君の手
小さな頃、よく両親や友達からはぐれては道に迷って泣いていた。寂しくなって、怖くて小さくなって震えていると、いつもいつでも君が来てくれた。暖かい君の手に包まれながら、泣きべそをかいた私本当はとても温かい気持ちでいた。この手があれば怖いものなんてなくて、私はどこへでも行けると、小さな私は本気で思っていた。
その日、いつものように放課後の教室に残った私達三人はど~ゆ~わけか季節外れの怖い話をしていた。秋の紅葉に似たオレンジ色の夕焼けが、なんだか妙に不釣合いだった。
「…そ~ゆ~訳で、「カモメカモメ」って実は少しも童謡に出来ないヤバイ話なんだよ。だって、さっきの意味を全部
繋げると…」
「…イヤッ!もう言わないで」
無表情のままそっと深く空いた席に座りながら、実は私の反応を見て楽しんでいる朋に向かって叫んだ。
「…森川、その辺にしておけよ。朝倉本気で怖がってるじゃないか」
怖がりな私はさっきから必死に椅席の背もたれを掴んで泣きそうになって、小さく震えていた。それを心配した伊藤君が勇気を持って朋に終りを切り出す。でもね伊藤君、朋は今とっても楽しんでいるから、このくらいじゃ止められないよ。
「おい浩介、お前まさか…優しいふりして自分が怖がってんじゃないだろうな?」
「な、そんなこと…」
いともあっさりと朋に勝ちを譲ってしまった伊藤君が引き下がるのを確認した朋は、また静かな口調で話を始めた。いつの間にか、朋はいつの間にか伊藤君を下の名前で呼ぶようになっていた。
「…童謡ってのは何でこんな話ばかりなんだろうな。グリム童話と同じだ。素敵ないいお話なんて一つも存在しない」
そうしてクスッと笑った朋の顔に、私と伊藤君は凍りついた。電気を付けずにいた教室が急に薄暗く見えて動けなくなった。
「「さっちゃん」って歌、あるだろう?あれって実はさぁ、三番までじゃなく続きがあるんだ。それも複数のパターン。けれどどのパターンでも…」
パッとどこから持ってきたのか分からない懐中電灯を照らすと、それがまるで火の玉のように見える。いっそ気絶でもしてしまいたい思いで私は必死に席にしがみついていた。
「ゆ~、帰るぞ!」
いつもの慎也の声を聞いて今日ほどホッとした日はないと思う。ガラリと扉を開ける音で我に返り、半分恐怖で放心状態の頭をやっとのこと回転させ、慎也の後を追った。
いつもの時間の、いつもの道。オレンジが暗い黒色になりそうな、とびきり長い影を連れて帰る。ふと、目に入った電柱の影が誰か小さな女の子の影に見えて私の体はその場から動くこと強烈に拒んだ。
「…ゆ~、お前何やってんの?」
何かを感じたらしい慎也が私を振り返って放った第一声。力が抜けた私は、その場にペタンと膝をくっつけて座り込んでいた。
「……力、抜けちゃった」
大きくため息を一つついた慎也は久しぶりに見せる優しい顔をして言った。
「…全く。しょ~がないなぁゆ~は」
差し出された慎也の手を取って、なんとか起き上がることが出来た。だけど私は相当怖がりみたいで、よく見たら体が小刻みに震えていた。
「…ゆ~?」
心配した慎也が私の顔を覗き込んだ。…何だろう。何だかこの手を離してしまったら、私は立ってさえいられない気がする。そう思うと、手を離せなかった。
繋いだ手を見つめたまま身動きが取れないでいる私に首を傾げるとそのまま何事も無かったように歩き始めた慎也の頬が染まって見えたのは夕日のせいなのかと手を引かれながらぼんやり考えていた。
何も変わらない。ただ私の右手が、温かい慎也の手の中にある。それだけで何だかとても温かい気持ちになれた。でも慣れ知っていたはずのその手は昔と違って私の手がすっぽりと包まれてしまうくらい大きくて、なんだか男の人の手みたいだった。
帰り道はちょっとぎこちなく、お互い顔を合わす事も出来ないで無言のままだった。繋いだ手から伝わる、少し熱いくらいの慎也の体温がお子様の私に何かを感じさせた。だから私は「さっちゃん」所じゃなくなって、理由も分からないのにいつもより大きい心臓の音をただ、黙って聞いていた。
「…慎也ぁ、勉強の邪魔しないから、そっち行っていい?」
家に帰った私は、待っていましたとばかりに朋の怖い話を思い出し、いてもたってもいられなくなった。あいにく家にはまだ誰もいない。いつもの部屋の窓から顔を出すと、いつもより優しい慎也が微笑んだ。
「おいで」
返事を聞くとすぐさま家を飛び出し、ノックもしないで部屋の扉を開けた。途中「おかえりなさい」と微笑んだおばちゃんに挨拶をするのも忘れて夢中で駆け込んだ。そ~いえば慎也の部屋に行くのは久しぶりかもしれない。窓のすぐ横にはベットがあって、反対側には簡単な机に教科書や参考書が並べてある。片付いていると言うのか物が無いというのかきわどいその部屋の、最大の収納クローゼットから小さな折り畳みテーブルを取り出した慎也は、それをベットの横にセットした。
「ゆ~の机はこっちね」
「うん」
昔よく二人で座り込み、絵を描いたり字の練習をするのに使われた、懐かしい机を前にして私は素直に頷き部屋から持ってきた画用紙と色鉛筆を広げた。
慎也は自分の机に座ると何やら問題集を広げ、お受験勉強を始めた。それでも私は正に真剣に、画用紙に絵を描き始めた。
「…何、してんの?」
顔を上げると椅子から下りた慎也が向かいに座り、私と画用紙を交互に見つめて問いかけた
。
「…おまじない。呪いにかかんないように!」
「呪い?」
子供みたいに首をかしげて見せる慎也に私は今日の放課後の怖い話の出来事を話した。「よくもまぁこの年になってそんなの信じるな」という疑問が出てこないのはさすが幼なじみ!私をよく知っている。
「それでこれはね、「さっちゃん」の呪いに対抗したおまじないなの」
「バナナの絵が?」
「買ってきてもいいんだけど、私好きじゃないし」
「ふーん」と言ってから、ハッと思いついたように慎也は私の絵を見つめながら言った。
「今日の夕飯ビーフシチューだって。おば、紫さんも食ってくだろ?」
本人のいない所で慌てて言い直す慎也に同情と申し訳ない気持ちになった。ニュースキャスターをしている私の母、紫さんは子供にさえ「おばさん」と言われるのを嫌う。慎也は昔からおばさんと言いそうになってひどくヒステリックに怒られてきた。
「うん。お母さんおばちゃんのビーフシチュー大好きだもん」
話していたらどちらとも無くおなかがなって二人して笑った。いつの間にか「さっちゃん」を追い払っていた。
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