1話
「その奇跡、私がやめたので終わりです。」
その一言を、私はまだ口にしていない。
けれど三日後、この国はそれを理解することになる。
高らかな音を立て、王宮大広間の扉が開かれた。
「公爵令嬢エレナ・ルヴェルディア! 前へ出よ!」
名を呼ばれ、私は静かに歩み出る。
左右には貴族たち。ざわめきは、好奇と嘲笑に満ちていた。
正面、玉座の前に立つのは第一王子アルベルト殿下。
その隣には、柔らかな光を纏った聖女リリアの姿。
……なるほど。
ここまで整えられているなら、結末も決まっている。
「エレナ・ルヴェルディア。貴様の罪は明白である」
王子は、迷いなく言い放った。
「聖女リリアへの度重なる嫌がらせ、並びに奇跡の妨害——!」
広間がどよめく。
私は何も言わない。
その“妨害”とやらの正体に、ここにいる誰一人として辿り着いていないのだから。
「証拠も揃っている。言い逃れはできぬぞ」
証拠。
おそらくは、私が構築していた補助術式の干渉記録だろう。
あれを知らぬ者が見れば、確かに“邪魔をしている”ように見える。
だが実際は逆だ。
暴走しかねない奇跡を、成立させていた側なのだから。
「……何か弁明はあるか?」
問われて、私はほんのわずかに首を傾げた。
弁明。
それは、相手に理解する意思があるときにのみ意味を持つ。
ならば——必要ない。
「いいえ、ございません」
静かな声が、広間に落ちる。
一瞬の沈黙の後、空気が弾けた。
「ついに認めたか!」
王子は勝ち誇ったように笑う。
隣の聖女リリアは、ほっとしたように胸に手を当てた。
「怖かったのです……ずっと……」
「もう大丈夫だ、リリア。私が守る」
……そう。
そういう物語なのですね。
私は小さく目を伏せる。
この国の魔力循環は、すでに乱れ始めている。
王都結界の維持式は、今日を含めてあと三日が限界。
聖女の奇跡は、七回目の発動で臨界に達する。
すべて、計算通りだ。
「よってエレナ・ルヴェルディアを全ての地位より剥奪し、王都地下牢への収監を命じる!」
歓声が上がる。
誰もが“正義の勝利”を疑っていない。
私は一度だけ玉座を見上げ——
そして静かに頭を下げた。
「……承知いたしました」
それだけを告げ、踵を返す。
背後で続く歓声は、もう意味を持たない。
誰一人として気づいていないのだから。
この瞬間、王国の命運が尽きたことに。
◇
地下牢は、冷たく静かだった。
石壁に囲まれた狭い空間。
差し込む光はほとんどない。
だが、不便はない。
むしろ——静かで都合がいい。
私は壁にもたれ、目を閉じる。
視界の裏側で、魔力の流れが見える。
王都全体を巡る巨大な循環。
かつて私が設計し、維持していたもの。
今はもう、歪み始めている。
「……やはり、三日」
小さく呟く。
結界の要石に組み込んでいた安定化式が、順に消えている。
当然だ。
維持者がいないのだから。
本来であれば、聖女の力で補えるはずだった。
だが——
「無理ですね」
あの力は、あまりにも不完全だ。
奇跡とは、本来“偶然の成功”に過ぎない。
再現性も安定性もない。
だからこそ私は、それを式として固定し、誰でも扱える形に整えていた。
だがその前提は、すでに失われている。
ならば結果は一つ。
崩壊。
緩やかに、しかし確実に。
私は目を開ける。
鉄格子の向こう、薄暗い通路。
誰もいない。
静寂。
「……さて」
ここから先をどうするか。
選択肢は、最初から一つしかない。
何もしない。
それだけだ。
私はこれまで、この国のために在った。
求められた役割を果たし、必要とされる機能として働いてきた。
だが——
「その必要は、否定されましたので」
断罪という形で。
ならば、終わりだ。
義務は消え、契約は失効する。
私はもう、この国に何も与えない。
視線をわずかに上げる。
遠く、かすかに振動が伝わってきた。
……早いですね。
第一段階の歪みが、もう表面化し始めているらしい。
おそらくは結界の外縁。
小規模な侵入が起きているはずだ。
まだ対処可能な範囲。
だからこそ——見過ごされる。
そしてそれが、次へと繋がる。
私は静かに目を細めた。
すべては連鎖する。
小さな綻びが、やがて全体を崩壊へと導く。
その過程を、私はよく知っている。
「……観察には、ちょうどいいですね」
誰にともなく呟く。
ここは静かで、邪魔も入らない。
崩れていく様を見届けるには、最適な場所だ。
私は再び目を閉じる。
魔力の流れを、より深く辿るために。
外では、誰かがまだ信じているのだろう。
聖女がいるから大丈夫だと。
王子が守ってくれると。
この国は、揺るがないと。
——そのすべてが、幻想だとも知らずに。
三日後。
すべてが、終わる。
私はただ、その時を待つ。
静かに。
確実に。
そして——何もしないまま。
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