06 婚約者会議
「すまない、取り乱した。」
「正気に戻ったのなら何よりだ。」
思考が現世に戻ってきたヴィクターは姿勢を正し、やはり少しだけ緊張した様子でレイルティアに声をかける。
「それで‥‥さっきの話だが。」
「週に一度、顔を合わせようというやつだな。ああ、異論はない。」
「!」
レイルティアの返答を聞き、ぱあっとヴィクターの顔が輝いたのだが、それはすぐに消える事になる。
「父王の意志にも沿うだろうしな。」
「‥‥陛下の意志、とは。」
「貴様が婚約相手だと知らされた時に「公爵とは良好な仲になれ」と言われてな。ああ、そういえば「公爵は私の顔が気に入ったらしい」とも言われたが?」
それを聞いてヴィクターはまた頭を抱えた。
「ちが、違うんだ、イザルト。いや、違わないのだが。」
「どっちだ。」
「確かに君の容姿は可憐で美しいが、君を婚約者にと望んだのはそれだけではなく‥‥。」
「知っている。」
「え?」
「知った仲だ。気が楽なのだろう?兄が「公爵は周りがどれだけ美女を勧めても結婚しない」と言っていたぞ?その風除けにも丁度いいだろう。」
今度は空を仰ぐヴィクターである。
「もしくは本当に少女趣味、か。」
「違う!」
はあ、とため息をついて、ヴィクター椅子に座りなおした。レイルティアの方は先ほどから特段、感情の起伏が無い。淡々と言葉を返しているようだった。
「貴様、その身体の歳は幾つだ。」
「27だ。」
「ほう、よくその年まで独り身だったものだ。」
「まあ‥‥色々と‥‥。」
ヴィクターは言葉を濁したが、レイルティアは特に追及する事もなく紅茶やお菓子を口に運んでいた。そんな彼女の様子を少し眺めているうちに、ヴィクターには元気が戻ったようだ。
「さて、婚約式の話もあるのだろう?」
「ああ。知っての通りあまり時間がない。」
「そうだな。ひとまずドレスの手配をしようかと思っていたところだ。」
「間に合ったようだ。君のドレスは俺に一任してくれないだろうか。」
「まあ良いが。特にこだわりもないのでな。」
「良かった。」
この国で、婚約式は特に礼服の慣習は無い。レイルティアとしては、正直選ぶのが面倒だな、と思っていたくらいである。ヴィクターが手配してくれるのなら大助かり、というわけだ。
「婚約式は王城で行うが、イザルト、好きな花はなんだ?」
「花は何でも好きだ。」
「そうか。婚約式の準備もこちらで進めて構わないか?」
「好きにしてくれ。その方が助かる。」
レイルティアがそう言えば、ヴィクターは満足気に頷いた。彼からの話が一区切りついたことを察すると、今度はレイルティアが口を開いた。
「私からもひとつ言いたいことがある。」
「君から‥‥?」
「‥‥名前だ。イザルトはもう遥か遠い昔の名だ。今の私の名で呼べ。」
「‥‥‥‥ああ、そうしよう。君の兄はレイル、と呼んでいたな。」
「姉兄たちはそう呼ぶ。」
「俺は‥ティア、と呼んでもいいだろうか。」
「好きにしろ。」
「ありがとう、ティア。」
黄金色がとろりと溶ける。そう錯覚するほど、ヴィクターの瞳が熱を持った。レイルティアは何故かその瞳を見続けることが出来ず、ティーカップに視線を落とした。
「君も、俺を名前で呼んで欲しい。」
「‥‥ヴィクター、だったか?」
「ああ。」
「では、そのように呼ぼう。」
レイルティアが了承すると、ヴィクターは嬉しさを隠そうともせずに、彼女を呼んだ。
「ティア。」
その声が咽るほどに甘かったからか、レイルティアは返事をするのが遅れた。
「‥‥なんだ。」
「次は公爵家のタウンハウスに招待させてほしい。」
「前もって連絡を寄越すのならな。」
「もちろん。」
「公爵家の庭は、それは見事だと聞く。楽しみにしておこう。」
「ああ。」
ヴィクターは立ち上がり、レイルティアのそばへ寄った。彼女の髪を一房掬うと、そこに口づけを落とした。こんな気障な事をするような奴だったのか、とレイルティアは内心で驚いた。しかし、そんな事は知らなくて当然だな、と思い直した。なにせ前世では、顔を合わせれば牙を剥き戦うばかりで、碌に話した事は無かったのだ。
だが、それでも、互いの気質くらいは知っている。何百年と戦っていたのだ。そのくらいは分かる。
レイルティアはヴィクターが、理不尽に己を害することは無い、と知っていた。だから、誰かと結婚しなければならないのなら、今生では最適な相手なのかもしれない、と考えた。ヴィクターなら、レイルティアが馬に乗りたい、と言えばそれを叶えてくれるだろう。海が見たいと言えば、手配してくれるはずだ。レイルティアが望むものと言えば、そのくらいだった。
その日、ヴィクターが帰った後。レイルティアはふと、ある事を疑問に思った。
「そういえば、あやつ‥‥‥何故私の前世の名を知っているのだ?名乗った覚えはないぞ?」
事実、レイルティアはヴィクターの前世の名など、一文字も知らなかった。
「イザルト」は「氷の支配者」という意味なのだとか。