2.8-5話『責任とこれから』
咲弥はとても大事な人の才能、その先の人生、道を潰した。
あの時は浮かれていて、周りなんて見ずに一人で勝手に突っ走って――、
「――お姉ちゃん!! ごめんなさ……っ、ごめんなさいぃ……っ。……目を覚まして、お姉ちゃん……っ!」
物部 咲月――自身の姉のこれからの道を、閉ざしてしまったのだ。
姉は優秀だった。
文武両道、才色兼備、頭脳明晰、非の打ち所がない完璧な人。それでいて他人を見下すことをしない。むしろ一緒に頑張ろうと手を差し伸べて鼓舞してくれる存在。それが咲弥にとっての姉だ。
才能があって完璧な姉、そんな姉のようになれと応援してくれる両親。咲弥は幸せだった。
姉のようになりたいと毎日努力するも、心の中では絶対に追いつけないことは分かっていたのかもしれない。だけどそんな完璧な姉を恨んだりも妬むことも一切なかった。だって咲弥は姉の咲月のことが大好きだから。
学習校舎で行われたテストで百点を取って嬉しそうに報告する咲月、先生や近所の人に褒められて笑顔で嬉しかったことを咲弥に共有してくれる咲月。
――その全てが大好き。
咲月は才能があって完璧で、素晴らしい人格の持ち主。
他の人なんて興味ない。咲月が全てにおいて完璧だから。今は地位が高くて下を見て優越感に浸っている大人も、いつかは咲月がそのもっと上に立つ。姉はそれを成すことができる完璧な人だ。
咲弥が嫌なのは姉の邪魔をすること。それは他人も自分も対象だ。
姉が勉強してるときは極力関わらない。もし自分が邪魔して姉の成長の妨げになってしまうのならそれは一生許すことではないから。
昔の咲弥は良くも悪くも妄信的だった。才能という分野でも、人としてのことでも、全てが完璧すぎる姉が傍にいたことで、咲弥の思考の半分は姉の存在がずっとそこにいた。
真面目な性格が裏目に出たのか、決して崩れることのない完璧な存在を見守ること。見届けること。邪魔しないこと。それを信条にするほど咲弥の心は揺るぎないものになった。
だから、両親以上に姉が一番なのだと微塵も疑わなかった。
咲月が十歳、咲弥が七歳のとき、咲月は軍の教育機関を受けた。結果は何事もなくすんなりと合格。女性という立場にも関わらず周りを寄せ付けない完璧なオーラは、初めて会う人でも感じられるものだったらしい。
全ての中心が咲月だった咲弥は姉が兵士になるために教育機関に行ってからぽっかりと穴が空いたような虚無感に襲われていた。
軍の教育機関は三年という月日で兵士になるための全てを教えられる。その間は軍の方の寮で暮らすため、三年間姉とは会えない。そして無事乗り越え兵士になれば完全に移住先が軍の寮になるから、その先のことを考えると、いつも咲弥は億劫だった。
いつも自分の行動理念、原動力が姉だった咲弥は傍にいた大事な柱が一本無くなれば、途端に行動力がなくなってしまう。
孤独で、何をしても力が入らない三年間を過ごし、教育機関を無事卒業した姉が、やっと家に帰ってくる。
姉は十三歳になっていて、たくましく、大人っぽく、更に優秀になっていると咲弥は感じた。
その日の食卓は賑やかだった。教育機関の三年間を語る姉。楽しかったことも、大変だったことも辛かったこともあったけど、将来を担う兵士になるための訓練を受けれてよかったと咲月は語る。
姉の話によると三日後には主力軍隊に戻らないといけないらしい。この三日間は寮に持っていくものをまとめたり親に挨拶したりする期間なんだとか。
「じゃあもう、お姉ちゃん三日後には行っちゃうんだ……」
「そうだけど、お休みの日もあるって言ってたから、たまには家に帰ってくるよ!」
寂しそうに呟く咲弥に、咲月は手を握りしめながら優しくそう言った。
握ってくれた姉の手のひらはこわばっていて治りかけのマメが沢山出来ていた。これも、三年間頑張っていた証拠なんだろうなと思う。
姉が頑張ってきた証ともいえるものに触れられて、咲弥は感動を隠しきれなかった。
「咲弥も十歳かぁ。咲弥は将来どうするか決めてるの? 私と一緒で兵士になるか、第十六区画の子孫繫栄のために家族を作ることに専念するか。二つも選択肢があるんだから咲弥が自由に決めていいんだよ」
