ある巡回魔術士の一日
1
「それでは組み分けを始めましょう。皆さん、二人組を作ってください」
もはや初老の域に入っている講師のラウンドが、十人の居並ぶ魔術士見習いたちを前に音頭を取る。少し騒がしかった見習いたちの口を噤ませる効果はあった。見習いたちの年齢は少年少女と呼べるほど。文句なくラウンドが一番の年長であったことと、講師の肩書も静まった理由には数えられるだろう。
ラウンドの前に集まっている十人は、もちろん見習いであるため一人前の魔術士として認められていない。しかし成績の優秀な見習いが望めば従事できる、この仕事の最中だけは対外的に一人前の魔術士として扱われる。学費の免除はないが薄給ながら給金も出るため、小遣い稼ぎと訓練が同時にできるとして意欲と能力が足りている学生の間では人気の仕事でもあった。
知り合い同士で固まっていたため、女同士で三組に男同士で一組まではすんなりと組み分けが終わった。必然、残りの一組は男女で組むこととなったが消去法で組まれた事情は単純である。この仕事に応募する者は、そのほとんどが魔術士学校の学生なのだが、今日に限っては学生以外の者が紛れていたためであった。さらに言えば残った男子生徒には下心があったためでもある。
今回の巡回への外部からの参加者が少女と女性の中間くらいに位置する女性であったため、あわよくば校外の女性とお近づきになりたい、と半ば立候補していた。今回は男三人に女七人と女性比率が高かったこと、その女生徒たちが早々と組んでしまったために渋々、残された男子生徒が組んだこと、最後の学生は意図的に残ったこと、が滑らかに噛み合った結果として組み分けにおいてアスクの意思は微塵も汲まれていなかった。
「では組み分けが終わったようですので、担当地区を決めましょう」
担当の振り分けは、促すような物言いではあったがラウンドの専権事項であった。人気の地区と不人気な地区がはっきりと分かれているため、学生たちの自主性に任せると言い争いが始まって収拾がつかなくなるので、一律に学校側が決定権を取り上げた経緯がある。九人の学生たちは固唾を呑んでラウンドの言葉を待っていたが、小遣いは度外視して訓練のためだけに参加させられているアスクは他人事のように待っていた。
「ではアスクさんとオフィシャス君は商店街の大通りと、その大通りから一本ずつ外れた裏通りの三本をお願いします」
アスクとオフィシャス以外の全員が一斉に項垂れる。ラウンドも生徒たちの心情も承知しているので、最初に一番人気の地区を校外から受け入れた見習いであるアスクへ割り当てた。ラウンドとしては、オフィシャスが控えめに拳を握り締めて喜んでいる点は気になるが、怠けることを視野に入れていないと考えられるアスクがオフィシャスの遊び歩きを許しはしないだろう、という読みもある。
「やりましたね、アスクさん! 商店街ですよ!」
「ん? 人出は多いだろうから注意しないとね」
街歩きに託けてアスクと仲良くなれるかも、と考えているオフィシャスに対して、アスクは人数の多さによって巡回の難易度が上がったことしか気にしていなかった。アスクとしては、ここで迂闊を踏んで師匠へ宜しくない報告をされてしまうと、本来は交代制である日々の雑事が数日分まるごと降ってくることにもなり兼ねない。遊ぶ余裕など、あろうはずもなかった。もっとも、そもそも年下はアスクの眼中にない。どうあってもオフィシャスの勝ち目は薄かった。
アスクは最初から自分の担当地区しか聞いていなかったし、それはオフィシャスにしても同じだった。後は互いにやるべきこと──アスクとオフィシャスの間では微妙に違っている──を成し遂げるだけである。二人は他の組の担当地区が決まる短い間でさえ焦れた。目当てのものが見つかれば報酬が追加されることもあり、すぐにでも早く街へ出たかったためだ。「決まったなら、とっとと解放してくれればいいのに」とまでアスクは考えていた。
「では皆さん。魔力感知の呪文を」
ラウンドの言葉へ反応するかのように見習いたちが次々と呪文の詠唱を始める。ラウンドにしてみれば既に反射で行使できるほど慣れ親しんでいる呪文であるため、詠唱せずに使った。
──Invisible neighbours, lend me your power.
──Teach me the flow of power that you feel.
詠唱を終えた見習いたち一人ひとりの顔をラウンドが覗き込んで、確かに魔力感知と思しき魔力の影響下にあることを確認していった。総勢十一人の魔術士や見習いが一気に行使した魔術の影響で、皆が集まっている魔術士学校の前庭は魔力で満たされつつある。魔力感知を維持していないときの方が視界は良好なくらいだった。やがて全員の確認を終えたラウンドが言い放つ。
「では今から昼食どきを除いて火一刻までの間、先ほど決められた地区を練り歩いてください。新しい魔力の痕跡を見つけた組は、私まで報告しに戻ることを忘れずに。決して深追いはしないように」
「はーい」などと複数の良い返事が前庭に響いた後、蜘蛛の子を散らすように魔術士見習い改め臨時の魔術士として、五組十人の少年少女が飛び出していった。
2
オフィシャスの真面目は一刻ほどで使い切られた。辛うじて魔力感知の呪文を維持はしていたが、アスクが同調すれば迷わず放り出すだろう。オフィシャスはアスクを攻略し始めた。
「アスクさん、こんな朝早くから探しても見つかりませんよ。そろそろ休憩しませんか?」
「この訓練って持久力を見る側面もあると思うけど、いいの?」
「こんな朝早くなら問題ないですよ、全然。もっと人通りが増えてからの方が効率良いですよ、きっと。今から全力出してると、夕方まで持ちませんし」
「じゃあ、あなただけ休めば? 私は続けとくから」
「いやいや、そんな! アスクさんだけ働かせる訳にはいきませんよ! むしろアスクさんこそ休んでくださいよ」
「疲れたら休むわよ、もちろん。でも、それまでは続けとく。まだいける」
「アスクさんって責任感、強いんですね! 素晴らしいと思います!」
本当に素晴らしいと思うなら自分も続ければ良いのに、とアスクは思うが口にしない。集中力の問題もあって、オフィシャスへの対応が面倒くさくなってきたアスクは妥協策を提示する。
「魔術の維持よりも歩き回って疲れる方が問題のような気はするから、どこかに留まって定点観測するのは歓迎ね。ずっと、って訳にはいかないだろうけど」
「いいですね、定点観測。大広場に出たら、しばらく休みましょう!」
「じゃあ、それまではキッチリやりましょうか」
