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第一章 八節 正義の闇

 月が高く昇った夜、修道院の裏手にて。


「今夜、ひとつ見てほしい場所があるの。……ついてきてくれる?」


 エルナの言葉に、リオンは無言で頷いた。

 黒猫も自然に彼らの足元に寄り添う。

 月明かりが石畳をぼんやり照らす中、二人は表通りから外れた裏道へと足を踏み入れた。


 聖都の“表の顔”――荘厳な建物や整った街路からは想像もつかない、陰鬱でひび割れた通り。

 ここでは、誰も目を合わせず、誰も声を上げない。


「この辺り、衛兵の巡回は?」


「日没後は来ないわ。ここにいる人たちは、目障りなだけ。

 “秩序”にとって不都合な存在は、見て見ぬふりされるの」


 やがて路地の奥に、崩れかけた建物が現れた。

 扉の上には古びた聖印。元は小さな礼拝堂だったようだ。


 エルナはその横にある鈴を、そっと鳴らした。


 数秒後、扉がゆっくりと開く。中から、年老いた女性が顔を覗かせた。


「……エルナ。今日は……?」


「新しい“目”を連れてきたわ」


 リオンはわずかに眉をひそめたが、何も言わなかった。


 建物の中は地下へと続いていた。

 階段を降りると、そこには魔法の灯りがぽつぽつと灯る広間が広がっていた。


 床に敷かれた古い絨毯の上には、十数人の人影。

 混血の子供、呪印を刻まれた者、声を失った者、そして祈るような目をした母親たち。


 その空間には、怯えと、それでも生きようとする強さが共存していた。


「……ここは?」


「異端とされた者の、最後の逃げ場」


 リオンの視線が、ひとりの少年と交わった。


「お兄ちゃん……“勇者様”って、本当に正しいの……?」


 その問いに、リオンは言葉を返せなかった。

 拳を握る。何かを否定することも肯定することもできず、ただ目を逸らした。


「この子の家族は、“神の意志に逆らった”という理由で処刑されたわ。

 でも実際は、“疑問を口にした”だけ」


「……問いさえ許されない世界かよ」


 エルナは頷く。


「この国は“信じる者だけが救われる”と教えている。

 けれど、そこに疑問を挟むことさえ罪にされるなら、それは信仰ではなく――支配よ」


 リオンは地下聖堂の静けさを見渡しながら、小さく息を吐いた。


「……この場所、いつまでも隠しておけるのか?」


「いずれは見つかるでしょうね。でも、それまで守り続ける。

 それがわたしの“祈り”だから」


「……俺にも、できるのかな。誰かを守るなんて」


 エルナはリオンの隣に腰を下ろし、静かに言った。


「あなたがそれを“望む”なら、きっとできる。

 でも、代わりに何かを失う覚悟も必要よ。

 力を振るうことは、決して綺麗なことじゃない」


 リオンは、右手の紋章を見た。

 淡く脈打つその印は、闇の力そのものだったはずなのに、今は少し違って見えた。


 それは、過去の呪いではなく――未来への“問い”のようだった。


「もしまた、誰かを守れるなら。

 この手を、もう一度使ってもいいと思える日が来るのかもな」


 その言葉に、エルナは穏やかに微笑んだ。


「最初は一人でもいいの。

 誰か一人を守りたいと思ったとき、その選択が――あなた自身を形作るのよ」


 地下聖堂の人々は、リオンを恐れていなかった。

 あの獣のような力を持っていると知らずとも、彼の“目”にある何かを感じ取っていたのだろう。


 それは、怒りや破壊ではない。

 “守るために立ち上がった者”の目だった。


 黒猫がリオンの足元に寄り添い、しっぽでそっと彼の足を叩いた。

 それはまるで、「よくやった」とでも言うように。


 外では、聖都の礼拝の鐘が夜空に鳴り響いていた。

 だが、その音さえも――今はどこか、遠く聞こえた。

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