双葉の後に続いて入る。家の中のきれいさにも敗北感を覚える前に目に入ってきたのは廊下に積み重ねられたいくつものダンボールだった。

「あ、悪い、今引っ越しの準備中で散らかってて」

「……黒岩くん、引っ越すの?」

 北高志望ということはそんなに遠くに引っ越すことはないのだろうけど。

「双葉な。引っ越すのは、母親だけ」

「なんで?」

 何も考えずに尋ねた私に、黒岩双葉は初めて少し困ったような表情を浮かべた。

「離婚、すんだって」

 どこか他人事のように、黒岩双葉は言った。

「り、こん」

 自分の口の中でつぶやいて、その言葉の意味を理解する。途端に顔が勝手に笑いそうになった。

 やっぱり、そうなんだ。そうだったんだ。

 あれだけ人生幸せなことしかないみたいな顔で笑っていても、黒岩双葉は、やっぱり本当は幸せじゃないんだ。

「つっても、そんなに深刻な話ってわけでもなくて」

 靴を脱いで、私のほうを向いた黒岩双葉は笑っていた。

「母親がやりたいことを、父親は応援できないとかなんとか。詳しいことはよくわかんねえけど」

「理由がなんでも、一緒じゃ」

「俺にとってはこれからも母親だし、引っ越し先もわりと近くて会おうと思えばいつでも会えるし。まあ家事がちょっと大変になるけど俺と父さんだけだから結構気楽」

 なんで笑ってるの? なんで怒らないの?

「でも、無神経だよ。黒岩くん――」

「ふ・た・ば」

「……双、葉、受験あるのに」

「家事っつっても、今までも分担でやってたことがちょっと増えるだけだから」

「そ、そういうのだけじゃなくて、精神的な、こととか」

「俺なら大丈夫だって信頼されてるんだと思ってる」

 私がつついたくらいじゃ黒岩双葉の笑顔は崩れない。

「つーわけでそんなに深刻でもねえけど楽しい話でもなかった。ごめん、心配させて」

 違う。

「でも、薫子に心配してもらえて嬉しいかも。へへ」

 私は心配してるんじゃない。

「やっぱ俺、超幸せ」

 いつも見てたから本当はわかっていた。黒岩双葉のこの言葉や笑顔は、無理やり自分にそう言い聞かせるようなものなんかじゃなくて、いつだって本心から出ているものだって。

 だから、大嫌いなんだ。

「ごめん、用事思い出したから帰る」

「え、あ――」

 ドアが閉まって黒岩双葉の声が途切れる。追いかけてはこないだろうけど走ってエレベーターに向かった。

 黒岩双葉を、一瞬でも仲間だと思った自分が許せなかった。

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