アスクはそれ以後もキッチリやるつもりでいるが、それは言わない。オフィシャスが何か言っているようだが雑談は打ち切って、魔術の維持と周囲を観察することと歩くことに集中を戻す。アスクは若干の羨ましさを感じながら、横目でオフィシャスも魔術の維持を続けていることだけは確認して歩き続けた。
「綺麗な金髪ですよね。お手入れ、やっぱり大変ですか?」
「あんま手、入れてないー」
「大人っぽい装いですけど、お気に入りの服屋とかあるんですか?」
「割と着たきりスズメー」
「好きな食べ物って、何ですか?」
「おいしいものー」
「僕のオススメ、屋台で買ってきましょうか?」
「まだ要らないー」
「そもそも、ご飯とかどこで食べてるんですか?」
「師匠んちー」
「アスクさんは、ご実家もこの街なんですか?」
「そうよー」
「なら、どうして学校に入らなかったんですか?」
「ないしょー」
「アスクさんって、普段はどこで遊んでるんですか?」
「暇ないねー」
「お師匠さんって、やっぱり厳しいんですか?」
「そうでもないー」
「住み込みなんですよね。師匠さんの家って、どの辺なんですか?」
「街のはずれー」
「今度、遊びに行っても……」
「忙しいー」
「……くっ! す、好きな色とか、何ですか?」
「明るめがいいなー」
「好きな呪文とか、あります?」
「開錠かなー」
「なんで開錠の呪文が好きなんですか?」
「最初に教わったー」
「天気、良くなってよかったですよね」
「そうだねー」
「……あの、聞いてます?」
「聞いてはいるー」
オフィシャスが暖簾に腕押しであることを理解するのに刻四半もかからなかったが、それでも大広場に着いてからのオフィシャスは積極攻勢に出ていた。アスクが見た限りだと話の途中までは魔力感知を維持していたものの、今ではすっかり放棄している。オフィシャスの全身からは魔力の残りくらいしか感じられない。休憩しているのだろう、と解釈することにしてアスクは放っておいた。
雑談への労力を生返事で抑えながら、アスクは延々と魔力感知の呪文を維持し、観察を続けていた。自ら志願して魔術士の弟子になっているアスクだが、本来はここまで真面目な性格でもない。日常の雑事は師匠と交代制という非常に民主的な弟子入り生活にあって、むしろ手を抜けるところでは積極的に手を抜く。
オフィシャスに対する釣れない生返事の理由は、そもそもオフィシャスに対して今日一日だけの付き合いという以上の興味が持てなかったし、仮に真面目にやらなかったことが万が一にも師匠へバレれば何が起こるかわからないこともある。しかし一番大きな理由は手を抜かないと決めた巡回魔術士の仕事内容が、アスクにとって今まで経験のなかった集中と維持について良い訓練となることを理解したからだった。
アスクは弟子入りこそ志願したが、この仕事には志願していない。まだ街もアスクも寝静まっていた水三刻に叩き起こされ、師匠に「話はつけといたから今日一日、真面目に勤め上げといで!」と魔術士学校へ連れられて、文字どおり放り込まれた。教えてもらったことは唯一つ、初老の魔術士然とした男性を指さして「あのラウンドさんの指示に従うこと!」だけだった。つい先ほどラウンドが説明を始めるまでは、巡回魔術士の存在を知っていても自分がやることになるだろうとは考えてもいなかった。
「さて。そろそろ一回、休むわ」
大広場に着いて刻四半が過ぎようとした頃、突然アスクが言い出した。
「いいですね! そうしましょう!」
「あなた、さっきから休んでたでしょう? 交代ね」
「えっ?」
「えっ? じゃないわよ。魔力の残りカスしか見えないわよ、今のあなた。休んでたんでしょ? 交代してよ」
「いやぁ、まだ朝早いですし今から頑張っても仕方ないですから、もう少し休みましょうよ! そろそろ屋台は出始めますから、なにか食べながらゆっくりとお話でも……」
「それじゃ続けるわ……あーあ、まさか代わってくれないとは思わなかったなー」
アスクが最後に放った棒読みの一言が効いたのか、渋々と言った体でオフィシャスは呪文を詠唱する。オフィシャスの呪文の完成を確認してから、アスクは学校から今まで維持していた魔術を手放した。
「あら、ありがとー。ここで交代してくれなかったら辛かったので助かったわー」と言いながら背筋を伸ばして緊張をほぐす。
「いえ、僕が引き継ぐので、ゆっくり休んでください!」
「そうさせてもらうー」
アスクが休憩を申し入れたのは疲れたから、ではない。程なくしてオフィシャスも理由を見つけたのか、小声でアスクに問いかけた。
「アスクさん……あの屋台の裏。なんか人の形をした魔力の塊がありますけど、なんでしょうか、あれ」
「なんだろうね。なんとなくイヤな想像はあるんだけど。近づく勇気、ある? あと後ろの石像も魔力がべったり」
オフィシャスは振り向いて石像を確認すると、ぎこちなく元の姿勢に戻った。
「どっちも触らない方が良いですよね」
「深追い禁止だし報告かな、やっぱり。もう少し休憩したフリしたら、学校まで引っ張ってみようか。ついてくるようなら手間が省ける」
「ゆっくりおはなし……」
「……してる場合じゃないのは、わかってるよね?」
「はい、ごめんなさい……って、もぞもぞ細かく動いてますね、あの塊」
素直なところは好感が持てるかも、とアスクはオフィシャスに対する評価を少しだけ改めた。改めただけで指摘してやる必要性はない。細かく動いている、と聞いてアスクは小さく、よしっ、と気合を入れると再び呪文を詠唱して魔力感知の影響下に入った。アスクが魔力感知の影響下に入るのと、準備中の屋台の裏に塊が小さく移動するのは同時だったようで、「あ、隠れた、のか?」とオフィシャスが首を傾げる。
「うん、隠れてるっぽいけど、あのポンコツ具合は心当たりあるかも」
「ん? なんか頭の部分だけ屋台の影から出てきましたよ」
「じゃあ今から独り言を言うから、学生くんはちょっと黙って聞いててね。
……師匠、聞いてるなら出てきなさい。魔術の影響下にいる人がどう見えるのか、よーっくわかったわ!」
アスクが独り言を呟くと一瞬だけ間を置いてから魔力の塊が静かに動き始め、アスクたちへと近寄ってきた。オフィシャスが及び腰になって逃げようとするところを「大丈夫」とアスクが一言でその場に留める。人が歩くより少し遅めの移動が終わったのは、アスクたちの眼前であった。身長はアスクと同じくらい、オフィシャスよりは少し低い。魔力の塊が移動している最中にアスクが背後を確認すると、石像には魔力の残滓しか認められなかった。
「師匠、反省」
魔力の塊が眼前で止まってからの、アスクの第一声がこれであった。
「……ごめんごめん。でも、さすがに気になったのよ。真面目に仕事してて感心したわ」
眼前の虚空から小声だけが聞こえる状態と先ほどのアスクの独り言を繋ぎ合わせて、遅まきながらオフィシャスも状況を把握した。
