あずきバーに敗北した吸血鬼、自費診療を受け入れる
「なるほど。山田山市役所の佐藤さんからのご紹介ですね」
問診票を読む歯科医師の高橋(35歳、副院長、男)は、ユニットに座って顔を押さえる患者…、池水 怜司【特定指定感染性吸血個体 V-01】に声をかける。
だが、吸血鬼の池水は痛みのせいか呻くだけであった。訊ねるよりも見た方が早いと判断した高橋は、吸血鬼の肩を軽く叩いた。
「ではお口の中を見せてくださいね。池水さん、椅子倒しますよー。ここに頭つけてね。眩しいですから、目元にタオル失礼しますよ。ではお口開けてくださーい。はい、あーん……」
流れるようにルーティン化した文言を口にしながら、高橋はミラーを手に口を開けた吸血鬼の口腔内を検分する。
「歯式とりますねー」
傍に立つ衛生士がバインダーに高橋が読み上げる歯式を記入してゆく。結果的に、吸血鬼の口腔内は虫歯だらけなのが判明した。
「どれも重度の歯周病と虫歯だなぁ。…池水さん、痛みはどれくらい我慢してたんですか?」
「ご…」
「5?5ヶ月?ご飯食べれなかったでしょ」
「違う…50年…」
「…逆に、よくここまで歯がもったね?」
「食事は、血だけだから…」
「ああなるほどね。でもね、歯磨きはしなきゃだめですよ。血液なんて色んな病気が混じってるんだから、特に必要ですよ。ああ、…右上の犬歯…これヒビ入ってる…ってかむしろ折れてる…。痛みの主な原因これだねぇ。レントゲン撮らないとなんともいえないけど、排膿もあるから根っこもちょっと厳しいかも…」
高橋の言葉に吸血鬼の顔が、青白から蒼白になる。
「け、犬歯、抜かれる??それは困る。そうしたら穴開けて血が吸えないし…」
「そうは言ってもなぁ。ちなみにこの犬歯が折れた原因に思い当たる節は?」
「……。井村屋のあずきバーと格闘した…」
吸血行為じゃないんかい、と高橋が心の中で呟く。
座っていてもどうにもならないので、高橋はベテラン衛生士の森田に、レントゲンとついでに頭部のCT撮影の指示をだす。そして口腔ケアと歯石の除去までするように頼むと、パソコンに池水の症状と所見、治療方針などを打ち込みに下がった。
「はーい、池水さんお疲れ様でしたー。さて、レントゲンとCTの画像、壁のモニターに出るから見ててくださいねー」
ユニットに備え付けられたタブレットを操作して、壁に括り付けられたモニターに吸血鬼の画像を映す。
「まずね、レントゲンに映ってる白い歯。この上に黒いシミがついてるでしょ。これ全部虫歯ね。治療した方がいいやつですね。んでね、問題の犬歯。…ここね」
モニター上を矢印が一本の歯をクルクルと囲う。
「やっぱり折れてます。それで根っこの、ここ。黒いぼんやりとした袋みたいなのが見えるでしょ?ここに膿が溜まってて、歯肉から少しずつ漏れてはいるんだけどやっぱり圧が強いのと折れて神経に触ってるせいで痛みが強く出ちゃってるんです。あと、上顎の歯槽骨も溶け始めてます」
「…と、言うことは」
「抜歯一択ですね」
「そんな!」
涙目の吸血鬼が高橋を振り返る。
「そんな事をしたら、私はどうやって…あずきバーを…」
「あずきバーは一旦置いといてくださいねー」
高橋がタブレットを操作する。
モニターには犬歯の代わりに入れる補綴物が並ぶ。
「抜いた後に入れる歯についての説明をしますよー」
「あ、はい」
しおらしく前に向き直った吸血鬼がモニターを見る。
「まず一つは、保険適用の部分入れ歯。一番安いですが、吸血時の咬合圧には耐えられません。すぐ外れるし、何より歯肉との間に血が詰まって不衛生です。んで二つ目が、ブリッジ。両隣の健康な歯を削って橋渡しをします。ただし、吸血鬼特有の強い引き抜き力がかかると、支えの歯まで全滅するリスクが高い。それで、三つ目。山田山市役所の佐藤さんとも相談したんですが……インプラントです」
「いん、ぷら…???」
