09 デキる女の屈辱(人間側)
シューフライの新たなる婚約者となったエナパイン。
彼女はシューフライの腕のなかで「作戦通り」とほくそ笑んでいた。
――真面目だけが取り柄のリミリアが王子の婚約者に選ばれるなんて、なにかの間違いだったのよ。
だから私は妹たちと結託し、シューフライ様をそそのかして引きずり降ろした。
あとは花嫁修行の期間中にシューフライ様を骨ぬきにして、妹たちが婚約者として引き上げられることを阻止できれば……。
私が正妃となって、この国を自由にできる……!
宝石もドレスもすべて手に入って、男たちもよりどりみどり……!
私は『デキる女』に相応しいだけの地位を手に入れられるっ……!
エナパインは自称『デキる女』であった。
そしてリミリアのことを『真面目だけが取り柄の女』だと見くびっていた。
なにもかもが自分のほうが上で、自分こそが王妃に相応しいと思い込んでいたのだ。
事実、婚約者となった彼女を引きつれて歩くシューフライはイキイキとしていた。
新品の靴でも見せびらかすように、上機嫌で城の中を練り歩く。
会う人すべてはエナパインの美しさに見とれ、誰もが王妃にふさわしいと口を揃える。
リミリアの時には得られなかった賞賛に、シューフライは大満足。
夢の『新・婚約者生活』を謳歌していたのだが……。
その優越感も最初の3日間だけで、4日目から異変が起こり始めた。
王家のしきたりで、帝王の朝の世話は使用人ではなく、王妃がすることになっている。
エナパインも花嫁修業の一環として、毎朝シューフライを起こしていた。
エナパインほどの美女に起こされるのは男冥利に尽きるものだが、シューフライは不機嫌そのもの。
「……おい、エナパイン……。お前、起こすのヘタクソだな……。
リミリアみてぇに、もっとうまく起こすことはできねぇのかよ……」
愛しの人にブスッとした表情で言われたのは、『起こすのがヘタクソ』。
こんなことを言われたのは、エナパインにとっては生まれて初めて。
それ以上に彼女のプライドを傷付けていたのは、『リミリアみたいに』の一言であった。
「シューフライ様、それは何かの間違いです。
私が姉さんよりも下手だなんて、ありえるはずがありませんわ。
それ以前に、『上手に起こす』って意味がわからないんですけど」
エナパインは思ったことをハッキリと言うタイプであった。
シューフライはショボショボした目で答える。
「俺様もよくわかんねぇんだけど、アイツに起こされると不思議と寝覚めがいいんだよ……」
リミリアはかつて、シューフライにこう説明していた。
『人間の睡眠には、「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」というふたつの種類があります。
簡単に言うと、「浅い眠り」と「深い眠り」ですね。
「浅い眠り」のときに起こすようにすると寝覚めがよくなるので、わたしはそのタイミングでシューフライ様をお起こししています。
どうやって見分けているのかって?
「浅い眠り」のときは目を閉じていても眼球が動くので、瞼を見ればわかります』
頭カラッポのシューフライはこのことを憶えていない。
エナパインは自分を『デキる女』だと思い込んでいるが、同じく頭カラッポなのでこんな知識はない。
――姉さんが起こすと寝起きがいいだなんて、何かの間違いでしょう。
そもそも寝起きなんて自分でもコントロールできないのに、ましてや他人がどうこうするなんて不可能。
ちょっと考えればわかることなのに、このお坊ちゃまは……。
彼女は「はぁ」とバカにしたような溜息をつく。
「わかりました。次からは極力、上手に起こすように努力してみます」
この話はそれで終わったのだが、シューフライのストレス展開は続く。
起きたあとは寝室に設えられている洗面台で顔を洗うのだが、エナパインはボーッと突っ立っているだけなのだ。
シューフライはびしょ濡れの顔のまま、エナパインを怒鳴りつけた。
「おい、エナパイン! 顔を洗ったらタオルだろうが! リミリアはすぐにタオルをくれたぞ!」
「ええっ!? そんなことまで世話しなくちゃいけなんですか!? どんだけクソ……!」
『デキる女』にして、普段はなんでもハッキリ言う『毒舌キャラ』を気取っているエナパイン。
思わず素が出てしまい、シューフライを『クソ坊ちゃん』呼ばわりしそうになる。
しかし相手は王子であることを思い出し、咄嗟にごまかした。
「くっ……空想してて、ついボーッとしてました!
