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にがあまメモリーズ  作者: 空犬
『陽春の章』
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4-3話『気を付けないといけないこと』

 黄甲と一緒に手を繋ぎ戻ること数分。

 翠と心優が一緒に作業していた校舎裏の花壇付近には自然委員の皆、顧問の詠田先生まで揃っていた。


 奥から翠の姿が見えた心優除く全員が「翠ー!」と手を振っていたりと、なんともらしい歓迎の仕方だった。ただ一人を除いて。


「あ、星奈せんぱ……ぐはッ!」


「うわーん! 翠くん無事でよかったよぉ……! 私、ずっと心配で……っ」


 心優は翠の姿が見えた瞬間こっちに駆け寄り、力加減など考える余裕などなかったのだろう。走った勢いをそのままに、そして力強く翠を抱きしめ、腕は翠を逃がさないかのように背中に回して固定。

 その勢いに一切慣れていない翠は大きな衝突に汚い声を上げる。


「ほ、星奈、先輩……く、苦しいれす……!」


「うう……本当に、何もなくてよかった。ずっと怖かったんだからぁ……!」


 抱きしめる力が強すぎてまるで首を絞められているような圧迫感の襲われ、鈍い声で心優に声を掛ける。

 心優は自身の泣き声で翠の掠れた訴えが聞こえていないのか力強さは相変わらずだった。翠はなんとか顔を動かし心優の表情を見る。二つ歳が違う先輩が自分を強く抱きしめながら声を上げて泣いている。それほどのことを、翠はしてしまった。ただ好奇心の赴くままに。


 今日のことは翠の中でもちゃんと反省することにした。そもそも委員会活動の途中だったわけで、授業でいえばサボっているのを同じことだから。


 自分のせいだとはいえ、こんなに泣かれるとこっちも気まずい。これで大丈夫だよ、と伝えられるか分からないが、心優の力強い抱擁からなんとか腕だけを抜き、翠からも心優の背中に腕を通し抱きしめた。そして、


「星奈先輩……あの、本当にごめんなさい。作業しないでどこかに行って……」


 ちゃんと、謝罪の言葉を添えて。


「ううん、翠くんが無事ならそれでいいの……っ」


 よかった、と小さな声でそう呟く心優は抱きしめる力を少し緩めた。

 一段落ついた翠と心優の会話に側にいた自然委員会の皆も混ざる。


「よかったよ、翠がどこも怪我してなくて。もう一人でどこかに行っちゃだめだからな! 副委員長命令!」


「翠くんが見つかってよかった。皆……特に心優先輩はずっと泣いてたから」


 いつでも明るい陽向も翠の勝手な行動にはちゃんと注意をした。いつも自由気ままにやっている陽向も自然委員会副委員長だから。

 叶奏の言葉には翠自身に刺さるものが多い。特に心優はずっと泣いてたっていうところ。翠が奥の壁まで辿り着いて、傍に植えてあった桜の大木に心を奪われて夢中になっている時にそんな事態になっていたと思うと、その光景を容易く思い浮かべることができて心が痛くなる。


「翠」


「……伊集院先輩」


 最後に渚が腰を曲げて、抱きしめられて動けない翠と目線を合わせた。

 陽向には初めてちゃんとした注意を受けた。だけどいつもの陽向の『状態』で軽めの注意を受けたのだ。


 だけど渚は最初に翠、と名前を呼んだだけ。その声色が、翠がそう思っているからなのか余計にその一言だけなのが恐怖をかき立てる。


 心優は今もグスッと鼻をすすっている。未だ抱きしめられているからこの空気から逃げられない。固定されているようなものだから顔も逸らすことができない状態だ。いや、悪いことをしたのはこちらなわけだから逃げるも逸らすも何もないんだけど。


