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01.幸せ王子と勘違い

 窓は全開なのに妙に息苦しい教室で、私はひたすら手を動かしていた。

 学級日誌だけを視界に入れて、必死にすぐ近くの人の気配を遮断しようとしていた。


 私のクラスには幸せ王子がいる。

 顔が少しばかりよくていつもニコニコ笑顔で口癖が「俺幸せ」で周りの人まで幸せになるから、というのが一部女子の見解らしい。

 私はそんな幸せ王子が大嫌い。どこが嫌いか挙げていったらきりがないくらい大嫌い。

 幸せ王子こと黒岩双葉は偽善者だ。しない善よりする偽善というのには私もおおむね同意するけど、その偽善が私に向かわない場合に限るし黒岩双葉の偽善なんて論外だ。

 そして今、黒岩双葉の偽善が私に向けられている。

 放課後のひと気のない三年四組の教室には私一人しかいなかった。さっきまでは。

「槙村さん偉いよな。日直の仕事一人でやって」

 黒板を消している黒岩双葉が、腹の立つようなさわやかな笑顔を浮かべていると思われる声で言って、私はうっかり黒岩双葉の後ろ姿を視界に入れてしまった。

「私が偉いんじゃなくて、さぼった牟田くんが非常識なだけだよ」

 私は学級日誌に今日の授業内容と感想を書いていた手を止めずに答えた。本当は無視してしまいたかったけど必要以上に空気が悪くなるのもごめんだ。それに私も、いくら嫌いだからと言ってあからさまに無視するほど子供ではない。

 日直は出席番号の前から二人ずつ当番が回ってくる。私は前の堀さんか後ろの牟田くんと組むことになるわけだけど、真面目な堀さんとは対照的に牟田くんは不真面目の鑑でしかも不良だ。牟田くんと日直になるとはすなわち窓の開け閉めや電気のつけ消しも号令も黒板を消すのも日誌を書くのもその他細々した仕事も全部一人でこなさないといけないことを意味する。厳しい先生のクラスとは違い、担任がいい加減なうちのクラスはまだ楽なほうだけどそれでも一人でやるのが大変なことに変わりはない。牟田くんの後ろの柳川さんも私と同じような目にあっている。牟田くんに直談判する度胸を女子に求めるのは酷というものだ。

「だから別に黒岩くんが手伝ってくれることないよ」

 忘れ物を取りに戻ってきたらしい黒岩双葉が、黒板をピカピカにすることが趣味なのかと思うくらいさっきからやたらとしつこく黒板をきれいにしているのは私が頼んだことではなく黒岩双葉から言い出したことだった。

 黒板は確かに汚れてはいたものの一応消してあったし、日付も日直の名前も書き換えていたから手伝うようなことはないと断ったのに、「大丈夫俺黒板きれいにするの得意だから」とか意味のわからないことを言ってする必要のないことをしている。

「俺のことは気にしなくていいって。それよりもなんでわざわざ残ってやってんの?」

 黒板は掃除前に消していたように日誌を書くのも掃除前に終わらせられることだから、掃除後に教室に残っていた私を不思議に思ったのだろう。

 堀さんと組むときは仕事を大きく号令・黒板係と日誌係に分けて、どっちの担当になってもさっさと終わらせていたけど牟田くんと日直になったときは、毎回一人で教室に残って日誌を書いていた。少しくらいなら遅くなっても先生には何も言われない。

「誰もいない教室が好きだから」

 だから牟田くんと日直になったら仕事が増える代わりに誰もいない教室に残れる、という楽しみを作って牟田くんへの恨みを少しだけ晴らしていたのだ。そこまではさすがに説明しないけど。

