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1.ひとりぼっちの少女、王都に至る

 その朝、高空は陽の光を帯びて青々と晴れあがっていた。


 馬車の窓からそとを見わたせば、新緑と花々に彩られた多彩な廣野(ひろの)がどこまでも、どこまでも広がる。

 そのうえに蛇体(じゃたい)のような煉瓦道(れんがみち)が続き、合わせれば百人は越えようかというキャラバンが進んでいるのだ。


 ラッセリアはなかば寝ぼけたままの目を擦りながら、小柄な肢体を思い切り伸ばした。


 見えてきたぞ、と前方から叫ぶ声が響いてくる。窓から貌を出すと、はっきりと見えた。高く堅牢な石造りの城壁と、そのうえに(そび)え立つ幾つもの古びた尖塔――まちがいない、王都だ。


 やがて、一行は城門にたどり着いた。すでに何百人という人々が並んでいる。胸が高鳴った。


(ほんとうに、王都までやって来れたんですね。ぜったいに無理だといっていたあいつらに見せてやりたいです。わたしはちゃんと成し遂げたって。もちろん、何もかもこれからですけれど)


 やがて、門を通ると、そこにはいままで見たこともない光景が広がっていた。


 濁流のような人の波。

 蜘蛛の巣のように交わり、どこまでも続いているような石畳の道。

 その両側を固める高い城壁と、数えきれない白亜の建物。

 また、見上げるほど高い尖塔が幾本も空を突き刺していた。

 空を見上げればいくつもの浮遊船が飛んでいるのが見え、うわさに聞いていた鉄道の駅らしいものもあった。


 これが、世界の中心〈サラクハ〉。

 魔女たちの学び舎〈魔法学院〉がある都なのだ。


 これまで暮らしてきた辺境の村では、牛の群れが逃げ出しただけで一日中大騒ぎになった。

 もちろん城壁もなければ、石畳の道すらもなかった。井戸の水は夏には干上がり、冬には凍りつくことがふつうだった。

 なんという違いだろう!


(あとでぜんぶ日記に書きます。いえ、書くことがたくさんありすぎます。書き切れるでしょうか……)


 ラッセリアは馬車を降り、重すぎる鞄を引きずりながら広場に立った 


 サラクハの空気は乾いていて、焦げたパンの匂いや、無数の香料の薫り、そして魔力のけはいが混じっていた。あたかも、そのなかにざらりとした痛みの感覚が混じっているかのよう。


 あまりの人の多さと魔法の感覚にすこし酔いそうになって、無意識に手元の包みを握りしめる。そこにはお金のほかに、魔法的に封印された推薦状が入っているのだ。


(ポネットおばさん……)


 その推薦状を書いてくれた恩人の名前を心のなかで呟く。


(ほんとうにありがとうございます。おかげでここまでたどり着くことができました。わたしはこれからこの喧噪のなかで暮らすことになるんですね。なんて面白いところ。それに、ここにはあの〈魔法学院〉があります。魔法がすたれつつあるいまこの時代でも、〈学院〉だけはべつ――そのはず)


