施設から卒業へ
快晴の朝、軽快な包丁の音、食卓に並ぶのは今朝採れたばかりの野菜を煮込んだスープに硬めのパン。毎日朝ご飯を作るのは日課で今日も忙しなく動き続ける。食卓に並び終えるタイミングでバタバタと朝から元気に走り回る音が聞こえて階段の方に振り返る。
「お兄ちゃん!おはよう!」
「おはようお兄ちゃん!わぁ〜!今日も美味しそう!」
「あ!この席俺のだぞ!」
「僕が先にここ取ってたのにぃー!」
朝から元気に喧嘩をしている子供達を見て「おはよう、仲良く食べろよー」とひと声かけてテーブルにつく。
全員が席に着いたことを確認して手を胸の前で組み、皆もそれに倣う。
「アステリア様の恵みと御加護に感謝を。」
「「「「「「「アステリア様、ありがとうございます。恵みと御加護に感謝し、頂きます」」」」」」」
顔を上げると皆も顔を上げ、朝ご飯を食べ始める。
これは施設で教えられている信仰で、敷地内に農場があり、ほぼほぼ自給自足で生活している施設にとっては農場の収穫量が生命を左右する。収穫は食事にも金銭にもなりうるとても大事な物なので、『これは当たり前の物ではない、神が身寄りのない我々に情けをかけて下さっているのだ』と教えているのだ。
朝ご飯の後は1人1冊配布されている聖書を持ってまたテーブルに戻り、施設長に聖書の1ページを朗読と教えについての意味と解説、写生による文字の練習や読み方等の勉強時間だ。四苦八苦している子供達を横目に1番の年長者になった俺はもう読めない文字はなく、最初に終わって仕事の続きをしようと片付けを始めると施設長が俺の名を呼んで手招きする。
「ルーク、ちょっといいか?」
「何?爺ちゃん。」
「今晩儂の部屋に来てくれ。今後のことについてだ。」
「分かった。」
この国では16歳が成人で、俺以外の年長者は皆施設を卒業して他所で働き始め、有能な者は騎士団や文官、貴族の側仕えにまで上り詰めた者までいるので未来に希望を抱く者は多い。中には成人後に国立魔法学校に入学し、幅広い知識を習得後さらに上を目指せる仕事に就く者もいたらしいがそれもかなり昔で、現在は血統や伝統を重んじる人が多く、なかなか施設出身を採用する職業は少ない。つまりお先は真っ暗ということだ。
子供達の世話を終えて寝静まると、俺は施設長の部屋へ行く。
コンコンコン
「爺ちゃん、俺だ。」
「入れ。」
施設長は今年で70になる歳なのに背筋はピンと伸び、杖はついているもののまだまだ動けそうな身体だ。屈強な背中にはそれ相応、いやそれ以上の苦難を乗り越えたような頼もしさや力強さを感じた。
「爺ちゃん、俺の進路はどうすんの?」
「まぁ座れ。いつも子供達の世話ありがとうな。」
「それはいいんだよ。年少者を導くのは年長者の役目だ。」
「年長者とはいっても、 前は3人いたからなんとかなったんじゃ。今は1人だから尚更じゃ。」
「分かったって。で、俺どの仕事がいいと思う?」
そう聞くと、施設長は言いづらそうにしながら口を開く。
「……それなんじゃが、ルーク。学校に通ってみたくはないか?」
「...は?学校?あんなの貴族様が通う所じゃん。施設出身の俺が通える訳ないよ。それに平民が通ってるといっても平民の中でも上の方。行くべきじゃない。」
思わずカッとなって言い返す。それもそうだ。施設出身は差別され、軽蔑される。出自が物を言う時代にわざわざ火中に飛び込む必要はない。
「儂には伝手がある。資金もある。お前は学校にいくべきだ。」
それでも施設長は首を振って入学を推してくる。
「何を言ってるんだよ爺ちゃん!俺は学校なんか行く気ない!施設で暮らす奴が外に出たらなんて言われるかぐらい爺ちゃんは分かるだろ?」
「……それでも、お前には学校に行け。他に選択肢はない。お前は就職できない。それはお前が1番分かってるはずじゃ。」
もう何を言っても聞かない目だ。だがここまで頑固な施設長も見た事がない。
「仕事くらいできる!アイツらが邪魔してきても俺はなんとかできる!」
「……それがただの邪魔者だと思うのか?お前は。」
「...ただの邪魔者ならここまで苦労してねぇよ。」
思わず顔が歪む。次の瞬間、1番聞きたくない声が脳裏に響いた。
『どうしたの?虐められたの?』
『大丈夫、僕達が守ってあげる。ルークを脅かしたのは誰?教えて?』
