【05】婚約破棄された側の言い分としましては
「クレイ―― ああ、『真実の愛』に目覚めた元婚約者ですけど」
喋り出すと、勝手に顔が思い浮かぶ。それは婚約解消を告げる前の、のほほんとしたかつての彼の笑顔だった。
「お話したとおり、私の家は商家なんです。クレイは男爵家の次男。
家と家には利害関係の一致というか、私たちが結婚することで得られる利がたくさんあります。そういったことも、お互い承知の上で結婚しようってことになってたわけで、出会いに恋愛感情はありませんでした」
「おまえがそんなだから、あちらも別の女に情を向けたのではないか?」
「そうかもしれませんけど。で、浮気相手と彼が本当に『真実の愛』? ってものに目覚めたのかどうかは、私は違うと思うんですよ」
「そう、そこだ。それが聞きたかった。何故そう思う?」
「誰かに促されて選ぶものじゃないと思うので」
この悪魔がやっていることを、最初から否定する言い方だ。
一瞬ヴァドーさんの目が険しくなり、首の後ろがひやっとした。だけど嘘は言わない。私にとっては間違っていないと思える。
「占い師が言ったから。神様がそうしろって言ったから――
それって、外から後押ししてもらって初めて選べたってことでしょう?」
そう、誰かが言ってくれたから、それを選んだのだ。多分、ヴァドーさんのお客さんは皆。
「なら、その人が欲しがっているのは肯定じゃないですか。複数の人を好きになって、道を外れたことであるからこそ後ろめたくて――間違ってないって言って欲しいっていう、甘え」
ヴァドーさんは答えない。ずっと、私の顔を後ろから覗き込んだまま、口の端に薄い笑みを浮かべている。
私は続ける。
「そうしてもいいって、欲のままにしても許される理由を、占いの結果っていう形で手に入れて初めて実行できる。
自分で選んだ道だって言えるんでしょうか。私は思わない。それは気持ちいが良い、楽なだけの逃避です。愛と呼べるものじゃ、きっと、ない」
思ったより――沢山、言葉は溢れて来た。
どうやら私は自覚以上に、クレイのことで思うことがあったらしい。
喋ってみて初めてわかる。傷ついたというより、私は怒っていたのだ。
クレイにも、そして、ヴァドーさんにも。
でも、悪魔はそんなことを全く気にしない。ふうん、と鼻で息を漏らして、私の言葉に頷いていた。
「あくまで己の意思で選び取る、強い決意の先にこそ実るもの、か」
「正しいかどうかは知りませんよ。フラれたばかりの商家の娘の恨み節として聞いてくれれば、それで結構ですから」
「恨み節ならばその程度では済まなかろう。吐いていいぞ?」
うわ、絶対楽しんでる。じゃあお言葉に甘えて。
「少なくともクレイは、あなたに肯定してもらって嬉しくなっちゃって、それで爆走したって感じがするんですよね。完璧に酔っちゃってたっていうか、歌劇役者か! みたいな。
でもね、そんな人じゃなかったんです。だからあんな風になったのは」
「うん、我が原因よな。より強く感情を向けている相手に対して突っ走れとガンガンに背中を押しまくったがゆえ」
「滅茶苦茶迷惑な助力をどうも。一応聞きますけど、占いだけですか? 変な魔法みたいなので暗示をかけたりしてませんか?」
「しとらん。そんなことをせんでも、ヒトは簡単に猪になる」
「じゃああれは、クレイの中にあった一面ってことかあ……」
彼の尋常ではない様子を思い出す。立場を忘れた大声の婚約破棄、人目をはばからない浮気相手との抱擁。自分勝手な別れ――
(だったら別れて正解だったのかもしれない)
なんて思うのは、我ながら冷めた性格だとも思うけども、こればっかりは仕方がない。
人の言葉を聞き入れ過ぎてああまで変わってしまうのは、恋人ならまだしも夫としては危険だ。商家に婿入りするなら、ゆくゆくは跡継ぎになるなら、いずれ問題になる性格だった。あんな風に立ち回って、上手く行くのは物語や舞台の上だけだ。
(だってここは、現実なんだから)
劇では端折られる様々なことが、あの二人には降りかかるに違いない。
「これからの困難を二人の力で乗り越えられたら…… そこには『真実の愛』が芽生えるのかもしれませんね。
そしたら私も歌劇なんて言ったこと取り消しますよ、あっはっは」
言いたいことは、これで全部言った。ずいぶんすっきりした気分だった。
しかし、驚いたのはヴァドーさんだ。妙に聞き上手。茶々を入れずに真剣に、たまに嫌味を言いながらもちゃんと私の話を聞いていた。自分自身に折り合いをつけるには最適な時間だったといえる。
『クレイとの関係はもう終わったこと』。
心からそう思えた。
「――以上です。ご清聴ありがとうございました」
冗談めかして、ぺこりとお辞儀してみる。
ヴァドーさんは、うん、うん、と深く二度頷いてから、私の頭を軽く叩いた。
「結構なものだった。良い情報を得たぞ」
「そりゃ良かった」
「今後にも生かそう」
てことは続けるんだ、今後も……
どっか余所でやってくんないかしら。そう思っている間も、ヴァドーさんは私と頭をぺしぺし叩き続けている。何だろうこれ。悪魔流の労いなのかな。
「しかし、感心したぞ。若い身で随分とものを考えている。正直もっと頓珍漢な返答が返ってきて、真面目にやれと頭を齧らねばならんかと思っていた」
「食べないで食べないで」
「せんと言っとろうが。……ああ、そうだ。一つ提案なのだが、」
「イレーナ!!」
――と。
ヴァドーさんの言葉を、突然名を呼ぶ声が遮った。
驚いてそちらを向けば、クレイが息を切らせ、汗を垂らして立っていた。
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