「ふーん、槙村さんは孤独を愛する人なんだ」

 意味のわからない、妙にむずむずして恥ずかしいようなことを口にした黒岩双葉はやっと黒板消しを置いた。黒板は明日の一時間目の授業の先生が喜びそうなピカピカ具合だ。

 黒岩双葉はそのままくるりと向きを変え教卓に両手をついた。

 ちなみに私の席は教卓の真ん前という誰もが嫌がる特等席で、それがさっきから息苦しさを感じる原因でもあって、つまり私の机と教卓を挟んだだけの距離に黒岩双葉がいる。

 半袖のワイシャツから出ている腕はもっと近い。

「槙村さんって、俺のこと好きだよな」

 五時間目の授業感想を書いていた手が思わず止まった。黒岩双葉が普段と同じ調子で言っていたら真っ先に自分の耳を疑うところだけど、黒岩双葉の声はわずかに震えていたから私は自分の耳を疑うことを忘れた。

「いっつも目が合うもん。それってつまり槙村さんがいつも俺のこと見てるってことだろ?」

 確かに私が黒岩双葉のことをいつも見ているのは事実だ。でもそれは、今日もこんなにバカなことを言っているとか飽きずに偽善活動に励んでいるとか、そういうことを確認して黒岩双葉に対する嫌悪感を育てるためのものであって間違っても好感情が含まれるものではない。

 さりげなく見ていたつもりだし目も、合う前に逸らせていると思っていたからしっかり気づかれてしまっていた上に黒岩双葉には目が合っていると認識されていたのは不覚だった。

「つ……つきあってみる?」

 私は再び手を動かして日誌を書き上げる。

「おーい、聞いてる?」

 この距離で聞こえないはずがない。

 日誌を閉じて顔を上げる。見慣れたいつもの笑顔と比べると、どこかぎこちない笑顔を浮かべている黒岩双葉と目が合った。

 罰ゲームやからかい目的でこんなことを言い出す類のバカでないことは知っている。だからきっと、自分に好意を抱いているのに突き放すのはかわいそうだとかなんとか思ってしまっただけなのだろう。そのほうが残酷だとも気づかずに。全部勘違いだけど。

「私よりももっと黒岩くんのこと好きな人たくさんいるから、つきあうならそっちとつきあったら」

 黒岩双葉の笑顔がすっと消えた。珍しい。

「なんでそういうこと言うんだよ。俺のこと好きなのに」

 こいつ、偽善者の上にナルシストか。

「いや、だから全然好きじゃなくてむしろきら――」

「あ、そうか」

 隠すのを忘れた本音が出きってしまう前に、何かに気づいたように黒岩双葉はまた笑う。今度はいつも通りの自然な笑顔だった。

「大丈夫、俺が好きなのは槙村さんだけだから!」


 だから、意味がわかりません。


 幸せ王子こと黒岩双葉は目がでかい。当たり前のようにくっきり二重にマスカラいらずのまつげで、かつて似たようなタイプの顔のクソガキに一重で存在感のない目をからかわれたことのある私は見ているだけで不快な記憶がよみがえってイライラする。

 その私を苛立たせる無駄にでかい目が私を見つめている。

 教壇から降りてきた黒岩双葉は私の右隣の席に、私のほうを向いて座った。

 同じクラスになって約半年。一言二言の会話なら係のこととかで避けられなくてしたことがあるけど、こうしてちゃんと話すのは初めてだ。

「気づいてなかったんだ。俺は気づいたから槙村さんも気づいてるって思ったんだけど」

 私が黒岩双葉のことを好きだという勘違いはまだ解けていない。

「だからわた――」

「あ、ちなみになんで槙村さんのこと好きになったかと言うと」

 私に発言する隙を与えずに、膝の上で両手をもじもじといじりながら訊いてもいないことを喋り出す。

「最初はやたらと俺のこと見てくるなーってところから始まって、俺も槙村さんのこと見るようになって」

 私が一方的に見ているだけだと思っていた黒岩双葉が私のことを見ていたなんて、何かの冗談としか思えない。

「前からへ……面白い人だと思ってたけど、ちゃんと見るようになったらもっと面白かった」

 今、変な人と言おうとしたのか。黒岩双葉は言葉選んだつもりかもしれないけど、そう思われるよう狙っているわけでもないのに面白いと言われたって嬉しくない。

「面白いことなんて、何もしてないけど」

「面白いよ。虫とか爬虫類は平気なのに猫はだめで野良猫とか道にいると不自然に距離をあけるところとか、足は速いのに球技は壊滅的に下手なところとか、給食は残さず食べるけど嫌いなものを食べてるときはすっごい顔してるところとか、誰かといるときよりも一人でいるときのほうがずっと楽しそうなところとか、でも転校生といつの間にか漫才コンビみたいになってたところとか」

