私の好きな花
君はきっと知るはずもないことを、あの人は知っていてくれた。たったそれだけのこと。それだけがとても、とても嬉しくて。私はとても嬉しくて、舞い上がった。それはまるで、主役でも無くて、目立ちもしない。だけどポツンと小さく、上を向いていた私に気づいてくれたように。
「…ねぇ、何でM校に行きたいの?」
登校途中、少し先を歩いていた慎也に声をかけた。そ~いえはずっと聞こうと思ってそのままにしていた。慎也は足を止めて、私をジッと見つめた。
「…いや?」
意外な返事に私は一瞬、黙ってしまった。「行かないで」という意味で言ったのではないけど、どうやらあまりいい顔をしていなかったみたい。やっぱりまだどこかで不安な気持ちがあるんだと思う。離れるのは初めてだから。ぎゅっと握った手をセーターの中に隠して大きく首を振ったら風が少し冷たかった。
「…い、いやじゃないよ!慎也が決めたことだもん、私は嫌とか言えないし。そりゃちょっと寂しいけど、今あの…上手く行ってないけど独り立ちの練習とかしてるし…」
慌ててしどろもどろになる私を見て、慎也は小さく笑った。一瞬下を向いて何か言った気がした。
「…そんなの、出来なくていいのに…」
「私、頑張って応援するから!ね?」
なんだかせっかく頑張っている慎也の足を引っ張ってしまった気がして、慌てて大きな声を出して笑って見せた。
「おうっ!サンキュウ♪」
「いや」って言ってしまいそうだから、小さく震えた足を寒さのせいにした。貼り付けたみたいな笑顔で「慎也なら大丈夫だよ」と言ったら何も言わないまま頭をポンと叩いて先を歩き出すから、反動で涙がこぼれそうで焦って足早に追いついた。
「はよーっす!」
教室に着くと、この頃慎也はすぐさま直行で夏美の席に向かい、お受験勉強を始めた。朝早くから登校してきている夏美はいつも嫌な顔一つしないで慎也を迎え入れる。もう前みたいなクマはないし、よく笑うなった夏美は最近すごく可愛くなった。
「おはよう朝倉、昨日の問題…帰ってから解けた?」
一方私はというと、私だってちゃんと勉強してる。もちろん、一人で出来る訳なんかないけど。声をかけられて振り向くと、控えめのはにかむような笑顔で彼が立っていた。
「おはよう伊藤君。ちゃんと解けたよ、昨日ね、伊藤君に言われたこと思い出して頑張ったら上手くいったんだ♪」
最近、慎也と夏美が二人で勉強をするようになってから、私と朋はテニスの試合で仲良くなった伊藤君に、よく勉強を見てもらう。伊藤君は私達相手に優しく辛抱強く何度も何度も説明してくれる。伊藤君の優しい頑張りが伝わってきて、勉強嫌いな私もそれに応えたくて最近は教科書と睨めっこを続けていられる。
「おはよう伊藤君♪私は解けなかったんだ♪伊藤君の恋の方程式は解けた?」
わざと上ずった声をだした朋がおなじみの奇妙な微笑みで伊藤君の腕をそっと掴んだ。
「うわっ森川!なんだよ、お前は横で邪魔してただけで出来るわけないだろ!」
「なんだとはなんだよ!ウチはぁ、トロイお前のためを思ってやってやってんの」
そろそろ日課になりつつある二人の争いは、私をとても安心させてくれる。というのは、受験のせいなんだろうけど何だかこの頃慎也の機嫌があんまり良くないから。この前も苦手な英語の宿題を伊藤君と朋と一緒に学校で片付けてきたと自慢しただけでむっとした顔をされた。
「いいかぁ伊藤!結衣菜はなぁこれでもかって程鈍い奴なんだから!お前のやり方じゃいつまでたっても・・・」
また二人が何やら半分取っ組み合いをしながら内緒話を始めた。だけど、まぁいいや♪それを見るのも楽しいから。
「頼むから、マジで黙ってくれよ!聞かれたらど~すんの?」
気づいたら端っこで慎也と勉強をしていた夏美まで笑っていた。
夏美と慎也は、この頃私達と住む世界が違うんじゃないかって思う。毎朝早くから勉強して、遅くまで学校に残っている。それで朝は一緒だけど、最近帰りは別々に帰ったりと一緒にいない時間が増えてきた。
その日は急に塾に行く用事があるという朋がさっさと帰ってしまったため、私と伊藤君が放課後の教室で臨時のお勉強会をしていた。ふーっと深呼吸して「お花係」の私はついベランダの小さなプランターの花達の様子をみてた。
「・・・私ね、花すごく好きなんだけど、その中でコスモスが一番好きなんだ」
伊藤君はニッコリと微笑んで私の話を聞いてくれた。テニスをする時とは違って、普段の伊藤君はすごく大人しい人。優しくて穏やかで、はにかむように笑う笑顔がとても可愛らしい。
「小さいけど、しっかり前向いてキレイな花を咲かせる可愛い花なの。花言葉はね、乙女の真心・野生美・調和・愛情」
「それってなんか、朝倉に似てるな」
突然そう言われて、振り返ると、やっぱりそこにははにかむように照れ笑いをする伊藤君がいて、夕方のまだ明るさの残る空が陰りを見せていた。
「・・・え?」
「あんまり目立つ訳じゃないし、キレイってより可愛いイメージで、いっつも笑ってたりする所とか・・・」
一瞬、伊藤君はすごく優しい目をして私を見た。
「…うちのクラスの花壇、すごいキレイだよな」
「ありがとう♪」
伊藤君はなんていい人なんだろう。私はその言葉だけで、どんなことも乗り越えていけるような気がした。だけどまぁ、こ~ゆ~タイミングで、来るんだよね。いつもいつも。
「ゆ~、帰るぞ!」
突然乱暴に扉が開いたと思ったら、今日もまたまた機嫌の悪い慎也君がおでまし。仕方なく私は慌ててカバンを持ち、伊藤とさよならをする。だけど今日の私は機嫌がいい♪
「ねぇ慎也ぁ、今日花壇のコスモスの話してて・・・」
校門に向かう途中、校舎の傍の花壇に目もくれず早足で歩く慎也に私はさっきの出来事を話そうとする。この嬉しい出来事を誰かに聞いてほしくて仕方が無かった。
「コスモス?」
足を止めて私を見た慎也は私が隣に並ぶと考える仕草をしながら隣を歩き出した。
「私が好きな花♪」
「…知らないなぁ」
「慎也は知らないと思う。でもいいよ、知らなくて。そしたらね、伊藤君が私のこと…」
そこまで言った時、慎也の足がピタッと止まった。急に止まるものだからもう少しでぶつかりそうになった。
「…伊藤の話はすんな!」
たったそれだけボソッと言うと、また歩き出した。なんだか今日はいつもに増して機嫌が悪い。多分勉強がうまくいってないんだと思った。ご機嫌の私はちょっと余裕のため息をついて踊るように慎也の正前に出た。
「分かった。じゃあ喋らない♪」
「他の話は無いの?」
「無いことも無いけど、今日話したいのはその話なんだもん♪……聞いてくれる?」
「却下!」
「つまんなーいっ♪」
間を入れずに即行拒否をする慎也に笑いながら不満を漏らした。
いつもそれは当たり前のことだったから、期限が悪くたって私のたわいの無い話を聞いてくれることも約束もしないで一緒に登下校するのも特別なことだと思ってもいなかった。
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