06 狂気の残念系コック
わたしはデモンブレイン様のおかげで、魔王軍のとある部隊の料理をまかなう専属コックとなる。
さらにわたしの部屋のキッチンでは部隊ぶんの料理を作るのは難しいからと、魔王城の厨房も使わせてもらえるようになった。
1日3回、わたしは見張りの兵士に付き添われて厨房に行き、兵士のための料理をつくることになったんだけど……。
それは初日から多難であった。
わたしの部屋のキッチンが普通だったので、厨房も普通なんだろうと思ってたけど、ぜんぜん普通じゃなかった。
サウナみたいに暑いと思ったら溶鉱炉なんかがあって、まるで製鉄場。
それで鉄のような『アイアンプレート』を作り、地獄の釜みたいな巨大な鍋で『メラ・ゾーマス』を作っていた。
コックたちは『オーク』というイノシシみたいな見た目のモンスターだったんだけど、抜け毛が入りまくっている。
しかしコック長はオークではなく、人間に近い見た目をしていた。
わたしは鍋に向かって調理をしているコック長の背後から近づいて挨拶する。
「はじめまして、今日からここを使わせてもらうことになった、リミリアです」
あたりが臭くて鼻をつまんでいたので、自然と鼻声になってしまう。
コック長は前屈みになっていて、風呂釜のように大きい鍋に上体を突っ込むような体勢でかきまぜていた。
「あぁん?」
コック長は短く答えながら身体を起こす。
その拍子に鍋の中からばしゃっ、と左手が出てきた。
私は思わず息を呑んでしまう。
その手があまりにも『異形』だったからだ。
コック長の左手は筋繊維が剥き出しのような見た目で、しかも紫色に変色していて、煮え立つマグマのようにグツグツと脈動していた。
指先の爪はナイフのように鋭く長い。
まるで、『鬼の手』……!
それ以上に驚きだったのは、左手はたったいま誰かを殺したばかりのように血塗られており、もうもうと湯気をたてていたこと。
この人……もしかして素手で沸騰する鍋をかき混ぜてたの!?
わたしは驚きはなるべく外に出さないように訓練を受けてきたが、今はそれができているか自信があまりなかった。
「話はデモンブレインから聞いてるぜぇ。
だがお前みたいな人間に、この邪悪なる厨房を使わせるわけにはいかねぇなぁ!」
『邪悪なる厨房』というのは、人間でいうところの『神聖なる厨房』という意味だ。
それだけこのコック長は自分の仕事に誇りを持っていて、見ず知らずの人間には触らせたくないらしい。
人間でいうなら、『職人気質』の人のようだ。
しかし料理職人のわりに髪はボサボサの長髪で、無精ヒゲも生えていた。
年はデモンブレイン様と同じくらいだけど、ヒゲのせいでだいぶ歳上に見える。
顔だちはとても整っているが、口から舌をだらりと垂らし、人を食ったような顔でわたしを見ていた。
わたしが言うのもなんだけど、ものすごい『残念系イケメン』って感じだ。
なかなか手強そうだけど、職人タイプの人間ならお城にもいっぱいいたので、接するのには慣れている。
わたしはとりあえず下手に出た。
「はい、新人がいきなり厨房に立つなんてもってのほかですよね。
今日はとりあえず、見学だけでもさせてもらっていいですか?」
「ダメだ、さっさと出ていかないとコイツでバラバラにして、『メラ・ゾーマス』の具にしちまうぞぉっ!」
コック長は鍋をかきまぜていた異形の手をわたしに突きつけてくる。
「さっきはそれで鍋をかき混ぜてましたけど、混ぜるのなら普通は調理器具を使いますよね?
コック長なりの、なにかこだわりが……」
「うるせぇうるせぇうるせえっ! さっさと出ていけぇーーーーーっ!」
わたしはなんとか会話のきっかけを掴もうとしていたのだが、取り付く島もない。
コック長は刃物のような手をブンブン振り回して追いかけてきたので、わたしは慌てて厨房から逃げ出す。
幸運にも入口の所にはデモンブレインさんがいたので、わたしは彼の後ろにサッと隠れた。
途端、コック長はキキーッと立ち止まる。
ハムスターを追い回していたところを飼い主に見つかったネコみたいに、反省する様子もなく目をそらしていた。
「なんだ、デモンブレインじゃねぇか、久しぶりだな。
それに珍しいな、軍師サマがこんなきったねぇ所に来るだなんて。
便所と間違えたのか?」
地獄に咲いた花みたいに、密やかに微笑み返すデモンブレイン様。
「いいえ、ヴェノメノンさん。
リミリアさんがこちらにお世話になる初日なので、様子を見に来たのですよ」
ヴェノメノンと呼ばれたコック長は、真っ赤な舌を垂らしてヒヒヒと笑った。
「お忙しい軍師サマが、たかだがコック一匹のためにわざわざお越しになるとはねぇ。
ははぁ、どうやらその小娘のことをよっぽど気に入ってるみてぇだなぁ!」
「ええ、リミリアさんはわたくしが今いちばん気になっている女性です。
この様子ですと、仲良くやっていただけているようですね」
さらっととんでもない事を言うデモンブレイン様。
その背後にいたわたしはギョッとなる。
ヴェノメノンさんがからかってもデモンブレイ様は否定しなかったので、ヴェノメノンさんはさらにふざけだした。
「気が合うねぇ、俺もちょうど気になってたところさ!
今も仲良く追いかけっこをしながら、厨房を案内していたところだ!