『ねぇ、ルーク。そこのおじいちゃんがルークを虐めたの?』
『教えてルーク。誰が君を虐めたの?』
思わずガタガタと震えて耳を塞ぐ。すぐ後ろにニコニコと微笑む少年少女。見た事あるようで覚えがない、とても懐かしいようだが恐怖で心を締めつけられる。
「……っ...あっちいけ。誰も俺を脅かしてはいないし、この人には触れるな。あっちいけ...あっちいけ...。」
俺がそう言うと2人の少年少女は『そっかぁ』と言って消える。
その様子を見た施設長が俺の両肩に優しく手を置いて語りかける。
「ルーク、学校でそいつらの事が分かるかもしれんのだ。お前は優しくて強いが、どうにも特定の条件下で引っ込み思案な気質がある。それの原因が分かるやもしれん。そしてお前には幼少期の記憶がない。両親の事も自分の本当の名前も分からぬ。それのヒントも学校で得られるやもしれんのだ。お前がこのまま人生を歩んでいっても何かあるたびにアイツらに脅かされる。お前かてそんな人生を送りたくはないだろう?」
「……そうは言ったって、学校の皆に危害を加えてしまう事になるかもしれない。アイツらの勘違いで人が死んだら取り返しがつかない...。」
「そこは儂も責任とってやる。お前だけの問題ではない。育てた儂の責任もある。」
「でも...でも...。」
「……まぁよい。今後の人生を大きく変える決断じゃ。3日待ってやる。3日後の夜にまた来い。いいな?」
「……分かった。」
俺はフラフラと自分の部屋へ行き、ベッドに潜り込む。急にどっと疲れがきて冷や汗をかく。
「学校つったって、礼儀も知らない平民が行ったところで被害が増えるだけだろう...。俺はどうしたらいいんだ...。」
眠気に誘われて瞼を閉じる。
朝になり、いつもの子供達の世話は畑仕事に明け暮れ、いつもの1日が終わる。その心には昨晩の施設長の話がぐるぐると巡る。そんな日が続き、前日の晩はまたぐるぐると思考が巡って眠れず外へ出てテラスの椅子に座って夜空を眺めていた。
「...おにいちゃん?」
かなり遅い時間だったので驚いて振り向くと、年少者の中でも1番繊細なリンダがいた。思わず優しく微笑んで言う。
「...どうした?リンダ。もう夜中だぞ、良い子は寝ないとな。」
「でも今日のおにいちゃん、なんかいつもよりボーッとしてるみたい。なにかあったの?」
「...分かるか?」
「うん。いつものおにいちゃんならあんまりごはん焦がさないのに、今日のおにいちゃんちょっと焦がしてた。なんか変だな〜と思って。」
「ふふっ、リンダに気づかれるなんて俺もまだまだだな。」
そう言ってリンダの頭をよしよしと撫でて隣の椅子に座らせる。
「リンダは今何歳になった?」
「10歳!」
「大きくなったな〜リンダ。」
「うん!おにいちゃんは?」
「お兄ちゃんはもう16歳なんだ。だからもうここを出なくちゃいけない。」
「え?どっかいっちゃうの...?」
涙目になるリンダを撫でながら優しく言う。
「ここは16歳で出る約束してるんだ。16歳はもう成人だからな。だからリンダもあと6年だ。」
「そっかぁ...寂しい...。」
「ここを出たらお仕事しなくちゃいけないんだけど、おじいちゃんから大きな学校に行かないか?って誘われてるんだ。」
「すごい!お兄ちゃんは学校に行くの?」
「...それが、ちょっと迷っててね。前にも話しただろう?ちょっといたずらっ子なお友達がいてね、お友達がいたずらした事をお兄ちゃんがお片付けしないといけないんだ。」
「お友達はまだお片付けできないの?リンダはもうできるのに!」
「ふふっ、そうだな。だからお兄ちゃんは学校に行くとそのお片付けが大変になっちゃうんじゃないかと心配してるんだ。」
「うーん、いたずらっ子なお友達がリンダも悩んじゃうね。でもリンダなら学校いく。」
「どうして?」
「だっていっぱいお友達ができるかもしれないし、今よりもっといっぱいお勉強できるんだよ!お仕事に行くのがいいのかもしれないけど、リンダは学校いく!いっぱいお友達ほしい!いっぱいお勉強したい!」
「リンダはえらいなぁ。リンダはお勉強好き?」
「うん!だーいすき!リンダね!お名前書けるし、算数もできるよ!それに今日は聖書をちょっとだけ読めたの!ふふ、すごいでしょ!」
