5-1話『固い使命と芽生えつつある感情』
桜木教育学校に入学してから四月が過ぎ五月に入った。
一年三組、図書委員会所属の稲浪 諒は図書室で図書委員としての務めを果たしていた。
今は図書室で本の整理。これは毎回やっていることで、違う場所に置かれた本を元の本棚に仕舞う作業だ。
諒は複数の本を抱えて、一つ一つ別の本棚に戻す。
人は集中すると顔が険しくなるというが、今の諒の表情はまた別のものに見える。
ずっと諒は考えていた。委員会決めが行われた日からずっと、ずっと。
――同じクラスの來香に整備委員会を譲ってしまった件について。
どうして譲ってしまったのか。未だにこの答えが導き出せないままで。
諒は整備委員会に入りたかった。それは自分が成すべきこと、学ばないといけないこと、それに一番近かったのが整備委員会だったから。
第二十四区画出身、そしてそこの武器製造を担う家系に生まれたのが諒。
小さい頃から全区画の武器製造を司る家系の名前、交渉術、銃や色々な武器の知識、武器の製造過程、色々なことを勉強してきた。稲浪家をいつか継ぐ者として、毎日勉学を怠らず続けてきた。それも全部――第二十四区画の勝利のために。
学ぶことは多く、家の敷地から出ることは許されておらず、自室で机に向かう日々。といっても、家が大きく広いのも相まって敷地も広く、あまり窮屈感は感じなかった。
諒が兵士に目指すわけでもないのに兵士学校の桜木教育学校に来たのは、ずっと続けてきた勉強、見学と称して稲浪家が所有する武器製造所を見て回ったりして直に感じたもの。それらを経て、諒は一つの考えにたどり着いたから。
生産されている通常の武器。稲浪家は新武器を考案、実験、そして生産することを軍から許可されている。もちろん最終的に軍からの承諾をもらわないといけないが。
それらを全て見た上で、諒はもっと兵士に寄り添った武器製造を目指さなければいけないと感じたのだ。
敵を殲滅する上でもちろん火力、攻撃力は超必須だ。だけど肝心の使い手である兵士の皆がちゃんと扱えないと意味がない。自分達はあくまで作る側の視点で武器製造、開発をしていると強く実感した。
だから両親や使用人たちの反対を押し切ってこの学校に入学したのだ。
兵士というものを体験し、兵士側の気持ちを理解し、どういう時にこういう持ち手の方がいい。こっちの形の方が使いやすい。使う側だからこそ出る意見というものが出てくるはずだと。
そのために軍の教育機関ではなく、六年間じっくり学べる桜木教育学校を選んだ。
そこで小豆沢先生から委員会と委員会体験週間について説明され、ぴったりの整備委員会を知って、絶対に入ると決めていたのに。
「…………」
明確な理由は分からなくても、自分の中で何かが変わってきていることが分かった。
同室の翠と彗斗と密に関わっているのも何か有益な情報が欲しいから。自分は兵士にならないが、情報はいくらあってもいい。
そう思って、ずっと接してきたのに。段々と変わっていく。
自分が成すべきこと。学ぶべきもの。やらなければならないこと。それらを全て差し置いて、新たな感情が邪魔をする。
初めての実技の授業で行った終わらない耐久マラソン。その時に翠、彗斗と共に最後まで走りきったあの達成感。
自然委員会の体験にいったときの、翠が行った行為、『手を繋ぐ』。表面上では愛想よく振る舞うためにもちろん、嬉しいと言っておいた。だけど本心も、今思えば一緒だった。だから翠と二人きりになったときあんなことを言ってしまったんだと思うし、友達と言われて純粋に嬉しかったのだと思う。
あとは、これは一番最近の出来事。学校の敷地の奥にあった桜の大木。そこで一年三組の皆で花見をした。
やったことがない花見。いきなり昼休みに功雅と沙良達からその話を聞いて行ったもの。あの時の花見も――とても綺麗だったし、何より楽しかった。
やったことと言えばただ皆で話すだけなのに。教室でも寮の談話室でも出来ること。だけどその日は、すごく楽しかった。
翠や彗斗。一年三組の皆。皆と一緒にいること。その全てが諒にとってかけがえのないものになってきている。
だから、來香なんかに譲ってしまったのか。
どうしてなのかは分からない。だけど、着実に自分の中で何かが変わってきている。それをずっと諒は感じ取っていた。
「……僕は」
頭の中で悩みながらも図書委員として仕事は完璧にやる。