「これが今の仕事です! 明日の朝ご飯は師匠ね? じゃないと真面目に学校まで戻って報告しちゃう」
「ごめんなさい、もうしません。帰ります、はい」
「ちなみに、どこから?」
「……学校から。姿を消したのは、大広場へ着いてから。てへっ」
「てへっ、じゃあないわよ! 明日の昼ご飯も師匠ね」
「えー、弟子を見守る師匠の優しさじゃあないのよぅ! 魔力も見えてなかったっぽいから気になったし!」
「最初は半信半疑だったけど、途中からは知らんふり疲れた! でも姿消してからは一発だったわよ! おまけに盗み聞きまでしてたっぽいし、そゆこと言うなら報告かなー?」
「はい、ごめんなさい。もうしません、本当に帰ります……オフィシャスくん、だったわよね。うちのアスクをよろしくね」
そういうと魔力の塊──透明化の呪文を維持していたアスクの師匠は、小さく手を振るとそのまま帰っていった。姿を消している魔術は帰路のどこかで隠れて放棄して欲しいな、とアスクは生暖かく見守る。人目のある大広場の真ん中で、いきなり姿を現すほど常識を捨て去ってなくて良かった、と胸を撫で下ろしもした。それでもアスク視点では被害もあった。
「さて、うちの師匠が迷惑かけたね。仕事、続けようか……って残りカスが酷い。これ消えるまで休憩かー」
師匠の行動によって大広場へと撒き散らされた魔力の残滓が消えるまで、アスクはオフィシャスから軽く一刻ほど朝食をとりながらの質問攻めに処された。唯一の慰めは、朝食の代金はすべてオフィシャスが出してくれたことだけだった。
3
「……じ、じゃあ、そろそろ行こうか? あんまり休憩にはならなかったけど、腹ごしらえはできたし」
「でもまだ、あっちの屋台を攻めてませんよ?」
「屋台を全制覇しに来た訳じゃないわよね、私たち?」
「そうですね。じゃあ、また次の機会にしましょうか」
次はあるのかしら、と素朴な疑問を持ったアスクだったが、腰を浮かせたオフィシャスを見て余計な口を出さないと決める。師匠の残した魔力の残滓がほとんど消え去った今、ここから次へ移動することは歓迎だった。
──Great spirit of spiritual, lend me your power.
──Bring these words to the seat where you dwell.
その矢先、聞こえてきた詠唱に対してアスクとオフィシャスの注意力は、そのすべてが詠唱した当人へ無理やりに振り向けられる。アスクは、この強引に注目させるやり方を選ぶ吟遊詩人が好きではなかった。詠唱を終えた吟遊詩人は、呪文の効果を確かめる間もおかず朗々と吟じ始める。しかし、その言葉には抑揚などなく、極めて平板で感情の篭らないものだった。
「王都からの公告である。リワードは善良ならざる領民であり、善良な隣人を殺害した。我らが王は止む無く、リワードをお尋ね者として手配なされた。人相や為人は別掲される手配書に示される。リワードについて知る者は、近在の自警団へ申し出でよ。リワードの身柄を確保せし者は、近在の自警団へ申し出でよ。リワードの身柄を確保せし者には、我らが王より大金貨十枚の賞金が与えられる。リワードの生死は問われない。
王都からの公告である。ソートは善良ならざる……」
アスクは続いている吟遊詩人の言葉を意識して聞くまいと努める。このやり方を選ぶ吟遊詩人の吟じた内容を、しばらくの間ではあるが忘れられない点が大嫌いであった。やったことはないが詩人の吟じる内容を暗唱しろと言われれば、できそうな気がする。頭の中を土足で荒らされている感じがして大変、気に喰わない。以前から大嫌いだったこのやり方が、今のアスクには魔力を感じさせる何かの作用であることも理解できていた。これは魔術だったのか、と愕然とした。
その一方でオフィシャスは気にした様子もない。吟遊詩人の公告は日常茶飯事であり、多ければ日に数回は遭遇する。一般的な詩歌を用いて聴衆の耳を奪う吟遊詩人と比べて、時間の短さと確実さは上である、という評価さえ下していた。隣で苦々しい表情を浮かべているアスクは、恐らく別の評価を下しているのだろうな、と冷静に判断できていた。詩歌で耳目を集めるものと違って、この手の公告であれば「本人が意識していなくとも」記憶に刷り込まれる。
二人とも方向性は違うが、曲がりなりにも王都の公告を担う吟遊詩人の手による呪術への対抗に成功しつつある事実は、二人の才能が見習いのそれを逸脱していることを示していた。また他人と対峙することも場合によってはあり得る魔術士にとって得難い才能でもある。
「……善良な領民たちは善良な隣人を侵すことなく善良に生きよ」
吟遊詩人の公告が終わった。アスクが深い息を吐く。オフィシャスが「大丈夫ですか?」と声をかければ「あなた気持ち悪くないの、あの魔術?」と返す刀で聞かれた。
「魔術じゃないらしいですよ、あれ。僕も詳しくないですけど、呪術だそうです」
「えっ、呪術でも魔力を感じられるの? おかしくない?」
「おかしくない、らしいです。魔術も呪術も元を正せば同じだ、みたいな学説もあるそうですし。そこまで極端じゃなくても、魔術も呪術も同じ力で動いてる、というのは割と有力みたいですから。もっとも呪術界隈では呪力と呼ばれているそうですけど」
大広場のそこかしこに吟遊詩人が撒き散らしたと思われる呪力の残滓が漂っている。先ほどアスクの師匠が撒き散らしたものとは比べるまでもない大量であった。その事実に気がついて、アスクの表情が再び歪む。先ほど晴れるまで一刻は待った師匠の痕跡だが、吟遊詩人の撒き散らした痕跡が一刻で晴れるとは思えなかった。もう数刻を大広場でオフィシャスと雑談しながら待つつもりなど、アスクにはなかった。
「仕方がない。このまま街のはずれまで移動しちゃいましょ。この辺りはもう魔力が酷いことになってるし」
「晴れるまで待つ……ことはないですね、はい」
言葉の途中でアスクに睨まれ、オフィシャスは方向修正した。
「吟遊詩人が苦手なら広場とか避けます?」
「そうも言ってられないでしょう。次に会ったら考えるわ。ともあれ、ここでは何があっても、もう数刻は見えないし聞こえない。留まる理由ないわよね」
「じゃあ、反対側ですか。せめて屋台で何か買ってから行きましょうよ」
「よく食べるわね。私もう朝食は要らない。昼になったら考える、で良くない?」
オフィシャスにしても、そろそろ満腹具合が厳しくなっていたため素直にアスクの提案へと乗ることにした。この大広場で少しでも距離を縮められた、と思いたかったが、ここで止めるつもりもない。オフィシャスが簡単には諦めない程度に「学外の女の子」と一緒に何かをするのは貴重な機会である。昼食まで数刻、仕事の終了まで十刻。オフィシャスにとっては今日一日すべてが攻めどきだった。
