47 王子の旅4
旅支度を終えたヴォルフは廃屋を出て、街道へと戻っていた。
草原の広がる道を、迷いなき足取りでずんずんと進んでいく。
彼の肩越しには、小さくなっていく王城。
決して振り返らぬその瞳には、リミリアを救うまでは戻らぬという、不退転の決意が宿っていた。
それはまさに『勇者』の旅立ちにふさわしい勇ましさだったのだが……。
約一名のおかげで、すっかり台無しであった。
「うががぁぁぁぁっ!? いやだっ! いやだぁぁぁぁぁぁっ!
はなせっ、はなせぇぇぇぇ! 俺様は城に戻るぞっ!」
ヴォルフのすぐ後ろには、今回の旅の主役であるシューフライが。
首に縄を結び付けられ、犬のように引きずられていた。
「……やれやれ、まさか本当に、首に縄を付けて旅立つことになろうとは……」
ヴォルフはひとりごちながら、心を鬼にして手にした縄を引く。
鍛え上げられた彼の腕力では、ひ弱な王子など痩せ犬同然。
シューフライがいくら踏ん張ってみたところで、ズルズルと引きずられる。
そこにちょうど、街道パトロールの衛兵が通りかかった。
シューフライはさっそく助けを求める。
「そこの者、なlをしている!? 俺様を助けろ!
俺様はいま、頭のおかしい男にさらわれようとしているんだぞ!」
しかし衛兵はこの国の王子、シューフライであることに気付かない。
無理もない。坊主頭で布の服の男など、乞食王子も同然だからだ。
「なんだお前?」と横柄な態度を返す衛兵に、シューフライはすぐにカッとなった。
「なんだその口の利き方は!? 俺様はシューフライであるぞ! 頭が高い、ひかえおろうっ!」
「なに言ってんだコイツ、お前みたいなショボ夫がシューフライ様なわけがないだろう。
頭がおかしいのは、お前のほうじゃないのか?」
「しょ……ショボ夫だとぉ!? ふざけるなっ! 今すぐそこになおれっ!
その首、切り落としてやるっ!」
シューフライは暴れザルのように飛びかかっていったが、
ボカッ! 「ぎゃいんっ!?」
衛兵のカウンターパンチを顔面にもらい、あっさりノックダウン。
衛兵はさらにヴォルフに厳しい視線を向けた。
「おい、そこのオッサン! 俺たちは今、リミリア様がいなくなってピリピリしてんだ!
わかったら、この頭のおかしい男をしっかり繋いどけ!
でないと、ふたりまとめて牢にぶち込むぞ!」
ヴォルフは「申し訳ない」と慇懃に頭を下げる。
本来はヴォルフのほうがずっと格上の立場なのだが、衛兵は相手がヴォルフであることにも気付いていない。
ヴォルフは『剣聖』と呼び讃えられるほどの覇気と、『銀狼』と怖れられるほどの殺気を完全に消していた。
今はただひとりの男として、相方のシューフライを助け起こす。
「もはや我々は、武者修行の旅をする貧乏剣士なのです。
味方はひとりもおらず、助けてくれる者もおりません。
わかったらあなた様も覚悟を決めて、己の力でこの大地を踏みしめるのです」
顔をあげたシューフライは、目に大きなアザができていた。
涙と鼻血に濡れた顔で、いやいやをしている。
「い……いやだ、いやだぁぁぁ……! 俺様は、大地なんて踏みたくなぃぃ……!
いつも、雲の上を歩いていたいんだぁぁぁぁ……!」
結局、ヴォルフはシューフライを引きずっての旅を余儀なくされた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
しばらく歩いて山の中。
たいして険しくもない山道であったが、生まれて初めて登る斜面にシューフライはとうとうギブアップしてしまった。
「ぐわあっ! も、もう歩けないっ! これ以上歩いたら、死ぬっ! 死ぬぅぅぅ……!」
「それほど大声を出せるのであれば、まだまだ歩けるでしょう」
「もう無理だっ! 見ろ! ブーツの中が血まみれだっ! 俺はもう、一歩も歩かんぞっ!」
「まだ、王都が見えるほどの距離しか歩いておりませんが……。
仕方ない、ここで夜を明かすとしましょうか」
「なに!? こんな所で寝るのか!?」
「歩きたくないというのであれば、それしかないでしょう」
「お前が俺様を背負えばいいだけだろうが!」
「あなた様が、戦って負傷したというのであれば背負いもしましょう。
あなた様が、女子供であるならば背負いもしましょう。
いや、こんな低い山など、女子供でも音を上げないでしょうなぁ」
ちょうどその時、母子がスキップしながらふたりの前を通りがかっていった。
子供が「見てみて! あのお兄ちゃん、こんな所でへばってるよ!」と指さして笑っている。
「く……クソがぁっ! あんなクソガキなんかに、負けてたまるかよぉっ!」
怒声とともにふたたび立ち上がるシューフライ。
彼は根性で小さな山をひとつ乗り越え、その麓の村で力尽きた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
シューフライが次に気付いたときには、馬小屋にある藁の上だった。
「ああ、気付いただか」と貧しい身なりの女が入ってくる。
「こ……ここは……?」と尋ねるシューフライ。
「ここは、モフトの村だ。あんたが歩けなくなったからって、馬小屋でいいからひと晩泊めさせてほしいって頼まれただよ」
そう教えられた瞬間、ツンとした臭いがシューフライの鼻を襲う。
「う……馬小屋!? この俺様を、馬小屋に寝かせたというのか!? この、無礼者がっ!」
「アンタ、なに言ってんだ!?
アンタらみたいな馬の骨、こっちは置いときたくなかったんだ!
でもお連れさんがどうしても、って頭を下げるから、なんでもするって言うから、仕方なく泊めてやったんだ!」
「く……クソっ! ヴォルフめ……!
こんな村娘にすがるなど、騎士団長としてのプライドはないのかっ……!?
アイツはやっぱり、おかしくなっちまったんだ……!」
「はぁぁ!? アンタがどれだけ偉い人か知んないけど、泊めてもらってその態度はなんだい!?
こっち来なっ!」
村娘はシューフライの首根っこをガッ、と掴むと、馬小屋の外に引きずり出す。
「なっ、なにをするっ!?」と抵抗しても、シューフライではまったく歯が立たなかった。
どしゃりっ! と馬小屋から乱暴に放り出されるシューフライ。
「あれを見な! お連れさんはアンタのために、ああやって働いてくれているだ!」
這いつくばるシューフライが見たもの、それは……。
農夫たちに混ざって、畑の麦をせっせと収穫する、剣聖の姿であった。




