46 彼女はリミリア
魔王城の外周にある庭園を、ふたり組の兵士が歩いていた。
「あーあ、まさか人間にやられちまうとはなぁ」
「最近、人間軍はどこもかなりヤバいらしいぜ。
俺も、久々にケガさせられちまったよ」
「魔王軍の領地のまわりには結界があるからいくら攻めてきても無駄だってのになぁ」
「ああ、それも人間どもはわかってて小競り合い程度にすんでたのに、最近はどうしちまったんだか」
「どうやら、人間どもは人質を取り戻そうと躍起になってるらしい」
「そういえば最近になって、魔王城には人質が連れてこられたらしいな」
兵士たちは、城の厨房の外を歩いていた。
ふと窓ガラスに見えた人物に足を止める。
「おい、見てみろよ、アイツが例の人質だ。『リミリア』っていうらしい」
「人質っていうからてっきり王族かと思ったんだが、なんだアイツ?
めちゃくちゃ地味じゃねぇか?」
「ああ、いちおう勇者に関係するヤツらしいんだけど、ぜんぜんそうは見えねぇよな」
「あれじゃ、そのへんにいる町娘のほうがよっぽど派手だぞ!」
もっとよく見てみようと、兵士ふたりは窓際に近づく。
思いも寄らぬ光景が厨房の中で展開されていたので、目玉を飛び出させんばかりに剥き出しにしていた。
「なっ!?」
「ヴェノメノン様とイフリート様がケンカしようとしてるぞ!」
「あのふたりの仲の悪さは有名なんだ! に、逃げろ! 巻き込まれたらひとたまりも……!」
しかしリミリアの仲裁によって、あっさりとその場はおさまっていた。
「えっ……えぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
「ヴェノメノン様が、毒手を下ろした……! それに、イフリート様も火を消すだなんて……!?」
「あのおふたりが一度いがみあったら、周囲を廃墟にするまで誰も止められないと言われているのに……!?」
「魔王軍でも有名な暴れん坊ふたりを、あんなにあっさり引き下がらせるだなんて……!?
あのリミリアとかいう女、いったい何者なんだ!?」
兵士ふたりは軽い気持ちで覗いてみたのだが、もうリミリアから目が離せなくなる。
しかしさらなる驚愕の光景が繰り広げられ、兵士たちの目玉はスポーンと飛び出していた。
「み、見ろ! スノーバード様とデモンブレイン様がやって来たぞ!?」
「あのおふたりは厨房に入るようなお方じゃないのに!? いったい、何の用なんだ!?」
「り……リミリアだ! ふたりとも、リミリアに話しかけてるぞ!」
「なんで魔王軍の軍師と、魔王の弟がわざわざ人質に会いに来るんだよ!? あえりえねぇだろ!?」
しかもリミリアはここから信じられない行動に出る。
魔王軍のナンバー2といわれるデモンブレインと、次期魔王の可能性もあるスノーバードの腕を取り……。
なんと、調理を手伝わせるっ……!
「えっ……えぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
厨房には、横一列の調理台に並んだ男たち。
いずれも魔王軍の実力者といわれる、そうそうたるメンバーである。
しかしその中心にいたのは……。
町娘よりも地味な、ひとりの少女……!
兵士ふたりは窓に張り付き、ワナワナと震えていた。
「お……俺たちはいま、夢でも見てるのか……!?」
「たったひとりの人間の女に……魔王軍のトップたちが言いなりになってるだなんて……!」
リミリアは窓の外からガン見されているとも知らず、楽しそうにパン生地をこねていた。
その口から、やさしい歌がこぼれる。
♪いっぱいこねこね ふとったねこさん
♪ふわふわしたら ひつじさん
♪まるめてまるめて うさぎさん
♪おつきになったら おやすみよ
♪あさになったら にわとりさん
♪こんがりあがった きつねさん
♪ちょっとこげめの らいおんさん
♪みんなにっこり おいしいね
「うわぁ……リミリアさん、素敵な歌だね! それ、なんて歌なの!?」
「あっ、スノーバード様、聞いてらしたんですね。ついパン作りのクセで、口ずさんでしまいました。
これは、パンを美味しくする歌なんです」
「へぇ、教えて教えて!」
リミリアから教えられた歌を、いっしょになって歌うスノーバード。
やがてイフリートも歌い出し、しょうがねぇなぁといった様子でヴェノメノンも続く。
そしてとうとうデモンブレインまでもが、いっしょになって大合唱をはじめる。
外で見ていた兵士たとの驚きのハードルは、すでに下がりに下がっていた。
「えっ……えぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
「う……歌ってる……!? 人間の歌を……!? 魔王軍ともあろう者たちが……!」
「……ふわふわしたら、ひつじさん……」
「おい! お前なに一緒になって歌ってんだよ! しっかりしろ!」
「あっ!? す、すまん……! リミリアが楽しそうに歌ってるところを見たら、つい……!」
「しっかりしろよ! あんな町娘以下の女に、惑わされるんじゃねぇ!」
ここでようやく、リミリアは窓の外にいる兵士たちに気付く。
リミリアは人間軍にいた頃は、ニコリともしない『鉄の女』として通っていた。
しかし好きなパンを作っているときはリラックスしているのか、表情もパン生地のように柔らかい。
リミリアは窓の外に向けて、ニッコリと会釈する。
それだけで、兵士たちの頬はポッと染まる。
「「かっ……かわいいっ……!」」
「って、なに言ってんだよお前!? アイツは人間の女だぞ!?」
「お前こそ、なに顔を赤くしてんだよ!」
そしてとうとうパンが完成。
みんなでこねたパン生地を焼き窯に入れ、しばらく経つとこんがり焼けたパンができあがった。
ふんわしてもちもちの柔らかいパン。
厨房の男たちはみな「おいしぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーっ!?」と大感激。
外で見ていた兵士たちにとっては未知の食べ物だというのに、憧れのトランペットのように釘付けになっていた。
「な、なんだ、あれ……!?」
「スープといっしょに食べるって言ってるから、『アイアンプレート』じゃないのか!?」
「ばか! アイアンプレートがあんなにフニャフニャなわけないだろ!」
「なんでだ……!? なんであんなクラゲみたいにグニャグニャで、いかにもマズそうなのに……。
なんでみんな、あんなにマズくなさそうにしてるんだ……!?」
「うわぁ、柔らかくて気持ち良……いや、気持ち悪ぃ……!」
「お、俺だってごめんだ! あんな、羽毛みたいにふっかふか……いや、歯ごたえのなさそうな食べ物なんて……!」
「って、お前ヨダレでびちゃびちゃじゃねぇか!」
「お……お前こそっ!」
そして、ついにトドメの瞬間がやって来る。
焼きたてのパンをバスケットに入れたリミリアが、兵士たちのいる窓際に近づいたかと思うと、
……パカッ、フワッ……!
開いた窓から焼きたてのパンの、えもいわれぬ芳醇な香りがあふれ出る。
その先には、まだ湯気をたてているホカホカのパンをいっぱい抱えた少女が。
「見回りご苦労さまです。せっかくですから、おひとついかがですか?」
パンの香りとともに届けられた最高のスマイル。
それは、兵士ふたりのハートを貫くのにじゅうぶんな威力があった。
……ズギュゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
「「ほっ……惚れてまうやろぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」」
嗚呼……!
リミリアに魅了された魔物が、ここにもまた……!