4
街の中央にある大広場から吟遊詩人の痕跡に追い立てられるかの如く出て、一刻近くを移動と観察に費やしながら魔術士学校とは丁度、反対側にあたる街のはずれへとやってきた。大広場ほどの大きさはないが街の出入り口であるため、それなりの広さが確保されている。こちら側にはまだ吟遊詩人はいないようで、魔力の残滓も個人がちらほらと残している程度であった。ここに至るまでの間に見つけた痕跡は都度、気にかけて調べた二人だが「本人が意識しないうちに魔力を垂れ流している人物」など滅多に見つかるものではない。
元より巡回魔術士は実利としては大きくない。王国の繁栄のために在野の有能な人材を登用する機会を増やす、という名目で学生の訓練──と小遣い稼ぎと余暇──に充てられているのが実情だった。それでもわざわざ費用をかけ細々とでも続けられているのは、時折に発掘される実利が馬鹿にならないものであったためだ。懐事情に余裕のある家の子女は実利と権威を求めて魔術士に金を握らせ、魔力の有無くらいは計る──魔力があれば学校へ入学させる──ものだが、懐事情に余裕のない家の子女となると、そうもいかない。
こんな零細事業であっても魔術士学校に補助まで出して続けさせる程度には、魔力的に優れている人材を王国は欲していた。しかし皮肉なもので従事している二人は対称的な理由で巡回魔術士の世話になっていない。オフィシャスは懐事情に余裕のある家の子女であるし、アスクは巡回魔術士から見出される前に市井の魔術士へ弟子入りしていた。アスクに関して言えば弟子入りしていなければ巡回魔術士によって見出され、その才能次第では特待生の道も拓かれてはいたものの、本人はそれを知る由がない。
アスクたちの経緯はさておき、空振りを続けて街のはずれまで来ても悲壮感はそれほどなかった。そんな逸材が簡単に見つかるとは思えなかったし、仕事に託けて学外の女の子と友達になることに忙しかったから。しかしオフィシャスの攻勢に対して、そろそろ飽きてきたアスクが正面突破を試みた。
「そーんなに飢えてるの? さっき説明受けてたときには結構、女の子いたと思うけど」
「同じ組だと下手なことできないんですよ」
「つまり私には下手なことできる、と。ふむ」
「そういう意味じゃなくてですね!」
「じゃあ、どういう意味よ? 返答の内容次第ではぶん殴るから覚悟してね?」
「あぅ……もうちょっと軽い感じでお付き合いしたいんですよ。同じ組の奴らだと男も女も家を背負ってるようなのが少なくないんで、気が休まらないんです」
「だから下々の家の女の子なら簡単? よし、ぶん殴る!」
「違います! 違います! ちょっと待って! 振りかぶらないで!」
オフィシャスは妥協案を提示することにした。「最初は」友達からでも良い。
「気が休まるような友達が欲しいんですよ。まぁ、同じ組の連中が悪い奴らばっかりって訳じゃないんですが、やっぱり言動とかには気を付けないと拙いときが確かにある訳で。そういう意味で、何でも話せるような気安い友達が欲しいのが本当なんです。そして、そういう友達を学内で作ることが非常に難しいのも、残念だけど本当なんですよ」
「つまり上っ面のお友達よりも、親友が欲しい、と。さっきまでの迫り方とは随分と違和感あるけど、金持ちは金持ちなりに苦労してるのね、ってのは理解しなくもない」
理解はしなくもないが、まだ振りかぶったままのアスクである。
「で、ですね。今日も小遣い稼ぎで適当に一日ふらつくか、ってところに突如あらわれたのがアスクさんだった訳でして……」
「あぁ、やっぱりそういう認識なのね。道理でやる気が感じられない訳だわ」
「アスクさんは、凄いやる気ありますよね?」
「そりゃーね。私まだ長く維持して意味のある魔術って、魔力感知しか教わってないのよ。というか魔力感知を覚えたのが昨日で、覚えたと思ったら『さっきの』師匠に学校へ放り込まれたんだけど、それはいいや。
楽しいのよ、ぶっちゃけ。あなた楽しくない? 自分の知らないことを覚えるのに毎日を使えてるのよ、今まさに。確かに魔術士になりたくて弟子入りしたけどさ、知らないこと覚えるのがこんなに楽しいなんて知らなかった……訳じゃないんだろうけど、きっと忘れてた。そんなこと考えながら、この仕事の説明聞いてたらウチではできない練習になるなー、と思ってワクワクしながら話、聞いてたわよ。途中からは、さっさと街へ出たくなったけど。つことで、私は仕事というか訓練を楽しんでる真っ最中なので邪魔すんな、というようなことが言いたい」
「あー……怒らないでくださいね?
僕らの組だと、この仕事はもう何回もやってる作業みたいなところがありまして、ですね。普段の授業でも魔力感知を維持したままとか、たまにあるので。ここまで長時間、維持しっぱなしを求められることはないんですけど、それでもアスクさんみたいな新鮮さを持って仕事を受けている学生はたぶん一人二人くらいしかいないんですよ。だからアスクさんも不真面目に、とは言いませんけど、とりあえず気が休まる友達にはなって欲しいかな、くらいは思う訳でして」
正面突破を試みたアスクだったが思いのほか正面から対抗されたので、とりあえずのお友達であり将来的にもお友達の腹積もりで休戦協定を結ぶことにして、振りかぶった拳を下ろした。
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「じゃ、裏通りに入りましょうか。主に治安の意味で期待してるわよ、オフィシャス?」
二人で魔力感知を行使し直しながら、アスクが声をかける。声をかけられたことよりも名前を呼ばれたことに拳を握り締めて反応しているオフィシャスではあったが、聞いてはいるようだ、としてアスクは下心を軽く流すことにした。若干、面倒くさいなぁ、とは思うものの、ただの軟派からちょっと苦労してる金持ち、という方向へ見立てが変わってもいる。これくらいは流さないと、たぶん付き合い切れないだろう。
「よく来ますよ、裏通り。たぶん頼ってくれて大丈夫です」
「金持ちなのに? 用事ないでしょ」
「そうでもありません。さすがに貧民窟は行きませんけど、裏通りなら色々と」
「その『色々』の中身は聞かないどいてあげよう」
「いや聞かれても大丈夫ですよ、先生のお使いとかですから」
「あら、そうなの?」
「むしろ大通り沿いの裏通りなんて、大通りに対する中通りみたいなもんですからね。ちょっと羽振りの良い魔術士も住んでたりしますし」
「なるべく大きな通りを使え、が鉄則だから詳しくないのよね、実は」
「なるほど。でも、そういう意味だと安心して良いですよ。そもそも僕らが貧民窟の担当になること、ないですから」
「え、じゃあ、誰が巡回してるの?」