どれだけ嘆いたって整備委員会に入れるわけではないし、仕事をちゃんとするというイメージを図書委員全員に刷り込ませておけば後々役立つかもしれない。
情報源を同じ一年生から先輩達も追加できる。
「……あ、もう皆作業終わってたんだね」
「うん、さっき終わったところ。今日の活動はこれくらいにしようかって今来陰先輩が話してたよ」
思っているより考え事してる時間が長かったのか、諒が戻ったときには既に図書委員全員が座って休んでいた。
一番近くにいた同じ一年生の図書委員――影澤 廉から話を聞いて自分も椅子に座る。
「もうちょっとで中間テスト。頑張らなきゃやな! そういえば来陰先輩、恒例のテスト前の勉強会はいつにすんの? まだ決まってないやんな?」
「そうだねー……そろそろ教科の授業も自習時間が増えてくだろうし、来週の休日にしようかな」
夏希は来陰の言葉を聞いて「やった!」と手のひらを丸ませてガッツポーズを作る。
「図書委員会はテスト前に勉強会があるんですか?」
「うん、強制ではないけど成績は大事だからね。だから皆でテスト前には図書室に集まって勉強会をするの」
二人の話を聞いていた廉は隣に座っていた莉子に直接聞き、その返事になるほど、と納得した。
「うちはもう三年生やから頑張んないとな。上級生になる一歩手前やし! 廉くんも諒くんも今からちゃんと勉強しとくねんで!」
名指しで真剣な眼差しでそう言われた夏希に、二人は「はい!」と同じく真剣な声で答える。
(他愛ない会話……)
ほんわかしてる空気にただ一人、その空気や雰囲気を受け入れまいと抗っている者がいた。
いや、抗わなきゃいけないのにこの空気が心地いいとすら思っている。どうすればいいか分からず、戸惑いながらも受け入れつつある自分に呆れを浮かべる――諒。
(分かんなく、なってきた)
少しづつ受け入れつつあるこの現状。
まだ入学してから一ヶ月だ。自分の絆され具合に呆れ通り越して笑えるほど。
やらなければならない使命と、芽生えた感情がせめぎ合いを起こし強くぶつかる。どちらも譲ってはくれなくて、ただ決着がつかないまま硬直状態。
そんな曖昧な状態が今の諒にとって一番辛いものになっていた。
今、この暖かい空気がとても重く、諒に深く覆い被さる。
武器製造としての使命が踏ん張らなければ霞むほど、この暖かい空気は自身にとって毒に思えてくるのだ。
「――――」
深く考え込んでしまう諒に気付いたように見つめる図書委員が一人。
彼女ももう上級生の一人。頼られる側の一人。いち早く気付いた彼女は、諒のことをそっと心配そうに見つめるのだった。
いつもの諒なら自分に向けられる眼差しに気付くものだがこのときばかりは、自身に向けられる瞳に気付かないままで――。
◆◇◆◇◆◇
「――ねえ、諒くん。最近ぼーっとしてることが多いみたいだけど……大丈夫?」
これは翌日の朝、寮共有の洗面所で翠に問われた一言だった。
顔を洗いタオルで拭いてるとき、隣の洗面台を使っていた翠から言われた一言。驚きでメガネを掛けることも忘れて、ただその一言で全ての行動が停止する。
メガネを掛けていない視界はぼやけて何も見えなくて、隣の翠でさえ表情は全然分からなかったけれど、その声色から『心配』してることだけは確かに分かった。
今、この場に彗斗がいなくてよかった。
きっと翠は今自分が酷く動揺してるなんて微塵も感じていない。だけど、これが彗斗なら絶対すぐに分かってしまうから。
朝、翠と彗斗の三人で教室に向かうと既に全員集合していて。先に着いていた功雅が、慌ただしく彗斗に助けを求めるように話しかけた。
要件としては昨日出された数学の宿題を教えてほしいと功雅は言う。
「珍しいな。お前が分からないなんて」
「俺もそんなに勉強得意なわけじゃないんだ。計算は苦手っちゃ苦手だし。でも、教えてくれてありがとう」
「……別に」
諒は先に自分の席に着き、彗斗は教えるために功雅の席の元へ向かいぶっきらぼうながらになんだかんだ丁寧に教えている。
彗斗と自分は似ている。
互いに敵ながらに区画の忠誠心があって、周りを警戒して、そして――絆されるときも一緒で。
彗斗も入学式から比べれば変わった方だと思う。最初はあんなに敵意を向けて、翠以外の頼み事なんてしつこくされない限り全て冷たく断ってきていたのに。
諒が考えるに、この学校に来た生徒は三つのタイプに分かれると思っている。
