2.ルームメイト
「その推薦状、わたしに見せていただけますか?」
「あ、はい……」
ラッセリアは一瞬のあいだだけ躊躇した。
もし、推薦状を奪われてしまったら? ほんとうに打つ手がなくなってしまう。
しかし、彼女は少々とまどいながらも結局、その書状を手わたした。
目の前の少女はどう見ても盗人のような真似をしでかすようには見えなかった。上品で清楚で、あきらかに上流階級に属している雰囲気だ。
また、このままこうしていてもしかたないこともたしかである。
(このままじゃ、ほんとうにここに入れなくなってしまう。それなら、この知り合いひとりいない街でどうすれば良いでしょう。野宿? そんなことできるわけない。それに、その先どうしたら良いかわからないですし――)
少女がにっこりとほほ笑む。おどろくほど優しい微笑だった。
彼女は書状へちらりと視線を落とすと、しずかに指さきを動かし、魔法で封印されている箇所をなぞった。
おそろしく自然でいてなめらかな動作。その瞬間、あたかも時間が止まったよう。
あたかも細かい砂金のような繊細な光が紙片のまわりを舞い、淡い鈴の音にも似た音がりいんとひびく。
そして、次の刹那、推薦状はやわらかく光り、あっさりと封は解かれていた。
彼女は何ごともないようにうなずいた。
「たしかに本物ですね。封印強度が強すぎて、通常の衛兵では解除不可能だっただけでしょう。手間取ってしまいましたね」
ラッセリアは唖然と書状を受け取った。
(え、この子、天使さまですか? 神さまがふだん良い子にしているわたしを助けだすために遣わせてくれたんでしょうか。たまには良いことするじゃないですか、神さまも!)
あらためて門番たちのほうを向き、ちいさなからだを精いっぱい威圧的にのばして推薦状を押しつける。
「ほら見たことですか! これで良いでしょう」
門番はいかにも気まずそうにうなずいた。
「失礼しました。たしかに」
ラッセリアはかたわらの少女のほうに向き直って頭を下げた。
「ほんとうにありがとうございます。ものすごく助かりました。あのままだったら行くあてもなく路頭に迷っていたかもしれません。あなたはわたしの恩人です」
「大げさね」
少女が笑うと、その場に花が咲いたかのようだった。
「わたしはリミディア・ガーネット。この〈学院〉の生徒です。あなたは、ラッセリア・アルカンディルさんですね?」
「はい。ありがとうございました」
「いえ、お互いさまです」
リミディアは、その場で、スカートの端を持って優雅に一礼した。
「ラッセリア、〈魔女学校〉へ、ようこそ」
「あの、ほんとうに助かりました」
「はい。さあ、こちらです。ご案内しますね」
ラッセリアはリミディアに連れられて長い廊下を教師たちのいる棟へ向かった。
木製の廊下は静まり返っていた。足音が、ちいさく反響する。窓から差し込む斜陽が床の一部だけを照らし、外の喧騒は嘘のように遠のいていた。
すれ違った幾人かの生徒たちがていねいに挨拶をしてくれる。だれもかれも上品で丁寧な仕草だった。故郷のさわがしい学校とは大違い。
一部の廊下では、どうやら過去の魔女を描いたものらしい肖像画がいくつも並んでいた。
少しこわかったが、べつだん、じろりとにらみつけ来るなどということはない、ありまえの絵であった。
リミディアも、穏やかで淡々としてはいるものの、どこまでも優しい態度で彼女に接してくれた。
ただ、彼女のほうもほんの少し緊張しているようでもあり、仕草のひとつひとつにわずかにえもいわれぬ違和感があった。
意外に人見知りするほうなのかもしれない。
「ねえ、先ほどの魔法、あなたが解いてくれたんですよね?」
「ええ、かんたんな封印解除です。かなり強い力で封じられていましたが、きちんとした手順で結ばれていたから、あまり難しくはありませんでした」
「すごいですね」
「いえ、推薦でこの学院にやってきたあなたのほうがよほどすごいですよ。だれの推薦状なんですか?」
「ポネットおばさんが」
「――え」
リミディアの笑顔が驚愕のためか、ほんの一瞬だけ凍りついた。
「まさか、あの〈沈黙のポネット〉? 〈十三椅子〉のひとりだった大魔女の? 引退して地方にひそんだって聞いていたけれど――」
彼女はそれ以上、なにも訊ねなかった。
(あ。なんだか、この人、何だか優しいですね)
〈魔法学院〉の学生など、もっと偉そうで鼻持ちならない連中ばかりだとばかり思っていた。
しかし、リミディアの言葉にも態度にも、まったくとげがなかった。
しばらくして、ふたりはひときわ大きな建物の前にたどり着いた。荘厳な木製の扉には、金糸で織られた学院の紋章が浮かび上がっている。
「ここが教員棟です」
リミディアが扉を軽くノックすると、中からすぐに「入りなさい」という声がした。
「はじめまして。ラッセリア・アルカンディルです。よろしくお願いします」
教員室の中は古書と薬草の匂いが混じっていた。いかにも「魔女の部屋」という印象だ。
奥の机に座っていたひとりの女性が、眼鏡を直しながらラッセリアを見つめる。黒衣に金の飾り。背筋が定規のようにのびている。
「わたしがこの学院の初等魔導課程を担当するエアリスタだ。ようこそ、ラッセリア。推薦状は確認済みだよ。あなたには〈グリフォン・クラス〉に所属してもらおう。優等生が集まる組だ。精進するようにな」
その声は、低く抑えられているのに、それじたいが何かの魔法であるかのようにひとを制する力が備わっていた。
ラッセリアは内心で少しひるんだ。
エアリスタは彼女の言葉を聞きながら、その目はどこか遠くを見ているようでもあった。
いったい何を考えているのか、まったく読み取ることができない。決して居丈高なわけではないが、どこか底の知れない人だ。
ほんものの〈魔女〉なのだから、当然のことなのかもしれないけれど。
「はい、わかりました」
「それと。きみの居住区に関してはすでに割り振りが決まっている。リミディアと同室になるな」
「えっ?」
思わずラッセリアはリミディアのほうを見やった。彼女は優しく笑った。
「ええ、いっしょですよ。学院ではふたりでひと部屋が基本です」
「そうですか。安心しました」
本心だった。少なくともこの少女は意地悪ではないと感じられる。
「よかった。わたしも、歓迎します」
エアリスタは手もとの書類に目を通しながら、ふたりを見やった。
「それでは、くれぐれも問題を起こさないように。とくに推薦枠は話題になりやすい。わたしの耳に届かないようにしてくれると助かる」
「気をつけます!」
教員室を出ると、ラッセリアはようやく呼吸を整えた。肩の力が抜けて、鞄がずしりと重く感じる。
「ふう。あの先生、ちょっと怖いですね」
「でも、厳しくてとても良い先生ですよ。魔法理論には深い造詣があります」
「そうですか……」
ラッセリアはリミディアの横顔をちらりと眺めた。凛としていて、でも何とも静かな、不思議な人だと感じた。
ただ、どこまで本心から笑っているのだろう――そのような一抹の疑いを抱かせることもたしかだった。
たしかに笑っているにもかかわらず、目が笑っていない。そのように感じられることが、ほんの一二回だけあったのだ。
むろん、あるいはそれは、自分のほうが疑り深いだけで、ほんとうにどこまでも善い人なのかもしれないが、ラッセリアはそういうふうに考えずにはいられなかったのだった。
これが、優秀な〈魔女〉というものなのだろうか、と。