第一章 九節 偽りの正義
その日、聖都グランディアの広場には朝からざわめきがあった。
「異端者の公開処刑」が行われるというのだ。
中央広場に設けられた処刑台には、すでに多くの市民が詰めかけ、神官の唱える祈りと共に「正義の断罪」が始まろうとしていた。
リオンとエルナは、その群衆の後方から事態を見つめていた。
「……あの男、知ってる」
エルナの目が鋭く細まる。処刑台に引き出されたのは、“レミオ”という青年。
魔術の素養を持つが、誰かに危害を加えたことは一度もない。
彼はただ、“力を持って生まれた”というだけで、ある日突然、教会に連行されたのだ。
「助けられないのか……?」
リオンの声は低く、だがその奥に怒りがこもっていた。
「無理よ。処刑台には結界が張られてる。力を使えば、完全に“敵”とされるわ」
リオンは歯噛みした。
無抵抗の人間が“見世物”として処刑される――それが、この都市の正義。
だが次の瞬間、状況は一変する。
レミオの体が小刻みに震えはじめ、苦悶の叫びを上げた。
彼の周囲に異様な魔力の渦が生まれ、衣服が破れ、肌の下から黒い紋が浮かび上がる。
「ッ、まさか……!」
リオンの目が見開かれた。
それは、自発的な暴走ではない。
外部から“魔力を強制的に暴発させられている”――制御不能の魔に仕立てる、あらかじめ仕組まれた「演出」だった。
「罠かよ……ッ!」
レミオの体は歪み、骨がきしみ、次第に巨大な獣のような姿へと変貌していく。
市民たちが悲鳴を上げ、衛兵たちは「神罰だ!」と叫びながら弓を構える。
リオンは一歩踏み出した。
「行くのか……?」
エルナの問いに、彼は短く答える。
「見殺しにはできない」
リオンはフードを脱ぎ捨て、堂々と広場へ歩み出る。
右手の紋章が脈打ち、黒い魔力が空気に滲み始めた。
「異端者だ!」「魔族の仲間だ!」
市民の叫びが飛び交う中、リオンは声を張った。
「俺の名はリオン。
かつて“勇者”に村を焼かれた男だ。
この男は“魔”じゃない。お前たちが――“魔にした”んだ!」
群衆が一瞬静まった。
「“神の正義”とやらがやってることを見ろよ。
これは処刑じゃない、“実験”だ!」
彼は手を掲げる。
「“鎖よ、真実を砕け――”崩滅の鎖!」
黒い鎖が空間を裂き、暴走するレミオの魔力の核を包み込む。
激しい閃光ののち、レミオは倒れ、人の姿へと戻った。
「……ありがとう……俺、誰かに……初めて……認められた……」
レミオの声に、人々は再びざわめいた。
「彼が……魔族……?」「でも、誰も傷つけなかった……」
衛兵たちは剣を抜き、包囲を狭める。
「その者、“異端”として即刻拘束せよ! 反抗するなら処刑だ!」
エルナが立ちはだかる。
「彼は、人を救ったのよ! それを“罪”というのなら、あなたたちは……!」
「力を使った時点で“裁かれるべき”だ。それが神の意志だ」
その瞬間、鐘の音が鳴り響く。
聖都中に響き渡る、神の秩序を呼び戻す“回帰の鐘”。
リオンはエルナの腕を取り、黒猫の方へ視線を向けた。
「……ここじゃ、何を言っても無駄だ。逃げるぞ。
次は、“外から”この都市を揺るがせる」
黒猫が素早く路地へ駆け出す。
リオンとエルナは、その後を追って混乱の中を駆け抜けた。
背後には、叫び声と弓の音、そして――
一部の市民たちの、確かな“揺らぎ”が残っていた。