はいどうぞ、姉さんが渡してたのよりずっとフカフカなタオルですよぉ!」
洗面台の引き出しからタオルを引っつかんで取りだし、シューフライに渡す。
リミリアはシューフライの身の回りのことを、それこそ使用人以上になにからなにまでやっていた。
それは単に、相手が王子だからと媚びていたわけでも、喪女だから捨てられまいと尽していたわけでもない。
実に彼女らしい、限りなく合理的な考えがあったのだ。
『国の代表である国王の生活は、すべて公費によって賄われています。
そのため国王の思考というのは、起きている時間は極力、国政に向けられるのが理想です。
わたしはその思考の妨げになるものを、極力排除したいと思っています。
身の回りのことはすべてわたくしがさせていただきますので、シューフライ様はおはようからおやすみまで、国のことだけを考えていてください』
それとは逆に、リミリアは国のためにならぬと思ったことは、シューフライにどれだけ命令されても絶対にやらなかった。
もちろんこんな想いもシューフライには届いていない。
彼のカラッポの頭に詰め込まれていたのは、国をより良くするという夢ではなく、いかにして女をはべらせ面白おかしく暮らしていくかという、淫夢。
しかしそんな白昼夢が見られたのも、リミリアのおかげであった。
エナパインはシューフライと一緒にいても、行先の扉すらも開けようとはしない。
そのくせ城の廊下に出ればランウェイのように、自分が主役だと言わんばかりにしゃなりしゃなりと歩く。
そんな彼女に、シューフライはイライラしっぱなし。
そして彼のストレスは、午後を迎える前に限界に達してしまった。
それは、朝食の場。
「おい、なんだこのポトフは!? こんなクソマズいポトフが食えるかっ! コックを呼べ!」
食堂の長いテーブルの上座についていたシューフライは、怒りにまかせて食器をぜんぶ床にぶちまける。
それでも気持ちはおさまらず、顔色を変えて飛んできたコックを怒鳴りつけていた。
「俺様の好物がポトフなのを知っているだろう!? なのにここ数日のポトフはなんだ!? 犬も食わねぇ味だ!」
そこまで酷評されるほどの味ではない。
帝国お抱えのコックが作る料理はどれも、三つ星クラスのレストランに匹敵する。
しかしポトフだけは、どうにもならなかったのだ。
「も、申し訳ございません、シューフライ様!
今までシューフライ様にお出ししていた朝食は、すべてリミリア様がお作りになっていたのです!
リミリア様は、シューフライ様のお嫌いなものもうまく調理してお出ししておりました!
そのため、栄養バランスが完璧で、私も自分の料理に取り入れていたほどです!
他の料理はなんとか真似できたのですが、ポトフだけはどうしてもリミリア様のお味にならなくて……!」
「なにっ、リミリアが……!?」
今になって初めて、毎日口にしていたポトフがリミリアの手作りであることを知ったシューフライ。
隣にいたエナパインを、キッと睨みつける。
「おいエナパイン、お前もリミリアと同じ家で育ったんだろう!?
だったらポトフくらい、お前も作れるよな!?」
いきなり話の矛先を向けられたエナパイン。
内心「ポトフってなに?」と思っていたが、そんなことはおくびにも出さずに頷き返す。
「ええ、姉さんよりもずっと上手に作れますよ。
姉さんよりも劣ることなんて、私には何ひとつありませんから」
「そうか! なら今すぐ作れ! 俺は毎朝ポトフを食べないと気が済まないんだ!」
「わかりました」
エナパインは『デキる女』らしい所作ですっと椅子から立ち上がると、コックを引きつれて食堂をあとにする。
ちなみに彼女は、生まれてこのかた一度も料理と呼べるものは作ったことがない。
たまに友人たちを招いて手料理を披露することはあったが、それはリミリアに作らせたものであった。
――姉さんでも作れるものなら、私には簡単でしょう。
そのポトフとやらでシューフライ様の胃袋をわし掴みにして、二度と私から離れられないようにしてやりましょう。
しかして小一時間後、食堂に戻ってきたのはコックだけであった。
「おっ、ポトフができたのか!? エナパインはどうした!?」
「そ、それが、その……。
エナパイン様は厨房で何かいろいろやっていたようなのですが、突然、具合が悪くなられたとかで……。
これだけを残して、お部屋のほうにお戻りになられてしまいました……」
困惑するシェフの手にあったのは、魔王軍の常食とされていた『メラ・ゾーマス』顔負けの、物体Xであった。
なんとエナパイン、逃走っ……!
そして仮病っ……!
朝はランウェイのように歩いた廊下。
しかし昼前には鬼のような形相で逆走する、彼女の姿が随所で目撃されたという。
――こっ、この私に恥をかかせるなんてっ……!
見てらっしゃい、姉さん! いや、リミリアっ!
この屈辱は、倍にして返してやるんだからぁぁぁぁ~~~~っ!!