「先生がた」
「なーるほど」
オフィシャスの話を聞いたアスクの中で、裏通りの印象が急激に好ましいものへ引き上げられていった。実のところアスクの師匠の家は裏通りよりも細い街路に面しているので、治安の面で言えば裏通りよりも更に良くない。弟子に入った当初はおっかなびっくりだったが、日常使いする間に慣れてしまったことを忘れていた。つまりは単に慣れない場所で、少し及び腰になっているだけでもあった。
「じゃ、そういうことなら気合入れて行こうか!」
「ほどほどで良いと思うんですけど、楽しんでる邪魔はしませんよ? でも大通りよりは確実に時間かかりますから、疲れたら休みましょう」
「確実に? 言い切るね、どして?」
「魔力の漂ってる量が多いんですよ、単純に。羽振りの良い魔術士だって大通りには住んでませんから。裏通りが主流じゃないんですかね。その影響もあって大通りよりは時間がかかる、とは断言できます」
「よく考えたら裏通りですらないな、ウチ」
「学生になってわかってきましたけど、たぶん裏通りに住めてたら魔術士として一流なんですよ」
「あー、ウチの師匠はポンコツで新人っぽいしなー」
「そうなんですか? 透明化の呪文を維持しながら歩くなんて、なかなか凄腕じゃないんですか?」
「あんなん見たの初めてだし、盗聴の呪文は『割と便利』って言ってたのは覚えてるけど」
「ひょっとして知らないんですか? 複数の呪文を維持するのも実は凄いんですよ?」
「あれ、そうなの? そういや師匠が魔術使ってるとこ、あんま見たことないな」
「気づかないだけかも知れませんね。無詠唱で行使してて魔力が見えてなくて現実に影響が見えない魔術だと、非術士はまず気づかないですよ」
「あ、そゆことか。無詠唱なんて私まだ教わってもいないわ」
「僕もまだできませんね、無詠唱」
「そういや学生の皆さんの習熟度って、どんなもんなの?」
「たぶんアスクさんと、あまり変わりませんよ。幾つか呪文を覚えてて、使えてるけど、詠唱短縮や無詠唱までは届いてない感じです。ま、正確にはわからないですけどね」
「なんで?」
「どこまで覚えたとか使えるとか、試験でもないと言わないんですよ。特に何を覚えてて使えるかは魔術士にとっての生命線みたいなものですから」
「あら、そうなの? ウチの師匠はその辺り、すっごい開けっ広げな気がするんだけど」
「弟子だからじゃないですか? それでも本当に知られちゃいけないのは、たぶん隠すと思いますけど」
「若干、ヤなこと言うなぁ」
「魔術士としては当然ですよ」
「信頼してる人に隠しごとされてるって、ちょっと聞きにくいよね」
「それはまぁ、そういうもんですか? 誰だって隠しごとの一つや二つあるでしょう?」
「あるの?」
「そりゃ……あーんなこととか、こーんなこととか!」
「その言い方だと、ないな!」
などと雑談を交わしながら裏通りを進んでいく二人だったが、確かにオフィシャスの言うとおり漂う魔力の量が大通りとは桁が違っており、会話の進み具合に反して歩みは遅くなっている。アスクが丁寧に観察した挙句に少し濃い魔力を見つけても「あの家は魔術士の誰それの家」とか「魔術道具を扱う店ですよ、あそこ」など、オフィシャスの的確な指摘によって丁寧に潰されるのがせいぜいであった。その様子は仕事に慣れた先輩魔術士に見えないこともなかった。見習いだが。
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裏通りに入って最初の頃は注意深く観察していたアスクも、一刻を過ぎる頃には随分とすり減っていた。魔術士学校は大通りの中でも街はずれに建てられている。途中で休憩は入れたものの大通りのほぼすべてで魔術を維持すべく集中できていたため、多少の自信をつけていたアスクであっても裏通りに入っただけで集中力の目減りが激しくなっていた。
もちろん魔力の濃さも要因ではあったが、時刻が進んで人通りが多くなってきたことも一因となっている。注意を向けるべき物事が多すぎた。まさにアスクが巡回を始める前に懸念していた事象だったのだが、懸念していても正確な予想はできていなかった。オフィシャスはどうなってるのだろう、と目を向けてみれば魔力を纏っている時といない時がある。どういうことか、と問い詰めれば都度に小声で唱え直している、とのことだった。
「……その、なんだ。馬鹿正直に維持し続けている私は間抜けか? 教えといてよ、それ。ひょっとして朝から手抜いてるように見えてたのは、効率化の果ての行動か!」
「建前では『何物も見逃しちゃダメ』なので、アスクさんの方が正解ですよ」
「実際では『息抜きながら要所を押さえろ』ってことなのね。体力が持たない、もそういう理由か!」
「やっと納得いただけたところで、ちょいちょい休憩はさみながら、ゆっくり行きませんか?」
「なんか悔しいので、やれるところまでやってやる!」
「強情だなあ」
アスクが若干、目を血走らせながら魔術を維持し続けることに拘る一方で、オフィシャスは観察した上で怪しそうな場所・場面でだけ魔力感知を行使しては、すぐに術を捨てていた。最初に耐久力勝負だと馬鹿正直に受け取ってしまったのはアスクであるし、恐らくは講師のラウンドに聞いても「維持してください」と言うのだろう。大通りでならば余裕すらあったアスクにも、やっとわかった。この仕事は耐久力や持続力の勝負ではなく観察力の勝負である、ということが。
魔術の維持訓練という意味において魔力感知を維持し続けることも自由であるし、魔術の行使する機会を見極める観察力の訓練という意味においてもまた自由であるのだろう。そして観察力の訓練であれば魔術を維持する必要がない。アスクとオフィシャスは同じ仕事に就いているが、別の目的で動いていたことになる。最初の頃に話がかみ合わなかった理由も、やっとアスクも得心が行った。
「くーっ、気づくべきだった。巡回魔術士を見張って巡回する魔術士なんて出す訳ないもんな!」
「そうですよ。アスクさんのお師匠さんじゃないんですから、わざわざ見に来るなんて報告でもして連れて来ないとあり得ないんですよ」
「その節はウチの師匠が大変ご迷惑を……」
「それはもう良いんですけど、あの人、きっと吟遊詩人ですよね?」
オフィシャスの言葉にアスクが一瞬だけ固まる。しかし今度の吟遊詩人は高らかに声を上げはしたものの何らかの呪文を詠唱する訳でなく朗々と歌い始め、その手元では竪琴を奏で始めた。これはアスクの好きな吟遊詩人だった。
「……ちょっと口直しに聴いてこうか」
「いいですね」
束の間、昼近くの裏通りに耳触りの良い旋律と歌声が溢れ返り、道行く人々を魅了した。その歌声を注意して聴くと、それは賞金首の手配ではなく我らの王様が慈悲深くも恩赦を与えるという、こちらも聴衆にとって耳触りの良い内容だった。