咲月が触れた質問。咲弥はこの時だったら兵士になるとは言わなかっただろう。
自分は姉と違って完璧ではない。姉を引き立たせる役にもなれない。手助けすら出来ない自分は大人しく姉とは別の観点から区画に貢献することだと。咲弥は十歳にしてそこまで考えていたのだ。
そんな内なる想いを言ったら、姉は絶対そんなことないと言ってくれる。決して見下さない、一人一人を否定せず尊重、応援する咲月はきっと優しく諭してくれるだろうから。
「……そうだね。私も決めていかなくちゃ!」
姉の邪魔になりたくない咲弥は、その日聞かれた答えを濁した。
翌日、姉は寮に行くための荷造りを始めた。ベッドとか机、最低限のものは既に揃っているから引っ越しとは違って持っていくものは少ない。
少ないとはいえ姉の私物が減っていくのを見て、咲弥は寂しさを覚えた。
「咲弥、久しぶりに一緒に遊ぼうか!」
荷造りを終わらせた二日目。部屋にやってきた咲月は本を読んでいた咲弥に手を差し伸べて明るく誘う。
姉は気付いていたんだと思う。いなくなる咲月の寂しさ、虚無感を覚えた咲弥を。
だからそのために明るく遊びに行こうと誘ってくれた姉に本当に尊敬を覚えた。
「……うんっ!」
だけど、その日咲弥の心の奥深くに刻まれることになる。
――大好きで尊敬してる姉の可能性を潰した日として。
誘われて、咲弥は公園に行きたいと道中姉に話した。
姉と二人きりなんて軍の教育機関の三年間を除いて、日ごろから姉の邪魔にならないように努めているから本当に久しぶりだった。
だから――相当浮かれていたのだと思う。後先のことなんて何も考えないで、目先の楽しみだけを見つめて。
もしかしたら起こるかもしれない事態を何も考えていなかった。
「お姉ちゃん、早く早くー!」
「あはは、咲弥早いよー。そんなに急いだって公園は逃げていかないよ!」
咲弥は握っていた姉の手を離して走り出した。
後ろから追いかける姉を見ながら前も見ずに、走り出した。
「――! 咲弥、危ないっ!」
咲弥達が向かったのは近所の小さい公園ではなく、区画の中心部にある大きめの公園。敷地が広くて遊具も沢山あって、噴水もある。
咲弥達が向かった入口は、下る階段がある場所だった。
「えっ――」
後ろにいた姉を見ながら前へ走っていた咲弥は、姉の必死の声が聞こえた瞬間――宙に浮いた。
瞬間、気付いた。自分は今、階段を踏み外して、落ちそうになっているということに。
見える視界には既に必死にこちらに手を伸ばしている姉の姿が見えて、この瞬間だけ時間が遅くなったように感じた咲弥は、このまま落ちてしまうと、反射的に目を瞑った。
瞑った瞬間、抱きしめられる感覚と共に、階段から落ちた。
だけど、痛くない。地面に落ちた音、衝撃を感じたはずなのに、全然痛くなかった。
目をゆっくりと開けた咲弥が見たのは、自分を抱きしめながら目を覚まさない姉――咲月の姿だった。
「女の子二人が階段から落ちた!!」
「庇って下敷きになっている子がいる! 意識がないです、早く病院へっ!!」
公園にいた大人たちが二人に駆け寄ってきた。姉は階段から落ちそうになった咲弥を守るために、自分が下敷きになっていたのだ。
落ちた衝撃で姉は意識がなく、周りの大人たちの早急な対応のおかげで早く病院に行けた。その後は、咲弥は両親と一緒に病院へ。
数日の闘病の末――咲月が課されたものは、兵士になれないという残酷な事実だった。
落ちた衝撃で足が使えなくなってしまったのだ。そのせいで、三年かけて軍の教育機関を卒業したのは上の判断でなかったことになった。
――姉の邪魔をしないこと。
ルール。それを、咲弥は破ってしまった。両親から聞かされた日は、わんわん泣いた。自分がしてしまったことは取り返しのつかないことで。それを、尊敬してて一番大好きな姉にやってしまった事実。
それが、ずっとずっと咲弥の中でぐるぐる心の中で回っている。
