慎也先生の個人授業
本当に生まれたときから、気づいたら私達はそばにいた。だからさ、私達が最初に交わした言葉なんて誰にも分からないね「あ゛~」とか「ヴ~」とか意味不明な言葉それはもしかしたら、赤ちゃんだった私達には通じていたのかもしれない。もしね、ひょっとしたら「あ゛~」って、赤ちゃん語で「大好きだよ」だったのかもしれないけどそんなこと私達は何も覚えていない。
そんな昔のこと。何も分からないけど、それでも私達は今もこうして隣を歩いている。
「ヴ~・・・。夏実ぃ・・・やっぱ寝不足ってキツイねぇ」
朝。照りつける太陽をこんなに重みに感じたことはなかった。ブレザーがやけにズッシリきて、鞄を持つ腕は引き千切られそうで足は鉛みたい。学校までの道のりがこんなに辛いなんて思わなかった。教室の扉を開けるとふらついた足取りで廊下側最前列の夏実の席に手を付く。
「なによ、あんたまでクマ作って」
相変わらずクマの消えない顔で口を尖らせた夏実が言う。
「なんてことね~よ。ちょっと特訓したんだ。なぁゆ~?」
頭の上から慎也の声がした。昨日、多分私と同じだけしか寝てないのに、何故かいつもとかわらず超元気。こいつ、無駄に体力あるんだよねぇ・・・。
「特訓?」
「そ。今日、当たるかもしれないんだと。数学」
私を完全に無視して、二人は話し始める。それはいいんだけど、頭の上で声が飛びかう。今にも寝てしまいそうなくらい寝不足の私には辛すぎる。
昨夜、九時過ぎにようやく明日の数学で当てられることを思い出したのは幸せな入浴中だった。慌てて上がってから服を着替え「まだ暑いから」なんてどうしようもない理由で隣の慎也の家に駆け込んだ。急いでるのに慎也はテレビに夢中でブーブー言いながらその場でドライヤーをかけながらおばちゃんとだべってた。
「へ~。それはご苦労ねぇ嫁のために夜な夜な猛特訓なんて」
「まぁやくなって、これくらいなんでもね~よ。それよりさ、本当に大丈夫なの?」
慎也が芸術のように見事な夏実のクマを覗き込む。それを夏実の手が素早く制する。そのクマは、薄くなるどころかますます存在を主張している。なんかもう、彫刻みたい。あ、でも夏実のクマはミ○のビィーナスには程遠いけど。
心配半分、面白半分で夏実のクマを見る朋と慎也をうるさそうに手で追い払った所で、授業開始のチャイムが鳴った。
「ゆい、結衣菜・・・」
後ろの方から聞こえたヒソヒソ声に気づいた私は先生に気づかれないようにそっと椅子を後ろに移動した。
「どうしたの?」
「ヤバイ!ウチ今日当たるかもしれないんだ。すっかり忘れてた!」
いつもと違うひっそりとした声で私を呼んだのは朋。そして今は、数学の時間だ。
「私、昨日教えてもらったから、ノート見せるね」
そう言ってノートをたたみ、静かに後ろの席の朋に渡すと、少し元気の回復した声で「サンキュー♪」と聞こえてきた。慎也はけっこう優秀で夏実に至っては学年でベスト5内に入るほどの秀才。そんな友達が多いと私達がバカみたいにみえて困る。ちょっと得意気に笑った。
「朋、結衣菜、お前達授業中に何やってるんだ!」
嫌なことって続くもの。ちょうど私達のやり取りは担任兼数学担当教師の山さんにバレバレだったみたい。嫌な含み笑いをして早速Sっ気を発揮しようとしている。後ろで朋が大きく何かを諦めたように大きくため息をついた。
「授業中に無駄話をするほど余裕があるんなら、今の問題なんてバッチリ解けるよな?」
ニヤリと笑った山さんが私達に目を向ける。だるそうに頬杖をついた夏実は軽く目を閉じたまま、口の動きだけで小さく「バカ」と呟いた。何故か慎也は、ても楽しそうに微笑んでいる。
「すいませーん、そんなの解けませーん」
思いっきり棒読みで気だるそうな態度の朋が小さく舌打する音が聞こえる。だけど朋も、山さんの事嫌いなわけじゃない。
「よーし、じゃあ朝倉!お前解いてみろ!」
「え~わ、分かりませんよ、そんな問題!」
慌てて言う私に慎也は噴出した。その様子を見た山さんは視線を慎也に移した。
「慎也、お前の嫁はこんな問題が解けないのか?」
そうやってたまにネチネチ生徒をいじめる山さん。夫婦ネタまで持出してなんかとっても楽しそう。お決まりのネタに教室も沸く。だけど負けず嫌いの慎也は余裕で山さんにニヤリと笑いかける。
「センセ、うちの嫁をなめないで下さい。これくらい分かって当然でしょ?」
そう言いながら目だけで私を見た。口元にニヤリとイジワルな微笑みを浮かべて。クラスはいよいよ盛り上がりをみせる。
「ちょ、ちょっと、私本当に全然出来ないよ!」
私なんかまるで無視で話は進んでいる。挙句の果てには共犯の朋まで楽しそうな微笑みを浮かべて「ま、頑張れや♪」と言う始末。
「ゆ~、昨日の特訓の成果を今こそ見せて見ろ!」
「見たいテレビがあるからって途中で中断した!」
「あの後教えたろうが」
「そんなんじゃ分からないよ!」
言い争いをしていると、ついに「仕方ない」という顔で慎也が席を立った。
「お、何だどうした?」
「全く、聞き分けのない嫁で。いいかゆ~、今解くからちゃんと見てるんだぞ?」
そう言うと慎也先生はまだちょっとボーッとしている山さんをよそに黒板に立ち、勝手に授業を始める。私に出された問いが黒板の上で慎也先生の解説のもとみるみる解けていく。さすがの山さんも口をあんぐり開けて何も言えないでいる。
「や~やっぱ頼りになんな、慎也は」
ひょっこりと後ろから顔を出した朋がニヤニヤと笑う。
「もう、私大変だったんだからね!」
「いいか、ここの<>かっこはぁ・・・って見てなーいっ!!」
お怒りの慎也先生の投げた白いチョークが私のところまで弧を描いて飛んでくるのを朋が教科書でキレイに弾いた。
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