街角で少しの安らぎを得たアスクたちは、そのまますぐに街の反対側へとは進まず、少し寄り道して今朝がたに訪れた大広場を目指した。目的は軽食の確保である。早朝に立った屋台を片っ端から攻めたおかげでアスクの腹はまだ空いていなかったが、この機会を逃すと次に大広場を訪れられるのが早くとも二刻ほど後になるためだ。「あと二刻くらい我慢できるよ」とアスクは抗弁したが、「軽いものでも摘まみながら行きましょう」と買い食いを提案されて、行儀は宜しくないがアスクも折れることにした。
するとオフィシャスは、あろうことか干しイチジクを両手いっぱいに買ってきて半分ほどをアスクへ渡した。慌てて代金を払おうとすると「いらないいらない」とオフィシャスは軽く断りつつ、器用に食べ始めている。アスクも小袋に受け取って、厚意に甘えながら少しずつ食べることにした。すれ違いざまに眉をひそめる者もいたが、二人して黙殺を決め込む。ただしアスクの方は全部を食べ切るつもりがなく、師匠に少し持って帰ってやるつもりでいた。
干しイチジクを戦利品としてアスクたちは裏通りへと戻り、巡回を続けた。ところが買い食いは思わぬ効果を与える。ときどきオフィシャスが詠唱を失敗するようになった。詠唱の文言が不確かなままでも行使に成功することもないとは言えないので、食い気で魔力を乗せる集中が整っていないのだろうな、とアスクは考えた。事実そうだろう。それ以外の理由は考えつかなかった。
また一刻ほどをかけて裏通りを歩きとおした二人だが、今朝がたよりは随分と打ち解けた様子だった。アスクの小袋の中に残されたもの以外は干しイチジクも食べ尽くし、そろそろ時刻も昼になる頃ではあるものの、大量の朝食と間食に守られて二人とも空腹は覚えなかった。ただ買い食いをして雑談しながら歩いた訳ではなく、もちろん観察しながらの巡回ではあったが目ぼしい痕跡を見つけることはできなかった。
「よし! あと一刻くらい頑張ろう!」
空元気を絞り出してアスクが言う。ただし一刻後に待つのは巡回の終了ではなく、今から今日初めて巡回する、もう一本の裏通りから見て大広場が一番近くなるであろう頃合いであること、即ち街で一番多くの屋台が集まる場所だった。しかし間食を入れたこともあってか「もう今日の昼食は買い食いだけでいいな」とアスクも思い始めているので、オフィシャスの力の抜け方に影響されたのか態度そのものは程よく軟化している。食費について今のところ錫貨一枚とて出させていないオフィシャスの押し切り勝ちの側面もあった。ここで更に押し切るためにも話題を食事へと戻す。
「また甘いものにしましょうか?」
「いや、今度は甘くない方がいいな。もちろん甘いのも悪くはないんだけど流石にさっき食べ過ぎた。一気にあんなに食べると、ちょっと毒ね」
「じゃあ次は、しっかりめの軽食を攻めましょう。何を食べるかは実際の屋台とにらめっこして決める、ということで」
「そうね。それじゃ、それまではしっかり働きますか!」
「……ところで、まだ維持し続けるんですか?」
「今日一日くらいは、この態度を貫こうかな、なんて」
「長時間の維持も大切でしょうけど、切り替えも大切だ、と僕たち習ってるんですけど」
「私は習ってないもん」
「ごもっとも」
「……っと、ほら、あそこは?」
「魔術士のペキュリアーさんのお住まいですね」
「ちっ、またそれか! 本当に成果なんて上がるんだろうかね、このやり方」
「正直、勝率は悪いと思いますよ。十組二十人が丸一日を練り歩いて収穫なし、なんてよくある話ですから」
「それで小遣い稼ぎ、か。なるほどねー」
「他にも勝率にまつわる話だと、何をもって『新しい魔力の痕跡』とするかも、あやふやですよ。最終的な確認は先生がたがしますけど、その確認の前に僕たちが違和感や新しさを覚えなければ、そもそも報告されない訳ですし」
「報告が上がってこないから確認もできない、と。実際は訓練の側面の方が強いのかもね、この仕事」
「本当にそうなら僕たちとしては、ありがたく小遣いと自由時間を享受しておきましょうよ」
「やー、私はそんな暇ないけどねー」と裏通りの路地裏を覗き込むアスク。もちろん何も見つけられない。反対側の路地裏はオフィシャスが覗いたが、こちらも収穫はなかった。
「でも、まぁ、真面目にやってる方だと思いますよ、僕たち。なんだかんだで担当地区は全部確認できる公算が高いですし」
「まさか、あなたから『真面目にやってる』と聞くとは思わなかった」
「それはアスクさんがどういう腹積もりで巡回してるかわかってなかったので」
「私としては突然に放り込まれたのもあるけど、わからないなりにキッチリ勤め上げたろう、ってのが強いのよね。初めてで勝手がわかってなかった、というのは認めるけどさ」
「さっきも言った気はしますけど、ラウンド先生に真正面から聞けばアスクさんのやり方を指示すると思いますよ。僕たちのやり方は暗黙の裡にお目こぼしをもらってるだけですから」
「でも、それでも成果が上がるかも、程度の勝率な訳だよねー。やっぱり、いろいろビミョーだわ」
「数撃ちゃあたる、なんでしょうね。きっと」
「なんともげんなりしちゃう話だけど、もうちょっと頑張りますか。はー、やるきでるー」
こんなことを言いながら巡回を続けた果てに、アスクたちは大広場へと直接つながる四つ辻まで辿り着いた。その頃には雑談の話題も再び買い食いの内容へと戻っていた。
7
今度の買い食いは串焼きだった。今回も調達はオフィシャスで、繊細な竹串に貫かれた肉や野菜の串を馬鹿っぽく指の間に一本ずつ挟んで計八本。一本でそれなりの値段がしたはずであり、それを八本も買うのは貧乏人には理解できない馬鹿さ加減だが、自慢げに両手を掲げて見せつける辺りは本当に馬鹿である。と同時に「本当にお坊ちゃんなんだな」という感想をアスクは焼けた肉と一緒に飲み込んだ。
串の都合もあって歩きながら食べる訳にはいかなかった。串は回収して再利用されるらしいのだが、特定の屋台からアスクたちへ熱い視線が送られている。再利用するつもりの串を八本も持って行かれるとあって気が気ではないのだろう。八本のうち何本が無事に帰ってくるか、という心配も尽きなさそうだった。もちろん当のオフィシャスは気にする風もなく、無邪気に串焼きを楽しんでいる。アスクの方は、また少しだけ壁を感じるようになった。それでもしっかり奢ってもらってはいるのだが。
一人四本の大食を終えると、オフィシャスが黙々と串を回収して屋台へ歩み寄った。さすがに礼の一言でも、とアスクも無言でついて行く。屋台の店主は無事に八本が戻ってきたことを喜び、オフィシャスを出迎える。二人で話しているところへアスクも参戦した。
