2話
二日目。
地下牢に差し込むわずかな光が、朝と夜の境目を教えてくれる。
時間の感覚は曖昧だが、魔力の流れは嘘をつかない。
「……第二段階に移行しましたか」
私は壁に背を預けたまま、小さく呟く。
王都を覆っていた結界は、すでに均衡を失っている。
外縁部の歪みは内側へと波及し、いくつかの節点が機能を停止した。
結果として起きるのは——局所的な“空白”。
そこから侵入が始まる。
遠くで、何かが崩れるような鈍い音が響いた。
続いて、微かに人の悲鳴。
……思ったより早い。
本来であれば、もう半日は保つはずだった。
計算との差異。
原因は明白だ。
「無理に奇跡を使いましたね」
聖女リリア。
彼女はおそらく、異変を“自分の力で解決しようとした”。
そして——失敗した。
私は目を閉じ、魔力の流れを辿る。
あの独特の波形。
未調整のまま放出された、高密度の神聖属性。
暴走寸前の、不安定な力。
「……ああ」
見えた。
治癒のために放たれたはずの光が、対象の内部で循環を破壊している。
本来ならば外へ逃がすべき過剰分。
それを制御する術式は、もう存在しない。
だから——壊れる。
肉体も、魔力も。
「どうして……!?」
遠く、微かに届く声。
あれは、本人でしょうか。
「今まで、こんなこと……」
“今まで”は、起きないようにされていただけです。
私は何も答えない。
ただ事実を受け取り、流すだけ。
感情を挟む理由はない。
再び、音。
今度はより近い。
慌ただしい足音と、怒号。
「結界が持たない!」
「聖女様をお呼びしろ!」
「もう何度も試している! だが——」
言葉は途中で途切れた。
代わりに響いたのは、押し潰されるような衝撃音。
……節点が一つ、落ちましたね。
これで残りは三つ。
均衡は完全に崩れた。
あとは連鎖するだけ。
私は静かに息を吐く。
「……三日目を待たずに終わるかもしれませんね」
予測の修正。
崩壊は、加速している。
原因は単純。
“無知な対処”だ。
不完全な力で無理に補おうとすれば、歪みは増幅する。
結果として、崩壊を早める。
実に合理的な帰結。
そのとき——
足音が、こちらへ向かってきた。
複数。
急いでいる。
私は視線だけを向ける。
やがて鉄格子の向こうに現れたのは、顔色を失った兵士たちだった。
「おい……本当にここにいるのか……」
「ああ、例の令嬢だ……」
小声で何かを確認し合い——
そして、こちらを見た。
まるで、得体の知れないものを見るような目で。
「……何か?」
私が問うと、彼らは一瞬言葉に詰まり——
「……来てもらう」
ぎこちなく、そう言った。
「殿下の命令だ」
……来ましたか。
私はゆっくりと立ち上がる。
予定より少し早いですが、誤差の範囲内。
「案内を」
それだけを告げると、兵士たちはわずかに戸惑いながらも鍵を開けた。
鉄格子が軋む音。
本来ならば、ここで初めて外に出ることになる。
——彼らにとっては。
私は何も言わず、そのまま外へ出た。
冷たい石の通路。
湿った空気。
だがその奥からは、明らかに異質な気配が流れ込んできている。
血と、恐怖と、崩壊の匂い。
階段を上がる。
一段ごとに、その気配は濃くなる。
やがて地上へ出た瞬間——
「……これは」
わずかに、目を細めた。
王都の空は、濁っていた。
本来であれば透明に近い魔力の膜に覆われているはずの空。
だが今は、それが裂け、歪み、渦を巻いている。
結界は、ほぼ機能していない。
街のあちこちから煙が上がり、悲鳴が響く。
魔物の姿も、遠目に確認できた。
——完全に、崩れていますね。
私はただ、その光景を受け入れる。
驚きはない。
すべて、予測の範囲内。
「エレナ!」
叫び声。
振り向けば、そこには——
顔色を失い、余裕を完全に失ったアルベルト王子の姿があった。
その隣で、聖女リリアが震えている。
「どうして……どうしてうまくいかないの……」
涙を浮かべ、何度も手をかざしている。
だが光は不安定に揺らぎ、すぐに霧散した。
「さっきはできたのに……!」
違います。
“できていた”のではない。
“成立させられていた”だけです。
私は静かに視線を移す。
王子と聖女。
そして、崩れゆく王都。
すべてが揃った。
ここが、終着点。
あるいは——
彼らにとっての。
物語の結末。
私は何も言わない。
ただ、その時が来るのを待つ。
すべてが理解される、その瞬間を。




