45 パンを焼こう
いろいろあったけど、イフリートさんをはじめとする炎の精霊たちが張り切ってくれたおかげで、厨房で使える火力は今までとは比較にならないほどになった。
城の厨房にある焼き窯の中は、太陽を閉じ込めているみたいにこうこうと明るい。
イフリートさんはいっしょになって釜の中を覗き込んでいる。
「お望みなら、もっと高温にもできるよ」
「いえ、これでじゅうぶんです。
今くらいの焼き窯の温度が、パン焼きにはちょうどいいんです。
ありがとうございます、イフリートさん」
「うぇーい! リミリアちゃんが喜んでくれて、僕も嬉しいよ!
ところでパンってのがリミリアちゃんの作ろうとしてる、新しい『おいしい』なの?」
「はい。せっかくですからイフリートさんも召し上がっていってください」
「うぇーい! やーりぃ! んじゃお言葉に甘えて、ゴチになっちゃおっかな~」
そう言いながら、わたしの肩に手を回そうとしたイフリートさん。
しかし毒々しい色をした爪にギュッとつねられていた。
「いってぇ!? なにすんだよヴェノメノン!?」
「リミリアがやさしいからって調子に乗るんじゃねぇ。
だいいち、なんでこんなところにまで這い出てくるんだよ。
今まで滅多なことでも外に出なかったくせに」
「リミリアちゃんがいなかったら、こんなチンピラがやってる養豚場には来ないよぉ。
リミリアちゃんのためなら、たとえ火の中水の中、ってね!」
「言ったよなぁ、俺の女に手を出したらどうなるかって。
毒入りハンバーグにしてやろうか?」
ふたりの男子はまたよからぬ雰囲気で急接近していたので、わたしは言葉で牽制した。
「ケンカはやめてください。もし次にやったら、ふたりともパンの試食はナシですよ」
すると、ふたりはお互いの胸倉を掴んでいた手を離し、フン! とそっぽを向く。
わたしは今のうちに、さっさとパンを焼いてしまうことにした。
生地はもう成型してあるので、あとは大きなヘラの上に乗せて、焼き窯の中に入れるだけ。
おいしいパンを焼くためには均一に加熱することなんだけど、普通の焼き窯というのは位置によって温度が違う。
だからその焼き窯ごとの性質みたいなのを見極めないといけない。
でもイフリートさんが加熱してくれた釜はムラが無く、どこに置いてもいい感じに焼けそうだった。
生地を入れたあと、釜に蓋をしてしばらく待つ。
すると、アンケートを取ったら『いい匂いベスト3』に入るであろう、実にいい香りが漂いはじめた。
そう、パンが焼ける匂い……!
この匂いは『干したての布団』と匹敵するくらい、嗅ぐ者を幸せにしてくれる。
人間軍にいた頃は、シューフライ様のために毎日のようにパンを焼いていたけど、この匂いを嗅ぐのは久しぶりだ。
わたしはお行儀が悪いと知りつつも、ヒクヒクと鼻を動かしながら、焼き窯のほうを見る。
すると、焼き窯の回りはとんでもない光景になっていた。
ヴェノメノンさん、イフリートさん、オークさんたちが、まるで真冬のストーブに集まる猫みたいに大集結。
釜はレンガ造りなので中は見えないのだが、ガラスのようにべったりと張り付いている。
「な、なんだ、この匂いは……!?
やべぇぞ! とんでもなくいい匂いじゃねぇか……!」
「や、やばい! やばすぎるよ!
この匂いだけでもう『おいしい』だなんて!
この中はいったいどうなってるんだろう!?」
「中にあるのはきっと、ポトフに匹敵する『おいしい』ものに違いねぇ!
ああっ、早く食いてぇぇぇーーーーーーーーっ!!」
みんなはとうとう、ヨダレをボタボタこぼしはじめた。
わたしは見かねて声をかける。
「あの、もうすぐ焼けますから、みんな離れて……」
と、その瞬間、
「ぶひぃぃぃっ! もうガマンできねぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーっ!!」
ひとりのオークさんが焼き窯の蓋を開いてしまった。
中は200度以上あるというのに、中に顔を突っ込んで、焼きたてどころか焼いている真っ最中のパンに食らいつく。
「ぶひぃぃぃぃーーーーーーーっ!? 熱いぃぃぃぃーーーーーーーーーーっ!?
でも、おいしぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
「テメェ、なにしてくれてんだっ!?」
「は、早く引きずり出さないと! せっかくのパンが全部食べられちゃうよ!」
いがみあっていたヴェノメノンさんとイフリートさんは一致団結。
そこに他のオークさんも加わって、地面に埋まった株を引っこ抜くみたいにして、焼き窯に半身を突っ込んだオークさんを引っ張った。
スポーンと抜けたオークさんは気がチリチリパーマになっている。
相当熱かったはずなのだが、その顔は幸せいっぱい。
「ぶひぃ……もう、死んでもいいっ……!」
そして焼き窯の中はすっかりカラッポ。
その場にいたわたし以外の全員が、幸せに浸るオークさんを足蹴にしていた。
「てめぇ、もう死んでもいい、じゃねぇだろっ! もう死ねっ!」
「焼豚にしてやろうかっ、このブタっ!」
「ぶひいっ! 俺たちのパンを返せぇーーーっ!」
黒焦げのうえにボッコボコ。
つまみ食いペナルティとしては重すぎる気もしたので、わたしは止めた。
「まあまあ、また焼けばいいだけですから。
うまく焼けるのがわかりましたから、次はたくさん生地を作って焼いてみましょう。
いい機会ですから、生地の作り方もお教えしますね」
わたしはせっかくだからと、ふたりのコック長とコックさんたちにパン生地の作り方を伝授することにした。
そこに、新しいお客さんがふたり訪れる。
「リミリアさん、今度はなにをやっているのですか?」
「厨房の前を通りかかったら、すっごくいい匂いがしたから覗いてみたんだ!」
デモンブレイン様とスノーバード様だった。
わたしはおふたりも誘う。
「おふたりとも、パン作りを手伝っていただけませんか?
パン生地は大勢でこねたほうが楽しいですから」
わたしは並んで立っていたデモンブレイン様とスノーバード様の間に入り、おふたりの腕を取って促した。