「ごちそうさまでした、おいしかったです」
「こっちこそ彼氏が八本もありがとよ、またよろしく」
参戦したのは早計だったか、とアスクは臍を噛む。対してオフィシャスは喜色満面であった。アスクは店主の言葉に応えず、曖昧な笑顔だけを残して屋台を離れる。ご機嫌な様子で後を追ってきたオフィシャスに蹴りの一発でも入れようか少し悩んでから、辛うじて止めた。「自分の脇の甘さ」とアスクは自分を戒めることに専念した。それでも負け惜しみは口を衝いて出る。
「先ほどから随分と良い思いをなさっていらっしゃったようなので、お礼を言うのは止めておきますね。先渡しされていた、とご理解ください」
「誤解ですよ! 言われたのは今が初めてですよ!」と言いつつオフィシャスの目が泳ぐ。その反応を見てアスクは改めて臍を噛み直した。言われたのは今が初めてだったとしても、そういう期待を持って行動していたのはいつからだろうか。恐らく最初からだろう。
腹は膨れたが、アスクもわかりやすく膨れた。裏通りの後半戦は、ほとんどが無言で過ぎ去っていく。一応、巡回魔術士として最低限のやり取りはあったが、先ほどまでの雑談など望むべくもなく鳴りを潜めている。もっとも鳴りを潜めるだけの理由が、彼氏面されていたこと以外にもアスクにはあった。大通りや先ほどまで巡回していた裏通りと比べれば、明らかに漂う魔力の量が違っていたためだ。それでも反応がより濃いところを指摘してゆく。
「あの路地裏は?」
「あの奥にも魔術道具の店がありますね」
「わかりました、ありがとうございます」
「……そんなに怒らなくてもいいじゃないですか、アスクさん」
「怒っていません。単に気に喰わないだけです。それとメシに釣られた自分を猛省しています……この辺り妙に漂う魔力が濃い。他に何がある?」
「さっきの魔術道具店以外だと、もう少し先にセヴァランス先生の知り合いのお宅があるくらいですかね」
「あんたも魔力感知、使いなさい。私一人じゃ判断し切れない。この通りは、これが普通なの? 吟遊詩人でも見逃がした?」
アスクにせっつかれてオフィシャスも魔力感知を行使する。と同時にオフィシャスは小さく呻いて周囲を見渡す。
「……これは、なんでしょう?」
「先に聞いたのは私。わかってる訳ないでしょ。で、あんたにもわからないってことは、普通じゃないってことね。新しい痕跡って、こういうこと?」
「いや、わかりません。そもそも新しい痕跡なんて今まで見つけたことないし」
「じゃあ、これが記念すべき初発見ってことね。進む先に従って濃くなってるみたいだし、とりあえず街はずれ目指して進むわよ。魔力感知は維持。文句は言わせない。この霧みたいな魔力の出元が掴めたら、学校へ戻って報告。いいわね?」
「はい」
緊張感から素直に従った。先ほどから周囲で魔術をひっきりなしに使われていたかのような魔力の霧など、授業で実技が相当に繰り返された終わり際の教室くらいでしかオフィシャスは見たことがない。通りいっぱいに広がった霧は、それ以上であることを簡単に想像させた。この裏通りに戻ってから二人の口数は極端に減っていたが、その無言は別の意図をもって続けられた。街中にあってこの魔力量は、二人にとって十分な異常事態だった。
8
異常事態に気づいてから、刻八半ほどは何事もなく歩き続けた。その間に発せられた明確な言葉はオフィシャスの「ここがセヴァランス先生の知り合い宅です」だけで、アスクに至っては完全に無言だった。魔力の霧は、まだ晴れていない。路地裏と路地裏を縫うように魔力が流れているので、すべての辻を念入りに確認してお互いにお互いを見やると首を横に振る、という様子が続いている。
さらに刻八半を巡回に費やすと、変化が訪れた。次に見えている辻の片方へ特に濃い魔力の流れが見てとれる。問題は路地裏に繋がっていることだった。アスクたちの担当地区から外れる方向である。特にオフィシャスが、その点を気にした。
「アスクさん、ここで報告に戻りましょう。これ以上、僕たちだけで追うのは危険かも知れません」
「根っこどころか葉先しか見つけてないのに? せめて葉の形くらいは見ておかないと報告にも何にもならないじゃない。どっちみち、あの辻も担当地区の途中よ。ついでに通りを一、二本くらい折れるのは許容されるわ、たぶん」
「じゃあ、辻から覗き込むだけで済ませましょう。それで見えない葉先なら、蔦が見えたことを報告すれば済むはずです」
「危険が怖い? 大切な感覚だとは思うけど、まだちょっと怖がるのは早すぎる気がするわ。でも、とりあえず辻を覗き込むのは賛成。行きましょ」
そう言うとアスクが先を進む形で問題の辻まで進んで行く。そのすぐ後ろをオフィシャスはついて来ていたが、異変はアスクが辻に差し掛かったところで襲いかかってきた。
魔力の塊がアスクたちへ向かって突進してきた。例の魔力が濃く漂っていた路地裏から、である。魔力を大量に纏った何者かは、アスクには目もくれずオフィシャスを狙って腕を伸ばす。オフィシャスも警戒はしていたが、相手のあまりの素早さに呆気に取られていた。体を動かすことに慣れていない二人ではあるが、それにしても相手は素早すぎる。そんな評価を下している間にも何者かの腕はオフィシャスの懐に狙いを定めて動き、満足したかのように引き戻され、そのまま通り過ぎ去っていった。
呆気に取られたのはアスクも同じだったが、人としてではなく魔力として見ていた為か、その動きはよく見えていた。すぐさま叫ぶ。
「オフィシャス、財布!」
アスクの声に反応して、オフィシャスが懐に手をやる。二度三度ほどまさぐって、首を横に振った。
「そういうことか! ……スリよ、誰か捕まえて!」
周囲の反応は鈍く、焦れたアスクは走り出そうとして魔力感知の維持が途切れていることに気づく。素早く詠唱して魔力感知を完成させると、今度は走り出すことが難しかった。走りながら魔術の維持をできるとは、今のアスクには思えなかった。試しに走り出してはみたものの、数歩を走ったところで再び維持が途切れる。魔力が見えないとオフィシャスから財布を掏り取っていった犯人を目で追うことができず、目星がつけられない。魔力を見ようとすると今度は素直に異常な速度で逃げらているので追いつけない。もっとも魔術の維持がなくとも、あの足の早さに追いつけるとは考えにくかった。つまり財布の掏り取りを許した時点で、アスクたちの追走劇は終わっていた。
「さて。スリなのはわかるけど、なんだったの、あれ?」
「僕にも何がなんだか……いや、盗まれたのはわかりますけど」
「魔力を纏ってたのも、よくわかんないわよね。身体機能の強化とか、あるのかしら?」
「ないこともないらしいですけど集中を維持しながら動かないと意味がないですから、凄く難しいらしい、と聞いたことしかありません」