 いつも穏やかで優しい渚からとうとう本気のお叱りを受けることになるのか。考えただけでも怖くて身震いがする。

 渚の口元が動きそうになるのを見て、どんな罵詈雑言が出るのかと反射的に目を閉じる。


「……翠に何もなくてよかったよ。でも、次からは気を付けること!」


「ふえっ?」


 思っていた言葉が飛んでこなくて、思わず目を開き間抜けな声が翠から飛び出る。

 目を丸くしている翠を見て、ぷっと渚は吹き出した。そしていつもの渚みたいに「ふふっ」と柔らかく笑った。


「怒られると思った?」


「は、はい。星奈先輩が泣く程のことを、僕はしてしまったんだと思うし……」


「翠が今考えている理由ではないんだよね。心優がここまで泣いているのは」


 その言葉に「え?」としか言葉が出てこなかった。チラッと抱きしめている心優を見上げると、さすがにもう泣き止んでいるが、まだ鼻声だ。そしてもう一回渚の方を見ると、


「桜木教育学校は必ずしも安全に、そして楽しく知識を学べるわけじゃないんだ。学校は悪い噂も多い。僕達の知っている常識とはかけ離れているところもあるからね。ここは色々な区画から十三歳から十八歳までの子供が一纏めにここにいる。――だから、悪いことを考える勢力も多いんだ」


「……?」


 翠は首を傾げる。今までの渚の声色からして真剣なのは感じることが出来たのだが、内容をいまいち理解できていない自分がいる。


「この学校は他区画や、それにすら所属していない別の勢力から攻撃を受けることがあるんだ。主に誘拐だね、まだ知識を学んでいる途中の僕らを狙って、自分達の区画に引き入れて、自分達の兵士として育て上げることが目的なんじゃないかな。……それが、年に一回は絶対にあるんだ」


「そう、なんですか……?」


「他区画に無理矢理誘拐されて連れ去られて、敵なのにその区画を守るための兵士にされる。今の翠なら、この屈辱は一番理解できるんじゃないかな」


 それはそうだ、と思った。もし仮に自分が誘拐されて敵の区画に引き連れられてその区画のために戦わないといけないなんて考えるだけでも身の毛がよだつ。この状態で第七区画と戦争にでもなれば、だったら死んで自分という敵の戦力を消した方がいい。

 それで第七区画が勝てるのなら、翠は喜んでそれを実行するだろう。


「心優がこんなに泣いているのはそういうわけなんだ。学校設立から十八年、そういうことが起きるのは門庭のみだけど、いつ第二の壁を超えて学校の敷地まで侵入してくるか分からない。自然委員会は頻繁に門庭に行くことはないけど……気を付けるに越したことはないよ」


「……はい、これからちゃんと気を付けます」


「ああ、そんなに落ち込まなくてもいいからね? 注意はしたけど、本気で怒っているわけじゃないから。次からちゃんと気を付けてくれれば、僕はそれでいいからさ」


 腰を戻した渚は翠と抱きしめている心優事ぽんぽんと頭を撫でた。翠の隣にいた黄甲はその状況に安心すると「じゃあ、僕は持ち場に戻りますね」と奥に消えていった。


「翠くん! 最初だから今日は大目に見るけどもうこんなことしちゃだめだからね!? たまたま翠くんが行った場所が黄甲さんがいる場所だから、もし何かあっても守ってもらえるだろうけど……下級生はまだ学んでいる途中だから安全面の考慮で銃や武器を携帯できない。……もしそれで何かあったら……こうやって心優や他の皆が悲しむことになるの。それだけは、ちゃんと理解してね」


「はい……」


 後ろに控えていた顧問の詠田先生がずんずんこちらにやってきて、心優の抱きつきから解放されたと思ったら今度は詠田先生に両肩に手を置かれ逃げられないように。その状態でちゃんとしたお叱りを受けた。


 その瞬間、一つの鳴り響く銃声音が聞こえた。

 翠、叶奏、心優、下級生の三人はその音に体を震わせるが、上級生の渚と陽向、そして詠田先生は何も焦ってなく、いつも通りの表現だった。

 立て続けに聞こえる銃声に翠はさっき言われた『誘拐』という言葉が脳裏に浮かぶ。


「今のは安全委員会のものかな。今日見回りしたら野山で射撃練習するって龍輝(りゅうき)が言ってたから」


「翠、さっき渚先輩が言ってたことにならないように、安全委員会は門庭全域を見回りしてるんだ」


 渚の落ち着いた態度、そして銃声が聞こえたのに陽向の翠に教えてくれるその余裕さ。二人にとって分かっているものでもこれは心臓に悪い。


「学校の銃は作りが違うから発砲音が違うんだよね。僕と陽向はその違いが分かっているし、その後に別の発砲音が聞こえないから何も焦ってないだけ」


 そう当たり前、なんていう表情で言われても、と翠は思った。

 詠田先生のお叱りの勢いとさっきの銃声音で翠の顔は相当しょぼくれている。

 だけど最後には皆が「よかった」、「無事で安心した」などの優しい言葉をくれて、心の底から翠は嬉しかった。



・・・・・・



 翠いなくなる騒動の後は翠と心優が担当していた花壇を全員で分担してやり終え、そのまま委員会は終了。片づけを済ませて解散となった。あんなことをしてしまったため、いつもより遅い時間帯に作業は終わった。