 自分の顔がひきつるのを感じる。

「だから槙村さんのこと考えるといつも思い出し笑いしそうになる」

 なんだこれバカにされているのか。

「そんな槙村さんと、一緒にいたいって思うようになった」

 大きく一拍置いた後の、黒岩双葉のところどころかすれた真剣な声に鳥肌を立てながら、はっきり嫌だと断ったら幸せ王子も幸せとか言えないだろうなと考えて少しだけワクワクした。私のことが本当に好きならという恐ろしい前提付きだけど。

「……あー、やっぱだめだ!」

 黒岩双葉が突然机の上に顔を伏せて私は思わずびくっと体を揺らしてしまった。

「なんか恥ずかしすぎる。顔熱い。あーあー」

 額を机にぐりぐり押しつけたり足をばたばたさせたりする恥ずかしい黒岩双葉は、机に突っ伏したまま顔だけ私のほうに向けた。

「へへ、槙村さんも顔赤い」

 反射的に顔を背けた。私の顔が赤いって、そんなはずない。黒岩双葉に告白なんてされても少しも嬉しくないし、そうだ、黒岩双葉の言動がいちいち恥ずかしいせいだ。

「つきあうって言うまで帰さないぞー。なんちって」

 さらりと恐ろしいことを言われて鳥肌がさらにひどくなった気がした。今のは本気でひいたぞ黒岩双葉。

「お互い好きなのにつきあわないとかありえねえもん」

 だから私は黒岩双葉のことなんてこれっぽっちも好きじゃなくて、大が何個もつくくらい嫌いなんだ。

 今度こそはっきりと黒岩双葉の勘違いを訂正しようとした私は、口を開きかけて思いとどまった。

 もしかしたらこれは自称幸せな男・黒岩双葉を不幸のどん底に突き落としてやるチャンスじゃないか。

 何を間違ったのか黒岩双葉は私に好意を抱いているらしい。

 とりあえずつきあって、黒岩双葉の私に対する意味不明な熱が冷める前にふってやったら、今ここで断るよりもダメージは大きいはず。しかも黒岩双葉の人生の一ページに、私みたいなのとつきあってしまったという汚点が残る。自分で言うのもあれだけど。

「じゃあ、つきあう」

 勢いよく体を起こした黒岩双葉に私は再びびくりと反応してしまった。

「マジ?」

 若干ひきそうになりながらこくりと頷くと黒岩双葉は大きな音を立てて立ち上がった。何をするのかと思って見ているとそのまま腰を下ろしてさっきと同じように机に突っ伏して悶え始めた。

「うわーどうしよ、俺超幸せ」

 大嫌いな口癖を聞いて眉間にしわが寄りそうになるのを、幸せだとか言っていられるのは今だけだと思ってどうにか堪える。

「薫子」

 唐突に下の名前を呼ばれて反応が遅れた。

「え……?」

「って、ずっと呼んでみたかったんだ。うん、やっぱきれいな名前。あ、俺も双葉でいいから」

「え、いや、それは」

「薫子、薫子。くはー」

 勝手に人の名前を連呼してじたばた暴れる黒岩双葉に、私に拒否権はないのかと愕然とする。

「あ、日誌書き終わったんだったら帰ろ。窓閉めとくな」

 ぴたっとじたばたするのをやめた黒岩双葉は今度は静かに立ち上がった。

 私は、たとえ短い間でも黒岩双葉とつきあうという選択肢を選んでしまったことをうっすら後悔し始めていた。

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