一つは使命を心に刻みあまり他人と交わらないタイプ。
二つは使命を理解しているが、それよりもこの学校に戸惑いが見られるタイプ。
三つは使命を心の片隅に置きっぱにして今はこの状況を楽しんでいるタイプ。
自分と彗斗と彼汰は一つ目のタイプ。翠と優依と功雅は二つ目のタイプ。伊月と來香とおそらく沙良は三つ目のタイプ。
最初はこの三つのタイプに分かれていて、次第に変わっていくのだと諒は考える。
「――くん。りょーくん!」
「――え、あ……來香ちゃん、どうしたの?」
何度も自分の名前を呼ぶ声が響いて、ハッと上を見上げる。
そこには一冊の本を持っていて、その表情は名前を呼んでも返事がない諒に対してか、心配で瞳に曇りがかかっていた。
「この本翠くんが今図書室で借りてるらしいんだけど、私も似たような本読みたくて。この本と同じような本ってまだ図書室にあるかな? 諒くん図書委員だから知ってると思って!」
軽い言葉。図書委員だから、その言葉が脳裏に響いて残る。
だけど、どうしてか怒りが湧いてこない。本当は整備委員会に入りたかった。それで今まさに悩んでいるはずなのに、整備委員会に入っている來香にそれを言われる。普通なら怒り、嫌悪、色々な負の感情が湧いてきてもいいはずなのに。
「あー……この小説ファンタジー系のやつなんだ。それなら翠に本棚の場所聞けば、その近くに似た本置いてあるよ。分からなかったら図書委員の人達に聞いてみて。もし僕が当番の日だったら僕が案内するし」
「うん、分かった。ありがとう、諒くん! とりあえず翠くんにもう一回聞いてみるね!」
そう言って走り出しそうな勢いで、来香は翠の席の方に向かっていった。
いらぬ言葉を付け足してしまった。『もし僕が当番の日だったら僕が案内するし』なんてこれじゃあ自分が來香のこと助けたいみたいだ。
どうして敵である來香に整備委員会という席を奪われた挙句、いいように使うことを自分自身が望むように許可して。気持ちの整理が追い付かない。
どうしてそう思ってしまうのか。どうして何も感じないのか。何も、分からない。
そこにあるのは置いて行かれた自分の感情だけだ。
それが自分自身が感じているはずなのだろうけれど、自分が一番分からなくて理解できない。だけど嫌だとは思わない。
本当に――、
(どこまで僕は変わっちゃうんだろう)
それが怖いような、このまま身を委ねてしまいたいような。そんな気持ちだ。
◆◇◆◇◆◇
その日の放課後、諒は図書委員会の活動があり図書室にいた。
色々気持ちの整理がつかない諒は、最初に来陰副委員長に今日行うことを聞いたあとすぐに一人作業に没頭するように図書委員から距離を空けた。
図書委員会の活動のほとんどの、本を元の本棚に仕舞う作業。
(あ、この本……)
手に取ったのは來香が今日聞いてきたファンタジー系の小説だ。
諒もこの学校に来てから始めて知った本のジャンル。まるでおとぎ話のような本。世界観は一緒なのに、そこから別々の物語が展開される。
その他にも恋愛、コメディー、色々なジャンルの小説が揃っている。
元の場所に戻さないと、と置いてある本棚まで向かうと、正面からやってきた来陰と鉢合わせた。
来陰は臆病で、委員会の入りたての頃は現図書委員の四年の莉子と三年の夏希の後ろに隠れられ、同じ一年の廉と顔を見合わせ苦笑いを何度もしていた。
そんな来陰とは今はなんとか莉子や夏希にすぐ隠れないぐらいには慣れてくれている。
「ね、ねえ……諒くん」
「! え、は、はい!」
図書委員が全員いるところでは怖がられなくなってきたが、まだ対面だと来陰とは話したこともない。
そんな彼女が自分から話しかけてきた。その事実にとても驚いて、変に緊張して返事が高くなる。
「えと、珍しいですね。副委員長から僕に話しかけるなんて」
「いや、その……ちょっと気になることがあって……」
持っていた本をバリケードにするように自身の顔の前に持ってきてそのまま話す来陰は、結構な勇気を振り絞って諒に話しかけてきたらしい。逆にこっちが申し訳なくなる。
「その……もう直接聞くけど――諒くん本当は、どこの委員会に入りたかったの……?」
「……へ……」
高学年だけど、普段の来陰を見ているから油断していた。本当に直球にそう聞かれるとは思ってなくて。
なぜ、それを知っているのか。そう思うよりも喉は先に返事をしていて、考えがまとまらない頭では抜けた返事しか出なかった。