 翠は皆で寮に戻り、軍手をしているとはいえ土を触っているためすぐに手洗いをし、部屋に戻ろうと足を進めた。


 寮に入ったときは見えなかったが、部屋に戻るとき談話室の奥の隅っこに彗斗が座って何か作業しているのが見え、部屋ではなく座っている彗斗の元に向かう。


「彗斗!」


「ん……? あ、翠か」


 集中していたのか翠の声に少し遅れて返事をする。彗斗は一人で椅子に座り、テーブルにはたくさんの表や大きい数字が書かれた用紙。その一番上には今日配られた宿題が。

 今日は監査委員会の活動がないと言っていたからずっとここでテーブルに置いているプリント達をやっていたのか。


「宿題と……こ、これらはもしや……」


「ふっ、そう、このプリント達は昔の監査委員会実際に作ったコピーの予算表だ」


 ニヤリとして答える彗斗を見ながら、今日はことごとく翠の予想は当たる。

 その大きい数字が見えた瞬間翠の脳裏に浮かぶのは監査委員会体験の地獄の計算だった。ちなみに、監査委員の人達はいい人。誠も未舞もずっと翠に付きっきりで教えてくれたから。

 だけど、それよりもあの計算地獄が一番に思い出してしまうのだ。


 何回も言う。監査委員の人達は、とても良い人だ。


「う、思い出しただけで悪寒が……」


「そんなにか!?」


「あはは、今のはちょっと演技しちゃった」


 彗斗の「なんだよー、もう」と言う言葉に二人は互いにぷっと吹き出す。

 そのまま彗斗の向かいに座った翠はテーブルに置いてあるコピーの予算表を取り一枚一枚見る。


 彗斗の字で書かれたそれは消しゴムで消した跡もなく、間違っているよのバツのマークもなく、五桁のある数字が何個もあるプリントが何枚もある状況で、おそらく、いやきっと彗斗は間違えることなくこの大量のプリントをやりきったんだと思う。


 そう思うと、


(彗斗ってどんな問題を出されたら間違えるんだろう……)


 と、手に持っているプリントの隙間からじーっと彗斗のことを見ながらそう考えるのだった。

 そして、改めて自分の友達はすごいんだなと見直した瞬間でもあった。


「あ、俺もうこのコピーのやつやったあと今日の宿題も終わらせたから、あとで教えてやるよ」


「それはありがとう! 今日は数学の宿題だから彗斗がいないと本当にできない!」


「やり方は教えてんだからちゃんとできるようになれよー?」


 談話室でそのまま彗斗と話し込んでしまい、気付いたら一時間も過ぎていた。

 彗斗はプリントをまとめ、部屋にプリントを置いたらそのまま食堂に行くことに。


 その道中、


「そういえば今日翠いつもより帰ってくるの遅かったよな。何かあったのか?」


「いやぁ……その、実は……」


 彗斗の質問に今日の出来事を話すことを罪悪感の影響で伝えることを躊躇うが、表情に疑問を浮かべて、何も知らない彗斗にじーっとこちらを見られてしまい、その視線に観念した翠は今日の出来事を話した。


「……っていうことがありまして……」


「へ、へぇ……でも、その黄甲さんとか九使人とか、伊集院先輩が言ってた誘拐とか……結構すごい情報が盛りだくさんだな」


 話の内容に、翠の沈んだ表情に彗斗は今までになく戸惑い、話題を別の方向へ変える。


「……うん、そうだね。……星奈先輩のあの表情を見たら……すごく罪悪感でいっぱいだよ」


「ま、まあ仕事をサボるのはよくないもんな。にしても……翠が見たっていう桜の大木……俺もいつか見てみたいな」


 彗斗が呟いたその言葉に翠も共感だった。だけど、またあそこに行くとなると、今度は自然委員会ではなく別の人達からも怒られそうで怖い。


「僕は当分は大人しくしてなきゃだし……いつか! いつか二人で見に行こうよ!」


「ああ、そうだな!」


 約束、と二人は指切りをし、翠は頭の中で今度はいつ二人で行けるか考えるのだった。

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