「あんたの懐が目当てだったとして、目つけられたのは大広場なんでしょうね、やっぱり。とりあえず魔力の塊について学校に報告する前に、まずは自警団の事務所に行くのが先みたいね」
「あー……それは後回しでも。どうせもう大して入ってませんでしたから」
「それはそれ、これはこれ。盗みは盗み。金額の多い少ないで罰するか否かを決めるのは違う。捕まえられるかどうかは別として」
「捕まらないんですか?」
「だって、あのやり口、手慣れると思わない?」
「ほぼ一直線に僕に向かってきたみたいですし、迷うことなく財布に手を伸ばしてきたようですから、それはそうかも」
「じゃあ自警団に目は付けられてるかも知れないけど、まだ身柄は押さえられてないってことでしょ。新人の幸運じゃないなら、凄い手練れの古参ってことよ。背格好は私たちに近かった気がするから、きっと年も近いわね。案外、貧民窟からの出稼ぎなのかも」
「……アスクさん、顔が険しいです」
「険しくもなるでしょう、この事態は。ま、とりあえず自警団、行くわよ。一番近いのは出入り口の詰め所よね」
街の出入り口の詰め所は大通りの街はずれにあるので、ついでとばかりに途中まで魔力感知を使ってスリの後を追ったが、大通りをそのまま突っ切って向こうの裏通りへ入っていったことを確認した辺りで諦めることにした。まだ後を追うことだけはできるものの、明らかに担当地区から出て行く方向であったためであった。追跡そのものはできても、財布を取り返すことができるとは限らない。魔術か何かの影響で俊足だったのかも知れないが、そうではないのかも知れない。
スリは自警団に任せるし、異様な魔力の纏い方をしていたことについては学校へ任せることに二人は方針を決めた。街の出入り口よりも近場に自警団事務所がある、とオフィシャスが指摘して、そちらへ向かう。刻八半と少しで自警団の事務所が入っている建物へ辿り着き、二人は自警団へ被害を届け出た。巡回魔術士であることは話したものの、相手の纏っていた魔力については話さないことにする。たぶん話しても自警団では対応ができない。そうなると魔術士学校へ協力依頼の一つでも行くだろう、と考えてのことだった。
半刻ほどで自警団での事情聴取は終わる。覚えている限りの被害額としてオフィシャスは銀貨二枚に銅貨と黄銅貨が数枚ずつ、と言っていた。「大して」の違いに軽い目眩を覚えたアスクだが、どうにか堪える。自警団員には彼氏彼女として扱われたが、そちらもどうにか耐えた。相手が自警団員でなかったならば張り倒したかった。被害については捕まられたなら弁償などの手続きに入るが、こういう報告が積み重なるばかりで実態は掴めていないことを、二人の聴取を担当した自警団員が教えてくれた。
魔術士学校へは巡回の終了時刻である火一刻の直前くらいに滑り込む。直前で滑り込んだために、報告の完了は火一刻を半刻以上は超過した。他の巡回魔術士たちは報告の最中に、別の講師の指導で帰寮している。しかし定時を過ぎてもラウンドは注意深く二人の話を聞き、羊皮紙に何事かを書きつけていた。そのおかげでアスクの帰宅は更に一刻は遅れる。それでも師匠は夕食の準備をすっかり整えて待ってくれていた。
9
「おかえり、アスク」
「ただいまー、つかれたー、今日はもうダメー」
「とりあえず帰るのが遅れる話は学校から聞いてるんで問題ないけど、師匠としては何があったのか土産話が聞きたいな」
「スリにあった。一緒に巡回してた学生くんが。そんで自警団事務所で詳しい話をしてたのが一つ」と言いながら卓に着いたアスクは、残してきた干しイチジクを師匠へ渡す。師匠は早速、一つを口に放り込んで先を促す。
「ほぅ、二つ目が?」
「そのスリが何だか凄い量の魔力を纏ってて意味わからなかったのが、もう一つ」
「スリに役立つ魔術、か……何かあったかな。その話、三つ目はある?」
「ない。んで私たちの思い違いじゃなければ、異常に足が速かった。たぶん足だけじゃなくて動き全部が素早かったんだとは思うけど、できるの?」
「空を飛ぶなら魔術でできるけど、そうじゃないなら呪術かもね」
「でも集中しながらじゃないと意味がない、って聞いた」
「それはそうなんだけど、術者と被術者が別なら被術者は動くだけで済むと思うわよ。その分、加減とか切り替えとかが他人任せになるけど」
「頭に血が上っちゃったから他の誰かがいたかいないかは、ちょっと……でもラウンド先生が他に気づいたことがないのかって異様に確認してきたのは、そういうことなのねー?」
「たぶん、ね。ま、呪術である、っていうのも正直ビミョーだしね」
「ビミョーなの?」
「世の中すべての魔術と呪術が解き明かされている訳じゃないからね。誰も知らない身体能力向上魔術みたいなのがあるかも知れないし、誰かが開発してるかも知れない。呪術では一応できるらしいけど、細かいところは呪術に近しいところからじゃないと私たち魔術士じゃあ、たぶん話を聞かせてくれない」
「師匠もしてるの、開発?」
「特定の魔術を開発って話ならしてないわよ。私のは基礎研究だから、あなたの絵日記が取っ掛かりになる、はずなんだけどねー」
「今日の絵日記は長くなるよー!」
「今日はもうダメなんじゃ?」
「明日からー!」
「ま、今日は一日きっちり労働してきたんだし、夕食の準備はしてあるよ。続きは食べながらだね。今晩の様子見はナシで。今日だけで魔術はたっぷり使ったでしょ?」
「魔力感知だけだけど何回唱えたか覚えてないし、どんだけ維持したかも覚えてない。とりあえず朝の大通りでは余裕で維持できてた。裏通りも概ね、かなー」
「あら、上々じゃないの。まだ必要ないから維持の仕方なんて教えた覚えないんだけど」
「私も教わってないけど、集中をずーっと続けていればいいんじゃないの?」
「や、そのとおりではあるんだけどね。字面だけでできちゃうのが凄いとは思う」
「なんで? 一緒に回ってた学生くんもできてたよ?」
「彼らは授業で山ほど魔術の維持を教わってるし、そもそも真面目に巡回してる方が珍しいでしょ。ま、ぶっつけでやれたのは褒められるべき案件」
「そんな私をどうして放り込んだのか、納得のいく説明を!」
「維持できない前提で放り込んだから。参加者の人数次第だったけど本当はラウンド先生と組んでもらう予定だったのよ。維持できてなければ、そうなってたはず。それをされてなかったから慌てて追っかけたんだけどさ」
「歩いてる分には維持できてたね。走ろうとするとダメだったけど」
「激しい運動をしながら、は凄まじい集中力が必要になるらしいし妥当」
「……ひょっとして私、ちょっと有頂天になって良い?」
「うむ、今晩だけは許そう」
「ひゃっほぅ!」