三口目 音楽で美食 二
「貧乏くじ?」
アジカンと天野はけげんな顔になり、イワシラは眉に皺を寄せて唇を噛んだ。
「そいつはな、何年か前の料理大会で不正をやらかしたんだ」
「違う!」
「なにが違うものか。気絶して医務室にいくふりをして控え室から俺のソースの秘密を盗んだだろうが」
「気絶したんじゃなくて霊体になったんだ! 料理はちゃんと自作したのに審査員達が勝手な言いがかりをつけたの!」
「へー、審査員のせいかよ。どっちみち俺が勝ったんだから負け犬の遠吠えに変わりはないな」
「違うのに……」
肩を振るわせ、イワシラは目に涙を溜め始めた。
「詳しい事情はあとで伺います。いっそ蟹を捕まえてきて料理対決をもう一度ここですればどうですか」
天野が男性に示したのは、冷静な意見でもあり深い緊張をはらんだそれでもあった。
「なんだか面倒くせえなあ。ならこっちも条件を上乗せさせろ」
「なんでしょう」
アジカンは、いつの間にかイワシラと天野を背にたっていた。
「それで俺が勝ったら一ヶ月。俺の店でただ働きしろ。三人まとめてだ」
「ぼ、僕のせいで……そんな危険……駄目だよ」
「私は白黒はっきりさせたい。元々そういう人間だ」
きっぱりとアジカンは宣言した。
「私もそうです」
天野も続いた。
「ウッ……うっうう……ごめんよ」
「泣くのは勝ったあとだ」
「そうよ」
「あー、盛り上がっているところに申し訳ないがそろそろ構わないか」
三人はそろってうなずいた。
「まず、ややこしいから死人茸云々はなしだ。隠れ蟹虫に寄生された人食い蟹の居場所はただで教えてやる。負けてからぐだぐだ逆恨みされたくないからな」
「ありがとうございます」
こんなときでもアジカンは礼儀正しい。
「あそこの岬の端にいる」
男性の節くれだった指が、浜辺から槍のように長く延びる崖を教えた。大した距離ではない一方で、大小様々な岩がごろごろしている。
「それほど水深はないし他に危険な生き物はいないが、人食い蟹は縄張り意識が強いから精々気をつけろ。ご覧の通りバカでかいから、油断したらお前の胴体真っ二つだぜ」
「はい。ところで、私はアジカン、こちらは天野ですが、あなたのお名前は?」
「ウグイドン。第二回カイワレ村美食杯の優勝者だ」
「そこまでは聞いてないです」
「おいアジカン。お前、名前も変だが可愛げもないな。あとでたっぷりこき使ってやる」
「勝ったつもりの人に勝つのは比較的容易です」
「上等だよ。なら道具を……」
「いらない」
アジカンに負けず劣らず断言するイワシラ。
「おい。相手は俺でも苦戦する……」
「いらない」
「イワシラ、なにか手だてでもあるのか?」
想定できるはずがない。
「うん。アジカン、僕に任せて」
「先生は?」
「いいわ。イワシラさんを信じましょう」
「こりゃまた自殺志願者がそろったな。じゃあ始めろよ。ちなみに人食い蟹は夜は岩の穴なんかに入って眠るし、もうすぐ夕方だぜ」
「じゃあさっさといこう」
イワシラが右手の拳で涙をぬぐった。アジカン達にも異存はない。
「今更逃げ……ぶわっ!」
通りがかりに、イワシラは足元の砂を蹴り上げウグイドンの顔に浴びせた。
「べーっだ」
「こ、この野郎!」
「急ぐよ、みんな!」
イワシラが走り始め、アジカン達も慌ててついていった。
しばらく砂浜を走り、息が切れかけたところで岬の根元についた。
そこから、崖下を歩いて先端までいかねばならない。
「待って。準備しとかなきゃ」
イワシラがアジカン達を止めた。
「体操か?」
「蟹を捕まえる準備。アジカンは囮で、僕が拘束。天野さんは命綱」
「囮!?」
「命綱?」
ここ最近ハモってばかりだ。
「アジカン、泳げないの?」
「いや、泳げる」
「なら大丈夫だね。ウグイドンじゃないけど、人食い蟹は縄張り意識が強いんだ。だから、アジカンは人食い蟹の振りをして誘き寄せて」