「すごいぞリンダ!よく頑張ったな!」
「えへへ!だからおにいちゃんもいっぱいお勉強してもいいんだよ!だっておにいちゃんのしたいことはおにいちゃんにしかできないよ!だってリンダはおにいちゃんができることはできないもん!おにいちゃんみたいになりたいなって思って悲しくなったことあるけど、そのときにおじいちゃんがリンダはリンダにしかできないことをやりなさいっていってた!だからおにいちゃんもおにいちゃんにしかできないことをやったらいいんだよ!」
10歳に慰められる俺が情けなくなる気持ちと、もうこんな事を言えるようになったのかという温かい気持ちが混ざる。ありがとう、とリンダを優しく撫でた。
「ほら、もうこんな遅い時間だ。一緒にベッドに行こう。リンダが寝るまで傍にいるから。」
「ほんと?やったぁ!悪いことしちゃったけど、おにいちゃんがいるから神様も許してくれるよね!」
「神様はずっと見守ってるからリンダが良い子してない事はもうバレてるからね。明日からはちゃんと寝るんだよ?」
「うん!わかった!ありがとうおにいちゃん!」
リンダの寝かしつけをして寝静まるのを確認すると自分のベッドに倒れ込んで先程リンダに言われた事を思い出す。
「リンダに説得される俺も情けないが、リンダの言ってる事は分かるしアイツらを制御できるかもしれない。やらかした後の後処理と死ぬ覚悟だけだな。それが難しいんだよな...。」
そう言いながら瞼を閉じる。
翌日も1日を終え、約束の夜が来た。コンコンコンとノックする。
「入りなさい。」
「爺ちゃん。」
「うむ、答えを聞こう。」
一呼吸おき、口を開く。
「学校に行く。ただ、なにかあった時の対策を聞きたい。」
「...うむ、もちろんそれは考えておる。大丈夫じゃ。伊達に学校に勧めとるからの。このあと説明しよう。」
「分かった。」
この夜を過ごした後の半年間は勉学と鍛錬を集中的に行い、入学に向けて準備を進めていった。子供達とは特にたくさんの思い出を作り、この地を去る事に後悔がないように、子供達が寂しくても大丈夫と前に進めるように熱心に教育と交流を深めた。
「おにいちゃん!元気でね!あっちでもお友達いっぱいつくってね!」
「お兄ちゃーん!うわあああん!!!」
「また会いに来てね!」
分かっていたけど阿鼻叫喚。そんな中施設長が肩にポンと手を置いて言う。
「子供達は任せて、安心して勉学に励んでこい。」
その様子に安心して「うん!」と元気よく頷いた。カタカタカタと馬車が進み始め、残される者達へ大きく手を振る。ここから馬車で3日ほどで国立魔法学校がある首都へ着き、首都は広大なのでそこからまた30分だ。これからの生活を夢見ながら馬車から空を見上げた。
〜施設長side〜
「...ふぅ、危ない危ない。」
ルークが出て行った後、冷や汗をかきながら椅子に座る。ルークの背後から感じるおぞましいくらいの殺意と戦意は、戦時中に感じた恐怖に似ていた。アレは外に出してはならないし、今のルークでは扱えない。恐らく失った記憶に関係するモノだろうと推測しているが、肝心の身元が分からない。以前ルークが書斎で調べ物をしていた際に覗いてみると、ルークが読んでいる書物に似たジャンルの書物が独りでに浮いてルークの近くに置かれ、勝手にパラパラと捲れる。近くに置いてあった紙には独りでに羽根ペンが浮いてサラサラと調べた物を書き記す姿があった。ルークは普段の事のようであまり気に留めてなかったのが不思議だが、主人に従順なその様子は魔物や悪魔というよりは精霊の類いではないかと思っている。しかしルークはいつその精霊と契約を交わすタイミングがあったのだ?というのが儂の疑問じゃ。
「ルークに関しては儂の伝手がこれまで以上に必要になるな。儂の貯めに貯めた有り余る資金がようやく日の目を見る。儂も恐らくもう永くない。施設の子供達も受け入れはもうできんな。」
自分の理想的な隠居生活がようやく終わろうとしているのを感じて少々寂しく感じるが、ルークという人生最後の大仕事が残っている。ルークの鍵が掛かった心を解かすまではまだ死ねない。
「...さて、一筆したためるとしよう。」
鍵のかかった引き出しを開け、いつもより少し高級な便箋を取り出して手紙を書き始める。宛先は……
〜施設長side END〜