ささ、リミリアちゃん、こっちだよぉ~! 次はこの俺を、捕まえてごら~ん! ヒヒヒヒヒヒヒッ!」
結局その勢いのまま、わたしはデモンブレイン様とともに、嘲り笑いが止まらないコック長に厨房を案内された。
魔王軍の常食である、『メラ・ゾーマス』を作る行程を見せてもらう。
まず豚の骨を砕いて、強火のお湯でグツグツと煮る。
水を足しながら8時間ほどかき混ぜたあと、豚の血をたっぷり加えて……。
「って、ちょっと待ってください」
わたしは慌てて止めた。
「ここまではすごくいいダシの取り方なのに、豚の血を加えるからマズくなるんですよ」
「なんだとぉ、人間のくせにずいぶん生意気なこと抜かすじゃねぇか!
それにマズくてなにが悪い! 飯というのはマズくて当たり前なんだよ!」
ヴェノメノンさんはアレな感じの人だけど、まさか料理人である彼までがこんな思考だとは思わなかった。
「とにかく、ここからわたしに手を加えさせてもらえませんか?
そうしたら、すごくおいしいスープになると思いますから」
「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって! そんなのダメに……!」
のっけから猛反対されてしまったが、デモンブレイン様の「ヴェノメノンさん」という鶴の一声で、
「チッ、わかったよ!
おいリミリア、この鍋はもう8時間近く煮込んだヤツなんだ!
台無しにしたら、マジでお前を煮込んでやっからな!」
ヴェノメノンさんは捨て台詞とともに、豚骨の入った鍋を明け渡してくれた。
わたしは厨房を見回す。
すると、食材の入った箱が隅にほっぽってあるのを見つけた。
わたしが今日の料理のために取り寄せたものだ。
その中から、香味系の野菜をいくつか選んで鍋に放り込む。
豚骨というのは煮るとものすごく独特の匂いがするから、まずは臭み消しをした。
あとは甘さを出すために、キャベツやタマネギやニンジン、さらにリンゴなどの果物を加える。
1時間ほど煮込んだあと小さな鍋にとり、塩胡椒やブイヨンを加えれば……。
『オリジナル豚骨スープ』のできあがりっ!
わたしはシューフライ様の婚約者になってからは、休みのたびにゴールドブレイブ帝国を隅々まで視察していた。
帝国の東にある国では豚の骨でダシを取り、『ショーユ』という発酵調味料でなどで味付けるする『豚骨スープ』なるものがあるというのを知った。
今はショーユはないから、かわりに塩胡椒やブイヨンを使って味付けしてみた。
そのお味はというと、コクのある味わいで、ものすごく美味しい。
「デモンブレイン様もヴェノメノンさんも、試しに味見してみてください」
わたしはふたりにも勧めてみた。
まわりには他のコックたちも集まってきていたので、彼らにも振る舞う。
香味野菜のおかげで食欲をそそる香りになった豚骨スープに、魔王軍のコックたちはいぶかしげ。
「なんだ、この匂い……?」「初めて嗅ぐ匂いだぞ……?」「奇妙な匂いだが、嫌な匂いじゃない……?」
彼らは犬のようにフンフンと、さんざん匂いを嗅いでからようやくひと舐め。
次の瞬間、揃ってバターンとひっくり返っていた。
「なっ、なんだこれっ!? なんだこれぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーっ!?」
「こ、こんなスープは初めてだっ!? なんだこの味っ!? と、止まらん、とまらーーーーんっ!」
「あああっ、メラ・ゾーマスは想像するだけで嫌な気持ちになるのに、これはとんでもなく幸せな気持ちになるっ!?
し、幸せすぎて、おかしくなりそうだっ!?」
ヴェノメノンさんにいたってはガックリと膝を折り、そのまま気絶したみたいに白目を剥いていた。
「まっ、まずくない飯が……この世にあっただなんて……。
この俺がコックとして修行してきた年月は、いったいなんだったんだ……」
わたしのポトフを食べたことのあるデモンブレイン様だけは唯一、気が確かなままに味わっていた。
「うん、これもポトフと同じくらい美味ですね。飲むと、力が湧いてくるようです」
「はい、豚骨スープには骨を丈夫にするカルシウムと、筋肉を丈夫にするアルギニンが含まれているんです。
飲めば強い身体をつくることができるので、兵士にピッタリなんですよ」
「ふふ、リミリアさんは本当になんでも良く知っていますね。
では今日の献立は、この豚骨スープにするというのはどうでしょう?」
「はい、喜んで。でも豚骨スープをたくさん作るには、私の力だけだと大変かも……」
と言いかけて、わたしは足元にひれ伏しているコックたちに気付く。
正気に戻ったヴェノメノンさんは、身体をよじって大笑いしていた。
「ひゃははははは! おい、見ろよリミリア! お前のスープでコックどもがすっかり降参しちまってる!
魔界の料理勝負は、相手に膝を付かせたほうが勝ちになるんだ!
この俺も、まさかお前みたいな小娘にやられちまうとは思わなかった!
気に入ったぜぇ、リミリア! 今日からお前は、俺の厨房仲間だっ!」
わたしはいつの間にか『魔界の料理勝負』をさせられていて、どうやらそれに勝利したらしい。
なんにしても、コック長であるヴェノメノンさんに気に入られてよかった。
ここからは短編版より大幅に加筆修正した内容となります!
そして次回ついに、魔王がデレる……!?
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