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「なぜ、こんな奴が出てくるのですか」

 毎日21時00分ごろに更新、全42話で第一部完結の予定です。よろしくお願いします。

(やってしまいました……!)


 ラッセリアは幼子のように呆然と双眸をひらき、〈贄の地下牢〉の冷え切った床のうえにへたり込んだ。


(ええっ、ちょっと待ってください、わたし、また何か間違えてしまったんでしょうか? ……いえ、ぜったいしくじりましたよね。さすがにわたしでもわかります)


 やっと、実感が追いついて来る。

 どうやら、人生に一度あるかどうかという盛大な失敗をしでかしてしまったらしかった。


 目の前にとつぜんあらわれた〈そいつ〉に視線を吸い寄せられたまま、呆然と考え込む。


(どうして、こんなことになってしまったんでしょう? こんなはずじゃなかった、すべて完璧だったのに。いや、べつにびびってなんかいませんよ。ただちょっと足が痺れただけですけれど、でも――)


「〈われを召喚したものよ(マイ・ミストレス)〉――」


 その、埃とかびの臭いがただよう、こけむした一室に、低い男性の声が殷々(いんいん)と響きわたった。


「古に交わした血の誓約に応じ、いま、ここに顕現する。わが真名を秘すことは、とくにご容赦を願おう」


 目の前の空間そのものがぐにゃりとひずんだようだった。

 白いチョークで床に描かれた魔法陣の中央に、血のような色の光がはじける。


 と、その陣のなかからひとつの影が立ち上がった。長身、瘦躯(そうく)の若者が少女を異様なまなざしでにらみ据える。


 綺麗――そう思ったことに、ラッセリアは自分でも驚いた。


 腰まで白髪がのび、秀麗な顔を覆っている。その眼球には白目がなく、すべての箇所が夜空のような紫紺(しこん)の色をしていた。また、背中には大きな黒々としたつばさが生え、あきらかに人間ではありえないことがはっきりとわかる。

 しかし、それでもなお、その姿はあまりにも妖しく、ひとの心を強く惹きつけるのだった。この世界の彼岸――反世界の美なのだ。


(何ですか、こいつは。やばい、やばすぎます)


 逃げ出してしまいたかったが、足はがたがたと震えるばかりで動かず、視線を逸らすことすらできない。困惑と恐怖が混然となって心の狭い部屋からあふれ出した。


(どうして、こんなめちゃくちゃすごそうな奴が!? このようなはずじゃありませんでした。もっとちいさくて従順なやつで十分だったのに。良くいる犬か猫のようなあたりまえのファミリアで。こいつはそんなものじゃない。まるで、まるで――)


 伝説の魔王のよう、という言葉は口から出てこなかった。


(なぜです? こんな奴なのに……)


 視線が合うたび、胸の奥が締めつけられるようだった。

 頬の火照りと、凍えるほどの悪寒が全身に走った。瞬きひとつできない。その目に、自分の心の奥までも見透かされているような気がした。ラッセリアは歯の根が合わないほどふるえながら、それでも若者を見つめつづけた。


(こわい――こわいのに、なぜか目が離せない。わたしは気が狂ってしまったのでしょうか。それとも、こいつが魅了の魔法を使っているの?)


「地上は、いつ以来になるだろうな」


 その若者――白髪黒翼の悪魔はひとり呟きながら、非人間的な感慨に耽るように見えた。


「そう――おそらくは〈あの娘〉との契約以来だ。三百年ぶりというわけか。懐かしいというわけでもないが」


 ラッセリアは、からだの震えを抑えながら、精いっぱいの勇気をふり絞って訊ねた。


「ま、待ってください。あなたはいったいだれなんですか? なぜ、ここにあらわれたの?」


「おまえが呼んだんだろ」


 悪魔は呆れたように頭を掻いた。奇妙に若さを感じさせる、どこか少年っぽいしぐさだった。


「おれの名は――いや、おまえみたいな小娘にほんとうの名を名乗るつもりはない。そうだな――おれのことは〈悪意(マリス)〉とでも呼べ」


「マリス……」


 それは、その妖異な魔物にふさわしい名前であるように思われた。


 その長身からあふれ出してくるすさまじい霊威が、未だ未熟な魔女見習いであるに過ぎないラッセリアにもはっきりわかる。あきらかにただ者ではない。


(そう、どこからどう見ても悪者です。性格の悪さが顔に出ています。あとで日記に書いておきましょう。地下室でいやらしそうな目つきの奴に逢ってしまった、って)