「インプラントね。溶け始めた骨を埋める作業も必要なんですけど、顎の骨にチタン製のネジを埋め込んで、その上に独立した人工歯を立てるんです。これなら元の歯と同じ、いや、それ以上の強度であずきバーを楽しめます。…これなら現実的に池水さんの仕事やらアイデンティティやらお楽しみやらを守れる選択です」
「おおお!」
目を輝かせた吸血鬼に高橋は続ける。
「でもねー、これ自費診療になるんですよねー」
「自費?…まぁ、保険よりは高いというのは知っている。多少なら貯えもあるから何とか…」
「あ、そうですか?一本56万くらいですけど」
「は、はあ??そんなにするの!?なぜに??」
「んー、まぁ池水さんの特殊な体質?行動?を思うと、普通の人間より2割り増しの値段にはなっちゃうんですけどね。あ、もちろん分割払いも可能です」
「ごじゅ―56万……」
「一応内訳としてはね、まずオペ代でしょ、アバットメントっていう土台とかの部品代、上に立てる技工物…。人工歯の素材が池水さんの場合は特注品になるので、その分が2割り増しの正体なんですけどね。あとは技工料か。ウチの専属の技工士が立ち合ったりするんで、その人の分の代金もかかります」
「……」
吸血鬼の顔色が土色になっている。高橋は小さくため息を着いた。
「とりあえず…抜いてから考えるでもいいと思いますよ?この先も付き合う相棒になる歯の事ですし…」
「……いや、それでいい。いんぷらを頼む」
吸血鬼の絞り出す声に高橋が微笑む。
「インプラント、ね。承知しました。さっきも言いましたけど分割払いもできます。それか市役所の佐藤さんに相談して、市の『特殊技能維持助成金』の申請を出すことも可能だそうで。あー、でも池水さん。インプラントにするなら、タバコ(と怪しい儀式の煙)は厳禁。そして毎日のメンテナンスが必須です。これを怠ると、インプラント周囲炎で56万がドブに捨てたあずきバーになりますからね。そこだけはほんとに気をつけてください」
助手がそそくさと吸血鬼にインプラント治療についての契約書を差し出す。契約書についての説明をしている間に、高橋はラボに電話をかけて技工士を診療室に呼ぶ。
助手の優しい説明に涙目でサインを終えた吸血鬼は、診療室に入ってきた歯科技工士を紹介される。
「こんにちは、初めまして!井村と言います。歯科技工士です。よろしくお願いしますね」
手を差し出して握手を求める若い女性歯科技工士に、吸血鬼がグワッと睨みつける。
「井村?!井村だと!!?」
「池水さーん、落ち着いてくださいねー。彼女、あずきバーの井村屋さんとは、全くの無関係な井村さんですからねー」
高橋の言葉に吸血鬼が黙り込む。
「よ、よろしくお願いする」
憮然と黙った吸血鬼を見て井村が不思議そうに首を傾げる。高橋はそんな井村につらつらと指示を出した。
「井村さん、口腔スキャナー(IOS)でデータも送っておくけど、石膏模型もちゃんと作って欲しい。一本だけだけどサージカルガイドとか準備しといてね。あとフルジルコニアなんだけど、吸血鬼だから、例の…松風から出た1番硬いジルコニア使って、徹底的に焼いて」
はいはいと頷く井村の横で、吸血鬼が萎んでいる。
「じゃ、抜歯準備お願いします」
井村を追い返して、高橋はベテラン衛生士の森田に告げる。
「あとさー森田さん。歯磨き指導も徹底的にお願いしますー」
口腔ケア済みの吸血鬼が、不敵に微笑む衛生士の森田を見て震えた。
「承知いたしました。…池水さん、止血終わったら、歯磨きのやり方、覚えて帰りましょうね?1時間みっちり、付きっきりでやりますからね?」
「…あ、…はい」
こうして、吸血鬼の池水は歯科医院の自費診療をすることになった。
インプラント治療が終わっても、その他の虫歯治療が残っている。池水が高橋の治療を卒業出来るのは、まだ当分先のことであった。
そして、それ以上に恐ろしいベテラン衛生士・森田による徹底したプラークコントロール。
池水が真の意味で「あずきバー」を再び噛み締められるようになるまで、山田山市役所の佐藤が作成した『歯科通院計画表(全二十回)』という名の地獄は続くのであった。




