2-2話『羨望、諦念を知ってその先へ』
何回目か分からない走り込み。だけど翠が一番遅いからあまり回数は重ねていない。
翠にとって最初からもう体力は底をついてる。もう順位とか最下位とか気にしない、どうせ自分が出来ることなんて何もないのだから。
「翠……」
「翠……」
「…………」
最後の翠が走り終わり、十分間休憩を挟む。翠より早く走り込みを終わっていた彗斗と諒が駆け寄って名前を呼ぶが、翠はそれに答える気力も体力もない。
(そっちは終わるのが早い分休憩も長いんだからほっといてよ)
疲れで正常な判断ができていないのか、普段の翠では考えられない思考をしている。だが、それを彗斗達に向かって言っていないだけでも偉いと思う。
答える気のない翠、そもそも二人の方すら見ていない翠に、二人はそっと距離をとった。
「……何ですか」
翠の目の前には美園先生が立っていた。片方の目はジッと翠を見下ろしていた。美園先生はゆっくりと腰を下ろし、地面に座って休憩している翠と視線を合わせた。
「へこたれているな、まだ初日なのに」
だからなんだというのか。走り込みだけでここまで自分はできないって理解した。へこたれるのも当然だろう、自分はできない側の人間なのだから。
「お前、軍の教育機関に行かなくてよかったな。軍の教育機関は今僕がやっている内容より過酷だ。そうだな……外周十週で休憩十分なんて当たり前の場所だ」
「だから、ここにきてよかったってことですか? 僕は何にもできないからここが合ってるって」
美園先生の言葉が余計に苛立ちを増幅させる。全部全部翠に当てはまってることだ。何も言い返せない、その通りでしかないから。
「違う。お前は既にもう諦めてしまっている、どうせできない、どうせ自分は……とな」
翠が思っていたこと全て言われる。どうして今こんな話をしたんだ、皆見てる。翠と美園先生だけに注目している。これじゃあただ自分は何もできないって周りにいる皆に余計に知らしめられるだけだ。
「……翠、お前は自分の区画が負けてしまってもいいのか? いつか兵士になったとき、お前はやっぱりできない、なんて思いながら他区画に勝ちを譲るのか?」
「……っ! 絶対にしないっ、僕は第七区画の勝利のために……!」
翠は立派な兵士になるためにこの桜木教育学校に入学した。立派な兵士になって、第七区画の勝利のために強くなりたい、だからここにいる。その想いは先生といえど大人といえど、誰にも否定されたくない。
「……優依は、最初はお前と同じで体力もなく走り込みもずっと後ろの方だった。だけど優依は遅くても、誰よりも体力がなくても、皆に置いて行かれないように皆の後ろにしがみついて諦めずに走り続けたんだ、例え限界を迎えようとも」
そう言って美園先生は優依に目を向けた。そういえば、最初の方は優依の前を走っていたはずなのに、後半はいつも優依が自分の前にいて走っていた気がする。優依は前にいる沙良と來香に追いつけなくても、いつか追いつけるようにって諦めずに走っていたのかな。
「確かにお前は今は弱い。お前と彼汰を比べれば小人と巨人ぐらいの差が存在する。今は出来ない、はこれからどうとでもなる。だから、気持ちで負けるな」
「気持ちで……」
「心配しなくとも僕は出来ないからってお前を見捨てはしないし、お前だけ教育を放棄なんてしない。訓練はまだ初日だ、最初は出来なくてもここは六年かけて教育をしていく場、強くなりたいと思うならその気持ちを捨てるな」
(そっか、僕はもう諦めてたんだ、どうせ自分は出来ないって)
元々体力もなくて根性もなくて、自分はそういう人間だと思っていたけど、ここで更に再認識したことで諦めてしまったんだ。
美園先生が言った『今は出来ない、はこれからどうとでもなる』。諦めずに、がむしゃらに努力を続けて頑張ったら、自分も強くなれるのかな。立派な兵士に、なれるのかな――。
「はい……! 僕、もう諦めません。今は皆と差が開いてばかりだけど……いつかちゃんと立派な兵士になるために、頑張ります!」
「……ん、それでいい」
よしよしと、しゃがんだ状態で美園先生は翠の頭を優しく撫でた。最初は眼帯のせいか少し怖いと思っていた表情が今は柔らかく微笑んで、とても優しい顔になっていた。
「……よし、休憩終了! 時間的にこの走り込みで最後だ。全員手を抜かずに走れ!」
翠の頭から手を離した美園先生は立ち上がり、自身の腕時計を見て皆に大きい声でそう告げた。
皆それぞれ立ち上がりグラウンドに走りに向かう。翠も行こうと立ち上がったとき、
「翠、走る前に彗斗と諒にちゃんと謝ること。お前のことを心配してたから二人は駆け寄ってくれたんだからな」
その言葉にハッとなり、すぐ二人のいる方を振り向いた。
目線の先には翠のことを心配そうに見つめる彗斗と諒が立っていた。翠はすぐに二人に駆け寄り、
「っごめん、二人とも。僕、自分よりできる皆を見て、どこか苛立ちもあって……二人は僕のこと心配してくれたのに、無視してごめん!」