「大丈夫だよ! 一生治らないわけじゃない。リハビリをすれば動かせることが出来るかもって先生が言ってたんだ。もう一度兵士として貢献出来るように、今はそれを頑張る。……だから、そんなに泣かないで? ――咲弥が無事でよかった」
病院のベットで咲月は泣きじゃくる咲弥を抱きしめた。
今、咲弥は十三歳で、咲月は十六歳。もし事故がなければ、姉は既に兵士として活躍している。もしかしたら地位だって昇格しているかもしれない。
だけど、そんな『もしも』の可能性を、咲弥は潰してしまったのだ。
今でも思う。――自分が使えなくなればよかったのにって。
◆◇◆◇◆◇
過去の話を話した咲弥は、おずおずと顔を上げる。
側で何も言わずじっと話を聞いていた晴峰先生は、今咲弥が悲しい顔をしているからなのか、同じように悲しい顔になっていた。
「今でも、怖いんです。自分が前にでしゃばると、誰かの可能性を潰しちゃうんじゃないかって。お姉ちゃんはまだリハビリをしてます。大丈夫だよって言ってくれたけど、私は……」
全部話したら当時のことを感情も込みで鮮明に思い出して、目に涙が溜まる。
自分のせいなんだ。全部自分のせいで、泣きたいのは姉の方で、咲弥にそんな権利はないのに。
「咲弥は、どうしてこの学校に来たんだ?」
優しい表情、優しい声色で、柔らかく問いかける。そんな晴峰先生の優しい声で問いかけられたら、抑えてる涙が溢れそうだ。
「今まではお姉ちゃんの邪魔になりたくなかったから、兵士になるっていう選択肢はなかったんですけど……私のせいで、お姉ちゃんは兵士になれなくなったから。その、責任を取らなきゃって。もしお姉ちゃんの足が治ったら、軍にお姉ちゃんの居場所がないかもしれない。だから、お姉ちゃんの場所を守りたくて」
震える声で言葉にしてくれた咲弥に、晴峯先生はホッと安心した。
この子はちゃんと思っていることを言葉にしてくれるのだと。
「そうか、責任をずっと感じてるんだな。――だけど、お姉ちゃんはそう望んでいるのか?」
「え……?」
「責任を取るというのは大事なことだ。それが自分が招いてしまったことなら尚更。だけど、六年間それだけのために人生を捧げるのか?」
「それだけのためじゃない……! お姉ちゃんは私にとって大事で、完璧な人。絶対に見下されちゃいけない存在なんだ」
顔を上げて、咲弥は反抗した。それは姉に対してすることを『それだけのため』と軽く扱われたのが嫌だったからだ。
「すまない、そういう意味で言ったんじゃない。ただ、ずっと重い責任を抱えながら過ごすと、息が詰まると思わないか?」
「そんなこと思わないです。お姉ちゃんのためにすることに、私は何も……」
「――私は君の担任だ」
静かに声を上げてそう言った晴峰先生に、咲弥の言葉が途切れる。そして真っすぐにこちらを見て、
「咲弥はもっと、自分のことについても考えてみてほしい。自分のせいで姉を怪我させてしまった責任感がずっと伴うのは分かる。だけど、おそらくきっとそのままだと、ありふれた日常が楽しくなれない。責任を忘れろなんて言わない。ただ、咲弥の行動理念の中に姉以外のものも入れてほしい」
初めての価値観だった。姉以外の想いを持って行動してほしいというのは。
咲弥の中で姉を忘れることなんてない。姉を邪魔しないように。すべての行動を姉のために行う。それが今までやっていたものだったから。
「そうだな。来週の委員会決めでは、あまり馴染みのないものに入ってみるのはどうだろう? いきなり自分の考えで動くというのは難しいだろうから。クラスメイトと交流を深めて、委員会に入ったら、その先輩たちと行動を共にする。そうすれば自然と、姉のためではなく、自分がやってみたいことが見つかると思う」
「自分が、やってみたいこと……」
「さっきも言ったが、責任を忘れろとは言わない。ただ、もう少し自分を大切にしてほしい。咲弥が話してくれたお姉ちゃんはきっと、無理をしてでも兵士になって居場所や地位を確保しとけ、なんて言わないだろうから」
自分がずっと信じていた物事とは別のもの。以前の咲弥だったら適当に返事をして、そのまま受け流していただろう。
