独り立ち
「しょ~がないなぁゆ~は」思えば私は当たり前のように差し出される手と、あの優しい笑顔に、ずっと甘えていた。私達は幼なじみ。だけどそろそろ、私は君から手を離して、自由にさせてあげなくちゃいけないよね。別々の道を行く私達が、いつまでも手を繋いではいられないから。
「きゃっ」
昨日の雨で濡れた道に、すべった。思いっきり尻餅をついて転んだ私を見て慎也は笑った。
「ツイてなーい」
座り込んだまますねた顔で唇を尖らせた。あ~あ、せめて帰りで良かった。行きだったらたくさんの人に見られて大恥をかく所だった。
「ほんと、よく転ぶなぁ。大丈夫か?」
「ダメェ~。もう力が出ないよ~」
そう言ったらまた笑われた。それからいつものように、おきまりの台詞付きで私の前に慎也が手を出した。
「しょ~がないなぁ。ゆ~は」
「今日は、雨のせいで道が濡れてたんだもん」
言い訳をしながら当たり前にその手を取ろうとした自分の手を止めた。
「・・・大丈夫。一人で、立てるよ」
手を引っ込めてから言うと慎也は首をかしげて私の顔を覗き込んだ。
「・・・急にどうした?どっか痛いのか?」
「・・・ううん、そんなんじゃないの。でも、大丈夫だから」
ゆっくりと立ち上がり、泥を払った。その様子を慎也は何か疑わしげに見つめていた。
「ほら、一人でも立てたでしょ?」
わざと明るい声を出して笑ってみせると慎也ははっと一瞬我に返った顔で私を見た。
「・・・そうだけど」
慎也は私をジッと疑わしげに見つめた。その先は言わずとしてでも分かる。今までの私では、有り得ない行動だったから。
「私、独り立ちの練習することにしたの」
「独り立ち?」
誇らしげに宣言してみせた私の言葉を困惑した顔のまま慎也が繰り返した。昔から転んで躓いてを繰り返す私に優しい言葉と手を差し伸べてくれるのは慎也だった。気付けばいつも当たり前のように。
「そう。だから今度からはちゃんと、一人で立てるから、手ぇ貸さないで大丈夫だよ!」
「独り立ちねぇ・・・」
クルリと方向転換をして、
私の少し前を歩き出した慎也の声はいつも通り穏やかだったけど、何故かふと横顔が寂しそうに見えた。
慎也の目指しているM校は結構な偏差値の高校で、それは学年ベスト五位内に常にいる夏美の志望校であることから簡単に想像がつく。家からは少し遠い。元々入れる訳も無ければ受ける気も無くて、どんな所かは全く分からないけど。どっちにしても近くのレベルが低い公立高校を目指す私とは別々の進路になる。
もう当たり前にいたはずの慎也はいない。
「はーい、今日はテニス試合やります!」
毎回先生は多分受験生の私達を気使って、毎度ちょっとイベントじみた色々なスポーツの試合をさせる。これで結構ストレス発散。
「今日は、チームワークの大切さを学ぼう!ってことで男女混合チームね♪」
楽しそうに言う教員三年目のさえこ先生のはしゃいだ言葉にクラスがざわついた。男女混合チームなんてやったこともなければ相手もいない。みたいな。だけど最近ちょっと余裕が出てきた先生はニッコリと可愛く微笑んでクラスを静める。
「じゃあ最初は・・・森川朋ちゃん・・・それから伊藤浩介君」
名前を呼ばれた朋は「よっしゃあ!」と気合入りまくりで立ち上がった。朋はバリバリの活動派だから、この時間が楽しくて仕方がない。・・・うわっ、今回の朋の相方伊藤君、普段は学級委員押付けられたり良い人だけどテニス部のエース様だと聞いたことある。このチームと対戦する人達、可愛そう。そう思ったのは私だけじゃないらしくてまたクラスがざわつきはじめる。
「・・・おい、サエコさん嫌がらせじゃえのね?」
「・・・あの二人と対戦して勝てるわけないだろう」
「・・・男二人でいい勝負だろうな」
そうだろう。クラスの声に内心大きく頷いた。朋はスポーツ万能で本当に器用に何でもこなす。手足だけじゃなく、体全体を使って一つ一つの動きがキレイに見えて額に浮かぶ汗さえ美しい。体育は苦手だけど、朋のプレーを見るのは大好きだ。ちょっと楽しみに行く末を見守る気でいたから、名前を呼ばれて驚いた。
「・・・結衣菜ちゃん、朝倉結衣菜ちゃん、ほら立って」
先生の呼ぶ声にハッとして立ち上がると、次の瞬間信じられない言葉が降ってきた。
「はい、このチームで対戦してもらいまーす♪」
もしやと思ってバッと朋を見ると、にこやかに手を振られた。笑顔が怖い。
クラスが飽きもせずにまたもやざわついた。
「朝倉?」
「あの朝倉?試合にならないだろう」
はい。噂の朝倉さんです。私はすっごくトロい。昔から何もない所で転んでつまずいてを繰り返してきたし、ボールを蹴ったはずが空振りをし、徒競走なら自分の足につまずいて転ぶ。その私と組んで、あの最強チームと対戦するなんて今回の試合は随分と先生の恨みを買ったもんだと人事のように思った。
「ほれゆ~、あっち強そうだからせめてケガすんなよ?」
ラケットを手渡されて我に返ると目の前に慎也がいて、いつもと変わらずに世話を焼いてくれたのを見て妙に安心した。
「慎也さえこ先生に何したの?うらみ勝手そうな組み合わせだってよ」
コートに向いながら冗談交じりにからかうと慎也は真面目な顔して相手チームを見てた。
「俺、本当に恨みを買ったのは伊藤だと思う」
「伊藤君がそんなことするはずないじゃん!」
「試合が終わったら分かるよ」
どうやら私の今回の相棒は慎也だったらしい。受け取ったラケットを手にコートに向かう後ろで、先生の声が聞こえる。
「いい皆、よく見ていて!これは最強チーム対決なんだから!森川さんは運動神経抜群で男子並みにスタミナもパワーもある。そして伊藤君は元テニス部エース。一見この二人に敵う相手なんていない気がするけど・・・」
それなら最初から戦わせないで欲しい。せっかく独り立ちを決意したばかりなのに、これじゃあ振り出しに戻ってしまう。後ろから「無理だって」「朝倉さん可愛そう」とか声が口々に不安を漏らす。私も、無理だと思う。
「朝倉さん、平気?大丈夫、ちゃんと打ち易いところ狙うから楽しもう」
そっと私を心配してくれたらしい伊藤君がネットの向こうで微笑んでくれた。それだけで私は伊藤君を良い人だと思った。不安だし、怖いけど、なんとか頑張れる気がした。あまり話したこともないのに伊藤君の微笑みにはそうさせるだけの力があったんだと思う。
私達が騒いでる後ろで、まだ先生の説明は続いていた。
「だけどね、“強い人がダブルスでも強いとは限らない”ってのがこの試合の面白い所!片岡君と朝倉さんはかれこれ十四年の付き合いよ。きっといいチームワークだと思うの」
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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