 そう――この世界で、魔法はすでに、時代遅れの技術と見なされつつあるのだ。


 錬金術も、空中浮遊も、もはや過去の遺物でしかない。

 蒸気機関や火薬、電信のほうがずっと実用的で、合理的で、何よりだれにでも使いこなせるものなのだから当然のことかもしれなかった。


 魔女の力の最盛期は何世紀もまえの〈契約戦争〉よりもっと昔、〈黄金時代〉と呼ばれる頃だ。

 あまりにも遠い、お伽噺の時代であるとすらいえた。


 しかし、それでも〈魔女〉はまだ存在している。

 とりわけ、この国の王立学院は別格だった。そこは国家によって設立され、貴族の子女のあいだでもひときわ名誉ある進路とされている。


 かつては王家の姫君すら入学していた時代もあったという。だからこそ、ラッセリアはここに来たのだ。

 一人前の魔女になり、富裕になるために。そしてあの野蛮な家、あの虐待的な環境の檻から逃れ、ほんとうの自由を手に入れるために。


 ラッセリアはひとりの少年と向き合った。

 旅のあいだに、いつのまにかすっかり仲良くなってしまったキャラバンの子供だった。

 旅のあいだ道ばたで幾たびもたき火を囲みながら、でこぼこした道の愚痴を話し合った仲。いまになって切ない感傷がこみ上げてくる。


「お元気で。もし余裕があったら北区画の〈魔女学院〉を訊ねてきてください。わたしはそこにいます」


「うん。ラッセリアも元気で。ラッセリアはほんとうは寂しがりやだから、心配だよ。だれか偉い人に減らず口を叩いたりしたらだめだよ」


「大丈夫、わたしは平気です。天地がひっくり返ってもこのわたしがそんな真似をするはずはありません」


 胸を張って力づよく断言する。


 それからそっと両腕を広げ、子供を抱き締めた。

 そのからだの痛々しいほどのちいささが、胸に迫った。

 涙がこみ上げてくるのを懸命に堪え、どうにかその言葉を吐き出す。


「さようなら」


「うん、さようなら」


 離れがたい想いを抑えて、からだを離す。それが、ひと月近い時間を共にしたその子との別れだった。

 かれの姿が人波にまぎれて見えなくなったとき、ラッセリアはひとり、胸の奥に小さな穴が空いたような気がした。

 しかし、振り返ってはならない。


(ここで立ち止まったら、負けです……)


 そして、ほんとうのひとりきりになった。

 恐ろしくはなかった。むしろ眩暈がするほどの自由がまぶしいよう。


 ここから、自分の人生は始まるのだ。〈学院〉の三年間の授業を通して一人前の魔女となり、未来を切り拓く。そのためにこの長旅を我慢してきたのだった。


(このわたしともあろう者が、少し感傷的になってしまったみたいですね……。いえ、やっぱり少しこたえます。ちょっとだけ弱ってしまっているかもしれません。いけませんね。わたしはだれより有能にして冷酷非情な魔女にならなければならないのに。そう――わたしの明るい夢と、暗い復讐のために)


 それから、王都の複雑に入り組んだ道を徘徊すること、三刻ほどもかかっただろうか。


 両足に重い疲労を感じ始めた頃、彼女は、ようやく高い柵で区切られた広壮な敷地のまえにたどり着いた。


 幾つもの広そうな建物が建ち並び、庭園なども垣間見える。その門扉には〈王立魔法学院〉とはっきり記されていた。


「つ、着きましたあ」


 どっと疲労が湧いて出る。


 が、まだ荷物を下ろし休むことはできない。

 〈学院〉に連絡は行っているはずだが、こわもての門番がじろりと睨みつけてくる。かってに入り込むわけにはいかないのだ。

 なかに入るためには、この〈学院〉に入学を認められた生徒であることを示す推薦書を見せなければならない。だが、そこで思わぬ問題が起きた。


「は? 封印を解けないから中身が確認できない? いやいや、あなたが見られないのはわたしの責任じゃないでしょう」


 門前の衛兵が眉をひそめる。


「封印されたままの書状は偽造の可能性が高い。決まりなんでね。中身を確認できない推薦状は、受理できないよ」


 ラッセリアは激高した。


「偽造なんてできるわけないじゃないですか! 正式な魔法封印ですよ?」


 門番は聞き分けの悪い子供をあいてにしているようにちいさく嘆息した。


「そういわれても、規則だからな。世の中には巧妙にひとをだます奴がいる」

「そんな……」


 ラッセリアは一瞬、弱気になりかけた。


(わたしにはこの推薦書しかないんです。これを受け取ってもらえなかったら、行く場所はどこにもないのに)


 しかし、きゅっとくちびるを噛み締め、あくまで門番に食ってかかる。


「は? 封印魔法を解除できないからって、わたしが嘘つきみたいに言わないでくれます? あなたが解除できないなら、解除できる人を呼んできてください!」


 きゃしゃな腰に手を当てて、怒りを隠さず睨み返した。

 門番たちが困ったように視線を交わし合う。重たい沈黙。

 ラッセリアが気まずさに耐え切れず、口を開こうとした、そのときだった。そこへ、ひとつの澄んだ声が割って入ってきたのだ。


「お困りごとですか?」


 そのたったひとことで、門番たちは面白いように動きを止めたのだった。


 ふと見ると、美しい白銀の髪を揺らしながら、ひとりの美しい少女が歩み寄ってくる。


 中性的な整った顔立ち。くちびるにほのかな笑みを浮かべ、制服の銀いろのリボンが風になびいていた。

 そして、その傍らには一匹の綺麗な牧羊犬。どこかの天才画家が描いた絵画から抜け出てきたような非現実感だ。


 その犬の黒い目が、一瞬こちらを値踏みしたように見えた。思わずぞっとする。


 あとから思えば、この出逢いが、のちに世界の秩序を大きく揺らすことになる物語の、そのさいしょの一頁目だったのだ。

 だが、ラッセリアはむろんそうと知ることもなく、ただ、その少女と犬とに視線を吸い寄せられていた。


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