晴峰先生はまだやることがあるからと、教室で解散となった。図書委員会の体験の後に晴峰先生とお話をしていたから、夕焼け色ももうすぐ暗くなりそうだった。
自分を大切にする。姉のためではなく、自分のために動く。
そう晴峰先生が言っていたけれど、難しい問題だ。以前の咲弥とはまったく違う過ごし方。
ゆっくり廊下を歩き、外の景色を見つめる。
少し、昔のことを思い出した。
姉の邪魔にならないように。姉は誰よりも完璧な人だから、それを穢してはいけない。それだけをずっと覚えて姉と接してきたけど、姉にとっては違かったのかもしれない。
姉を邪魔しないように家の中では気配を、存在を出来るだけ消して勉強の時間に集中させる。
だけどいつだって姉は――咲月は、咲弥に一緒に遊ばないか誘ったり、一緒に勉強しないかと提案してくれたり。
完璧な姉に自分なんかのために時間を割いてほしくなくて、誘いの半分以上は断っていた。思い返せば断ったときの姉は悲しそうな、寂しそうな表情をしていた気がする。
晴峰先生に言われるまでもなく、姉はそれこそ小さいときから、ただのどこにでもいる姉と妹として、過ごしたかったのかもしれない。
それに、晴峰先生に言われて思い出した。姉に怪我させてしまったあの日、姉が中心だった家庭内で両親に酷く怒られた咲弥。だけど、本人の咲月は全然怒っていなくて。むしろずっと優しい言葉を咲弥にかけてくれた。
――答えは見ないふりをしていただけで、ずっとずっと見えていたのかも。
◆◇◆◇◆◇
月曜日の六時間目、本来は授業だが今回は違う。一年二組では委員会決めが行われていた。
結果は、
咲弥、総務委員会兼、一年二組の副学級委員長。
穂佳、保健委員会。
果帆、安全委員会。
遥、飼育委員会。
世羅、整備委員会
というものになった。
「まさか果帆ちゃんが安全委員会だったなんて思わなかったよ」
「うん、決まるまで黙ってないといけなかったから……ごめんね、穂佳ちゃん!」
決まり終わったあと、時間が余りうるさくならない程度に雑談OKになり、早速皆で委員会のことについてお喋りが始まる。
「飼育委員会に入れてよかったじゃーん、遥く~ん」
「世羅、そのニヤついた顔やめろ!」
少し席を移動して遥の元に訪れた世羅は、辛辣な歓迎言葉を浴びる。だけど、お互いに嫌な雰囲気ではない。
「皆何の委員会入るのか予想してたけど、果帆を除いて結構予想外のところに入ったんだな」
そう言って世羅の目線の先には、咲弥がいた。
その言葉にいち早く反応した果帆は体を傾けて咲弥と目を合わせ、
「うん、まさかって思ったよ!」
「私もあんまり咲弥ちゃん乗り気じゃなかったから、ここには入らないって思ってた。だけどまさか、総務委員会に入るなんてね」
果帆、咲弥。気付いた世羅と遥の視線を浴びて、少し恥ずかしそうに咲弥はくしゃっと笑う。
「色んな人達の話を聞いて、学校に行く前だったら絶対にやってなかっただろうなって思うことにチャレンジしてみようと思ったの。それでまず、総務委員会。流石に学級委員長は私なんかにちゃんと務まるか不安だったから、副学級委員長に立候補してみた」
「おー、一年二組の副リーダー誕生だね!」
果帆はニコニコと明るく笑う。明るい声色で告げられる言葉にマイナスな気持ちは沸いてこない。
(お姉ちゃん、私頑張るよ!)
新しいことにチャレンジするのに、不安をあまり感じない。むしろワクワクする。どんなことをやるんだろう、この先どうなっていくんだろう。疑問も多いのに不思議と怖いと感じない。
挑戦ってこういう気持ちなんだって実感する。
「遥くん、総務委員会が合ってるんじゃないかって言ってくれてありがとう」
「……別に。俺は聞かれたから答えただけだし」
一番初めのきっかけともいえる遥に笑顔でお礼を言う咲弥。遥は数秒咲弥を見つめたと思ったら、ばっとそっぽ向きぶっきらぼうにそう答えた。
「皆、これから委員会活動頑張ろう!」
「おー!」
咲弥の言葉に合わせて、五人は握り拳を上に掲げ、元気よく大きい声で返す。
その光景を教卓から見つめる晴峰先生は穏やかな表情と共に、あまり大きい声を出さないようにと注意をするのだった。