 だが、震えは止まらない。

 マリスは低い声で笑うと、獲物を視認したけもののようにラッセリアのからだを上から下まで眺めた。


「なかなか良い顔で怯えるじゃないか。地上に出てさいしょの生贄としては悪くないかもしれんな」


 その声は冗談とも本気ともつかず、きわめてみだらな響きでラッセリアの耳朶(じだ)を撫ぜていった。

 その瞬間、どうにか胸の奥に封じ込めていた後悔や不安が、(せき)を切ったようにあふれ出し、ラッセリアは両手で顔を踊って悲鳴を上げた。魔導書が腕から落ちる。もし、古代の言葉に通じた者がいたら驚いたことだろう。そこには古い魔法言語で〈重篤禁忌指定黒の四〇四番〉と、記されていたのだった。


 マリスは、ゆっくりと近づいてきた。


「まあいい。まずは儀式の続きだ。悪魔との契約が愛欲と快楽のまじわりを必要とすることは知っているだろう? そのたましいの底まで愛でてやろうじゃないか。おれの愛しい魔女よ(マイ・ミストレス)


 ラッセリアは涙にぬれた目でかれをにらみつけた。静かな、緊張感に満ちたひとときがふたりの間を過ぎ去る。紫紺のひとみの悪魔は余裕をもってほほ笑んでいた。

 だが。


「――いやです!」


 ラッセリアはあくまでも屹然(きつぜん)といい張った。


「わたしのからだがめあてなのですね。いやらし過ぎます。この、顔だけきれいなヘンタイ!」


「ふむ、このおれのことを変態よばわりとは、なかなか性根の据わった小娘だな」


「ひと目見ればわかります。もう、その目つきがエッチですから! わたしがいくら魅力的だからってあんまりですよ!」


「なるほど、たしかにちびのわりに体形は悪くないようだが」


 そのまなざしが、いつのまにか衣服がはだけてしまっていたふくよかな胸もとに注がれる。ラッセリアはあわててその箇所を抱き締めた。胸の奥が高鳴り、先ほどまで凍えていたからだがこんどは火照りだすことを感じた。


「ほら、その目つき! それがいやらしいというんです。性犯罪者の目に違いありません!」


「おれはそのような小悪党などではないぞ。ただ、契約の儀式を正しく遂行しようとしているだけだ。いや、契約するつもりなどなかったが――おまえ、少し似ているな。あの娘に。あいつも、さいごまでおれに逆らいつづけた」


 悪魔は、何か遠い記憶を思い出そうとするかのように目を伏せた。

 ラッセリアはかるく首をかしげた。


「いったいだれのことですか? ここは魔界じゃありません、人間の世界へ来たからには人間の規則に従うべきです。こっちでは、そ、そういうのはちゃんと結婚してからするものです」


「――そうか?」


「そうに決まっています。どうせ、あなたみたいなエッチ悪魔にはそこまで待つことはムリかもしれませんけれどね!」


 マリスへ向け「べえ」と舌を出してみせる。もう自棄(やけ)だった。


(わたしはまだ、契約ひとつできていません。でも、こいつに頼むのは何だかイヤです!)


 なぜかはしれず、ここに至るまでのことを思い返し、考える。

 そう、すべては自分がこの王都へやって来た、ひと月まえのできごとから始まったのだ、あのときからすでに自分の運命の糸はすでにこの美貌の悪魔と絡み合っていたのだろうか――と。

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