05 懐かしの花の香
「レイル様‥!!」
「どうした、フレイア。珍しく慌てているではないか。」
公爵と婚約することを、父王から告げられて数日。穏やかな午後を過ごしてたレイルティアの元に、侍女のフレイアが久しく見ない形相でやって来た。息を切らしている。珍しい事もあるものだ、とレイルティアは暢気に紅茶をすすった。
「こ、こ、公爵様が‥‥!」
「ん?」
「フラーク公爵様がお見えです‥‥!」
「は?」
「呆けてないでこちらへ!急ぎ支度をせねばなりません!」
「いや、まて、は?なぜ???」
「そんなの私が聞きたいくらいです!ええとドレスは先日購入したあれなら、髪飾りもセットでしたね!」
フレイアが部屋の中を走り回っていると、助っ人の侍女やメイドたちもやって来て、レイルティアの自室は戦場と化した。レイルティアはされるがままである。
来るなら先に伝えておくのが礼儀だろうが、傍迷惑な。等とレイルティアが心の中で悪態をついていた時。
「フ、フレイアさま~~!」
レイルティアの背後から年若いメイドが泣きそうな声でフレイアを呼んだ。
「どうしたの?」
「殿下の御髪が‥‥まとまらなくて‥‥!!!」
「代わるから、香油の準備をしておいて。レイル様の御髪をおとなしくさせる為にはコツがいるの。」
フレイアに代わってもらったメイドは香油を準備しに向かった。
「やはりフレイア、そなた私の髪を犬や猫と勘違いしておらぬか???」
メイドとの会話に違和感を覚えたレイルティアだが、フレイアは「そんなまさか!」と大げさに答えた。
「それより、急いでいるので前を向いて動かないでください。ヨシヨシいい子にしましょうねぇ。」
そんなこんなで、大慌てで支度を整えられたレイルティアは、バラ園の東屋に向かった。そこにはフラーク公爵であるヴィクターが優雅にお茶をしていた。レイルティアに気づくと、ヴィクターは席を立ち、彼女をエスコートするために駆け寄った。
「突然の訪問、お許しください。レイルティア殿下。」
「次回からは先立つものをくださると嬉しいですわ。」
承知いたしました、とヴィクターが恭しく礼をしたので、レイルティアは許すことにしたらしい。彼が引いた椅子に素直に座った。
「フレイア。」
「‥‥かしこまりました、レイル様。」
レイルティアはフレイアに目配せをした。ほんの少しだけフレイアは渋ったが、給仕をし終わるとぺこりと頭を下げて退いた。その場には、レイルティアとヴィクターのふたりだけになった。
普通、結婚前‥‥ましてや婚約前の男女をふたりきりにするのはご法度だ。しかしこのふたりは時期に婚約をする中で、それを決めたのは国王だ。そしてここは王城の中でも限られた者しか入れない場所。少し離れた所には衛兵もいる。そういうわけで、フレイアはレイルティアの指示に従った。
「今日は父王に呼ばれていたのではなかったか?」
「ああ。でも、思ったよりも早く用件が済んだから、君に会えないかと思ったんだ。」
「良く回る口だ。父王に言われてこちらへ来たことは想像に容易い。」
公爵は少し困った様に眉尻を下げた。
「それは、そうだが。でも、君に会いたいと思ったのは俺の本心だ。」
「は。結構なことだ、婚約者殿。」
レイルティアはティーカップを口に運んだ。口にした紅茶から、ふわりと鼻の香りが広がった。ヴィクターは、レイルティアの頬が少しだけ緩んだのを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「気に入ってくれたか?俺の領地の茶葉だ。量が少ないから、あまり出回らない。」
「ああ、気に入った。どこか懐かしい花の香りだ。」
「よかった。多くは無いが、数日分はある。君の侍女に渡しておいたから、飲んでくれると嬉しい。」
こくり、とレイルティアは頷いた。
「それで?婚約式の話でもしに来たのか?」
「それもある。」
「も?」
「君と俺は、古い仲だ。ずっと昔から互いを知っている。」
「‥‥そうだな。」
「けれど、人間となってからの事は、まだよく知らない。君は第三王女として生き、俺は公爵家の嫡男として生きて来た。だからまずは婚約式までの間、互いを知る必要がある。」
「ほう?」
「週に一度、少しでもいいから、こうして会う時間を作らないか?」
一拍の後に、レイルティアが声をあげて笑い出す。
「‥‥イザルト‥。」
ヴィクターはそんなレイルティアを不満そうに呼んだ。その声を聞いて、レイルティアは笑いを治める。
「いやすまぬ。いつも何を考えているかあまり分からぬ貴様が、こんなことで緊張していたようだったから。つい、な。」
「‥‥何を考えているか、分からなかったのか?」
「ん?」
「昔、ドラゴンとフェンリルだった時、分からなかった、のか‥‥。」
「ああ、分からなかったぞ?そもそも、我らフェンリルは古き神の創作物。貴様らドラゴンや、他の生き物たちのように感情豊かではなかったからな。」
「やはり、そう、だったか‥‥!」
そう言ってヴィクターは頭を抱えてしまった。対してレイルティアは、今更なんだ?と思いながら、花の香りの紅茶を楽しんでいたのだった。