「どうやって?」
当然至極にアジカンから寄せられた疑問に、イワシラは自分のリュックから蟹の爪をだした。一目で人食い蟹のそれと理解できる。
「さっき、砂を蹴り上げた時ね」
瞬時に天野は察した。
「へへーん。お返しだよっ」
「それを手にでもつけるのか?」
「頭にかぶるんだよ。でないと目だたない。人食い蟹は頭は悪いから、あっちが見つけさえしたら簡単にだませる」
「前が見えないだろ?」
「石かなにかで穴でも開けたら?」
「……」
もはやあと戻りは叶わない。
「中身はウグイドンが食べているからかぶりやすよね」
「そういう問題か?」
ぶつぶつ言いつつも手頃な石を探し、かがんで蟹爪に打ちつけ始めた。予想よりは簡単に穴ができた。不細工ながらも即席の覆面になる。その間にイワシラは、今度は二巻きのロープをだした。
「僕とアジカンは、それぞれ命綱を腰に巻くから。天野さんは、危なくなったら命綱を引っ張るから手繰り寄せて」
「二本が同時に引っ張られたら?」
「もちろん、アジカンが先だよ。囮の方が危ないから」
「イワシラはどうするんだ?」
「蟹がでてきたら、もう一本のロープで手足を縛る。そっちは岸辺の岩にでも端を結びつけておくから、上がって三人で引っ張り上げる。あとは、みんなで担いで持っていけばいい」
「抜け目ないのかアバウトなのか良く分からんな」
囮役としてはもう少し厳密な仕かけが欲しい。
「じゃあやめる?」
黄土色の瞳が挑むようにアジカンへ据えられた。
「いや……やる」
「なら、上半身は裸になった方がいいね。靴ははいておいて。岩場とかで足を切るかも知れないから」
「お、おう」
「本当に危険じゃないの? 人食い蟹なんでしょう?」
天野はいつになく不安そうだ。
「姿を現したら、僕がすぐロープで取り押さえる。もう一回聞くけど、やめたければ僕一人でもやる」
「私も降りるつもりはない」
それはアジカンの本音だった。
「分かったわ」
ため息をつく寸前で、天野は結局折れた。
アジカンとしては、上半身だけとはいえ異性……しかも二人……の前で裸になるのは中々に抵抗があった。こだわっている状況ではないので実行したら、イワシラも同じようにし始めた。
「うわわわわっ! なにやってるんだ!」
「なにって、僕も裸にならないと動きにくいよ」
「い、いや、胸が……」
「タオルを巻くからいいよ……あ、ひょっとして意識しちゃってる?」
「バカ、んなわけあるか」
「ホントかな~えへへへへへへ」
「いい加減にしとけよ。協力しないぞ」
「それ、ここで言う? ひどーい、きっとアジカンはモテない奴だよね~」
「余計なお世話だ!」
「こほん。そういう時は、あなたはうしろを向くのが礼儀です」
天野がこの上なく良識に則った意見をアジカンに述べた。
「はい」
やっと助かった……のだろうか? 海を眺めている間に、ごそごそ音がした。
「もういいよ。お待たせ」
改めてイワシラを目にすると、なるほどバスタオルのような布で胸は覆ってある。下半身は変わらない。そして、彼女の右手にはロープが三束握られていた。
「自分でつける?」
「あー……いや」
「なら、僕がやる」
イワシラは中腰になり、アジカンのベルト通しにロープを入れた。そこで懸命に重力に逆らいしなるように揺れる彼女の胸の谷間が視野を満たした。おまけに彼女の指が微妙にへその下に当たっている。そして、彼女の緑色の髪が自分の服をつんつんつついた。
「済んだ」
「ありがとう」
様々な意味でアジカンは頭を下げた。イワシラは手早く自分の準備も終えた。
「じゃあ、天野。お願い」
三束目のロープを肩にかけて、イワシラは自分とアジカンに繋がるそれらの端を手渡した。
「ええ」
「ロープの長さは考えなくていいから。アジカンも用意して」