勢いよく頭を下げた。諒はまだしも彗斗とは学校に行く前からずっと友達なのに。二人の心配もどこか苛立ちに感じてしまっていた。怒ってるかもしれない、許してくれないかもしれない。だけどやっぱりちゃんと謝りたいから。
「そんなに謝らなくてもいいって! 気持ちはなんとなく分かるからさ」
「初日でこれはやっぱりきついもんね、そう感じるのは当たり前だと思うよ」
そんな言葉が上から降ってきた。二人は翠にキツイ言葉を浴びせるわけでもなく、ただ共感と優しい言葉をかけてくれた。
「うし、俺らも走りに行くぞ!」
「今度は僕らもゆっくり走るから、少しずつ僕達と離れないように走っていこう?」
またまた優しい言葉をかけられ、正直二人にウルっと涙が伝いそうになった。だけどそれをなんとか引っ込めた。だって二人に手を差し伸べられているから。
だから翠は今度は気持ちで負けないように、なんとか遅く走ってくれてる二人に置いて行かれないように食らいついて走った。
「……うん、これでいい」
表情が変わり、態度が変わった翠の姿を見て、嬉しさと誇らしさの表情を見せる美園先生。
(俺の役割は……やっぱり少し辛いものがあるな)
目を向けるのは全力でグラウンドを走る一年三組の生徒の姿。特に翠はさっきの言葉がよく効いたようで、一番後ろを走っているのは変わらないのにその顔つきはとても真剣だった。これが、この国の『普通』に染まっている人間が見れば、この光景は一年三組全員にとてつもない期待を向けるシーン。
(本当は、こんな過酷な訓練を受けなくてもいい、戦う必要がない世界になればいいのにな)
本当はそう思っているのに、立場上教科担当と違って『人を殺す』ことを直接教えないといけない彼の心情は複雑だった。この光景も、そう思うことも、何回も体験してきた。だけどこれだけは、何回体験していても慣れない。
(この学校は貴野江理事長……いや、修司の我儘で出来たもの。この国と違う価値観を知ったアイツが、この価値観を忘れてほしくないから、新たに知ってほしいから。だから学校という環境を利用して子供達にそっと教えている)
美園一、彼もまたこの学校で教師をやっていくと貴野江理事長に勝手に決められ、段々生徒達と関わっていくことで理事長の価値観、考え方を知っていき、それを許容し受け入れ、大事にしようと思えるようになった内の一人だった。
その価値観を知ってしまったら、もう若い頃信じていた教えに戻れない。
人を殺し、血を浴び、いくつもの命が散っていく戦場に出向いて一度も知り合ったこともない他区画を敵として教えられ、自分達の区画を守るために敵を殺すことを良しとしていたあの頃に。
「翠、あと……もう少しだぞ!」
「最後まで頑張ろう! これで、最後だよ!」
「……うん!」
彗斗、諒、翠の会話にまた笑みを零す美園先生。他区画の人と一緒に走り、互いに応援し合う。この光景を見てると自然と笑みが零れてしまう。もちろん翠達だけじゃない、他の皆にも同じ感情を抱いている。
「やっと、終わった……!」
「優依ちゃんすごいよ、ずっと諦めないで走ってたんだもん!」
「そうね……私も、キツかったけど……なんとかやりきったわね!」
最後の走り込みが終わった優依と來香と沙良は終わった疲れから地面に力が抜けたように座り込んだ。
初日にして辛いという気持ちもあっただろうが、三人は走り込みを達成した嬉しさから、笑顔で話していた。
「はーー! つっかれたーー! やっと終わったーー!」
「ふう、ふう……彼汰はすごいな、あんまり疲れてなさそうで。さすが軍の教育機関の卒業者」
「確かに軍の訓練と比べたらそうでもないが、俺もちゃんと疲れた」
優依達より先に走り込みを終えた伊月、功雅、彼汰の三人は他の皆が終わるまで地面に座って話している。三人の中でも伊月は地面に寝そべって大の字で体を伸ばしていた。
そして全員が走り込みを終え、少し休憩を挟んだのち、
「今日はこれで体力育成の授業は終わりだ。初日でよく諦めずに走り切った、皆よく頑張ったな。体力育成の授業は毎日一時間はある。だが明日からは射撃訓練、体術も教えていく。今日みたいに三時間連続で体力育成は今後は少なくなるから安心しろ」
これで四時間目から通しで続いた体力育成の授業は終わり、初日の授業全てが終了した。
各自教室に戻り、終わりのホームルームを開始した。
「皆、初日お疲れ様。一年生の初日の授業は体力育成が続くようになってるんだけどどうかな……って、聞くまでもないね。連続で体力育成、よく頑張ったね。こういう感じ授業は進んでいくから、今後とも僕と美園先生をよろしくね」
帰りのホームルームが終わり、翠達は手洗いをしたあと寮の自分の部屋に戻った。
「はぁー、疲れたなあ」
「けど明日からは連続で体力育成の授業は少なくなるって言ってたし、ちょっと安心」
彗斗にそう返す翠は足をさすっていた。普段から運動なんてしない翠だから初日にして負荷の高い運動をしてしまったので足が痛かった。
「明日は筋肉痛になりそうだね、今日はちゃんと湯舟に浸からないと」
諒の言う通り、翠も彗斗も足が痛いから明日から数日は体がバキバキになりそうだった。




